関ヶ原陣跡制覇ウォーキング2015

2015年9月27日(日)


昨夜、中山道ウォークを終え、米原のビジネスホテルで一泊。大阪までの往復交通費と移動時間のことを考えれば5000円ほどのホテル代は十分ペイするものなんだけど、一晩寝ても、体は重くて怠い。足の裏の腫れも治まらないが、気合いを入れて関ヶ原に向かう。陣跡制覇ウォーキングは2年ぶり3度目の出場になる。



例年どおり関ヶ原町役場の横の広場がスタート地点。開会イベントが終了した直後に到着したため、既に大勢が歩きだしている。広場には戦国武将や足軽に扮した係員?と大砲が並び、、大会ムードを盛り上げている。小早川の家紋入りの赤い陣羽織を来た女性がいるが、なんと一般参加者。この後もアチコチでこの格好いい戦袍を目にすることになる。




参加者はどれほどいるのだろうか。スタート直後はいつもこんなものだが、大勢が列をなして関ヶ原を行軍している。



当然のことながら、スタンプポイントは長蛇の列。まずは、東軍の細川忠興、黒田長政、竹中重門の陣を巡っていくが、16kmの長丁場の序盤にも関わらず、昨日来の足腰のハリが半端なく、ギブアップするなら、早めに本多忠勝の陣跡あたりで、なんて考えてしまう。



東軍の最北端に位置する岡山では、例年どおり狼煙をあげあり、空気砲を撃ったりのパフォーマンスが繰り広げられている。島津の兜を被った戦国武将が砲撃を指示しているが、この人も一般参加で、一緒にスタンプ台紙を持って列に並んでいる。さすがに鎧兜を身に着けた人は多くは無いが、家紋Tシャツなど歴史グッズを身に着けた人は多い。



徳川家康陣を過ぎ、田中吉政陣跡へ。ここは例年スタンプは無く、係員が足軽に扮して説明しているだけ。いかにも市役所職員って感じだが、それでもこのような衣装を着けていると、記念写真のリクエストがひっきりなしだ。以前は、戦国武将に扮したイケメン役者を何人も配していたが、最近はコストダウンのようだ。この足軽さんも、午後からは石田三成陣で見かけたが、アチコチ掛け持ちでやっているのだろう。



東首塚、井伊直政、松平忠吉に続き、本多忠勝の陣跡へ。陣跡碑の周りは、相変わらずゴッタ返している。松尾山までは集団がバラけそうにない。



地図を見ていると、本多陣跡の先が旧伊勢街道とある。ということは、島津義弘が前進退却・敵中突破したルートということになる。井伊直政を銃撃し、本多忠勝を落馬させたのも、この辺りに違いない。



藤堂高虎、京極高知、福島正則の各陣跡を過ぎ、新幹線の高架を潜って、いよいよ松尾山に向かう。畑に真っ白な花が咲いている。蕎麦の花かなぁ?よく判らないが、とても涼し気な気分にさせてくれる。壬申の乱で、大友・大海人の両皇子軍が激闘を繰り広げた藤古川が畑の横を流れている。



脇坂安治の陣に立ち寄って、いよいよ小早川秀秋が陣取った松尾山へ。ここからが関ヶ原陣跡制覇ウォーキングの中盤戦。たかだか300mほどの山なんだけど、毎回この山登りで一気に体力を消耗してしまうというのに、今年は既にヘトヘト状態だ。杖置き場の杖もとっくに無くなっている。大丈夫かぁ・・・。



山登り途中は割愛するが、予想を上回る苦しい思いをして、山頂に辿りつく。ここでも狼煙があがっている。とても煙たい・・・。



松尾山を南に下山し、大きく迂回しながら再び北上。松尾山頂上から、西軍陣跡までが、とても長く退屈な道が続く。名神高速の脇道をひたすら歩くが、足の裏が半端なく痛い。もっと分厚いソールにすべきだった。



