播磨アルプス縦走(写真復活)

2016年7月21日(木)


去る6月26日、播磨アルプスを縦走するも、帰路スマホが破損し撮影した写真が取り出せないというトラブルが発生したが、DOCOMOショップでのデータ復元が無事成功した。1ヶ月前のとれっきぐ記録だが、あらためて写真とともにアップする。

=======

前週、小野アルプスを縦走したものの、紅山の岩稜で足の竦む思いをする。二度とこんなトコには来ないと思ったが、性懲りもなく再び岩稜トレッキングに出掛ける。馬蹄形を成した播磨アルプスを全山縦走することにする。標高は300m、距離は12kmほどとはいえ、岩尾根を伝っていくつもの山を登り下りしなければならない。



JR山陽線曽根駅から、まずは中所登山口を目指す。暑くなるのは覚悟のうえだが、これでもかとばかりに水分を3リットルもリュックに詰め込んで出発する。ところが、中所登山口を探すのに一苦労し、さらに恐らく道を間違えて藪を掻き分けて山中を徘徊する。



山中を行きつ戻りつしながらも、ようやく岩尾根に辿りつく。30分ほども掛けて辿りついた、といっても、道に迷わずにやってきたなら、登山口から未だ10分もかからない地点でしかないと思われる。



ゴツゴツした岩肌に、申し訳程度に木々が生えているような尾根道を進み、太平山、地徳山と200m弱の標高の山頂を順々に制覇していく。



以前、高砂市のスタンプラリーで訪れた鹿嶋神社を見下ろす地点までやってくると、正面に噂に百間岩が見えてきた。あの山の岩肌の斜面を攀じ登るのだ。



いよいよ百間岩に取りつく。巨大な一枚岩だ。勾配は急だが、足を掛けるところが多く、小野アルプスの紅山よりは恐怖感が少ない。もっとも紅山では、靴底が脱落寸前の状態で登っただけに、ひどくヤバかったが、今日は足元に心配はない。



上を見上げる余裕は無く、下を見返る度胸も無いが、白いペンチで書かれた丸印を辿っていけば、なるべく緩やかで安全なル一トに誘導してくれるようになっている。



なんとか無事にテッペンに辿り着き、下を見下ろすと、かなりの急勾配を攀じ登ってきたことが実感できて、ちょっと嬉しい。



関西電力の反射板。ここが鷹ノ巣山の頂上かと思いきや、どうやら違うらしい。しかし、ここから姫路城や妻鹿のタンク群や発電所などがよく見渡せる。あの発電所からの通信電波がこの反射板に届けられているのだろうか。



ここに至るまでに変化に富んだ山道を十分堪能したように思えるが、播磨アルプス全山縦走は、大雑把に言って、北に4km、東に4km、南に4kmの馬蹄形コース。北東の角に到ったということは、ようやく全行程の三分の一程度ということになる。この後歩いていく東に向かっての山々の稜線が見渡せる。美しくもあるが、恐ろしくもある。



おそらくこれが鷹ノ巣山の頂上の写真。なにぶん1ヶ月前に歩いた記憶を辿りながら書いているので、どこで撮った写真なのか判らないものが多い。60歳が近づくにつれて相当忘れっぽくなってきた。それだけに、できる限り、歩いたその日にブログにアップするようにしている。



延々と続くように思える稜線。尾根伝いに、白い道が続いている。本当に歩いていけるのか、と思えるような道でも、歩き続ければ確実にゴールすることができる。ウォーキング、トレッキングの最大の楽しみは、歩けそうもない道を歩ききった時の達成感に浸ることだと思う。



馬の背、と呼ばれる、播磨アルプスに囲まれた平地に下っていく岩尾根道。これまた楽しそうな道だ。



岩尾根道を登ったり下りたり、結構な急坂もあったりして、とても楽しい。もっとも、日射を遮るものは何も無い道が続くので、汗はどっと出て、いくらでも水が欲しくなる。



高御位山。標高300mの播磨アルプスの主峰で、播磨富士とも呼ばれるこの地域を代表する山だ。国造りの神々が降臨した場所とも伝わり、頂上には天乃御柱天壇なるものが見られる。




いやはや凄い崖だ。弁当を食べたり、本を読んで休憩しているハイカーが見られる。ここまで来て、見過ごすわけにも行かず、恐る恐る崖に登ってみる。大正時代、高御位山で地元の青年が自作のグライダーで関西初飛行をしたところというのも頷ける。



ロッククライミングをする人も見られた。こればかりは試してみる気にもならない。



高御位山が、播磨アルプスの北西角。ここから南に向かう。岩肌で覆われた山を今度は下っていく。登るのも怖いが、下りるのもかなり怖い。へっぴり腰のヨチヨチ歩きで格好悪いことだが、安全第一だ。



アップダウンを繰り返しながら、横大路山を越え、南へ南へと歩いていく。播磨アルプスの東側の山々が遠くに見渡すことができる。よくまあ、山を伝ってここまで歩いてきたものだ。



播磨アルプスの最後のピークになる北山奥山。ここまで来れば、あとは下るだけのはずだ。



米相場中継所跡の標識。もう少し、しっかりとしたものにすればいいのに。先日登った須磨の旗振山の次の中継所になるのだろうか。



須磨方面を眺めても、雲りがちのせいか須磨アルプスも確認できない。ここから須磨の旗振山の上で振られる旗など確認できたのだろうか。あるいは明石あたりに、須磨とここを結ぶ中継所があったのだろうか。



播磨アルプス全山縦走も最終盤になって、はじめて「ハリマアルプス」と書かれた標識に出くわした。須磨、湖南、小野、紀泉と、いくつものご当地アルプスを制覇してきたが、〇〇アルプスというのは最近流行りだしたものと思っていた。しかし、この標識は設置後20年以上は経っているのではないかと思われる相当古いものだ。




この写真が、このトレッキングの最後の写真。辻登山口に下りる直前にあった、羽柴秀吉が志方城攻めの際に座っていたという太閤石に腰を掛けたところ、ズボンのお尻のポケットに入れてあったスマホが鈍い音を立てて割れてしまった・・・・。大ショックだ。



辻登山口に下山。xおそらく12~13kmくらい、暑いなかを岩山を登ったり下りたり苦労して6時間たっぷり歩いた。本来なら、自分の体力・技量の限界にも近いと思われるトレッキングを無事達成した後は充実感で一杯のはずなんだけど、スマホの破損で最悪の気分のままJR宝殿駅より帰宅する。

苦労して歩いた播磨アルプスの記録が何も残らないことも覚悟していたが、2000円余り掛けて、1ヶ月も待ったが、破損したスマホの写真データが見事復旧できた。本当に良かった。