吉野山(吉野町)

 2025年4月10日


吉野山の桜を一度は観たいものだとやってきた。昨日は大混雑で朝4時には既に下千本の駐車場は満車になったと聞いたため、下市口の駅前に駐車し、そこから始発電車で朝6時33分に吉野駅着。さすがに人の姿は疎らだ。もっとも今日は午後から雨が降るという。



下千本、中千本、上千本の満開は、それぞれ4月8日、9日、11日だという。空は曇ってはいるけれど最高のタイミングのはずだ。向こうのピンク色に染まった山肌あたりが下千本と呼ばれるところのようだ。一目で千本見えるということだ。



七曲りと呼ばれる坂道を登っていく。ロープウェイもバスも9時以降だから、この時間にやってきているのは皆歩く気マンマンの人たち。そこそこの勾配なんだけれど、皆スイスイと坂道を登っていく。



七曲りを登り終えて、大橋までやってきた。ここはかつて吉野に籠った後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王率いる3000の兵が、6万の鎌倉幕府軍と激戦が繰り広げられた場所だ。



世界遺産にもなっている金峯山(きんぷせん)寺。役行者が開山した修験道の総本山。先月登った岩橋山に残る久米の岩橋の行先はこの金峯山なのだ。蔵王堂は東大寺大仏殿に次ぐ大きさの木造建築として知られるけれど、万博の大屋根リングができて第三位になるのかぁ?



朝7時半。次第に人々の生活が動き始める。吉野を貫くメイン道路は、しばらくすると一歩通行になり、更に歩行者天国となるため、駐車場を探して彷徨う観光客の車に加えて、お店の荷下ろしの車とかスクールバスなど、大混雑になる。



楽しみにしていた吉水神社にやってきたのに開門まで未だ1時間以上ある。南朝の皇居があったところで、門前には児島高徳が隠岐に配流される道中の後醍醐天皇を激励するために桜の木に刻んだ「天句践を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず」の十字詩がある。



吉水神社には帰路に立ち寄ることにして、中千本を目指す。吉野の桜はシロヤマザクラという野生種。葉と花が同時に出るので葉桜気味なので、近くで見るとちょっと華やかさに欠けるのだ。でも山肌に千本?も集まれば、絢爛豪華の極みとさえ思わせてくれる。



如意輪寺の奥にある後醍醐天皇陵を参詣する。失意のうちに吉野で崩御した天皇の「身はたとえ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」と帰京を強く望んだ遺志に従い、天皇陵では他に例の無い北向きとなっている。日本史上でも稀有な強烈な執念の持ち主だ。



如意輪寺から上千本を目指す。これまでの道と異なり、完全に登山道の様相だ。ほとんど誰とも出会うことがない。



この辺りが上千本のようだ。ここも満開といっていいだろう。吉野の桜はソメイヨシノだと長らく思っていたけれど、ソメイヨシノは江戸時代に鑑賞を目的に造られた栽培品種。シロヤマザクラは野生のため、ソメイヨシノのようなモコモコ感は無い。



やはり吉野の桜の醍醐味は、個の華麗さではなく集団の絢爛さだ。聞くところでは桜は3万本以上もあるという。これほどの桜が山を覆っているところはそうはなかろう。もっとも永年の桜守さんの尽力によってこの景色が何百年と保たれていることを忘れてはならない。



上千本のさらに上は奥千本というのがあるけれど、未だ開花していないというので、吉野駅へと下っていく。まあ正直なところ、奥千本まで歩くには疲れていたし、午後からは雨だという。バス停ではやはり歩き疲れたのか、大勢の観光客が列をなしている。



それにしても吉野って、もっと鄙びたところと記憶していたけれど、宿も店も随分と多い。インバウンドも多いようで宿の歓迎看板には、欧米や中国と思われる人名が多数並んでいる。街中の桜は、ヤマザクラではなく、ソメイヨシノが中心のようだ。



枝垂れ桜も見事だ。朝の9時半ともなると、道沿いのお店も順々に開店をし始め、観光客の数もどんどん増えてきた。



9時開門のため、一旦は退散した吉水神社に戻ってきた。ここから見る上千本の桜が素晴らしい。この写真を撮るために、結構並ばないといけないほど、混み合ってきた。



一目千本との表札がある境内の柵の前には何十人もの人が写真や動画を撮影している。さっさと撮影して、次に場所を譲ってくれればいいのに、長々と場所を占有している人たちも多い。インバウンドのせいとは言いたくないけれど、複雑な気分だ。



吉水神社の書院を見学する。歴史上のビッグネームに所縁のある部屋や遺物がてんこ盛りだ。ここは源義経が頼朝と仲違いをし、静御前とともに吉野に逃げ込んだ際の部屋だという。その後山伏姿になって更に逃走する際、多くの武器や衣装を吉水神社に残したらしい。



こちらは後醍醐天皇の玉座。南朝の皇居だ。豪華なお部屋とも見えるけれど、秀吉がここで花見のためにこの部屋に滞在するため大改修したようだ。おそらく後醍醐天皇がおられた際にはもっと寂しいお部屋だったのではなかろうか。



秀吉が花見のための陣を敷いた境内。醍醐の花見の4年前で秀吉もまだ山に登る元気があったのだろう。書院には大きな茶釜が残されている。向こうに見えるのが金峰山寺の蔵王堂。右手前の門は北闕の門。後醍醐天皇が北の京に向かって日々邪気払いをしていたという。



どんどん観光客が増えるメイン道路を避け、山道で下山する。土産物屋や旅館が立ち並ぶ道を少し逸れれば、すぐに山なのだ。大海人皇子、義経、後醍醐天皇など時の権力者と対立した歴史上の大物の多くが吉野に逃げ込んだ。それほど吉野は秘境だということを思い出す。



ちょっと危なっかしい橋が沢に架けられている。どういう訳か、先代、先々代の橋の遺構もそのままに放置してある。木の橋って、すぐに腐ってこうなっちゃうんですよ、と道行く人に注意喚起をしているかのようだ。



ロープウェイも運行しはじめている。登りのロープウェイは人で満杯なのに、写真のように下りのロープウェイに乗る人はほとんどいない。ロープウェイ乗り場に到着すると、お客さんを下ろして、再び発車する。まさにフル回転でお客さんを山上に運んでいる。



来た際には人も疎らだった吉野駅前。歴史的な秘境だというのに、驚くほどの人が押しかけている。それでも午後からの降雨予報のせいか、昨日に比べれば随分と人が少ないらしい。



吉野駅到着は10時50分。ハイキング終了にはあまりにも早すぎるけれど、この人混みから早く脱出したい。30分に1本の各駅停車で下市口に脱出する。距離8.7㎞、獲得標高462m、所用時間は4時間10分。