油コブシ~掬星台【六甲山系】

 2025年12月27日


神戸に出かけようスタンプラリーも残るところ6スタンプポイント。今日こそは最終日とすべく六甲ケーブル下までバスでやってきた。先日、整形外科の診断で右股関節と右膝が変形関節症になっていることが判明。無理せず、騙し騙しやっていくしかないとのことなのだ。


ケーブル駅にやってくるまで、ケーブルに乗るか、あるいは歩いて登るか、悩みに悩んでいたんだけど、意を決して油コブシルートで六甲山上を目指すことにする。いきなり、ホントに行くのか?と試されているような長く険しい階段が現われる。



数年前に初めて出会った際には腰を抜かすほど驚かされた「コロナに負けるな」の人形。当時はリアルな人形だったのが、月日の経過は残酷で、今では幽霊のようにさえ見えるようになってきた。そろそろお役御免にしてあげたいものだ。



今のところ股関節も膝も調子は悪くないけど、いつになったら痛み出すやら分からない。幸い天気はいいので、休憩をしっかり取りながら、身体への負担をなるべくかけないように進んでいこう。



油コブシ(652m)。歩いてくるとピーク感の無い山なんだけど、麓から見ると立派な山の形をしているし、岩に囲まれて三角点もある。



灘の油商人が急坂のため、油を溢してしまうことから名付けられた油コブシ。しかし油コブシを過ぎると、かなり緩やかな道となる。六甲山上駅と今発車したばかりのケーブルが樹々の間から見えてきた。なんとか無事膝が痛むことなく山上駅までは辿り着きそうだ。



六甲有馬ロープウェイ表六甲線の鉄塔。六甲山上駅とガーデンテラスを結んでいたけど、20年以上休止中だ。運開するつもりなどサラサラ無さそうで、鉄塔の塗装も放置されているけど、廃線となると撤去が必要となるので致し方なく休止ということにしているらしい。



先日は休業日だったため、やむなく撤退した百合珈琲。さすがに日曜日は開店している。店からは大阪湾や神戸の街並みがバッチリ見える。とても眺望の良いお店のようだ。



記念碑台へと向かっていると道路の隅に白いものが残っている。記念碑台で森林整備作業をしている方々とお話をしたところ、朝は真っ白だったそうだ。秋はホントに短い。確かに四季から二季に変わりつつある。



旧六甲山ホテル。オーナーの阪急が売却して、今では六甲サイエンスリゾートと名前を変えている。バス停もいつの間にか、六甲山ホテルから六甲サイエンスリゾートと改名されている。



かつて六甲山ホテルの名物だったジンギスカンレストランが今では空のダイニングとして営業していて、今回のスタンプポイントになっている。提供しているのは羊ではなく、ビーフだという。名前や料理が変わっても、ここからの景色は相変わらず素晴らしい。



誰が呼び始めたのか、「六甲のオアシス」藤原商店。何度もお世話になっている。店で買ったものを食べる椅子やテーブルが店の横に設置してくれているのが有難い。暖かい今日はカレーまん。コンビニよりかなり高めだけど、それは仕方ない。


始めて入る神戸六甲迎賓館。どうも敷居が高そうで敷地に入ったこともないけれど、スタンプポイントにもなっていることなので、数年前の開業以来はじめて入構する。基本的にホテルだけど、レストラン、土産物屋。日帰り温泉などがも利用できるようだ。



日陰はまだ相当霜が残っている。木道などはちょっと注意深く歩かないとズルっと滑ってしまいそうだ。



六甲山牧場が近くなってきたせいか、「羊とびだし注意」の標識が現われる。フェンスで囲われているので、さほど頻繁に羊が脱走しているとは思えなないんだけど、一度出会ってみたいだ。



などと呑気に歩いていたんだけど、全く間違った道を六甲山牧場に向けて数百mほども進んでしまっていた。穂高湖に向かうにはこの東屋のところで左折しなければならない。何度もここを右左折してきたというのに、どうして見逃してしまったのか…。



道間違いのショックもあって、急に膝が痛くなってきた。お医者さんの無理しないで、という言葉を反芻するが、この状態になるまでに歩き終えるのがいいのだろう。とはいうものの、こんなトコで止めてもバスもタクシーもやってこない。



穂高湖畔にあるカフェ、シェール・ミエール。初めての訪問だけど、店名の由来はすぐ判る。湖の向こうに、シェール槍が穂高湖の向こうにバッチリ見える。槍とか穂高とか河童橋とか、六甲には北アルプスオマージュが多い。



摩耶山に向けての最後の難所、アゴニー坂。霜柱がしっかりと残っている。急な岩場に疲れ、霜柱の観察を言い訳にして、長い休憩をする。



厄介な岩場だ。膝や股関節の痛みが急激に酷くなってきた。アゴニー坂の由来は知らないけれど、英語のagony(苦痛)をどうしても想起してしまう。高校時代には、「顎に(agony)苦痛のアッパーカット」と覚えていた。



