日光街道(3)春日部~栗橋

 2025年12月9日


日光街道歩きも3日目。最近長距離を歩くと右膝が痛くなる。今回の遠征は所用のある日を挟んでの2日間。春日部駅をスタートする。江戸時代には粕壁宿と表記していたものが、近年全て春日部に変わったと思っていたんだけど、春日部市内の中心部の町名は今も粕壁だ。



春日部の書道教室に、(おそらく)優秀な作品が展示されている。右端に掲げられた、中二とは思えない立派な書が、「奥の細道」。字も上手いけど、郷土への所縁を考えた渋い選択だね~。



商店のシャッターには江戸自体の商家の風景が描かれている。表札を見るとこのお店は箪笥屋さん。シャッターに描かれているのは江戸時代の箪笥製作の様子だ。江戸時代にこんな風に箪笥を作り始めて今に至っているんです、という誇らしいメッセージが読み取れる。




しばらく歩くと小渕の一里塚。江戸から数えて9里めの一里塚となる。史蹟としての石碑が立つだけだけど、これだけでも街道ウォーカーにとってはかなりの励みになるのだ。



杉戸町に入る。失礼ながらこれまで聞いた記憶さえない町だ。春日部を過ぎると、埼玉県でも田園地帯の色合いが濃くなってくるようだ。町境を越えるとすぐ現れるのが地球儀のようなモニュメント。北緯36度の上に立っているという。



杉戸宿。おそらく戦災からも逃れ、都市化の影響を受けることも少なかったのだろう。古い商家が数多く見られる。写真は創業300年超の酒蔵である豊島屋だ。



高札場。おそらく復元されたものだろう。通常高札場には、幕府や藩主からのお達しや禁令が掲げられているものだけど、ここの高札場には杉戸宿の歴史や高札場とは何か、などの説明が記載されている。



東京オリンピックの聖火リレーを記念した立派な石碑が立っている。市内を6人のランナーが約200mずつ聖火を運んだようだけど、こんなものを作るなんて、よほど嬉しい出来事だったんだろう。



大落古利根川。おおおとしふるとねがわ、と読むらしい。元の利根川は、この川筋を通って江戸湾へと流れ込んでいたという。家康が関東に移って以来、利根川の付け替えが精力的に行われたという。川岸は整備された遊歩道になっていて、鴨などがのんびりと寛いでいる。



杉戸宿の北端の枡形にある江戸時代からの米問屋。街道に沿って母屋と蔵が並んでいる。古利根川の水運を利用して、手広く米穀を扱っていたらしい。



杉戸を抜けると、旧街道は田園の中を抜けていく。曲がるべきところの目印がなく、かなりの道迷い、遠回りをしてしまった。



螺不動尊。普通は田螺だけど、ここでは螺一文字で「たにし」と読むようだ。田螺をたくさん取って食べたので、その供養のためのものかと思ったけど、昔火災に見舞われた際、大切な不動明王像にたにしが張り付いて延焼を防いだことに由来するらしい。



幸手宿に到着。幸手は「さって」と呼ぶようだ。旧街道に沿って桜色のバナーが吊られている。幸手町も初めて聞く地名のような気がするけれど、予備知識なく見知らぬ街へと入っていくのはワクワク感がある。



ここも都市化の波に呑み込まれることなく、古い家屋が多く見られる。「ふるさとの道 日光街道」とあるけれど、江戸時代以前に遭った町ではなく、日光街道と日光御成道(将軍が日光参拝の際に使用した、家康の遺体が通った道)の合流地点に造られたようだ。



日光街道の風景をペイントした自販機。でも傍らに立つお坊さんが誰なのかが判らない。芭蕉ではないよねぇ…。



本陣跡。とても丁寧な説明板が建てられている。今では本陣の名残りも残っていないけど、元々が千坪もあったというから、到底維持できるようなものではない。



幸手の一里塚跡。宿場町のなかに一里塚があるのは偶然とはいえちょっと珍しい。やはり丁寧な説明板が設置されているだけでなく、塚をかたどったようなモニュメントが立っている。



幸手宿を過ぎると、西側に幾つもの山が連なっているのが見える。おそらく群馬県の赤城山とか榛名山のあたりのようだ。広大な関東平野だけど、いよいよ端っこを感じられるところまでやってきた。



日光街道と筑波道との分岐点(追分)を示す道標。250年も前のものだけに、ただでも詠みにくい旧字体のうえに、石が削れたり汚れたりで判読は大変だ。この種のものは、多少修復して読めるようにすべきなのか、何もせずそのままにしておくべきなのか、難しいところだ。



右は国道4号線。ちょっと嵩上げして、交差点を減らす工夫がされている。国道の土塁の下の道を歩くんだけど、国道の歩道を歩くことに比べれば随分と歩きやすい。



東北新幹線が青物野菜の畑のなかを貫いている。のんびり歩いていると、気付かぬ間に太陽が随分と西に傾いている。関東では関西に比べて20分ほどは日没時刻が早いはずだ。



栗橋宿の手前に炮烙地蔵堂がある。江戸時代の刑場跡なんだそうだ。栗橋は利根川の手前にある国境の街で、関所も設けられていたところらしく、関所破りはここで火焙りの刑に処されたそうだ。



暗くなる前に栗橋宿に到着。橋をひとつ渡ると、茨城県なのだ。日光街道が埼玉と栃木の間に、少し茨城県を挟んでいることが意外だ。もう一度地図を見てこの辺りの地理を良く勉強しておかねばならない。



栗橋宿には静御前の墓があるという。気になるところが多い栗橋宿だけど、見て回るのは次回まわしにして、栗橋駅から投宿している春日部に戻る。東武鉄道に乗らねばならないのに、駅が隣接一体化しているJRの宇都宮線に乗ってしまった…。



本日の歩行距離26.1㎞。出発した春日部の標高は7m、終点の栗橋が14m。ほぼ真っ平だ。所要時間は9時間20分。