丹波亀山城下町 宝さがしゲーム(亀岡)

2012年11月4日(日)



京都の亀岡市に出掛けて、「丹波亀山城下町 宝さがしゲーム~光秀が託した贈り物~」に挑戦した。今年で第4回目になるが、やっと初参加だ。

事前にチラシを熟読したが、その内容が謎めいている。明智光秀が遺した巻物に書かれた、4つの謎が指し示す場所を突き止め、実際にその場所に行って宝物ゲットに必要な暗号を入手していく・・・、どのようなゲームなのか、さっぱり判らん。やはり現地に行ってみるしかない。



5年振りに訪れた亀岡駅は大変貌を遂げていた。京都市や大阪府に隣接しているとはいえ、長閑なローカル駅だったと記憶していたが、今や、流線形の金属屋根と全面ガラス窓という、近代的な駅に生まれ変わった。

それにしても、駅舎内の観光案内所で、宝さがしゲームの参加申し込みを済ませたものの、どこに行けばいいのか、見当が付かない。駅前のバス停のベンチを占拠して、案内のパンフレットと地図を交互に睨みながら20分ほども作戦を練るのに時間をかけてしまった。



以前、JRの「駅からはじまるハイキング」でこの駅を訪れた際には、保津川を越えて北に向かったので、駅の南側に広がる市域を歩くのは初めてのことになる。まずは、最初の宝箱が隠されていると思われる、亀岡城址を目指す。元の内堀の傍に、複製されたシャチホコがある。



亀岡城の元本丸地域は、現在某宗教法人の本部となっている。かつての亀岡城の名残をとどめる建造物は、石垣のみとなっているようだ。



光秀の謎は、なかなか難しい。場所の特定が簡単ではないし、おそらくこの辺りにあるはず、と思っても宝箱が容易には発見できない。木陰などにひっそりと隠されている。



町には、いくつかヒントが掲示されているのだが、これを読んでも、なお難しい。どうせ子供騙しだろうとタカを括っていたが、意外な難問の連続で、結構歩かされることになってしまう。他にも、宝探しのマップと参加証を持って、ウロウロしている人たちが沢山見られた。



古世親水公園。湧水を利用した、野菜などを洗う場所がある。魚も泳いでいて、夏には子供たちの格好の遊び場にもなるようだ。
宝箱の在り処と考えて、やってきたが、「ここには無いよ」と地元に方に優しく教えられた。



称名寺の塀にある彫り物。つい見過ごしてしまいがちで、しかも何の説明板も無いのだが、なんと左甚五郎の作だと、やはり地元に方に教えてもらった。もっとも左甚五郎とは、特定の一人ではなく、江戸期の名匠たちの代名詞になっていたと聞く。



称名寺にある和泉式部の墓。これでいくつめの和泉式部の墓を訪ねたことになるだろうか。帰宅してネットで調べると、式部の墓と伝わるところは、全国に何十ヶ所もあるらしい。式部の伝説を語り物にしていた女性たちもまた、「和泉式部」と呼ばれていたことに起因するそうだ。



市街地は、城下町の風情を取り戻すべく、道路、標識、灯篭などの整備が行われているようだ。



結局4つの謎の解明に2時間くらい掛かった。歩いた距離は、せいぜい2~3キロくらいだと思うけど・・・。亀岡の町の人たちの優しい助けがなければ、解けなかったかもしれない。

ゴール地点で、謎解明の抽選。やはり末等のバッジだった。「明智かめまる」という亀山城のお堀に棲む亀らしい。昨日貰った宇治スタンプラリーの完歩賞のバッジと並べてみた。



亀岡では、大河ドラマの主人公に明智光秀、との運動を展開しているが、次が新島八重、その次が同じ戦国時代の黒田官兵衛と決まったから、「次の次の次の次」狙いになるのだろうか。

さらに京都サンガの本拠地になる新サッカー場の建設を、城陽、淀、と競っているところだ。明治初期、三重の亀山と紛らわしいから、と亀岡に地名を変更されたという屈辱的な歴史を持つからかもしれないが、亀岡のブランドアップにかける人々の思いがとても熱いように感じる。




時間が掛かった割には、あまり歩数は稼げなかったが、帰路に途中下車して、壬生、島原、京都水族館あたりを歩き回って、一日トータル約2万歩に帳尻を合わせた。