摩耶山天上寺。開創はなんと大化の改新の翌年という超古刹だし、何度もこの前を通るというのに、未だにお参りしたことがない。今日も疲れてしまった。次の機会には是非とも参拝したい。



掬星台。六甲山の眺望ポイントは数多いけど、やはり掬星台の可視界の広さは群を抜いているように思う。既に16時半。夕闇が刻々と近づいてきているようだ。



神戸方面。暗くなってきたし、疲れたし、膝も痛いし、ロープウェイで下山することは決めていたんだけど、ここからの夜景を楽しむためだろう、下山するより、登って来る人が圧倒的に多い。掬星台にいる人の過半がアジア系の観光客のように感じる。



新神戸駅のトレイルステーションでスタンプコンプリートの手ぬぐいをゲット。昨年同様六甲山系をデザインしたものだ。さらに抽選で缶バッジをひとつ。六甲・摩耶・旗振・高取・再度の5つから引き当てたのは、皮肉なことに最も登ることが少ない標高478mの再度山。



距離10.7㎞、登り獲得標高879m。所要時間は5時間24分。結果論だけど、今日の場合、4時間くらいのところで止めるのが身体的には最適だったように思う。登りが効くのか、距離が効くのか、それとも歩行時間が効くのか、少しずつ確かめていかねばならない。



一王山 【六甲山系】

 2025年12月20日


「神戸の山に出かけようスタンプラリー」も既に14のスタンプをゲットし、残るは6つ。どう考えても十善寺にあるカミカ茶寮がポツンと離れていて厄介なのだ。昨年も最後まで残ったカミカ茶寮を所用のついでに取ってしまうべく御影の北にある十善寺にやってきた。



茶寮前にあるスタンプをゲット。これでお終い。って、これでいいのかぁ?ポンコツとはいえ、ハイカーとして情けないことだ。



カミカ茶寮の傍には、一王山という山があるようだ。十善寺の山号ともなっている。今では住宅地化したなかにポツンと残された低山だけに、登山地図にもYAMAPにも表記が無いけれど、ちょっくら登ってみようか。



お店の方に聞いてみると、店頭に置かれた黒板に描かれた怪獣のような図が、一王山の道なんだそうで、ミニお遍路になっているらしい。何の目印もない地図だけど、一本道のようだし、タウンシューズでも楽々一周できちゃうだろう。



十善寺というのは臨済宗のお寺とのことだけど、弘法大師とも縁があるそうで、ミニお遍路が裏山ともいえる一王山に設けらている。



ここが住宅街の真ん中であることを忘れさせてくれるような静かな山だけど、道はまずまず整備されている。



歩き始めて数分で、ベンチのある高台までやってきた。表記はないけれど、間違いなくここが一王山の山頂のようだ。後で調べてみると、標高は134m。とはいえ十善寺の境内が110mほどだったので、24mほど登ってきただけだ。



呑気に山頂までやってきたのはいいけれど、どこでどうしたことか、いつの間にか何だか寂しい道を歩いていることに気付く。YAMAPにも無い道なので、どこを歩いているのかさえ分からない。



道端にはお堂もなく、もはやお遍路道を外れていることは間違いない。ピンクテープがあるので、そちらの方へと向かっていくけど、どんどん怪しくなってくる。下に住宅が見えたので、枯葉でズルズル滑る斜面をズリ下りていくけど、フェンスがあって脱出できない。



下ってきた斜面を登り返すには厳しすぎる坂だ。でも迷ったら登れの鉄則どおり、枯葉に埋もれた斜面を、登れそうな勾配のところを探しながら、時に四つん這いになって登っていく。



なんとか元のお遍路道に辿り着いたとはいうものの、いやはや殆ど遭難状態。そこそこ山歩きは経験も積んできたつもりだし、こんな超低山だというのに、YAMAPが無いとすぐ迷子になってしまうことに愕然とする。



無事下山できたことを感謝して、十善寺本堂をあらためて参拝。スタンプだけ押して退散のつもりが、大変な経験をさせてもらった。山を舐めてはいけない。



距離にすれば1㎞弱。GPSの誤差もあるので、このくらいのミクロな歩行軌跡はあまり参考にもならないけれど、黒板の図と重ね合わせても、どこでどう間違ったのかが判らない。



日光街道(4)栗橋~間々田

 2025年12月11日


日光街道歩き4日め。中一日のウォーキングとなるけど膝が痛い。2日連続で歩くのが辛くなってきた。スタートの栗橋駅のすぐ近くに公園のようにキレイに整備された静御前の墓所がある。義経を追ってきたものの、この地で義経の死を知り、病を得たと伝わる。




すぐ北を利根川が流れているとはいえ、東京湾から数十㎞もあるというのに、栗橋の想定浸水深は5.9mもある。



まだ朝7時ということもあるけれど、空が暗い。街灯は未だ点いている。天気予報では雨が降る確率は低いんだけど、先行きに不安を感じる。遠征ウォークの場合、日程の変更ができないだけに、天気の急変だけは勘弁してもらいたいものだ。