中山道に戻ってきた。この道を西に行けば、昨日のウォーキングの起点となった柏原宿に続く。関ヶ原の戦とは、関係ないのだが、ここにある常盤御前の墓もスタンプポイントになっている。お茶やお菓子の振舞もあり、後半戦に向けての体力回復に努める。



JR東海道線の煉瓦造りの古い橋脚の下を潜ると、いよいよ西軍陣跡エリアに入る。昨日、番場宿で北条仲時一党が壮絶な自害をした蓮華寺に、血の川というのを見つけたが、この美しく逞しい橋脚の下を流れる川の名も、黒血川。壬申の乱で多くの戦死者が出たところらしい。



関ヶ原の真ん中に陣を構えた東軍に対して、西軍は東軍陣地を囲む山や高台に陣を並べ、圧倒的に優位な地に拠っている。ということは、西軍陣跡めぐりは、小高い山を縫うように歩くことになる。後半戦での山歩きは足腰に堪える。



山道をテクテク歩いて、大谷吉継の陣跡に辿りつく。松尾山の小早川の動きをしっかりと監視できる場所だ。他には無い顔出しパネルが、大谷陣には設けられていた。



平塚為広の碑に向かう途中、気温が28℃もあると知る。日射しも強く、ただでも残り少ない体力を容赦なく奪っていく。



宇喜多秀家の陣跡に向かうためには、貯水ダムの堤防を渡らなければならない。西軍主力の大谷隊と宇喜多隊がダム池で隔たっている格好だが、当時はちょっとした川が流れているだけだったのではなかろうか。



この地域の交通安全協会のポスターには宇喜多秀家のイラストが描かれている。西軍の中心は、石田や大谷より、やはり最大軍勢を有した宇喜多だったように感じている。



小西行長陣跡に続き、島津義弘の陣跡へ。ここには島津の退き口の苦労を体感するため、実際にここから大阪堺まで歩いた鹿児島県人の名前が刻まれた石碑がある。毎年実施されているイベントのようだが、最近の名前と年齢を見ると、オジサンよりも、小学校高学年が中心になっている。女の子の名前も数多く見られる。



馬防柵に守られた笹尾山の石田三成陣跡についに辿り着いた。もう一歩も歩きたくない気分だが、ここから笹尾山を登らなければならない。



笹尾山の石田陣跡から関ヶ原を臨む。真正面に家康が最初陣を構えた桃配山、そして、向こうに聳える山が毛利や長宗我部が陣を置いた南宮山だ。笹尾山など関ヶ原西方の軍勢と、南宮山の軍勢が挟撃する格好なんだから、東軍は袋のネズミ状態のはずだった。



ゴールのイベント広場には、関ヶ原のゆるキャラや、鎧兜の若者、戦袍を纏った女子などが集い、賑やかなこと、この上ない。戦袍の背中の家紋は細川。単なるミーハー歴女ではないことが窺える。



無事、制覇コースの全スタンプをコンプリート。よくまあ、歩けたものだ。



記念品はスタート時に貰った関ヶ原手拭。これは、例年と一緒だ。既に緑とグレーを持っているので、今年は赤いタオルをチョイスした。各スタンプポイントで貰う千社札は、いつものことながら、嬉しいような嬉しくないような・・・。ゴールでは、これまでバッジとかアイスクリームとかが貰えたのに、今年は家康のカードやポケットティッシュを貰っただけ。ちょっと寂しい。



イベントは盛り上がっているが、さっさと帰ろう。もうヘトヘトにも程がある。ところが、関ヶ原の駅まで、さらに長い道を歩かなければならない。参加者の多数は車で来場しているようで、駅までトボトボと歩く人は、意外なほどに少ない。



歩行記録。駅との往復も含めて距離は20kmほどだが、所要時間は7時間超。歩数も33000歩となった。



3度目の参加のせいか、簡素化されたイベント運営のせいか、あるいは2日連続の長距離ウォークによる極度の疲労のせいか、初めて参加した時のワクワク感、ドキドキ感は、ほとんど感じられなくなってしまった・・・。来年はどうするかなぁ・・・。

