道明寺~玉手山(藤井寺・柏原)

 2026年2月22日


寒さに加えて膝の具合が悪く、しばらく遠出を控えてきたけれど、急に春めいてきた。思い立って藤井寺市の道明寺に観梅に出掛ける。道明寺の駅前にはいつの間にか新しいデザインマンホールがある。主役は大阪夏の陣の真田幸村と道明寺の桜餅と梅(たぶん)だ。



道明寺の参道にもなっている商店街にはピンク色のお洒落なフラグが並んでいる。紅梅の色が生地になっているけれど、個人的には白梅の方が梅らしいと感じる。



道明寺天満宮。道明寺といえば、この天満宮の古都だと思っている人も少なくないようだけど、ここは神社。道明寺粉で有名な曹洞宗のお寺「道明寺」はこの隣にある。もっとも神仏分離令前は同じ境内にあったという。



入園料300円を支払って梅園へ。一見しての印象は、梅の博覧会。同一の品種は2本として無く、様々な品種の梅が1本ずつならんでいるように感じる。



品種によって梅の開花時期は異なると聞いていたけれど、どの梅もほぼ満開時期を迎えているように思う。



赤い花が紅梅、白いのが白梅、と単純に考えていたけれど、どうやら見た目だけで紅梅と白梅の区別はできないそうで、枝の切り口を見ないと判らないらしい。



天気の良い週末ということよりも、春節のせいで梅園はとても賑わっているように感じる。園内で聞こえる言葉は日本語よりも中国語の方が圧倒的に多い。



様々な梅を楽しむことはできたものの、元よりさほど大きな梅園でもなく、20分ほどで観梅は完了。歩いて30分ほどのところにある玉手山公園にも梅林があるということなので、そこに向かうことにしよう。



梅園の出口では猿回しが披露されようとしていた。幸運にもお猿さんに触れることもできそうなポジションで猿回しを堪能。調教師とお猿さんが見事に呼吸を合わせ、時にアクロバティック、時にコミカルな演技を次々と披露してくれる。



玉手山遊園に向け、石川を渡る。玉手橋は1928年に道明寺駅から玉手山遊園地に向かう来場者のために造られた吊り橋。当時のまま橋は残されていて、登録有形文化財に指定されている。



長さ150mほどの吊橋だけれど、揺れはほとんど感じない。歩行者・自動車専用道だけにのんびりと橋の構造を観察しながら歩くことができる。橋脚にはレトロなランプが点いているけど、夜にも歩いてみたいものだ。



道明寺天満宮から20~30分歩いて、1908年に日本で2番目の遊園地として開園した玉手山遊園地だったところだけれど1998年に閉園。その後近鉄から柏原市に譲渡され、玉手山公園「ふれあいパーク」として再スタートしている。



かつての遊園地にはメリーゴーランドや観覧車もあったらしい。ミニ動物園もあったという。でもアクセスが悪く、アップダウンの大きな地形は絶叫マシンなどの大型遊具の設置に不向きであったことから昭和後半から徐々に客足が遠のいたようだ。



遊園地時代の遊具と思しきものが、倉庫の裏手にたくさん積まれているのが、何とも物悲しい。少々修理したところで、かつてのような人気を取り戻すことは難しいとしか思えない旧式遊具…捨てるには惜しいという気持ちも判らぬではないけれど。



見たところ、柏原市に譲渡されて以降、新たに購入したと思われる遊具やベンチは、ただのひとつも無い。まあ下手に予算を使って盛り上げを図るより、昔のものを最大利用して各自適当に楽しんでください、という自然体で公園管理に臨むのが正解なようにも思える。



おもちゃ館・昆虫館と歴史館。これも遊園地当時のものがそのまま残っているようだ。歴史館は大阪夏の陣の解説が中心。どれもこれも古いものだけど、個人的にはとても興味深い。



展望台にも立ち寄る。玉手山は江戸時代から観光名所だったそうで、小林一茶なども立ち寄ったという。桜が山一面に植えられていたというけれど、大和川と石川の合流点、古市古墳群、その向こうには大阪のお城やビル群。一番のウリはこの眺望だったのではなかろうか。



