東大寺・春日大社・ならまち散策 (沿線散歩2015)

2015年12月31日(木) ②


近鉄・阪神・山陽3社沿線スタンプラリー(沿線散歩)の山田川・高の原コースを終え、続いてもう1コース制覇を目指して近鉄奈良駅にやってきた。久しぶりの2枚抜きである。が、やってくれたな近鉄。これまで一昨年のコースの再登場である。リピーター率の高いイベントだと思うのだが、こんなことをしていたら、永年の沿線散歩ファンを失うばかりだ。



イライラする気持ちを治めるため、せっせと歩こうとしていうのに、このようなコースを目の当たりにすると、さらにムカムカが増してくる。奈良駅前の行基も、リニア時代は奈良時代と、地域エゴ丸出しの大看板にムカムカしてはいないだろうか。まずは大阪延伸に向けて関西全体が一丸とならなければならないのに・・・。



興福寺。中金堂の再建がかなり進んできているようだ。もっとも落慶予定はまだ3年ほども先のことだ。



興福寺の東金堂と五重塔。奈良をウォーキングすると、どうしても絵葉書のような写真ばかりを撮ってしまいがちになる。今日は、なるべく斜に構えて撮影することにしよう。



大晦日ということもあって、人出は相当なもの。海外からの観光客の姿も多数見られる。年末にしては暖かい陽射しで、奈良公園の鹿も午睡を楽しんでいるようだ。もっとも、今日ほど鹿せんべいを貰える日も多くはないだろう。食べ過ぎで動けなくなっているのかもしれない。



鹿を巡ってのトラブルも多いようだ。公園の随所に数か国語で鹿の機嫌を損ねると、噛んだり突いたり蹴ったりと攻撃的になることを注意する看板が立てられている。



大仏殿に向かう参道は、既に多数の露店も出て、大賑わい。加えて鹿にせんべいを与えたり、その写真を撮ったりする人達が多いものだから、なかなか前に進めない。



毎回のことではあるが、大仏殿は門の隙間から写真を撮るだけ。毎年のようにこの付近にはやってくるのに、もう40年ほども奈良の大仏にお目に掛かっていないように思う。



二月堂と鹿。なかなか鹿が思い通りのところに立ってくれず、構想通りの構図で写真が撮れない・・・。



 二月堂、三月堂がメジャーなのに比べ、イマイチ規模も小さく、振り向く人も少ない四月堂。昔は一月堂から十二月堂まであった、という作り話を信じている人は多い。



百人一首の菅原道真の句にも登場する手向山八幡宮。二羽の鳩がキスをしているような、「向かい鳩」の紋がずらりと並んだ灯籠全てに描かれている。鳩は八幡大菩薩の神使として、古くから武士の間で尊ばれてきたという。現在では平和のシンボルとなってる鳩だが、かつては戦の象徴であったことは興味深い。


鹿と若草山。



鹿せんべいの売り場に魅入る鹿。



水谷神社の近くの川に、神官が紙製の人型を撒いているところに出くわす。報道カメラも撮影していたが、何かのお祓いだろうか。



春日大社。すっかり新年を迎える準備はできあがっているようだ。まだ参拝者は多くは無いが、参拝径路は既に一方通行となっていた。



春日大社に勤める神官たちの通勤経路だったと言われる禰宜道。今は深い緑と鳥の囀りの気持ちのいい遊歩道になっている。これらの緑は、春日山原始林と繋がっているはずだ。



春日大社から新薬師寺に向かう。なかなか、丁寧に作られた案山子が立っている。



入江泰吉記念奈良市写真美術館。奥に見えるのが新薬師寺。東大寺や春日大社はともかく、2年空けずに再訪するレベルの観光スポットとは思えない。東大寺を中心にしたウォーキングコースなら何十通りものコースが容易に作れるはずだ。それだけ狭い地域に見どころが集まった町なのに、手抜きの近鉄に改めて呆れかえる。



とはいうものの、同じ道を何度も歩いても何かしら新たな発見ができる。ならまちの何件かの家の軒下にぶら提げられているペットボトル。一体、何のご利益があるのだろうか・・・。



奈良を代表する酒蔵「春鹿」。新酒ができたというサインの、深緑の杉玉がぶら下げられていた。



ならまち一帯の整備が進み、かつての古い町並みがイメージできるようになっきた。



庚申堂。赤い猿の人形が数多く吊り提げられている。来年は申年なので、いつもより気合いが入っているのかもしれない。飛騨地方の「さるぼぼ」とほぼ同じようなものだと思うが、こちらでは身代わり猿と呼ばれる。別々に発祥したのか、あるいは伝わったのか、どうなんだろう。



