堂屋敷・天上ヶ岳(箕面市)

 2025年3月26日


エキスポ’90 みのお記念の森の駐車場に車を停めて、未踏破が気になっていた箕面の3つの山を歩いてみることにする。中山道最大の難所のひとつ、碓氷峠越えに向けて、舗装道でも山道でも対応できるよう購入したローカットシューズの試し履きに丁度良さそうだ。



駐車場が既に標高480mほどなので、登山というにはお気楽すぎかもと思いながら正午過ぎに出発。もっとも午後5時と思っていた閉園時刻は午後4時だった。でも4時間もあれば十分すぎると気楽に考えながら、まずは舗装道を10分ほど進む。



舗装道を外れて、本日の最初の目標、堂屋敷山に向かうけれど、これがなかなかの直登。勾配のキツさもさることながら、階段の段差の高さが辛い。まだ歩き始めて間もないというのに太腿が悲鳴を上げる。



堂屋敷山頂(553m)。箕面の滝を中心にした広大な自然公園には何度もやってきたけれど、その多くは10年ほども前のこと。当時はピークハントに全く興味もなく歩きまわっていたものだから、こんなマイナーなピークに登ろうなんて考えもしなかった。



遠くに見える住宅地は箕面森町か光風台か。晴れているはずなんだけど、たぶん黄砂の影響で見通しがあまり効かない。




山名は立派だけれど何もない堂屋敷から、さらに立派な山名を持つ天上ヶ岳へと向かう。道は杉林をくぐっていくように続いている。気温は高いはずなんだけど、杉林が日を遮っているし、尾根を抜ける風が心地よい。



天上ヶ岳(499m)。手作りの素朴な山頂標識がいい感じ。この山頂標だけ見ると、な~んも無い山頂のように見えるけど…



さほど広くない山頂の大半はなんと役行者の墓所なのだ。知らんかった~。鬼や神様まで従えていたほどの法力の持ち主であり、日本における修験道の最高峰に君臨する大レジェンドだ。天上ヶ岳という御大層な山名にも納得だ。



罰当たりなことだけれど、役行者の銅像と向い合せになって昼食の握り飯をいただく。銅像とはいえ、眼光の鋭さは半端ない。



天上ヶ岳から箕面川ダムに向けて急坂を下っていく。山歩きの前半で下り、後半で登るというのは、あまり経験の無いことだ。



サルを自然に戻す実験をしているので森の中に入らないよう、との注意書きがある。サルを自然に戻すことは大いに賛同するけれど、サルにとってはさほど広いとも思えない森の中に閉じ込めてヒトと隔離することってできるんだろうか。もう少し解説が欲しい。



谷合には随分と大規模な倒木が見られる。昨年の台風によるものだろうか。いや谷合の木ばかり倒れているから、この冬の積雪に影響なのかもしれない。



箕面川ダムまで下りてきた。石積みで流れを堰き止めるロックフィルダムだ。素人目には治水ダムとしては少々頼りなさげに見えるけれど、コンクリートダムと比べて環境や景観に配慮されたもののように感じる。



箕面川ダムからしばらくは舗装道。天上ヶ岳から下った200mほどを登り返さねばならない。前方の山は目指す長谷山。う~ん、かなり尖がってるなぁ…。



舗装道を外れて山道へ。箕面自然公園では自然研究路の7号路とナンバリングされている道だ。そこそこ険しいところもあるけれど、手摺りなどの安全対策は十分に施されているようだ。



渡渉部もあるけれど、景観に馴染むよう目立たないように飛び石も設置されている。もっともこの日は全く水が流れていない。



平坦部のない山裾には桟道のようなものを設置して、歩行スペースが確保されている。手摺りなどに少々老朽化したところも見られるけれど、適切に保全して誰もが山歩きを楽しめる道を維持してもらいたいものだ。



何の案内標識も見られないけれど、どうやらここが長谷山の南側の登り口のようだ。地図の等高線がメチャクチャ狭いというのにほぼ直登だ。どうやら北側からアプローチする方が遥かに無難そうだ。このところトラブル続きの山歩きなので、今日は無理はやめておこう。



長谷山登頂を見送り、自然研究路7号路をそのまま北上。この道は全長300㎞と言われる「おおさか環状自然歩道」の一部ともなっている。時折標識は見かけるんだけれど、未だに全コースを詳細に案内するマップやサイトに出会ったことがない。



エキスポ’90 みのお記念の森に戻ってきたけれど、花の谷と言われるメインエリアへの門は何故か閉じられている。この先にある立派な展望台も老朽化のため閉鎖中らしい。荒廃の一途を辿っているように感じられてならない。



