伏見中書島~東福寺

2018年8月4日(土)


先日酷暑のなかを、大津から山中越えをしたものの下鴨神社まで辿り着くことができず、大津市内の2つのスタンプ獲得で終わってしまった「京阪沿線 水の路&街道めぐりスタンプラリー」に出掛ける。京阪中書島駅から北上し、下鴨神社を目指すつもりだが、先日を超す猛暑が予想される。大丈夫かぁ?



中書島駅から南に、伏見港公園にやってきた。京都と大阪を結ぶ水運の拠点だったところ。江戸時代のことと思いきや、昭和の半ばまで使われていたらしい。川岸には十石船のレプリカがベンチ代わりに設置されている。



秀吉が築城した伏見城の外堀だった濠川が宇治川に合流するところが閘門となっている。三栖閘門だ。小さいながらも、併設されている資料館がスタンプポイントになっている。伏見の水運の歴史に関する興味深い資料が多数展示されていた。



折しも復元された十石舟が観光客を乗せて濠川を遡上していく。今になって気付いたが、十石「舟」と三十石「船」と、船のサイズによって、「ふね」の漢字が使い分けられている。



十石舟の発着点となる伏見弁天橋の北岸にある月桂冠大倉記念館。いつもは観光客で大賑わいなのだが、猛暑のせいだろうか、週末だというのに人影は疎らだ。



大倉記念館をさらに北に進むと、月桂冠株式会社の旧本店社屋を活用した「伏見夢百衆」がある。観光案内所・おみやげ屋さん・喫茶店・日本酒バーを兼ねた複合施設だ。ここで本日2つ目のスタンプをゲット。



いつもは観光客が列を成している「鳥せい」本店。ここも猛暑のせいか空席が多く、早めの昼食を取る。



もとは「神聖」の酒蔵だった鳥せい本店。店内には、かつての酒蔵の雰囲気が残る。立派な蔵も、今は個室の座敷として使われている。



旧伏見街道を北へ北へと歩いていると、かつて遊郭があった撞木町に「大石良雄遊興之地よろずや」の石碑を発見。遊蕩の場所が石碑になっているのは、滅多に見られないことだろう。祇園一力茶屋で遊んだというのは、歌舞伎の世界で、実際は山科の寓居から、橦木町に通ったそうだ。



本日3つ目のスタンプポイント、藤森神社に到着。6年前にこのブログを開始した際の1枚目の写真がこの場所。以降、定点観測ポイントのように、同じアングルの写真を毎年2回以上は撮り続けている。



何かのイベントの準備だろうか、境内には竹に穴を空けて小さな模様を施したものがいくつも見られる。どうやって作るものなんだろうか。



菖蒲の節句の発祥の地ということで、菖蒲→尚武→勝負と、連想さえたのか勇ましい像などが見られる勝運アップ祈願の神社であるとともに、日本書紀を編集した舎人親王が祀られた学業成就を祈る神社ともなっている。まさに文武両道の神社だ。



奉納された絵馬の多くは、競馬関係者からのものと思われる。トウカイテイオーとかナリタブライアンとか、往年の名馬の絵馬が並んでいる。

 
 
戦前は歩兵連隊九連隊の駐屯地だったという。尚武の神様が守護している訳だから、恰好のロケーションだったのだろう。もっとも、京都九連隊は「これじゃ勲章くれんたい」と揶揄される弱さだったと言われる。(結構強かったとの説も聞く)



藤森神社の北、旧伏見街道に沿って軍人湯という銭湯がある。おそらく九連隊が駐屯していた頃から続いている銭湯に違いない。



伏見稲荷に近づくにつれ、渋滞警告が目立つようになってくる。「只今渋滞しております」とあるが、電光掲示板でもなく、常時掲示されている看板に思える。まあ、伏見稲荷近辺はいつも混んでいるところだ。



JR稲荷駅。今は奈良線の駅だが、かつては今より大きく南を迂回していた東海道線の駅だったそうで、当時のランプ小屋が残っている。ランプの保管庫というより、燃料の石油などを保管する危険物倉庫としての役割と考える方が適当だと思う。



伏見稲荷大社。海外旅行客からの人気ナンバー1に挙げられることも多いところだが、晴天の休日だというのに、参拝者の数が少ないことに驚く。やはり40度近い酷暑で、外出を手控える人が相当多いに違いない。



東福寺にやってきた。京都五山の第四位という由緒正しき大寺院だが、境内に入るのは初めてのことだ。伽藍のなかでひときわ目につく三門は、応仁の乱の戦火を逃れた国内最古のものらしい。



伽藍の北側には洗玉澗という渓谷が流れ、ここに東福寺三名橋と呼ばれる屋根付きの橋が架けられている。一番有名な通天橋は有料ゾーンにあるので、その西にある臥雲橋で我慢する。



渓谷は紅葉の枝や葉で覆われ、橋からはごく僅かな水面しか見えない。紅葉シーズンともなると、大変な人出があるところだ。



東福寺の北に、京都五山第五位の万寿寺がある。他の五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺)と比べて、ひどく小さく、知る人も圧倒的に少ない。かつて京都の万寿寺通にあったものが火災のため荒廃し、今は東福寺の一塔頭になっているようだ。



正面に萬壽禅寺と書かれた石柱の裏側は驚くことにハングル文字が掘られている。朝鮮人仏教会との文字も見られる。一体どうなっているのだろう。非公開のため内部に入ることもできず、何かモヤモヤした気持ちのまま万寿寺を後にする。



東福寺から蹴上・岡崎を経て下鴨神社まで行くつもりで頑張ってきたけど、どうも歩く気が起こらない。体力的にはまだ余裕があるのだけど、どうにもこうにも気分が乗らず、東福寺駅から帰路につく。



歩行距離は11km。ゆっくり歩いて、十分な水分を取って、適度な休憩を取れば、この酷暑のなかでも20kmくらいは問題ないはずなんだけど、気力の衰えばかりは補いようがない。



最近、ウォーキングではストレス発散できず、むしろ憂鬱な気持ちが濃縮されるばかりのような気がしてならない・・・。