大阪夏の陣で玉手山で戦死した後藤又兵衛の碑がある。堀を埋められ、もはや籠城も難しいと城方諸将のほぼ全軍が出撃したものの、又兵衛ひとりが石川を越えて突出し、奮戦空しく伊達軍に包囲され討死した。又兵衛が暴走したとも言うし、真田などが遅刻したとも聞く。



玉手山には古墳が多数あるようだ。公園内にも発掘された石棺が無造作に置かれている。石川と大和川の合流地点を見下ろす高台というのは、現在の感覚でもこの地の権力者を葬るには適当な場所に感じる。



梅園を見に行くこともすっかり忘れて、玉手山頂上まで来てしまった。標高は70m。今更梅園に戻る気にもなれず、そのまま東へ下山する。



実は玉手山の梅園より、遥かに楽しみにしていたのが、安福寺参道脇にある横穴古墳群。これまで写真でしか見たことがなかったけれど、実際に見てみると今も残る横穴の多さに驚かされる。



2階建になっているところもある。ちょっとした集合住宅のようでもある。弥生末期くらいと思いきや6世紀中頃~7世紀前半に造られたもの。丁度聖徳太子の頃。簡素ながらも意外にも古市の前方後円群より新しいのだ。被葬者がどういう位の人なのか気になる。



その気になれば横穴に入ることは簡単。内部には線状に刻まれた壁画もあると聞く。でもあまりにおっかない。ちょっと覗いてみて判ったことは石棺を奥には十分すぎるほど広いということくらい。



いくつかの横穴はモルタルのようなもので塞がれいる。おそらく落盤とかの恐れのあるものだろう。ここには35もの横穴古墳があるそうだ。見つかっていないものや破壊されたものもあるはずだ。



河内国分駅で距離4.5㎞、所要時間2時間のお気軽ウォーキングは終了。心配していたほどには痛くはならなかったけど、やはり右膝・右股関節の具合は良くない。




日光街道(7)宇都宮~大沢

 2026年1月10日


栃木県遠征3日目。さすがに足腰に疲労が蓄積してはいるけれど、日光まであと1日を残すところまでは進んでおきたい。昨日は暗くなって見逃した日光街道・奥州街道の追分碑を確認し、宇都宮から北西方向へと進んでいく。



東北へと向かう国道4号線を離れ、国道119号線を進む。道路案内標識には「世界遺産 日光の社寺」という行先案内が掲げられている。



しばらく進むと立派な桜並木が始まった。旧街道の名残りなのか、明治以降になって植樹されたものなのかは不明だけれど、かなりの古木だ。



桜並木はいつの間にか杉並木と変わった。中央に上下一車線ずつの車道、左右に杉並木、車道より一段高いところに、あまり車の通らないローカル道がこれまた左右に設置されるという重厚かつ贅沢な構成だ。



上戸祭の一里塚。こんもりとした小山に一本の石標が立っていて塚木は無い。周囲は木柵で囲まれていて、それなりに大切に保護されているようだ。



桜になったり、杉になったり、松になったり、時々途切れはするけれど、街路樹が続く。これはケヤキなんだろうか。街路樹の歴史を知りたいのだけれど、調べてもよくわからない。



日光まで21㎞とある。それくらいなら1日で歩けそう、この辺りで止めとこうかとの思いが頭を過る。でも、ここで言う日光とは市役所がある今市のはず。最終目的地の東照宮は、さらに10㎞先だ。ということは、あと10㎞は今日のうちに歩かねばならない。しんどいぞ。



疲れているのに、「若竹の杜」という広大な竹林を有する農園観光施設が気になって、国道を外れて西へと進んでいく。施設に近づくと植林が急に変わり、竹林ばかりとなってきた。



若竹の杜に到着。竹林散策だけではなく、レストランや工芸体験など様々な非日常体験ができるようだ。無料と勝手に信じ込んでいたものが入場料750円。まだ先は長いのに竹林散策する余裕もないし、竹林はここに来るまでに十分見た、ということで入場は見送ってしまう。