7km余りの道を2時間ほどかけて歩いた。



途中思わぬ雨に祟られ、結構濡れる羽目になった。結局あまりスッキリしないかたちで年越しを迎えることになりそうだ。

山田川~高の原散策(沿線散歩2015)

2015年12月31日(木) ①


いよいよ大晦日。こんな日にウォーキングに出掛けるのも、いかがなものかとも思うが、自分の自由になる時間を有効に活用し、散らかった部屋より、まずは鬱屈した気分に少しでも整理を着けるべく汗を掻くことにする。近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタプラリー(沿線散歩)から、近鉄山田川駅を起点とするコースをチョイスする。



近鉄京都線の山田川駅。京都府の南端、相楽郡精華町にある。もともとは文字通り、山と田と川しかないような所だったと思われるが、けいはんな学研都市の開発により、周辺の人口もかなり増えてきているようだ。駅からしばらく東に歩くと木津川町に入る。



藤原百川の墓。 奈良時代末期、桓武天皇を擁立し、藤原仲麻呂の乱で一時失権した藤原氏の勢力を回復したことで知られる。ふたつの、こんもりとした2つの小山が、百川とその夫人の墓らしい。墓地は公園になっている。立派な桜の木に囲まれているのは良いとして、写っていないが滑り台などの児童遊具が墓の前に並んでいることには少々驚く。もっとも、美しい桜や無邪気な子供たちの歓声は、墓に眠る百川への良い供養になっているように思える。



相楽(さがなか)神社。苔むした桧葺きの本殿と祠が並んでいる。室町期に建立されたものだそうだ。拝殿に掲げられた古い木板には、「日本に流造の社殿は多いが、当社の流造はその白眉的建築で、典雅優麗さは他に比類を見ない」と自画自賛の説明が並んでいる。いやはや何とも自信たっぷりだが、それだけこの地域のアイデンティティを強く支えてきた大切な神社なんだと思う。



マップにも紹介されている大里地区を縦横に縫う水路。ここの棲息する大きな鯉や鮒が謎、との記述があったが、何のことは無い。水路の数mを柵で塞いで、水槽のようにして魚を飼育しているだけのことだった。写真を撮っていると、偶然、飼い主が網をもって現れ、一匹の鮒を掬いあげた。お正月にお宮さんに献上するそうだ。



小高い山の中腹にある西宮神社。 門から石段を登って拝殿まで辿りつくが、そこから本殿の間もさらに石段が続いている。



法泉寺。特段の見どころも感じられない小ぶりなお寺だ。十一面観音像で有名なんだそうだが、秘仏ゆえに拝見することもできない。ここに立ち寄らす意味を感じない。



小高い山の上に立つ法泉寺は絶好のビューポイントと紹介されているが、う~ん、微妙だ・・・。



コース設定に無理を感じながら歩いてきたが、後半は近鉄京都線や渋谷川に沿った遊歩道。この道は悪くない。



遊歩道には、万葉歌碑っぽいものが設置されている。五七五七七を平仮名で彫った5つの石柱が並んでいる。もっとも、この歌が誰の作なのか、どういう意味なのか、等の解説は見当たらない。受験勉強的な姿勢ではなく、31文字が発する思いを素直に受け止めろということだろうか。



壁に彫られたものも見られる。



テクテク歩いているうちに、ゴールの高の原駅が見てきたあたりで奈良県奈良市に入る。



高の原駅に到着。京阪奈新線乗り入れを訴える巨大な垂幕がある。確かに大阪市営地下鉄中央線に直結すれば便利なようにも思えるが、ノロノロ運転しかできない地下鉄仕様の第三軌条をここまで伸ばしても、西大寺で近鉄奈良線に乗り換えを選ぶ人が多いようにも思える。



この沿線散歩に近年参加した近鉄としては、オリジナルなコースを苦労して製作したのであろうことは窺えるのだが、いかにも見どころの少ないコース。そもそも、ここまでやってきてわずか4。4km、一時間余りのウォーキングというのは割に合わない。学研都市や大仏鉄道遺跡などに足を伸ばすようなコース設定もできたのではなかろうか。

今年最後を飾るウォーキングとしては、いかにも消化不良。近鉄奈良駅に向かい、もう1コースやっつけることにしよう。(②に続く)






【当選】高槻ええとこクイズラリー(上牧・五領)

2015年12月29日(火) ②


帰宅すると高槻市からの郵送物が届いていた。先日参加した高槻ええとこクイズラリーに当選したとのことだ。賞品は新名神のハンドタオル2枚。10問のクイズの答を記入して、応募箱に投函するだけの仕組みなので、現地に行っていない人でも簡単に他人の答案を丸写しして応募できる。それだけに、当選確率は極めて低いと諦めていたが、これで2年連続の当選となった。




