八幡市散策(橋本~石清水八幡宮~松華堂庭園~流れ橋)

2018年5月27日(日)


昨日のゴルフの疲れが残るなか、八幡市の探索にでかける。京阪電鉄が発行しているウォーキングマップを参考に、橋本、石清水八幡宮、松花堂庭園、流れ橋などを巡ることにしよう。



京阪の橋本駅に降り立つ。隣の樟葉駅が、ニュータウンの中心として特急停車駅として賑わっているのと対照的に、小じんまりとした質素な駅舎だ。



駅前の洋食屋さん。看板にあるアサヒスタイニーって、何十年前に流行っていた小瓶のビールじゃないか。この橋本駅を、京阪本線随一の秘境駅と呼ぶ人もいるくらいで、駅に降りたところからタイムスリップしたような景色が続くのだが、近年、古い建物がどんどん取り壊されていると聞き、久しぶりにこの町にやってきたのだ。


線路の脇の道も、公道なのか私道なのかは判らないが、とんでもなく狭い。自転車さえ通行できそうにない。



駅から淀川に向かって2~3分ほども歩いたところに、かつての渡船場の跡がある。柳谷の渡しと呼ばれていたものだ。石碑には、山崎、愛宕の文字が見られる。西国街道に出るひとばかりではなく、愛宕山や柳谷観音にお参りする人がこの渡しを利用していたようだ。



淀川の堤防にのぼり、山崎方面を臨むが、広い河原に草木が茂り、淀川はまったく視認できない。かつて「日本三古橋」の筆頭「山崎橋」が、橋本~山崎の間に架かっていたなんて、信じられないような光景だ。



堤防の上から橋本の町を振り返ると、古い旅館風の建物が並んでいる。かつて栄華を誇った橋本遊郭の跡だ。



詳しくは判らないが、築後何十年も経っていると思われる2階建ての木造建屋が佇んでいる。ひょっとしたら築百年超かもとさえ感じさせる。



妓楼建築というのだろうか。いかにも、というような建物が軒を連ねている。一部は旅館とか喫茶店として営業しているようだが、民家として使われているものも多そうだ。様々な映画のロケ地にもなったそうだが、最近、この種の建物が多く取り壊されているようだ。



エキチカだし、宅地には適当な場所かもしれないが、透かし彫りなどを施した妓楼建築群がこのまま消えていくのはちょっと寂しい。観光の対象ともなりうるし、個々の建物にも文化財的な価値があると思えるのだが。



橋本駅付近は、京阪本線が男山と淀川の間を縫って、大きくカーブを描きながら走るところ。運転手にとっても見通しの悪いところだと思うのだが、見慣れない信号機がある。よく見ると「停」と「通」の2文字が表示できるようになっている。文字の表示より、赤黄緑の色を使う方が判りやすいようにも感じるのだが・・・。



 橋本駅周辺の秘境探索を終えて、新しい住宅地の間を抜けて石清水八幡宮に向けて男山の坂を登っていく。大した山でもないのだが、最近体力がめっきり落ちたのか、随分と疲れる。



住宅地を抜けると、竹林が広がる。この地の竹は、エジソンが電球に用いたという特別なもののようだが、他の竹林同様、地元の人が小さなテーブルを置いて、タケノコやハチクが即売している。




石清水八幡宮。早くも今年2回目の参拝になる。



本殿の周囲を囲む土塀。織田信長が寄進したものらしく、信長塀とも呼ばれているらしい。



本殿の周囲や参道に林立している燈籠の多くは摩耗のため文字が読めないのだが、そんななかに、はっきりと判読できるものがあった。「姫路侍従 源朝臣直矩」の寄進とある。おいおい、これって、最近映画にもなる引越大名とまで呼ばれた松平直矩ではないか。年代的にも合致する。移封続きで慢性的な財政難と言われているが、石清水八幡宮への寄進はケチることができなかったようだ。



男山にも毎日登山のような仕掛けがあるようだ。日付入りのスタンプを100集めるといいことがあるらしい。



本殿から、燈籠が立ち並ぶ参道を抜けて、男山の南側に抜けることとする。



男山には、いくつかの散策路がある。前回石清水八幡宮を訪ねた際には、台風か何かの影響で通行止めになっていた「せせらぎルート」を歩く。



やはりこの道も竹林を抜ける道。竹林を揺らす穏やかな風と、竹の葉を通り抜けて射し込む柔らかな日の光の相乗効果で、とても気持ちよく歩ける。


男山から下山して、さらに南下して松花堂庭園にやってきた。これまで何度も門前を通過してきたが、今日初めて入園する。男山の散策路のごつごつした自然とは異なり、実に様々な植物(特に竹と椿)を集めて、それぞれに合った役割を与えて出来上がった、見事に調和された自然だ。



左奥の建物が松花堂。茅葺の草庵と、豪華な書院、瀟洒な茶室などが、広大な庭園のなかに、見事に配置されている。



松花堂庭園から東へ、久しぶりに流れ橋とよばれる上津屋橋にやってきた。増水した際には無理に橋を守るのではなく、固定されていない橋桁は流れてもいい、という、画期的な発想の橋だ。



が、流れ橋の上を歩くことを楽しみにここまで来たが、なんと通行止め。昨年の台風で橋桁が流れてしまい、その後改良工事を施しているようだ。橋が流れすぎるのもお金がかかるということで、あまり流れないように橋を嵩上げしているんだそうだ。



楽しみにしていた流れ橋だが、後日再訪することにしたい。これまで橋の上を歩くのを楽しみに何度か訪問したところだが、橋が流されているところも見てみたいものだ。