別府鉄道廃線跡探索(加古川)

2018年12月31日(月)


大晦日にリュックを背負って歩き回るというのもいかがなものか、とも思うが、辛いことばかりが多かった今年の思いを少しでもリセットしたいと出掛けることとする。加古川市が発行するウォーキングマップから、「廃線コース」をチョイスし、JR土山駅にやってきた。



土山駅にはかつて別府鉄道土山線が存在していた。別府港近くの工場から肥料が輸送する列車が35年ほど前まで走っていたところだ。さらに土山から舞鶴まで鉄道を敷設する計画まであったというのは驚きだ。おそらくは別府鉄道の駅があったと思われるJRの南側の空地には、付近にある弥生時代の遺跡に因んだ造形物が並んでいる。




軌道の跡地は「であいの道」という名前の遊歩道になっている。これまで何度も歩いた道だが、さらに整備が進み、道路脇などには、種々の植物が植えられ、また日本史に関わる多くの展示物もあったりして、楽しくウォーキングができる道になっている。



土山駅から10分ほど歩いたところに五重塔が突如現れるのだけど、なんと非常階段が外付けされている。近年の建築でもあり、また内部は納骨堂となっていて不特定の人が出入りするに違いない。見た目が悪いというだけでは、法の適用外にはできないのだと想像する。



「であいの道」に架かるユニークな橋。橋梁の縦材が鉄琴になっていて、マレットで叩いていくと童謡「ふるさと」を奏でることができるものだ。何度も歩いているところだが、残念なことに最近マレットが見当たらない。盗まれたとするなら、実に由々しきことだ。



大中遺跡公園。竪穴式住居などが復元されている。弥生時代には250件ほどの集落があったところらしい。もともと別府鉄道土山線はこの遺跡公園の中を突っ切って走っていたはず。鉄道廃止で発掘調査が進められ、公園が整備されたのだろう。


遺跡公園の横に、かつてここを走っていた別府鉄道の乗り場が再現され、車両が展示されている。



遺跡公園を過ぎたところが、播磨町と加古川市の市境。これまでの廃線跡らしさは無くなり、一見ごく普通の一般道が続く。廃線跡を拡張して道ができたのか、あるいはこの道の脇に軌道があったのかも判らない・・・。



山陽電鉄別府駅の東側の高架。この古くて狭い陸橋の下を別府鉄道が走り抜けていたようだ。別府鉄道の2年後に開業した山陽電鉄が高架を余儀なくされたようだ。



かつて、別府鉄道のターミナル別府港駅があったところには、今も別府鉄道の大きな看板が建っている。鉄道事業からは撤退したものの、今もタクシー事業や不動産事業などで会社は存続しているらしい。 

 


別府鉄道の親会社である多木化学の工場。日本で初めて開発された化学肥料がここから全国の農村に別府鉄道から国鉄山陽本線を経由して運送されていたようだ。



さあ別府鉄道土山線に続いては、別府港から、今は廃線となった国鉄高砂線の野口駅まで走っていたという別府鉄道野口線の跡を辿ってみよう。別府付近では山陽電車と山陽新幹線が至近で走っているのだけど、この使い勝手悪そうな中途半端な間隔を取ることに意味があるのだろうか。



野口線の廃線跡。ここもまた、いかにも廃線跡って感じ。通常、廃線跡は自動車が走るには狭すぎるため、遊歩道として活用されているケースが多いが、歩行者専用としては随分贅沢で、開放感あふれる道幅だ。



自動車道と交わるあたりでは、かつて線路があったことが窺える痕跡が見られる。



明姫幹線道路の高架の下を斜めに突っ切って走っていたようだ。というより、別府鉄道の後に明姫幹線ができたので、仕方なくこの部分だけが高架道路が採用されているのだろう。今となっては高架になっている意味が無くなっている。
  


道路脇に松が植栽されている。この遊歩道は「松風こみち」と名付けられているらしい。予算の関係上難しいかもしれないけど、もう少し松と木の数を増やせば、もっといい感じになるように思う。 



土山線同様に、野口線でもかつて走行していた車両が、かつての軌道に面した公園に展示されている。貨物が主体だった土山線と異なり、野口線旅客が主体だったそうた。可愛い客車は今も現役で走れそうに見える。きっと適度にメンテされているのだろう。



いかにもここに駅がありました、という感じの小さな広場があってベンチなどが設置されている。調べてみると「藤原製作所前駅」があったところだ。バックの工場は、今は名前が変わっているけど、藤原製作所の流れを汲む会社だ。



川を渡る鉄橋にも、当時の面影が残されている。今は歩行者専用橋だけど、武骨な鉄骨構造はいかにも鉄道橋だ。

 


野口線の終着駅、野口駅跡には、駅名標識やレールとともに、当時の列車の台車が残されている。



別府鉄道の土山線、野口線のそれぞれ4km強の廃線跡を歩いてきたが、この際、野口駅跡から旧国鉄高砂線の跡も辿ってみる。1984年別府鉄道と同時に廃線となった、加古川から高砂港までの約8kmの路線だ。野口駅跡からやけに広い歩道を有した道が続くが、この歩道こそ廃線跡に間違いない。



聖徳太子が開基したと伝わる古刹、鶴林寺の中の公園に、SLが残されている。C11だ。かつて高砂線には「鶴林寺駅」があったということだが、今では静かな住宅が立ち並んでいるだけに、SLが爆走する姿をイメージすることは容易ではない。