名神高速が通過しつつも、高槻市内にはインターが無い。新名神建設に伴い、高槻からの高速道路アクセスは格段に良くなるはずだ。偶然明日は高槻の北でゴルフ。どの道で行けば良いのか、悩ましい・・・。

福島の歴史巡りと路地裏散歩 (沿線散歩2015)

2015年12月29日(火) ①


やり残した仕事は山積みだが、それでも年末はやってくる。今日から6連休だが、プライベートでも用事が多く、なかなか歩く時間を作れない。そんなことで、近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリー(沿線散歩)から、大阪市福島区を散策するコースに出掛ける。距離はわずか4.5kmと寂しい限りだが、時間が無いので都合がいい。



国道2号線の地下を走る阪神電鉄の福島駅がスタート。梅田で連結している国道1号線と国道2号線の合計約5kmを合わせて、曽根崎通という名称が付けられている。西端が野田阪神、東端が東野田町、と共に野田が付くのは偶然なのだろうか。



短いコースということもあって、スタート直後から寄り道。環状線を越えて北に向かう。JR福島駅の高架下橋脚には七福神が描かれている。どうして福島が七福神なのか、以前から気になっているのだが、理由は未だに判らない・・・。



寄り道の理由は、関西将棋会館。福島駅の北にあることは知っていたのだが、これまで確認できていなかった。6階建?の大きな建物なんだけど、意外に地味な佇まい。売店では棋士の扇子など、グッズも多数販売されている。一度タイトル戦の大盤解説を覗いてみたいものだ。



本来のコースに戻り、国道2号線を出入橋へ。ここに有名なきんつば屋がある。1個から売ってくれるというので、100円支払うと、出来立てのホカホカのきんつばをお皿に載せて出してくれた。久しぶりに食べたが、やはり美味い。



堂島へ。中之島のビル群が堂島川沿いに林立している。大阪を代表するレトロビルのひとつだったダイビルも外壁だけ残して高層ビルに生まれ変わった。



堂島川沿いにある蛸の松。江戸時代、各藩の蔵屋敷が建ち並ぶ堂島で、蛸が手足を大きく伸ばして泳ぐような枝ぶりの松が評判だったらしい。当時広島藩主の福島正則のお手植えとも伝わる。もっとも、もともとの蛸の松は対岸にあったらしい。




中之島に、大阪科学技術センターの横の大きな空地は、大阪新美術館の建設用地。市制施行100周年を記念して建設する計画だったものが、30年ほども経ってしまった。多額の寄付金を集め、高価な絵画を購入したものの、頓挫状態が続いていた。しかし、やる気はありますよ、とばかりに、最近になって「建設予定地」の看板が建てられたようだ。



再び堂島に戻る。豊前中津藩の蔵屋敷跡。福沢諭吉の生誕地として有名だ。以前は石碑が1本立っているだけだったような記憶があるが、最近「天は人の上に人を作らず・・・」の碑も製作されっるなど、整備が進んでいる。



もとは阪大の附属病院があった場所が、今は「ほたるまち」として商業複合施設として生まれ変わっている。朝日放送本社もテナントとして入居している。



逆櫓の松。源平合戦の際、海戦に不慣れな源氏軍の船が退却できるよう逆櫓を付けることを提案する梶原景時と、それを不要とする源義経が、激しく言い争った場所と伝わる。しかし、西淀川区の千船神社にも、同じような伝承の松があったように記憶している。



福島天満宮。菅原道真が大宰府に流される際、ここに立ち寄ったらしい。「福島」という地名そのものが、菅原道真が名付けたという話も聞いたことがあるが、どうなんだろうか



環状線の北側に出て、福島聖天通商店街を西に進む。売れても占い(売らない?)商店街、という垂幕がはためいている。変なキャッチフレーズと感じるが、この手の言い回しは記憶から消えないから不思議だ。見たところ普通の商店街だが、福島聖天の影響だろうか、占い3号館とか4号館とかがあって、多種多様、そして多数の占い師がここに集まっている。



福島聖天了見院。除夜の鐘とか初詣といった看板が目につく。既に新年を迎える態勢が整いつつあるようだ。



テクテク歩いて野田阪神駅でゴール。駅前に阪神電鉄の本社がある。先年、南海電鉄もなんばの一等地から随分離れたところに本社移転をしたが、電鉄会社の本社って、案外不便なところにあったりする。




寄り道を繰り返しても、5km強のウォーキングに留まった。不完全燃焼の感は否めない。今年の沿線散歩は短距離のコースが多い。しかし電車賃を払ってわざわざ来るのだから、10kmくらいは歩けるコース設定にしてもらいたいものだ。