東おたふく山~蛇谷北山〜六甲山【六甲山系】

 2025年12月3日


「神戸の山に出かけよう」スタンプラリーも4日め。今日は六甲山系の東側を攻める。六甲山頂近くの一軒茶屋、ガーデンテラスの土産店、ケーブル山上駅近くの喫茶店、そして下山してカミカ茶寮の4つが目標。紅葉の見頃が過ぎた東おたふく山登山口からスタートする。



450mほどバスで上がったところなので、芦屋から登るのに比べれば随分と楽な道となる。小さな渡渉を渡って山の中へと入っていく。



登山道には落ち葉がビッシリ。それにしてもひどく寒い。今日から気温が大幅に低下するなんて言ってななぁ…と今更ながら思い出しながら、もう一枚何か着込んで来れば良かったと後悔するけど、登りが続く道でいい感じに汗ばんできた。



東おたふく(697m))。久しぶりにここからの眺望を楽しもうと、遠回りしてやってきたけど下界は霞んであまりよく見えない。笹で覆われた山をかつてのススキに戻そうという活動が続けられているはずだけど、相変わらず笹だらけだ。



東おたふく山を北に下り、土樋割峠。王道の本庄橋跡から七曲りを経て六甲最高峰へと向かうつもりだったけど、案内板には本庄橋跡経由で60分、蛇谷北山経由で50分とある。いやぁ、どっちも余程の健脚でないとムリだと思うんだけど…。



YAMAPで確認すると、本庄橋跡経由で78分、蛇谷北山経由で88分。経験的にもコチラの方が納得できる。だというのに久しぶりに蛇谷北山に登りたくなって、ひどい急坂を攀じ登っていく。



蛇谷北山(840m)。芦屋市の最高峰となる。東おたふく山もそうだけど、芦屋市の山域には標識類が充実していると感じる。ただ東おたふく山同様に、せっかく眺望もいいところなのに、ベンチどころか、腰を下ろすのに適当な石さえないのだ。



蛇谷北山からまた下って、また登る。道が崩落しているとこも多く、とても歩きにくい道だ。こんなことでは50分どころか、その倍くらいの時間が掛かってしまいそうだ。


六甲山神社が祀る白山姫観音像が立っている。菊理媛命(ククリヒメノミコト)と同一人物らしいけど、石川県の霊山である白山の主祭神なんだよね。白山と六甲山なんて、随分と遠いし、六甲山神社は西宮の廣田神社の境外社だというし…。誰か判りやすく教えてほしい。



六甲山最高峰の下にある一軒茶屋。開店直後のせいか、まだ店内は暗くお客さんもいないけど、スタンプは店外に設置されていた。



一軒茶屋から数十m登って、六甲山最高峰(931m)。この辺りの山が全て六甲山だから、いつの間にか六甲山最高峰と呼ぶようになったように思うんだけど、どうも馴染めない。単に六甲山でいいじゃないか。空はどんよりしていて眺望もパッとしない。



現在の山頂(無線塔の向こう側)は戦後1992年米軍に接収されていたため、ここが山頂ということになっていた。現在の山頂碑より遥かに立派な山頂碑(福知山線事故で大活躍した日本スピンドル社登山部が寄贈)には「六甲山最高峰」とある。昔からそうだったのかぁ…



スピンドル山頂碑で長々と休憩していると、汗も引いて随分と寒くなってきた。風も強くなってきたし、膝も痛くなってきた。六甲ガーデンテラスへの道は、どう見ても車道を行く方が楽そうなんだけど、車道と撚れ合うように設けられた縦走路を進む。



この縦走路が結構辛いんだよね~。隣接する車道はなだらかなんだろう、と考えてしまうのがいけないのかもしれないけれど、実際道が結構抉れていて、階段なんて用をなさないところが多い。



ガーデンテラスのアンテナ群はずっと見えるけれど、全然近づいた気がしない。ガーデンテラスまであと1.1㎞とあって、10分ほど歩いて、ガーデンテラスまであと1.0㎞なんて看板が出てくるものだからガックリさせられる。


最後にちょっとだけ車道を歩いて、有馬に向かう六甲・有馬ロープウェーの乗り場を見に行く。表六甲線は20年以上前に廃止され、神戸市の外郭団体が経営しているだけに有馬線も閑古鳥だと思ってたんだけど、意外なほどに駅舎も車体もお洒落で、賑わっている。



