福島の歴史巡りと路地裏散歩 (沿線散歩2015)

2015年12月29日(火) ①


やり残した仕事は山積みだが、それでも年末はやってくる。今日から6連休だが、プライベートでも用事が多く、なかなか歩く時間を作れない。そんなことで、近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリー(沿線散歩)から、大阪市福島区を散策するコースに出掛ける。距離はわずか4.5kmと寂しい限りだが、時間が無いので都合がいい。



国道2号線の地下を走る阪神電鉄の福島駅がスタート。梅田で連結している国道1号線と国道2号線の合計約5kmを合わせて、曽根崎通という名称が付けられている。西端が野田阪神、東端が東野田町、と共に野田が付くのは偶然なのだろうか。



短いコースということもあって、スタート直後から寄り道。環状線を越えて北に向かう。JR福島駅の高架下橋脚には七福神が描かれている。どうして福島が七福神なのか、以前から気になっているのだが、理由は未だに判らない・・・。



寄り道の理由は、関西将棋会館。福島駅の北にあることは知っていたのだが、これまで確認できていなかった。6階建?の大きな建物なんだけど、意外に地味な佇まい。売店では棋士の扇子など、グッズも多数販売されている。一度タイトル戦の大盤解説を覗いてみたいものだ。



本来のコースに戻り、国道2号線を出入橋へ。ここに有名なきんつば屋がある。1個から売ってくれるというので、100円支払うと、出来立てのホカホカのきんつばをお皿に載せて出してくれた。久しぶりに食べたが、やはり美味い。



堂島へ。中之島のビル群が堂島川沿いに林立している。大阪を代表するレトロビルのひとつだったダイビルも外壁だけ残して高層ビルに生まれ変わった。



堂島川沿いにある蛸の松。江戸時代、各藩の蔵屋敷が建ち並ぶ堂島で、蛸が手足を大きく伸ばして泳ぐような枝ぶりの松が評判だったらしい。当時広島藩主の福島正則のお手植えとも伝わる。もっとも、もともとの蛸の松は対岸にあったらしい。




中之島に、大阪科学技術センターの横の大きな空地は、大阪新美術館の建設用地。市制施行100周年を記念して建設する計画だったものが、30年ほども経ってしまった。多額の寄付金を集め、高価な絵画を購入したものの、頓挫状態が続いていた。しかし、やる気はありますよ、とばかりに、最近になって「建設予定地」の看板が建てられたようだ。



再び堂島に戻る。豊前中津藩の蔵屋敷跡。福沢諭吉の生誕地として有名だ。以前は石碑が1本立っているだけだったような記憶があるが、最近「天は人の上に人を作らず・・・」の碑も製作されっるなど、整備が進んでいる。



もとは阪大の附属病院があった場所が、今は「ほたるまち」として商業複合施設として生まれ変わっている。朝日放送本社もテナントとして入居している。



逆櫓の松。源平合戦の際、海戦に不慣れな源氏軍の船が退却できるよう逆櫓を付けることを提案する梶原景時と、それを不要とする源義経が、激しく言い争った場所と伝わる。しかし、西淀川区の千船神社にも、同じような伝承の松があったように記憶している。



福島天満宮。菅原道真が大宰府に流される際、ここに立ち寄ったらしい。「福島」という地名そのものが、菅原道真が名付けたという話も聞いたことがあるが、どうなんだろうか



環状線の北側に出て、福島聖天通商店街を西に進む。売れても占い(売らない?)商店街、という垂幕がはためいている。変なキャッチフレーズと感じるが、この手の言い回しは記憶から消えないから不思議だ。見たところ普通の商店街だが、福島聖天の影響だろうか、占い3号館とか4号館とかがあって、多種多様、そして多数の占い師がここに集まっている。



福島聖天了見院。除夜の鐘とか初詣といった看板が目につく。既に新年を迎える態勢が整いつつあるようだ。



テクテク歩いて野田阪神駅でゴール。駅前に阪神電鉄の本社がある。先年、南海電鉄もなんばの一等地から随分離れたところに本社移転をしたが、電鉄会社の本社って、案外不便なところにあったりする。




寄り道を繰り返しても、5km強のウォーキングに留まった。不完全燃焼の感は否めない。今年の沿線散歩は短距離のコースが多い。しかし電車賃を払ってわざわざ来るのだから、10kmくらいは歩けるコース設定にしてもらいたいものだ。