大阪府沿岸歩き:岬町小島~阪南市尾崎(伊能でGO)

2017年12月29日(金)


毎年、年末年始には、何か特別なウォーキングにチャレンジしているが、今年は、海に沿って大阪府を縦断してみよう。

実は最近、気になるスタンプラリーアプリが発表された。その名も「伊能でGO」。「ポケモンGO」か「電車でGO」のパクリのように見えるが、これが大変なスタンプラリー。江戸時代に精密な日本地図を描くため、国中を歩き回った伊能忠敬の宿泊地、全3100ヶ所がスタンプポイントになっているという。ぜ~ったいコンプリートは無理だけど、ウォーキングのお供として試してみたい。



本日のスタートポイントは、和歌山県との県境にある岬町の小島という集落。電車は通っておらず、象(の像)が出迎えてくれる南海本線みさき公園駅から岬町のコミュニティバスに乗って向かう。



コミュニティバスに乗るのは、生まれて初めて。運転手さんも含めて顔見知りばかりの車内のなかで、最初はアウェイ状態だったが、そんな他所者にも気さくに声を掛けてくれて、とてもホッコリした気分にさせてくれた。



県境の手前でバス路線が途切れるのは、テレビのローカル路線の旅でお馴染みのとおり。しかし、ほんの少し歩くと、海岸に是ヨリ紀伊國と書かれた古い石碑が立っていた。伊能忠敬もここを通過したはずだ。



海岸沿いを歩いていくと、長い海釣り桟橋が見える。曇っているものの、海の向こうには淡路島の島影がうっすらと見える。



小島から30分弱歩いたところ、多奈川の谷川浦というところに、最初のスタンプポイントがある。今から212年前の夏、ここで伊能忠敬一行が宿泊したということだ。説明文のなかに、「中食 小島」とある。小島で昼食を取ったということも記録されている。



しかしながら残念なことに、伊能忠敬が宿泊した庄屋戸口市左衛門宅は、跡形さえ無い・・・。



伊能忠敬のように、海岸を歩いていきたいものだが、道は無さそうだし、発電所なんかもあって立入できないところもあって、歩きやすい自動車道を進むことになる。伊能忠敬一行の日間平均移動距離は17kmほどのようだが、ただでも歩きにくい海岸を測定しながら17kmも進むというのは尋常なことではない。



みさき公園方面に戻るコミュニティバスに追い抜かれる。運転手さんが、軽いクラクションを鳴らしてくれたので、手を振って応える。またまたホッコリした気分になる。
南海多奈川線の深日港駅にやってきた。随分レトロなホームだ。



深日港といえば、20年ほど前までは淡路島洲本までのフェリーで賑わっていたところ。今は赤と白の灯台が、どことなく悲し気に立っているように見える。しかし、最近、期間限定で、淡路島へのフェリーを復活させたと聞く。



深日港の岸壁近くにある自販機。Misakey(ミサッキーと読むのだろう)という岬町のマスコットキャラクターが描かれている。



深日漁港。正午も過ぎ、人っ子ひとり見当たらない。年末で今年の操業は終わっているのかもしれない。岸壁に並んだ漁具をゆっくり観察するが、特に魚が一旦入ると抜け出せない漁籠の仕組みは興味深い。



風が吹き荒ぶ海岸沿いの道を進む。右側は名門、大阪ゴルフクラブだ。風が強い随分な難コースで、まともなスコアが出た試しが無い。



みさき公園のイルカショー のバックヤードが見える。飼育員さんたちのスェットスーツなどが干されている。金網越しに眺めていると、時折イルカが飛び跳ねるのがチラっと見える。ちょっと得をした気分だ。



淡輪の街にやってきた。船守神社は1100年以上前に創建されたという古い神社。
豊臣秀頼の命で片桐且元が再建したという桃山様式の本殿も興味深いが、それより目を引くのは、樹齢800年の巨大な楠だ。



淡輪氏の本拠地、淡輪城の跡を訪ねてみたが、標札があるだけ。織田・豊臣政権で水軍で重宝されたものの、豊臣秀次の側室を出したのがケチのつき始め。秀次に連座して罪に問われ、その後関ヶ原では小西行長、大坂の陣では塙団右衛門と、負け組ばかりと共に戦い、ついには没落してしまった気の毒な一族だ。



淡輪から箱作までの2kmほども延々と広がる砂浜海岸、せんなん里海公園。夏には大賑わいなんだろうけど、今の季節は人の姿はほとんど見られない。すごく気持ちいいウォーキングルートのはずなのに、寒くて、風が強くて、気持ちが悪くなってきた。



砂浜には、何面もビーチバレーのコートがあるのだけど、本格的な大会用に、観客席付の立派なコートも見られる。



あえて海岸を突き進んでいくと、すぐ道なき道に突入してしまう。 強風のなか、ススキを掻き分けながら、進んでいく。



コミュニティバスの運転手さんには、目標は泉佐野、と宣言してしまったものの、全然辿りつけそうにない。りんくうゲートタワーが遠くで西日を受けて光っているが、歩いても歩いても近づいた気にならない。



波はザンブザンブと、容赦なく海岸を洗い流している。



 コイン洗艇場という見慣れない設備に出くわす。どうやら、プレジャーボートを洗うための施設のようだが、一体どのように、ここにボートを持ち込むのか、クレーンはあるものの、まるでイメージが沸かない・・・。



防波堤というのは、殺風景なものだと思っていたが、花火禁止、ゴミ捨て禁止、潜水禁止、密漁禁止、バーベキュー禁止・・・など、掲示物の多いことには驚かされる。1年前にあるいた淀川河川敷もそうだったが、ルール違反、マナー違反の多さにホトホト手を焼いているのだろう。



西鳥取漁港の近くに「勇夫善六墓」なるものを発見。随分と立派な墓石だ。裏の説明を読むと、秀吉の小田原北条攻めに駆り出された(淡輪水軍かも)善六なる水夫が、大活躍するも戦死。その功に報いるため、永年この地の年貢は減免されたらしい。



旧紀州街道を通って、阪南市尾崎にある本日2つ目のスタンプポイントに到着。西本願寺加ヶ所御坊というところだ。あれ~、谷川浦の宿泊が8月13日で、尾崎の宿泊が15日になっている。アプリを製作した伊能忠敬研究会のHPを調べると、14日は大雨で谷川浦に連泊したらしい。



で、これが西本願寺加ヶ所御坊の今の姿。本願寺尾崎別院となっているが、同一のものだろう。とても立派なお寺だ。なにぶん、幕府御用だけに、その地で一番いいトコに泊まらせてもらえるのだろう。



当初目標の泉佐野は、まだ10キロほども先。寒さと疲れで、20km地点の尾崎でギブアップする。



岬町から西淀川区まで、大阪府沿岸を3日間で完歩する予定だったが、4日間に変更せざるを得ない。