六甲ガーデンテラス、無線塔が林立するこのエリアに様々な飲食・観光施設が建設され、今ではここが六甲山頂だと思っている人が多そうだ。石川県の高校生が何台ものバスに分乗して大勢やってきていたけれど、六甲山が修学旅行の訪問地になっていることに驚かされる。



六甲ガーデンテラスのお土産屋さんでスタンプを押印。午前中よりは少し晴れてテラスから見渡す景色もスッキリしてきた。でも気温は一向に上がらず、風が吹いてむしろ寒くなったとさえ感じられる。



早くもクリスマスの飾り付けが行われている。それだけに廃止されたロープウェーの表六甲線の武骨な鉄塔が気になってしまう。国立公園なので、撤去すると土砂崩れの危険が増すし、原状復帰が困難でもあるらしく、完全放置状態になっている。



みよし観音。60年前、伊丹から飛び立った旅客機が尼崎に墜落。逃げ遅れた乗客を助けるべく機内に戻ったところ機体が爆発。殉職した21歳の客室乗務員を悼んで建立されたものだ。由来を知らないのか、観音像のポーズを真似て笑い転げるハイカーがいるのが悲しい…。



みよし観音の近くの空き地に謎めいた首だけの像が横倒しになって放置されている。あるいは建設途中なのだろうか。仏様のようには見えないし、一体何なんだろう…。



かつては栄華を誇っていた六甲オリエンタルホテルは完全に柵に囲われた更地状態になっている。風の教会という安藤忠雄が設計した結構式やパーティのための施設ができるとかできたとか聞いているけど、道からは何も見えない。



スタンプポイントの百合珈琲にやってきた。こんなのできてたのかぁ…。が、なんと閉店している。スタンプ台紙を見ると水曜・木曜定休とあり、営業時間外のスタンプお押印は不可とのこと。なんてこった、まさに無駄足だった…。



百合珈琲でガックリ。ただでも寒いし、膝も痛いというのに、またここに登ってこなければならないのかと思うとショックは小さくない。今日はケーブルで帰っちゃおう。



歩行距離9.5㎞、獲得標高840m。所要時間は6時間15分。計画は脆くも崩れ、次回以降のスタンプ獲得作戦が上手く立たない。





日光街道 (2) 草加~春日部

 2025年11月27日


日光街道2日め。昨日は所用のため足腰にとっては十分な休養になったはずなのに、右のお尻や股関節の痛みが引かない。しっかりと歩けるのか不安ではあるけれど、煎餅を齧る少女像がある草加駅をスタートする。



旧日光街道は幹線道路とは少し離れた一般道となっていて、歩道部も広く取られていて歩きやすい。本陣跡の碑も随分と立派なものが建てられている。



実のところ、あまり固い煎餅は好まないのだけれど、せっかくなので1枚だけでも草加煎餅を食べたい気分になる。嬉しいことに「1枚でもどうぞ」と書いてあるお店もあるんだけれど、早朝のため未だ開店していない。



「草加せんべい発祥の地」の立派な石碑が立てられている。茶屋で売れ残った団子を平たく延ばして焼いて売ったのが始まりとも伝わるそうだけど、お菓子よりむしろ旅人の保存食だったようだ。米どころであり、醤油の野田とも近い宿場町という特長を生かした名品だ。



観光案内所の名前は「芭蕉庵」。芭蕉の銅像が立っている。奥の細道には「もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり」とあるけれど、当時の長旅はまさに命懸け。草加宿に到着した安堵感が伝わる。



芭蕉も歩いたという草加松原。想像していたより何倍も凄い。綾瀬川に沿っての1.5㎞の松並木道には石畳が貼られ、幹線道路との交差点には松並木に馴染む木製風のなだらかなスロープになった歩道橋が設置されている。



近年かなり手を入れて整備されたもののようだ。しかし旧街道としての風格を失うことなく、加えて多くの市民に散歩やジョギングを楽しみ、川辺の松の木陰で寛ぐことができる空間を提供することに成功しているように感じる。



