和歌の浦ハイキング

2014年11月16日(日)


和歌の浦のウォーキングガイドマップを入手した。和歌山県は長らくご無沙汰していることもあり、ガイドマップの中の歴史探索ウォークに従って散策してみることにする。併せて、和歌山で以前から気になっている史跡にも立ち寄ることにする。



JR紀三井寺駅から、まずは和歌山を代表する古刹、紀三井寺を訪問する。西国三十三所の第二番札所だ。



楼門から境内まで、延々と石段が続く。33段の女厄除坂や、42段の男厄除坂、といった具合に、少しでも気が紛れるように、ということでもあるのだろう。二百数十段の階段はいくつかのパートに分割されている。



最近建立された金ピカの観音像のせいか、どうも古刹という感じがしない。御守もカラフルで可愛いものが多種用意されている。かなり優秀なデザイナーとタイアップしているに違いない。ペット用の御守とか、胡瓜型の絵馬とか、ユニークなものが目につく。



晴天のもと、紀三井寺から西へ、和歌の浦に向かってテクテク歩いていく。和歌川の河口の干潟に浮かぶ妹背山。紀州徳川家の殿様がこの島に建立した寺院も、多宝塔と、岸との間を繋ぐ三断橋などが残るばかりだが、今も国内屈指の水辺の名勝であり続けている。



干潟で羽根を休めるカモメの群れをカメラに収めようとしたところ、気配を察してか、一斉に飛び立った。



ガイドマップには記載されていないが、この付近で気になるところがあったので立ち寄る。戦国時代末期に信長や秀吉を相手に暴れまわった雑賀衆の城、雑賀城跡だ。雑賀衆とは、この地の複数の豪族からなる集団なので、ここが本拠地という訳でも無いようだが、雑賀城と名付けられているだけに、一度は訪問してみたいと思っていたところだ。




驚いたことに、付近に何の標識も案内板も無い。ここって、そんなにマイナーなところなんだろうか・・・。とにかく登っていくと、小さな祠が現れた。これは、養珠寺の妙見堂で、雑賀城とは関係ないようだ。



雑賀城跡を探索した人のブログを参照しながら、妙見堂の北側の峰に回り込む。何の標識も無いけれど、どうやら、このあたりが雑賀城の千畳敷曲輪の跡らしい。海に近い平地にポツンとある山だけに、四方を見張るには絶好の地だ。



山を下りて、紀州東照宮に向かう。徳川御三家として、家康=東照大権現と、初代紀州藩主の頼宣が祀られている。日光東照宮と同様、左甚五郎の彫刻などもあるらしい。侍坂と名付けれらた長い階段を上っていく。



本殿も楼門も、日光東照宮ほどの威圧感は無いものの、立派な造りだ。何よりも、至るところに施された葵紋が、威厳を高めている。



境内にある砲弾と、それらを取り巻くように置かれている権現猿と名付けられた、緑色の猿たち。雄と雌がいて、社務所でも販売されているところを見ると縁起物のようだが、一体何なのか・・・。静謐な境内だけに、何だかとても不似合な感じがする。



紀州東照宮の麓にある、御手洗池公園。池の中央に小島があり、東西双方に橋が掛かっている。ベンチもあって、弁当を食べるには絶好の場所のようだが、あいにく何も食べるものは持ってきていない。



御手洗池公園から、再び階段に取り組むことになる。和歌浦天満宮だ。ガイドマップには、大宰府・北野と並ぶ日本三菅廟とある。奈良や鎌倉とともに日本三大大仏と呼ばれている、と自称する大仏が国内各地にあるのと同様と思っていたが、いやはや立派な造りだ。石段も石垣も半端な造りではない。



境内には、本殿をはじめ、重要文化財がテンコ盛り。三大天満宮というのも、林羅山が認定したものらしい。個人的には紀三井寺より、こちらの方が歴史的な凄みを感じるなぁ。タワワに実を付けた真っ赤なピラカンサと、入母屋造りの本殿とのコントラストも美しい。



和歌浦天満宮の裏手から、和歌の浦の背後の山地を巡る遊歩道を歩いて西に向かう。蔓類が多い雑木林の道は、積もった枯葉が程よいクッションになって、とても快適に歩ける。



山の北側には、和歌山の市街地も一望できる。桜の木が多いところで、新吉野とまで呼ばれているらしい。桜のシーズンには絶好の花見ポイントになりそうだ。



ハイキングコースの最高峰、高津子山。標高は僅か136mでしかないが、そこそこ疲れた。ガイドマップには高津子山とあるが、山頂には、どういう訳か章魚頭姿山とある。高津子山って「たかつしやま」と呼ぶのかなぁ。そうすれば、章魚頭姿山(たこずしやま)と、ほぼ同音になる。それにしても、麓から見る限り、この山の形はタコの頭のようには見えないんだけど・・・。



山頂からは、和歌の浦のシンボルともいえる片男波の砂州が一望できる。(砂州ではなくって砂嘴かもしれないが、違いが良くわかない・・・)



山を下りたところは、和歌浦漁港にも近い海岸。古い灯台などもあって、とても気持ちのいいところだ。



砂浜も海も美しい。水も透き通っている。すばらしい景勝地だ。



と、言いたいところだが、砂浜の背後は、廃墟化したホテル群。いつの頃から、どうして、こんなに寂れてしまったのだろうか。こんな有り様では、ますます観光客の足も遠のくように思うのだが、色々な事情があるのだろう。解体(改装かも)工事も長らく中断したままのようだ。



和歌の浦の散策を終え、JR和歌山駅に戻ってきた。ここでもう一つ、気になるところがある。秀吉の備中松山城攻め、石田三成らによる武蔵の忍城攻め、と並んで、日本三大水攻めの舞台となった紀州太田城だ。JR和歌山駅の東数百mのところにある来迎寺に太田城址がある。



雑賀衆数千が籠る太田城を、秀吉自ら数万の大軍を率いて攻め立てたが、最後は、得意の水攻めで勝利をもぎ取ったらしい。付近には、戦死者の塚や、城にあった毘沙門天を祀る祠があるが、今は平坦な市街地で、川幅も狭く、水攻めの舞台としての面影は感じられない。




南海和歌山市駅前にある雑賀孫一像。謎の多い人物だ。どうやら雑賀衆の棟梁級の何人かがこの名前を継いで名乗ったためか、多くの逸話が錯綜している。太田城攻めでも、攻城側に付いていたとも聞いたような記憶があるが、この辺りもスッキリしていないようだ。



和歌山でもスタンプラリーが複数開催中なんだけど、広い県内を対象としたものや、有料施設ばかりを対象としたもの、さらには外国人観光客向けのものなど、挑戦意欲を掻き立てるものが見当たらなかった・・・。