大阪渡船めぐり

2018年4月28日(土)


大阪市内の渡船めぐりに出掛ける。戦前には市内に31ヶ所もあったというが、現在運航中なのは8つ。今日は7年ぶりにこの全てを一気に歩き尽くすとしよう。



以前とは逆コースで、此花区の桜島駅からスタートし、反時計回りに8つの渡船を制覇を目指す。20年ほど前までは、工場や港湾で働く人たちで賑わい、夕刻にはワンカップ大関が飛ぶように売れていた桜島駅も随分様変わりしてしまった。



USJの喧騒を聞きながら、歩いて10分ほどの桜島渡船場を目指す。昔は終夜運行していたと聞くが、今は30分に1本になっている。正面に観覧車が聳える天保山に向かう。



船はなかなかのスピード。遊覧船のようなノンビリ感は無く、轟音と水飛沫を立てながら進む。



乗客の多くは自転車。通勤・通学の足というより、観光がてらに無料の渡船を楽しむ人も多いようだ。海外からの観光客と思しき人の姿も見える。



天保山公園に到着。これまで気付かなかったが、「天保山跡」の石碑がある。仙台の日和山に抜かれて全国2位の低山になってしまったとはいえ、標高4.5mの天保山はこの公園内にあるのだが・・・。今さら知ったことだが、もともとの天保山は20mほどもの高さがあったのが、幕末に砲台建設のため土が削られたそうだ。



次なる甚兵衛渡船場を目指して港区を西から東に突き進む。強い日射しを避けて八幡屋商店街のアーケードに入り込む。「いつまでもあると思うな商店街」と開き直ったキャッチコピーに苦笑してしまう。



甚兵衛渡船場。船着場に甚兵衛さんの茶店があったことから、こう呼ばれるようになったそうだ。100mほどの川向うの岸壁から船がやってきた。予備の船が2隻も停泊している。



渡船場で見かけた放尿禁止の標札。この種の標札って、あまり活字印刷されたものは、ありそうで見かけない。寒い季節に船を待つのも辛いし、渡船の乗客も少ないし、ついつい失礼する人が多いのだろう。



続いては千歳渡船場。渡船ルートの上に立派な橋ができたのだが、渡船廃止に住民が猛反発した結果、今も渡船は健在だ。以前試しに橋を歩いて渡船と競争したが、階段や坂も大変だし、風は強い。渡船は橋の代替のはずだが、橋ができたからといって渡船の価値が無くなるものではない。



どの渡船場もそうだが、堤防を繰り抜いたような門がある。



その先には、浮桟橋と可動式のタラップ。潮の干満に対応するためには、浮桟橋にするのが手っ取り早いのだろう。この先は、渡船王国とも言える大正区だ。



千歳渡船の次は、最大の難所、船町渡船場。45分に1本の運行だ。2km余りの距離を25分くらいで歩かないと間に合わない。全速歩行だ。



無事船町渡船場に出航直前に到着。手元にある渡船案内パンフレットによると、川幅はわずか75mしかないので、昭和20~30年代には何隻もの船を連ねてその上に敷いた板のうえを歩行者や自転車が渡っていたという。いわゆる舟橋だ。一度渡ってみたいものだ。



木津川渡船場にやってきた。いろいろな経緯があるのだろうが、他の渡船が大阪市建設局の管轄なのに、ここだけ港湾局の管理になっている。もっとも、渡船のサインは他と同じ。これまた歩行可能な新木津川大橋の下を進む。



手元のパンフレットによると、大正区と住之江区を繋ぐこの渡船の平成13年の一日の利用者数は150人。今はもっと少なくなっているのかもしれない。心なしか浮桟橋も寂しそうだ。



住之江区から西成区へと木津川の岸壁に沿って歩いていく。無機質なコンクリートの岸壁も、最近は色とりどりの絵が描かれ、結構楽しく歩かせてもらえる。



メガネ橋の別称で知られる千本松大橋。ここも歩ける橋だが、その下を千本松渡船が運行されている。西成区から再び大正区に戻る。



大正区側で千本松渡船を下りたところに、動物慰霊碑がある。実際には獣魂碑と書かれている。この横に大阪市の焼却施設があることと関係しているのかもしれない。でも、天保山公園にも確か獣魂碑はあったはずだ。静かに手を合わせる。



千本松渡船場から1kmほど北に歩いて、下落合渡船場へ。一言で渡船といっても、各渡船場の船は、サイズも型式も少し違っている。木津川を渡る船は、屋根が布?になっている。



再び西成区へ。この辺りもダンプカーが行き交う埃っぽい道だったのだが、いつの間にやら、立派な歩道が整備されている。



数百m北に歩いて、上落合渡船場へ。係員(たぶん市の職員)さんが、船を押してスムーズに出航させる。この後係員さんは船に飛び乗るのだ。随分ご苦労な仕事だ。しかも無料だというのに、乗客ひとりひとりに、上下船時には「ありがとう」と言ってくれる。



船は再び大正区側の桟橋に到着。無事8つの渡船を巡り終えることができた。



上落合渡船場から北に向かって歩いていると、「大正鉄道建設」なる会社が現れた。大正区には、JR環状線と地下鉄長堀鶴見緑地線が僅かにかすめているだけの鉄道空白地なので、なんとかしたいという思いを持つ人も多いのだろう。


トボトボと北に向かい、尻無川を渡って西区へ。かつては、この辺りにも渡船場がいくつもあったようだ。



最後はドーム前駅まで歩いて帰宅。記録上の歩行距離は19km強だが、渡船に乗っていた分として2kmくらいは差し引く必要があるだろう。



いよいよゴールデンウィークだけど、悲しいほどに予定が無い・・・。忙しい合間を縫っての歩行記録として忙中閑歩日記と名づけたこのブログだけど、今や閑中閑歩の状態だ。