山陽電車の陸橋。別府線の陸橋と同様、古いレンガ造りの橋台の下を、高砂線のSLが走り抜けていたようだ。



山陽電車の尾上駅の近くにも、高砂線を走っていた列車の車輪がモニュメントとして残されている。



さらに歩いて、高砂線の終着まで行ってみようかとも思ったけど、加古川市が発行しているウォーキングマップは尾上駅で打ち止め。寒くなってきたこともあり、帰路につく。
約11kmのウォーキングで、加古川市内の3つもの廃線跡を辿ることができた。廃線跡ウォーキングは、道も良く、鉄道遺産も見れるし、その土地の発展の歴史を実感することもできる。とても楽しい。

蓬莱峡探検(西宮)

2018年12月30日(日)


以前から気になっていた有馬街道と六甲縦走路に挟まれた蓬莱峡の探検に出掛ける。ちょっと寒いのと、ロクな地図が見つからないのが気になるが、まあ、西宮市の関係?と思われるHPでも紹介されているくらいのハイキングコースなので、まあ何とかなるだろう。



宝塚から有馬行の阪急バスに乗って「知るべ岩」なるバス停で下車。車内は座れないほどの人がいて、その大半はハイキングスタイルだというのに、誰も降りない。蓬莱峡ってそんなにマイナーなところなのかぁ?




ここから入っていいものだろうか、柵でガードされた道のあたりでウロウロするが、他に道らしきものが無い・・・。これは自動車の侵入を禁止しているだけで、歩行者は構わないのだろうと判断して、ガードレールの隙間から入り込む。



いきなり立派な橋が現れる。万里の長城橋なんて呼ばれているらしい。この先には民家も施設も無く、蓬莱峡があるばかりのはずで、どうしてこんな大きな橋があるのか理解できない。堰堤など治水工事の車両のためだとすれば立派過ぎる。



しばらく歩くと、ごく普通の林道となる。川に沿って歩いていけばいいだけなんだけど、誰もいないし、何の案内標識も見当たらないし、それにとっても寒い・・・。



蓬莱峡に入ってきた。。白い山肌は破砕された花崗岩が風化したものらしい。地質学的には、典型的な断層破砕帯とかバッドランド(悪地)と言われるそうだ。



沢を渡ったり、河原を歩いたりしながら、川の上流に進んでいく。風の冷たさが半端ない。



ゴツゴツした石の河原を上流に進み、いくつもの堰堤を超えていく。水の流れがほとんど無いので歩行には問題ないけれど、大雨が降ったりしたら、このあたりの光景は一変するに違いない。



スタートしてから、さほど登ったとは思わないが、なんと積雪が見られるようになった。まだまだ上に登らなければならないのに、大丈夫だろうか・・・。



周囲の風景はますます荒涼感を増してきた。座頭谷と呼ばれるところに入ってきたようだ。昔、この地に迷い込んだ座頭が道に迷って行き倒れたという話があるらしいが、健常者だって危ないぞ。



寒い中を頑張って歩いてきたものの、座頭谷をどこから出ればいいのかが判らない。急坂をよじ登って上を走る県道に出ればいいのだけど、激しく風化した岩がボロボロと崩れ落ちる坂に腰が引けてしまう。



グーグルマップでは、県道まで200mほどしかないのだが、どこからどう行っても凄い急坂。地図の等高線の間隔もメチャクチャ狭い。



無理すれば登れなくもないのだけど、後戻りが必要となったときに降りることができそうにない。降りることができない坂は登ってはならない。過去の滑落から得た教訓だ。



事前に調べていたところでは、所々にあるテープを辿っていけばいい、とのことだったけど、なかなかテープが見当たらない。



黒沢明の「隠し砦の三悪人」のロケ地となったという、岩だらけの殺伐とした荒地で、道を見失って一人座り込んでしまう。悩んだ末に、撤退を決意。県道は近いはずだが、これ以上はヘッポコハイカーの単独行では危なすぎる。しかも雪も降ったきた。



帰るとなると元気になってしまうのが不思議なところ。しかも天気も良くなってきて、来た道を呑気に下っていく。



てなことをしていたら、間違って違う沢に入り込んだりもして、ちょっと慌てたりもする。



バス停に近づいてくると、かつては人が住んでいたような気配を感じる。どうやら蓬莱峡温泉というのがあったらしい。この円形の縁石は、池か噴水の残骸だろうか。



どうやって運んできたのか、粗大ゴミなども放置されている。苦労してここまで運んでくるくらいなら、もっと合法的で楽な廃棄方法があるだろうに。



知るべ岩のバス停に戻り、有馬街道を通って宝塚まで歩いていくことにする。寒い中を苦労して歩いたのだけど、ここまで距離にすると5kmほどしか歩いていないのだ。



福知山線の鉄橋。何という川かわからないけれど、蓬莱峡から発した川は、このあたりで武庫川に合流している。



最近、福知山線の廃線歩きが、ようやくJRでも認められて、しっかりとした案内標識もできている。これまではJRが安全が確保できないとのことで、ヤミのハイキングコースとして黙認され続けてきたところだ。古いトンネルや鉄橋を歩くことができるワクワク・ドキドキのハイキングが公認されて本当にうれしい。



テクテクと歩いて宝塚駅に到着。JRと阪急が道ひとつ挟んで向かい合っている。



本日の歩行軌跡。大半は知るべ岩から宝塚までの帰路ということになる。



知るべ岩から蓬莱峡往復の歩行経路もつけておこう。



不完全燃焼に終わったけど、勇気ある撤退だったと自己評価している。季節の良いときに再挑戦しようとの思いも頭を過るけど、今の体力や技術では手に負えそうもない。それに、あのボロボロと崩れる岩肌は季節とは関係ないはずだ