米原市中山道三宿+1(わくわく伝説街道)

2015年9月26日(土)



米原市内の中山道の3つの宿場町(柏原宿、醒井宿、番場宿)を歩くスタンプラリーが開催されている。明日は年に1度の関ヶ原陣跡ウォーキングに参戦する予定なので、ちょっとしたウォーミングアップ(のつもりだった)。今晩は米原泊。朝から仕事をして、続きは夜ホテルでやるつもりで、パソコンをリュックに詰め込む。日没頃にホテルにチェックインするつもりで、14時過ぎに関ヶ原の一駅手前の柏原駅に降り立つ。




駅前がすぐ柏原宿。「かしわばら」と読む。大阪の柏原は「かしわら」で、兵庫の柏原は「かいばら」とややこしい。宿場町は想像以上に整然と整備されている。通行する人が少ないのが寂しいが、最近、浅田次郎の「一路」など、参勤交代をテーマにした歴史小説を読んだばかりなので、なんだかウキウキする。



たまたま残っているとは思えない、整備された街並みだ。さぞ江戸時代の宿場町の店や家はこんな感じだっただろう、と思わせる。さらに、街道のアチコチに設置された、良い意味で地味な標識や表示が、宿場町らしさを感じさせる名脇役を演じている。



街道沿いには、かつて、ここに何があったかを示す標識が立っている。旅籠屋の表札にあるように、どうした経緯かは不明だが、この地は大和郡山藩が治めていたようだ。



柏原宿のスタンプポイントは計3ヶ所。原則として街道沿いにあるし、分かりやすい表示があるので、迷わずに済む。




理容店も、柏原宿の雰囲気に溶け込むような設えになっている。赤・青・白のネオンポールなど、もってのほかなんだろう。



柏原宿から、次の醒井宿まで、約4km。ちょうど一里。その次の番場宿までも、同じように一里ほどの距離。東海道も中山道も、宿場の平均的な間隔は二里程度なので、このあたりの宿場密度は濃いことになる。

調子よく、車のほとんど通らない平坦な旧街道を歩いていたが、ついに名神高速の脇を通る国道に飲み込まれてしまう。滋賀東部は、NEXCO西日本ではなく、NEXCO中日本の管轄らしい。



いいねぇ。いかにも街道って感じの道だ。参勤道中御供頭、小野寺一路になったような気分で、快調に歩を進めていく。



予約制停留所を発見。定期バスではなく、予約が入ったときだけ、バスが来るしくみのようだ。カモン号とは、またストレートな名前を付けたものだが、お年寄りの利用が多いだろうから、分かりやすさが一番大切だ。



醒井宿。こちらも整然とした街並み。街道を行く旅人を見張るための枡形なども残っている。



醒井宿といえば、何といっても、清水が有名。噂には聞いていたが、驚くほど、水が清らかで、透き通っている。昔々、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が伊吹山で大蛇の毒に冒されたとき、この清水を飲んで正気を取り戻したという伝説にさえ、信憑性を感じさせてくれる。



清水は、街道の脇を走り、家々の裏を走り、生活排水なども混入しそうなものだが、水はどこまでも美しい。



一般的にはドブと呼ばれる排水溝の水さえ、清らかだ。スマホのカメラでは、この水の清らかさ、透明感、輝き、を撮影しきれないのが残念だ。



名水まんじゅうを購入。醒井名物の梅花藻とともに、清水が満ちた水槽の中に、まんじゅうが冷やされている。ツルリと一口で美味しくいただきました。



醒ヶ井といえば、鱒の養殖でも有名なところだが、街道筋から4kmも離れている。鱒料理を食べさせる店もいくつも並んでいる。いつか養鱒場とともに、醒ヶ井の清水を再訪したい。



醒井宿資料館。もとは、近江八幡や大阪で数々の近代建築を手掛けたウィリアム・M・ヴォーリズ設計の郵便局だ。



醒井宿で4つ全てのスタンプをゲットし、次の宿場町、番場宿に向かうが、予想を上回るスローペースになって、時すでに17時。スタンプラリーってヤツは、17時を過ぎると、大半のスタンプポイントが閉まってしまうのだが、ここで止める訳にはいかない。

本日3つめの一里塚。「くたびれたやつが見つける一里塚」という川柳?が石に刻まれている。いやぁ、実に上手い句だなぁ・・・。



番場宿に到着。 「瞼の母」の番場の忠太郎で有名なところだ。もっとも、あのお話はフィクションだったはずだ。



宿場町としての雰囲気は、柏原・醒井と比べると、少し落ちるかもしれないが、本陣や問屋の跡など、かつての宿場町を想起させる石碑が多数立てられている。もっとも本陣跡の石碑の先に立っているのは、ごくありがちな民家なんだけど・・・。



スタンプポイントの蓮花寺にやってきた。鎌倉時代最後の六波羅探題、北条仲時が京から東国に避難する際、敵に囲まれて一族400余名とともに自決したところだ。寺の前には、血の川、などという怖い名のついた川も見られた。



18時を少し過ぎていたが、最後のスタンプを西番場公民館で無事ゲットできた。このスタンプラリーでは、いくつものポイントで、スタンプを屋外に置きっぱなしにしているようだ。悪戯や盗難を恐れて、夜にはスタンプを屋内に保管する例が多いのだが、このように屋外に置いておけるのは、治安とモラルが高い地域の証左ではないかと思う。



通行手形と称するスタンプ帳に、すべてのスタンプが埋まった。街道地図の上に、スタンプ欄がある。これは柏原宿のページ。醒井宿、番場宿も、同様のページがある。スタンプを溜めると、記念品がもらえるらしいが、なんと平日しか開いていない米原商工会議所に行かなければならない。超有名駅なのに、乗換駅としか利用されない米原への集客のためのイベントだけに、何とかならなかったものだろうか。



ここで気づくのは遅すぎるのだが、番場宿って、駅から遠く離れていて、米原に行くためには、さらに何kmも歩かなければならない。どうせ歩くなら、遠いけれど、次の宿場の鳥居本まで歩こうと、意を決して歩き出すが、どんどん山道に入っていく。



あっという間に周囲は真っ暗になり、頼りになるのは平行して走っている名神高速道路の明かりだけ。そのうちに名神高速とも離れてしまう。偶然満月の夜だが、雲に遮られて十分な光が地上に届かない。周囲は秋の虫の音が、凄まじいほどだ。



写真を撮っても何も映らない暗闇を彷徨い、一度ならず道を間違い、スマホのルート案内を頼りに鳥居本に向かう。江戸時代にはあり得ないトンネルが現れた。もはや歩いているのが、中山道でないことは確かだ。パソコンを入れたリュックは重いし、足も腰も痛い。



ようやく鳥居本宿に到着したが、周囲は真っ暗。宿場町の雰囲気は確認できたが、まともに写真に映ったのは、来月の鳥居本の宿場祭りの幟だけ。



鳥居本って、既に米原市ではなく、彦根市だった。ホテルを予約している米原駅まで歩く気にもならず、わずか2駅ではあるが、30分ほども待ってレトロな駅舎の近江鉄道の鳥居本駅から、米原駅に向かう。


疲れたぁ・・・。歩行距離19.6km。ずいぶん遠回りしたため、番場宿から鳥居本の間は、10kmくらいあったように思う。所要時間4時間半、歩数は25000歩だった。

ヘトヘトになって、米原駅前のビジネスホテルにて一泊。このブログを書いているのだが、この疲れは明朝回復しているのだろうか。はたして関ヶ原のウォーキングを完歩できるのだろうか・・・。