国道119号線に戻り、街道歩きを再開。車道の脇にあった側道は、自転車歩行者優先道となり、さらに歩きやすくなり、普段の国道の歩道歩きとは快適さがまるで違う。自転車歩行者優先というけど、自動車が進入できる道ではないし、歩行者さえ滅多に見かけない。



接合井というものらしい。大正時代の煉瓦造りの古い構築物だ。日光から宇都宮への導水管の圧力上昇を防ぐための貯槽のようなもののようだ。日光と宇都宮の標高差は500mほどもあるためだ。この先の道、登りが厳しくなることを暗示する施設だ。



徳次郎(とくじら)宿に近づくにつれ、周囲は田園地帯となってきた。寒いとはいえ、空は真っ青。相変わらず街路樹が並ぶ道はさらに快適になり、溜まった疲れを癒してくれる。



大きな垂れ幕がある。町名が「とくじろう」から「とくじら」に戻ったことを祝うものだ。元々「とくじら」だったものが、戦後宇都宮市に編入された際に、なぜか「とくじろう」とされたという。地元からの歎願で、昨年ついに古い町名の読みが復活したそうだ。



今ではすっかり長閑な田舎町の雰囲気だけど、かつての徳次郎宿は、上、中、下の三宿で構成され、本陣3軒、脇本陣4軒、旅籠72軒と、日光街道最大規模の宿場町だったという。



本陣などは残っていないけれど、三棟が連結された石造りの見世蔵が今も残されている。土蔵の技術を応用して作られた日本の伝統的な店舗兼住宅建築だ。ここは、肥料、穀物から呉服、薬品に至る様々な生活物資を取り扱うスーパーのような店だったらしい。



智賀都神社。徳次郎の鎮守。参道入口にある2本のケヤキは樹齢700年とのこと。「日本一の夫婦けやき」の幟が翻っている。



石那田の一里塚。江戸から数えて三十里となる。塚木は無く、一里塚とだけ書かれたシンプルな石碑が立てられている。



行く手に見えるのは、間違いなく男体山だ。山頂から谷筋にかけての積雪が見える。男体山の右手にあるほぼ同じ標高の山のは女峰山に違いない。目指す日光東照宮はあの山の麓にあるはずだ。



「海老王子」バス停。海無し県にはあり得ないような地名。以前テレビ番組が調査していたけど由来不明。「王子」は熊野古道の遥拝所と同じじゃないかとも思うけど、「海老」の説明がつかない。川海老かなぁ…。実は「えびうち」と読み、バス停以外は「恵美内」らしい。



以外なことに徳次郎以北には、リンゴ園がいくつも登場する。リンゴ狩なんかもやっている。栃木といえば、日本一の生産量を誇るイチゴをはじめ梨や栗などが知られているけど、リンゴも少なくないようだ。



ついに日光市に入る。とはいっても広大な市域なので、東照宮まではまだ20㎞ほどあるはずだ。でもついに来た、との感慨は小さなものではない。



大沢宿を目標にしていたけれど、大沢並木道入口というバス停で終了。このバスに乗らないと帰宅の電車に間に合わない。ほぼ大沢宿といってもいいだろう。並木入口とあるけれど、有名な日光杉並木は見えず、ここまで続いていた街路樹も途切れたところだ。



宇都宮に戻り、電車の待ち時間を利用してLRTを見に行く。思っていたより、かなり格好良く、快適そうだ。チンチン電車がちょっと進化した程度との認識は大いに改めねばならない。多くの都市が宇都宮のLRTに大注目していることが良くわかる。



近代的なLRTの駅の脇には、日本初の横綱とされている明石志賀之助の像が立っている。江戸時代初期の伝説級の人物で、身長2.2~2.5mの超巨漢と伝わるだけに実在したかどうかも怪しいとまで言われるけれど、宇都宮出身の大ヒーローとしてこの場所に相応しいと思う。



7時間かけて20.6㎞。3日めにしては良く頑張った。獲得標高も180m、とこれまでほぼ平地歩きだったのが、関東平野の端っこに到達した感がある。日光東照宮まではおそらくあと17㎞ほどのはず。一日で充分歩ける距離だけど、500mくらいは登らないといけない。