泉北ぐるりんスタンプラリー 22(2)陶器山

2012年12月8日(土) 

第22回 泉北ぐるりんウォーキングスタンプラリー 

陶器山パノラマコース


泉北ぐるりん2日めは、直線距離なら5kmくらいの泉ヶ丘駅から大阪狭山市駅までの間を、南に大きく迂回して歩く14kmの道程だ。何度か歩いた道なので、今回はコースを逆に歩く。午前中に所用があったので、スタートは13時前というのに、風と小雨も相俟ってひどく寒い。

南海高野線の大阪狭山市駅は、以前は狭山遊園駅という名称だったものが、遊園地の廃止に伴って駅名が変更されたもの。隣の駅が狭山ということもあり紛らわしいが、かつて狭山藩北条家の陣屋があり、現在は市役所もある、大阪狭山市駅が狭山の中心のはずだ。


駅から10分足らずで、最初のスタンプポイントの狭山池博物館に到着。10年ほど前に、大阪府が巨費を投じて、安藤忠雄氏が設計し、狭山池北岸に建設した、何かと議論のあるハコモノだ。巨大なだけではない。意味不明な通路やスペースに満ち溢れた摩訶不思議な、ブッ飛んだ構造物である。まるでドラゴンクエストに出てくる、魔王が棲むダンジョンのようなところだ。



展示の目玉は、狭山池北堤の断面。狭山池は1400年ほど前に誕生した日本最古のダム式の溜め池だ。長い年月の間、繰り返し、補強、改造されてきた狭山池の堤や、その当時の樋などが保存され、土木技術の歴史館のようになっている。



狭山池博物館のスタンプ。建物や展示物とは異なり、至ってフツーである。まあ、これまであまりゆっくり見学したことが無かったし、外は雨が降っているので、30分近く館内を見て回る。



博物館を出ると、雨は止んでいたけど、相変わらず風もあって寒い。でも空気は澄んでいて、PLの平和塔がとても近くに見える。対岸は遊園地だったところ。元は狭山藩主の北条家が寄付した土地だ。戦国時代、関東に割拠した北条早雲の末裔は今も狭山におられるのだろうか。



狭山池から天野街道に向かう。ガスの球形タンクの横を歩く。フレームに入りきらない・・・。



西高野街道(左)と天野街道(右)の分岐点。石碑や祠がいくつも並んでいる。



スタンプポイントにもなっている観音院。行基が開祖という。行基を開基とするお寺は一体いくつあるのだろうか。100は楽に超えているだろう。橋とか、池とか、港とかも含めれば、月にひとつくらいは何か造っている勘定になるように思う。



さあ、いよいよ天野街道だ。あまの街道と表記していることが多いんだけれど、高野街道が「たかの街道」と読まれないように「こうや街道」と表記されているのに倣ったのかなぁ・・・。



天野街道は、狭山から天野山金剛寺付近までの、約8kmの道。住宅地の間の小高い尾根道を整備したもの。自動車道は天野街道の下を潜るトンネルになっているため、ほとんど他の道と交差しない。アップダウンも少ないため、とても気持ち良く歩ける。お気に入りの道のひとつだ。



道の大半は舗装されていない。でも整備されていて、デコボコは全くない。ガードレールも設置されているが、木製となっているなど、自然との共生を大切にした道だ。道に沿って、店も、家も、電信柱もない。木々が生い茂り、鳥が囀っているだけ。それがいいのだ。




堺カントリークラブの手前あたりで折り返して、 な~んにも写真を撮りたくなるようなものがない退屈な道を何kmも歩いて、泉北ニュータウンの槙塚台にやってきた。



やけに「○(まる)」の多い集合住宅があった。



泉北ニュータウンというところは、40年前の宅地造成にも関わらず、緑地と住宅のバランスが良くできていると思う。元からあった、緑深い里山や、大きな池が上手く活用されている。住宅地と里山の間には、いい感じの遊歩道が整備されている。



住宅の背面に挟まれて、遊歩道が整備されている。左右の住宅地の前面には自動車が通行する道がある。とても贅沢で豊かな街区設計だと思う。




遊歩道の脇にあった保育園の裏口。クマのデザインがとても可愛い。



泉ヶ丘の駅前にある児童館ビッグバンの裏山にスタンプラリーポイントを発見。児童館を訪れる子供向けのものなんだろうが、記念として、泉北ぐるりんのマップに押印。



これが泉ヶ丘駅から徒歩5分の風景。深い緑だ。西の空が赤みを帯びてきている。この季節の日暮れは早い。



泉ヶ丘駅前のパンジョ高島屋。16時を少し過ぎたばかりというのに、既に街路灯が点灯しだしていた。歩くのをやめると、一気に寒さが身に沁みてきた。


まとめ

歩行距離   14.0km
所用時間   213分(3時間33分) (博物館見学30分を含む)
歩数      20300歩 (しっかり 18900歩)