かなり探し回ってようやく見つけた栗橋関所跡の碑。後方は利根川の堤防だ。ここを越えるいよいよ武蔵国から下総国(茨城県だけど常陸国ではない)に入る。散々探し回ったけど、GOOGLEマップにある本陣跡や渡船場跡は見つけることができなかった。



栗橋宿で2つのスタンプをゲットし、埼玉六宿で各2スタンプ、計12個のスタンプをコンプリートした。埼玉の特産品が当選すれば嬉しいけれど、気になるのは一等賞が東武動物公園の入場券ということ。これは貰ってもちょっと困る。



利根川の堤防にあがると、な、なんと富士山が見える。わかるかなぁ、写真でははっきり見えないけれど、写真中央に冠雪した富士山が見える。理屈では解っているけれど、実際に茨城・埼玉の県境から富士山を見るなんて感動ものだ。



これから渡る利根川橋に目を転じると、橋の向こうにも山が見える。筑波山だ。東の筑波、西の富士、という言葉があるとは聞いていたけれど、なるほど、ここから見るとまさにそのとおりだ。広い関東平野で明確に見える山といえば富士山と筑波山くらいなんだろう。



利根川の上流に気球が浮いている。10以上はある。渡良瀬遊水池に熱気球を体験できるところがあるらしい。でも渡良瀬遊水地といえば、熱気球より、複雑に入り組んだ群馬、栃木、埼玉、茨城の4県の県境が気になる。実際現地に行っても県境はないけど、言っていたい。



さすが、日本一の流域面積を誇る利根川だ。河口から100㎞以上もあるというのに、橋の長さは641m。さらに驚くべきは、堆積した川砂の膨大さだ。



利根川を渡ると茨城県。栗橋宿と川を挟んで中田宿がある。当然この2つの宿の間に当時橋などあろうはずがなく、渡船を使うより他なかった。渡船は大正13年に架橋されるまで続いていたという。



もともとは利根川の堤防上にあったという中田宿。現在の中田の街には、中田宿のモニュメントは立っているものの、当時の宿場町の名残りは感じられない。



しかしかつて「中田の松原」として知られた松並木は、形を変えて復活されようとしている。東海道にもない平坦な道に続くきれいな松並木だということで評判は随分高かったらしい。



中田宿に続いて古河宿。室町時代には伊豆の堀越公方が関東の西半分、この地を本拠とする古河公方が東半分を勢力下においていた。江戸時代も、陸路・水路の要地でもあり、江戸の北方を警護するため、譜代大名の有名どころを順次藩主に据えている。



日光社参の折には、将軍を出迎えたという茶屋跡。将軍は、初日は岩槻城、二日目は古賀城に宿泊すると決まっていたらしい。三日目は宇都宮城で、四日目には日光に到着したそうだ。だというのに、こちらは3日半掛かってようやく古賀。江戸時代の旅は実に忙しない。



日光街道と古賀城址の間に古い街並みが広がる。こちらは古賀名物の鮎や鮒の甘露煮を扱っている老舗「ぬたや」だ。



古賀城址には、歴史博物館、文学館、美術館などが配置されている。どこも古い風景とハレーションを起こすことがないよう、建築形式に工夫がなされている。



土産屋が立ち並ぶかつては三神町と呼ばれたエリア。今も土壁の造りの商店や飲食店が並んでいる。城下町でもあり、宿場町でもあった古賀の賑わいぶりが感じられる。



町の北のT字路に立つ道標。日光街道と筑波道の分岐を示すとともに、常夜灯を兼ねたものだ。有名な書家による文字だそうで、古い道標としては圧倒的に読みやすい。



ひどくレトロな郵便ポストがある。差出口が金色のポストって、これまで見た記憶がない。調べてみると昭和初期に製造された、現在日本で僅かに残る最古の現役ポストなんだそうだ。



古河宿を出て野木宿へと向かう。ついに下野国、栃木県下都賀郡野木町だ。広大なキャベツ畑が広がっている。完全に東京通勤圏外までやってきたと感じる。



日光街道のなかでは比較的小さな宿場町だったらしい。それでもこの地の人だけでは宿場町の運営ができなかったため、助郷といって、近隣の村からの助力を得ていたという。本陣跡には、かなり詳細な宿場の説明板が立っている。



馬頭観音が多い。中山道でも甲州街道でもそうだったけど、おそらく街道輸送のための荷駄に多数の馬が使役されていたのだろう。使い潰してしまうようなことも多かったに違いなく、これらの馬を供養しているのだと思う。



間々田宿に近づくと、「乙女」という文字が溢れている。心ときめくような地名だけど、オト(崖・傾斜地)のメ(境目)が由来らしい。



間々田宿は駅の北側にある。旧宿場町の見学は次回回しにして、JR間々田駅から帰宅する。間々田という地名は、まさかとは思ったけど、日本橋と日光の中間地点ということで名付けられたようだ。芭蕉は間々田まで2日で歩いている。



歩行距離20.7km、所要時間は7時間50分。東京、埼玉、茨城を経て、目的地日光と同じ栃木県に入ったというのに、まだ半分。なんだか割り切れない気分もあるけれど、あと4日で日光に辿り着けるのだろうか。