園内の樹木には鹿による食害防止のため、樹木保護ネットが施されている。サルスベリなんて鹿が齧る樹皮などないツルツルの木だと思っていたけれど、そうでもないようだ。まあ、サルスベリとはいってもサルは平気でこの木を登れると聞く。



多くの人が勘違いしているんだけれど、エキスポ’90 みのお記念の森って、1970年に千里で開催された大阪万博ではなく、1990年の花博を記念したものだ。花咲太郎という、花咲じじいを現代風にアレンジしたようなオブジェが見られる。



新しいメレルのシューズの具合は悪くなさそうだ。ちょっと重く感じるけれど、山道でも舗装道でも、程よいクッション性とグリップ力を発揮してくれた。インソールも陸上自衛隊員ご愛用のものに変えて足回りは完璧だ。残る問題は体力、天気、そしてクマだ。




距離5㎞、獲得標高400m、所要時間は2時間40分。



槇尾山(和泉市)

 2025年3月22日


久しぶりに槇尾山に出掛ける。ダイヤモンドトレールの起点だけにハイカーの姿も見られるけれど、西国三十三所札所の施福寺の参拝者が圧倒的に多そうだ。もっとも施福寺まででもバス停や駐車場から200mほども登らなければならないので、ちょっとした登山となる。



豊臣秀頼が寄進したと伝わる山門には立派な仁王像が睨みを効かせていて、小さな草鞋が多数奉納されている。西国三十三所を踏破した花山法王(大河ドラマ光る君へにも登場したけれど、若くして退位させられたことで知られる)に関係していると聞いたような気がする。



山門からかなり急な参道が続く。あまり山慣れていない高齢の参拝者が多く、ちょっと優越感を感じながらドンドン進んでいたのだけれど、しばらくすると息があがってくる。以前はスイスイ登っていったような気がするんだけれど、気が付けば、こちらも立派な高齢者だ。



とにかく暑い。つい最近までは寒さに震えていたし、槇尾山も積雪しているということで、山行を延期したというのに、今日は20度を超えると言われている。情けないことに、途中のベンチに座り込み、アウターを脱いで、水分を補給して、足腰が回復するのを待つ。



弘法大師の御剃髪所跡なんてのがある。施福寺は天台宗だったはずだ、と混乱してしまう。普段なら、説明文を探したり、スマホで調べるところだけれど、暑いし、早くも疲れてきたし、とにかく早く本堂まで登ってしまおうと考えてスルー。



未だ山行の序盤だというのに、結構疲れていることに気付く。境内の白梅、紅梅を愛でながら長い休憩を取る。この境内は梅と桜が半分ずつくらい。もうしばらくすると主役は桜に移ることだろう。



梅の向こうに山頂が禿げたような山が見える。岩湧山だ。10年ほど前にはダイヤモンドトレイルで槇尾山口からあの岩湧山を越えてさらに紀見峠まで、さほど苦労もなく歩けたのが嘘のようだ。



花山天皇ゆかりの足腰守を授与していただくか迷ったけれど、もはやリュックには登山や足腰のお守りがいくつもあるし、花山天皇のイメージの悪さもあって結局パス。ダイヤモンドトレールの起点標から山道へと入っていく。



もっと広々としたトレイル道だったような記憶があったけど、結構切り立って狭いところも多い。10年振り以上ともなると、かつて歩いた記憶などほとんど役に立たない。



左に下るのがダイヤモンドトレール道だけれど、右側に登る檜原越へ。まずは未踏の奥槇尾山を目指す。



路傍には多くの石仏が見られる。その多くは真新しい前掛けを施されてる。多くの地域の方々に愛されている信仰の山であることに気付かされる。



奥槇尾山に向かう道は思っていた以上にキツイ。最近たまに感じる右膝の痛みに加えて、古傷の股関節の具合も悪い。施福寺の足腰守を見送ったことで槇尾山のお怒りを買ってしまった訳でもなかろうが…。引き返すなら早いうちに、と思いながらも進んでしまう。



右側斜面に沿って延々と立入禁止の黄色テープが貼られている。たぶん、斜面の上にある槇尾山への登頂を施福寺が禁じているようだ。以前、ハイカーと寺の両者の関係がかなり険悪になっていると聞いたことがある。