米原市中山道三宿+1(わくわく伝説街道)

2015年9月26日(土)



米原市内の中山道の3つの宿場町(柏原宿、醒井宿、番場宿)を歩くスタンプラリーが開催されている。明日は年に1度の関ヶ原陣跡ウォーキングに参戦する予定なので、ちょっとしたウォーミングアップ(のつもりだった)。今晩は米原泊。朝から仕事をして、続きは夜ホテルでやるつもりで、パソコンをリュックに詰め込む。日没頃にホテルにチェックインするつもりで、14時過ぎに関ヶ原の一駅手前の柏原駅に降り立つ。




駅前がすぐ柏原宿。「かしわばら」と読む。大阪の柏原は「かしわら」で、兵庫の柏原は「かいばら」とややこしい。宿場町は想像以上に整然と整備されている。通行する人が少ないのが寂しいが、最近、浅田次郎の「一路」など、参勤交代をテーマにした歴史小説を読んだばかりなので、なんだかウキウキする。



たまたま残っているとは思えない、整備された街並みだ。さぞ江戸時代の宿場町の店や家はこんな感じだっただろう、と思わせる。さらに、街道のアチコチに設置された、良い意味で地味な標識や表示が、宿場町らしさを感じさせる名脇役を演じている。



街道沿いには、かつて、ここに何があったかを示す標識が立っている。旅籠屋の表札にあるように、どうした経緯かは不明だが、この地は大和郡山藩が治めていたようだ。



柏原宿のスタンプポイントは計3ヶ所。原則として街道沿いにあるし、分かりやすい表示があるので、迷わずに済む。




理容店も、柏原宿の雰囲気に溶け込むような設えになっている。赤・青・白のネオンポールなど、もってのほかなんだろう。



柏原宿から、次の醒井宿まで、約4km。ちょうど一里。その次の番場宿までも、同じように一里ほどの距離。東海道も中山道も、宿場の平均的な間隔は二里程度なので、このあたりの宿場密度は濃いことになる。

調子よく、車のほとんど通らない平坦な旧街道を歩いていたが、ついに名神高速の脇を通る国道に飲み込まれてしまう。滋賀東部は、NEXCO西日本ではなく、NEXCO中日本の管轄らしい。



いいねぇ。いかにも街道って感じの道だ。参勤道中御供頭、小野寺一路になったような気分で、快調に歩を進めていく。



予約制停留所を発見。定期バスではなく、予約が入ったときだけ、バスが来るしくみのようだ。カモン号とは、またストレートな名前を付けたものだが、お年寄りの利用が多いだろうから、分かりやすさが一番大切だ。



醒井宿。こちらも整然とした街並み。街道を行く旅人を見張るための枡形なども残っている。



醒井宿といえば、何といっても、清水が有名。噂には聞いていたが、驚くほど、水が清らかで、透き通っている。昔々、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が伊吹山で大蛇の毒に冒されたとき、この清水を飲んで正気を取り戻したという伝説にさえ、信憑性を感じさせてくれる。



清水は、街道の脇を走り、家々の裏を走り、生活排水なども混入しそうなものだが、水はどこまでも美しい。



一般的にはドブと呼ばれる排水溝の水さえ、清らかだ。スマホのカメラでは、この水の清らかさ、透明感、輝き、を撮影しきれないのが残念だ。



名水まんじゅうを購入。醒井名物の梅花藻とともに、清水が満ちた水槽の中に、まんじゅうが冷やされている。ツルリと一口で美味しくいただきました。



醒ヶ井といえば、鱒の養殖でも有名なところだが、街道筋から4kmも離れている。鱒料理を食べさせる店もいくつも並んでいる。いつか養鱒場とともに、醒ヶ井の清水を再訪したい。