芭蕉の名を冠した施設、文学碑、銅像、壁画などが多く見られる。随行の曾良のものもある。江戸時代屈指の幹線道路なのだから、様々な事件が発生し、数多くの偉人がこの地に足跡を残しているはずだけど、千住から草加まで、とにかく芭蕉一色だ。



鷺と鵜(たぶん)が並んで水辺に佇んでいる。鷺は水面から嘴で魚を突き、鵜は水に潜って魚を呑み込むのだから、両者の漁法は全く違う。お互いが邪魔になるんじゃないかとも思うんだけど、何故か一緒にいることが多いような気がする。



越谷に到着。宿場の名前は越ケ谷とケが入るように、かつては越ケ谷だったものが、周囲の市町との合併の過程で市名が越谷になったらしい。大火や地震に見舞われたせいか、江戸時代の遺跡は見当たらないが、明治期の屋敷が改装されたレストランやショップが見られる。



かつて七代続いた味噌醸造商が建てた二階建の倉庫。国の登録有形文化財にも指定されているようだけれど、今では図書室や喫茶室などが設置され地域コミュニティのために使われている。



越谷から川ひとつ北に渡ったところに大沢宿場跡の碑がある。ややこしい話だけれど、江戸中期に本陣が越ケ谷から大沢に移り、宿泊施設は大沢、商店は越ケ谷と分担するようになったらしい。



あまり旧宿場町の風情が残らない越谷だけれど、昔から水郷で知られた街とのことで水にまつわる種々の言い伝えや噂を水遊都市伝説として売り出しているようだ。



越谷香取神社。大沢の鎮守であり、日光街道を行く旅人の多くが、旅の安全を祈願して参詣したという。



皇室の「鴨場」に立ち寄る。広大な敷地内の池に飛来する鴨を、江戸時代からの技法(訓練されたアヒルを使って鴨を追い込み、傷つけることなく網で捕獲するという)を伝承しているそうだ。メチャクチャ興味があるけど、門は固く閉ざされ内部を窺うことはできない。



越谷を過ぎると旧日光街道は国道4号線へと吸収される。ここまで比較的細い道を歩いてくることができたんだけど、ついに幹線道路沿いの退屈な歩道歩きになってしまった。



日本橋から数えて4番目の宿場町、春日部に到着。江戸時代には粕壁と表記されていたというけれど、この地名は鎌倉時代の武士団、春日部氏に由来するものだという。残念ながら宿場の遺跡や風情はほとんど残されていない。



しかし郷土資料館には鎌倉時代からの春日部の歴史を案内する手の込んだ展示がある。特にかつての粕壁宿のジオラマは視覚的に宿場町を理解することができ、とても興味深い。



現在の春日部を全国的に有名にしているのは、クレヨンしんちゃん。郷土資料館でさえ、春日部を舞台にした大ヒットアニメのキャラクターが様々な形で登場する。



興味深い展示が多く、つい長居してしまった郷土資料館を出ると、空はどんよりと暗くなり、雨が降っている。ひどく冷たい雨だ。



幸い、東武伊勢崎線の春日部駅はすぐソコ。雨のダメージはさほど受けることなく、今日のゴール、春日部駅に無事到着。春日部駅の前にあったイトーヨーカドーは、クレヨンしんちゃんではサトーココノカドーとして度々登場していたけれど、昨年閉店してしまったという。



草加宿で気付いた「スマホで集める日光街道埼玉六宿連携スタンプラリー」。埼玉県内の六つの宿場町で各2ヶ所のスタンプポイントが設けられている。主催はJAFだけれど、歩いてスタンプを集めても問題あるまい。日光街道を歩きながら参加しないという選択肢はない。



草加、越谷、春日部の各宿で計6つのスタンプをゲット。続く杉戸宿、幸手宿、栗橋宿を歩けば全16のスタンプをコンプリートできるはずだ。もっとも一等賞は東武動物公園の入場券。当選しても困るなぁ…。できれば埼玉の銘菓あたりが有難い。



距離23.6㎞、所要時間は8時間54分。登り獲得標高は14m、下りが11m。併せて3mしか登っていない。関東平野の真っ平さに今更ながら驚く。春日部でさえ未だ標高7mほどだ。



日本橋を起点に4つめの軌跡が腕を伸ばし始めた。五街道を制覇する日はいつになるのだろうか。