グリーンランドだとぉ? まさか北極海の島に続く道とも思えない。どうやらこの先に和泉市が運営する野外活動施設があるらしい。



ようやく眺望が開け、岩湧山がクリアに臨めるようになった。3日かけてダイヤモンドトレールを踏破したのは10年ほども前のこと。昨秋に久しぶりに紀見峠から岩湧山、滝畑まで歩いたのけど、これが精一杯。今の体力では5日くらいかけないと踏破できそうにない。



何もないとは判っていたけれど、少し脇道に逸れて奥槇尾山(647m)に登頂。施福寺から170mくらい登ってきたことになる。ここで引き返すことも考えたけど、次の目標となる猿子城山は709m。膝は痛いけれど、60mくらいなら何とかなると考えて先に進む。



う~ん、結構タフで寂しい道が続く。止めときゃ良かったかなぁ…。最近いつもこんな気持ちで山を歩いているような気がする。明らかに以前ほど自分の体力への信頼感が低下している。



写真では判りにくいけれど猿子城山の山頂に向けては激登り。実はダイヤモンドトレールの終点が槇尾山であることにしばしば違和感を覚えていた。猿子城山から和泉葛城山、犬鳴山まで繋がるのに…と思っていたけれど、この道は大勢が歩くようなところではない。



やっとのことで猿子城山(709m)に到着。南北朝時代には城があったらしい。確かに攻めにくく守りやすい場所だけれど、人里から離れすぎているように思う。まあ千早城とか感状山城なんかもそうだけど…。とにかく今では考えられないほどに皆健脚だったのだろう。



それにしても鬱陶しいのは山頂標の多さ。大半はどこやらの登山会の登頂記念だ。ひとつ目、ふたつ目までは良いけれど、それ以上の山頂標は無意味だ。敢えて言えば、自己満足の塊のゴミでしかない。私がゴミを棄てましたとわざわざ団体名を記す神経が理解できない。



怖れていたとおり猿子城山からの下りはメチャクチャ急で、しかも長い。こちらから登ってきたなら、相当に体力を削られるに違いない。でも下るのもひどく怖い。とにかくその大半は直降なのだ。転倒でもしようものなら、一気に滑り落ちるに違いない。



ひどい下り坂をなんとかクリアし、ダイヤモンドトレールに合流。ボテ峠という名前の由来は不明だけれど、この先は整備された道を施福寺へとノンビリ戻るだけだ。



と思っていたら、とんでもない倒木で道が塞がれている。何本もの倒木が複雑に重なりあって容易に潜りぬけることができない。屈んだり、身体を捻ったり、かなり無理な姿勢を強いられながら、苦労して通過する。



倒木帯を通り過ぎて、呑気に山道を下っている途中でスマホが無いことに気付く。どこで落としたのか…。結局最後に写真を撮った倒木帯まで登り直し、倒木の下に隠れていたスマホを無事救出。でも一気に疲れが噴き出した。覚束ない足取りで渡渉する。



軽めの山歩きのつもりだったけれど、結構疲れた。距離6.7㎞(もちろんスマホ紛失の間の歩行は含まず)、獲得標高745m、所要時間は5時間27分。




岩橋山(河南町)

2025年3月12日 


富田林からバスで河南町役場前、さらに町のコミュニティタクシーに乗って平石老人集会所へ。アクセスが悪いこともあるけれど、実は10年以上前、下山時に谷道から脱け出す道が判らず遭難状態になった苦い思い出もあって、長らく敬遠してきた岩橋山に登ってみる。



リベンジのつもりで、前回下山する際に用いた岩橋山への直登ルート(地元パンフではBコースと命名されている)で登ってみよう。最も険しい道であることは判っているのだけれど、この道沿いに、久米の岩橋などの奇岩が多く見られるのだ。



要所には案内標識もあるし、厳しい登りが続くものの道に不明瞭さは感じない。前回はもっと先で道を誤ったんだろうな、などと思いながら、気楽に登っていく。ただ写真では判らないけれど、昨日の雨のせいで、道が随分と泥濘んでいるのが厄介だ。



しかしいつの間にやら道は不明瞭になり、案内標識もしばらく見ないと感じているうちに藪漕ぎ状態となる。おかしいな、とは思ったものの、ここまで分岐点は無かったはず、と前進する。実のところ、分岐点を見落とし、間違った道を突き進んでいたのだ。



さらにヤバそうな丸太橋が現れた。ここでよ~く考えるべきだったけど、分岐点は無かったと信じ切っていた。渡り始めると見た目以上にメチャやばい。撓むし、揺れるし、滑るし、さらに少し登り勾配。なんとか渡り切ったものの、再度これを渡って戻る気にはなれない。