醒井宿資料館。もとは、近江八幡や大阪で数々の近代建築を手掛けたウィリアム・M・ヴォーリズ設計の郵便局だ。



醒井宿で4つ全てのスタンプをゲットし、次の宿場町、番場宿に向かうが、予想を上回るスローペースになって、時すでに17時。スタンプラリーってヤツは、17時を過ぎると、大半のスタンプポイントが閉まってしまうのだが、ここで止める訳にはいかない。

本日3つめの一里塚。「くたびれたやつが見つける一里塚」という川柳?が石に刻まれている。いやぁ、実に上手い句だなぁ・・・。



番場宿に到着。 「瞼の母」の番場の忠太郎で有名なところだ。もっとも、あのお話はフィクションだったはずだ。



宿場町としての雰囲気は、柏原・醒井と比べると、少し落ちるかもしれないが、本陣や問屋の跡など、かつての宿場町を想起させる石碑が多数立てられている。もっとも本陣跡の石碑の先に立っているのは、ごくありがちな民家なんだけど・・・。



スタンプポイントの蓮花寺にやってきた。鎌倉時代最後の六波羅探題、北条仲時が京から東国に避難する際、敵に囲まれて一族400余名とともに自決したところだ。寺の前には、血の川、などという怖い名のついた川も見られた。



18時を少し過ぎていたが、最後のスタンプを西番場公民館で無事ゲットできた。このスタンプラリーでは、いくつものポイントで、スタンプを屋外に置きっぱなしにしているようだ。悪戯や盗難を恐れて、夜にはスタンプを屋内に保管する例が多いのだが、このように屋外に置いておけるのは、治安とモラルが高い地域の証左ではないかと思う。



通行手形と称するスタンプ帳に、すべてのスタンプが埋まった。街道地図の上に、スタンプ欄がある。これは柏原宿のページ。醒井宿、番場宿も、同様のページがある。スタンプを溜めると、記念品がもらえるらしいが、なんと平日しか開いていない米原商工会議所に行かなければならない。超有名駅なのに、乗換駅としか利用されない米原への集客のためのイベントだけに、何とかならなかったものだろうか。



ここで気づくのは遅すぎるのだが、番場宿って、駅から遠く離れていて、米原に行くためには、さらに何kmも歩かなければならない。どうせ歩くなら、遠いけれど、次の宿場の鳥居本まで歩こうと、意を決して歩き出すが、どんどん山道に入っていく。



あっという間に周囲は真っ暗になり、頼りになるのは平行して走っている名神高速道路の明かりだけ。そのうちに名神高速とも離れてしまう。偶然満月の夜だが、雲に遮られて十分な光が地上に届かない。周囲は秋の虫の音が、凄まじいほどだ。



写真を撮っても何も映らない暗闇を彷徨い、一度ならず道を間違い、スマホのルート案内を頼りに鳥居本に向かう。江戸時代にはあり得ないトンネルが現れた。もはや歩いているのが、中山道でないことは確かだ。パソコンを入れたリュックは重いし、足も腰も痛い。



ようやく鳥居本宿に到着したが、周囲は真っ暗。宿場町の雰囲気は確認できたが、まともに写真に映ったのは、来月の鳥居本の宿場祭りの幟だけ。



鳥居本って、既に米原市ではなく、彦根市だった。ホテルを予約している米原駅まで歩く気にもならず、わずか2駅ではあるが、30分ほども待ってレトロな駅舎の近江鉄道の鳥居本駅から、米原駅に向かう。


疲れたぁ・・・。歩行距離19.6km。ずいぶん遠回りしたため、番場宿から鳥居本の間は、10kmくらいあったように思う。所要時間4時間半、歩数は25000歩だった。

ヘトヘトになって、米原駅前のビジネスホテルにて一泊。このブログを書いているのだが、この疲れは明朝回復しているのだろうか。はたして関ヶ原のウォーキングを完歩できるのだろうか・・・。