しばらく進むが、ここでようやく登山道のひとつ北側の尾根を進んでいることに気付く。道はあるにはあるんだけれど、ポンコツハイカーでは太刀打ちできそうにない。かと言って丸太橋を戻る気にもなれず、やむなく急坂を滑り落ち南側の谷へと下る。



しかし登山道となっている南の尾根道はこの急斜面の上にあるようだ。とても登れたものではない。等高線を見ると30m以上も登らなければならないのだ。



地図を見る限り谷を進めば進むほど南尾根との標高差は増すばかり。しかも流木などで谷は荒れに荒れている。迷ったと気づいたら引き返すのが登山の鉄則とはいえ、今更尻餅をつきながら滑り落ちた斜面やメチャやばい丸太橋に戻る気にはなれない。



となると残る方向は唯ひとつ。谷を下るしかない。が、狭い谷は昨日来の雨で水嵩もあり、岩ゴツゴツで、草木や倒木・流木で覆われている。しかも棘のある木が多いのだ。



這う這うの体で谷を下り、ようやく見落としていた南尾根への取りつきを発見。同じ山で2度目の遭難状態となってしてしまうとは…。しかも普通なら遭難しにくい登りなのだ。前回はおそらく同じ川のもっと下流で谷を脱出できないまま真っ暗になったのだ。



でもまあ体力のある序盤での道迷いで未だ良かったのかもしれない。気力も体力も多いに削られてしまったけれど、南尾根の急坂を登っていく。ちゃんとした道を歩けることの有難さを噛み締める。



奇石の一番手は人面岩。確かにそう見えなくもないけど、側面が人面に似ているという人もいるようだ。大きな岩で、立派な標識も立てられているけれど、まあ大して驚くようなものではない。



さらに鍋釜岩とか鉾立岩とか、まあいろいろと巨岩、奇岩があるんだけれど、実は真打は未だこの先。でも序盤の道迷いが堪えたのか、いい加減に疲れてきた。さらに、雨まで降ってきた。



とにかく急坂の連続。10年以上も前のこととはいえ、ここをスイスイと下ったことが信じられない。日没が近づくなか、奇岩を探検しながらも随分と急いで下ったことを覚えている。もっとも急ぎ過ぎたのが仇となって道迷いしてしまうのだけれど…。



鉄塔付近が唯一眺望が楽しめるところ。でも下界は良く見通せない。どうやら山にかかる雨雲のなかにいるようだ。



でた~、久米の岩橋。他の岩と違って、明らかに人の手により加工されたものだ。伝承によれば、役行者が一言主神をこき使って、吉野の金峰山までの橋を架けようとしたものらしい。前回は日没に追われて十分な時間がとれなかったけれど、今回はゆっくりと観察する。



頂上に向かうにつれて雨脚は強まってくる。視程も随分と短いものになってきた。ダイトレ道に出たけれど、コミュニティタクシーの運転手さんと別れて以降、誰とも出会っていない。ダイトレなんて、少々の悪天候でも誰か歩いていそうなものなんだけど…。



計画より1時間以上遅れて、ようやく岩橋山(658m)に到着。雨の中、濡れたベンチに腰掛ける。ここまで泥濘を踏み分け、藪漕ぎや尻滑りばかりで、もはやパンツが汚れることなど構っても仕方ない。



岩橋山からの長~い階段を、下っていく。少々の雨は覚悟して、初めからレインジャケットを着込んできたんだけれど、ここまで悪天候だとは思わなかった。



平石峠。ここから平石の集落に下っても、コミュニティタクシーやバスがうまく繋がらない。少々距離はあるけれど、奈良県側に下ることにする。



急勾配で知られる岩橋山だけれど、奈良県側からの道はさほどでもないようだ。静かな林道をのんびりと下っていく。



葛城市に下山すると竹内街道に合流。飛鳥と難波を結んでいた最古の官道だ。推古天皇の時代に完成したというから、今から1400年以上も昔のことだ。一体どれほどの人がこの道を歩いたのだろうか。



芭蕉が滞在したと伝わる綿弓塚。綿弓とは製綿の道具だけれど、この辺りはかつては綿花栽培が盛んだったのだろうか。立派な記念館があり、誰でも俳句を投句できるようになっているけれど、まだ他人様にお見せできるようなものが即興でできるはずもない。



竹内街道に沿って見事な紅梅が咲いている。例年に比べて随分と寒く長い冬だったけれど、さすがに春はもうそこまでやってきたようだ。



距離8.2㎞、獲得標高登りが558m。所要時間は5時間半。もっともそのうち1時間ほどは道迷いで谷底を彷徨っていたように思う。