貝塚・岸和田博物館めぐり(タコタコスタンプラリー)

2020年2月29日(土)


泉州の15のミュージアムを対象とした「タコタコスタンプラリー」が開催されている。この地域で獲れるタコをタイトルに採用するのはいいけど、いまいち主旨がよく判らなくなっている。何となく気になる貝塚・岸和田の施設を4ヶ所巡り、コンプリートを目指す。



南海本線二色浜駅から出発。南海も徐々に高架工事が進んでいるけど、ここは未だ平面駅だ。電車を降りてすぐ改札が出れるなんてことに、ちょっと嬉しくなってしまうようにになった。



二色浜海岸。二色とは海の青と松の緑だという。浜寺や助松などの海水浴場が臨海工業地帯建設を目的とした埋立で姿を消した後も、長らく海水浴場を維持し続けてきたが、その間海浜公園が美しく大整備されるとともに、高速道路の高架が海浜を貫いた。良くも悪くもかつての光景とは大きく変化している。



貝塚市自然遊学館。海浜公園の端っこ、貝塚二色パークタウンとの境にちょっと凝った造りのミュージアムがある。ここが最初のスタンプポイントだ。



なんだか馬鹿でかい骨格標本がある。貝塚とは関係のないものも展示されているのか、と思ったら、貝塚の海岸に打ち上げられたスナメリだ。アンモナイトの化石も市内で発掘されたものだ。ひとつの市だけでも、これだけの生物が集められることに驚く。



海岸エリアから南海本線を越えて内陸部へ。貝塚市役所の近くに市立図書館がある。ここの2階が貝塚市郷土資料展示室になっているのだけど、月末の書棚整理のため図書館は休館。郷土資料展示室にも入れなかった。



水間鉄道。南海貝塚駅から水間観音駅まで、貝塚市内を南北に貫く鉄道だ。かつては大胆にも和泉山脈を超えて和歌山県の粉河まで延伸する計画があったと聞くが、今やあり得ない。経営は苦しいと聞くけど、頑張ってもらいたい。



水間鉄道は車両から自動改札機に至るまで南海のお下がりを使っていて、とても懐かしい思いがする鉄道だ。水間鉄道が設置しているのではないのだろうけど、踏切注意の道路標識も最近はほとんど目にしなくなった蒸気機関車の図柄だ。



JR東貝塚駅の近くに社会人野球の強豪、日本生命のグランドを発見。立派な室内練習場もある。かつてはプロ野球も使用する日生球場、その後グランドは江坂へ、そして最近貝塚へと移転した。都市開発に追われるようにどんどん郊外に追いやられているようだ。



日生のグランドの隣に貝塚市歴史展示室(ふるさと知っとこ!館)がある。ここは東洋の魔女で有名な日紡貝塚の工場があったところだ。



貝塚の歴史も興味深いが、目を引くのは1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得したバレーボールチームの偉業を称える資料室だ。昨年の大河ドラマ「いだてん」で随分と世の中の注目を集めたはずだけど、最近資料室を改装・拡充したような気配はない。



貝塚の対象施設3館(うち1館は休館)を巡り、引き続いて岸和田市の施設に向かう。その前に南海蛸地蔵駅に立ち寄る。タコタコスタンプラリーというくらいだから、こんなところも紹介してほしかった。秀吉の時代、タコの大群が現れて寡兵で守る岸和田城に攻めかかる敵軍を追い払ったという伝承をステンドグラスに描いている。



蛸地蔵駅の近くにある天性寺。岸和田城の守将、中村一氏がタコの大群を率いた法師に感謝してお祀りしたと伝わる。最近改装されてすっかり綺麗になった。



ここの絵馬はタコ。岸和田の人はタコに感謝してタコを食べない、なんてことを昔聞いたことがあるけれど、そんなことも無いようだ。商店街にはタコ焼き屋がたくさん店を開いている。



あいにく振り出した雨のなか、紀州街道を進む。ここに来るたびに少しずつ旧街道の雰囲気が復元されてきているように思う。



岸和田だんじり会館に入る。ここもスタンプラリーの対象施設だ。岸和田のだんじりがいくつも展示されている。各地域のだんじりの違いなど、興味深い展示が多い。



岸和田城。復元天守とはいえ、広い堀なども残り、なかなか立派な城郭だと思う。今は三層の天守閣だが、かつては五層を有していたと聞く。



何度も入城したことがある岸和田城だけど、今回再訪したのは、あの明智光秀の現在に伝わる唯一の肖像画が公開されているからだ(実物は撮影禁止だった)。付記されている戒名「輝雲道琇大禅定門」の「輝」と「琇」の二字に「光秀」が隠されているという。



岸和田城でいつも見入ってしまうのが「八陣の庭」。あの諸葛孔明が石兵八陣の計で、呉の陸遜を退却させたという魔法のような話を具現化したものだという。いくら見ても理解不能なのだが、ミステリアスな形状が、いかにも、という気にさせられる。



きしわだ自然資料館。3階建ての立派なミュージアムだが、大きな看板などもなく、これまで全く気付かずに前を通り過ぎていた。内部には岸和田の水陸の動植物の展示が多い。



最近よく耳にする、ちりめんじゃこの中から様々な小さな生き物を探す「チリメンモンスター」も楽しめる。もっとも最近の市販のちりめんじゃこは、品質管理が厳しく、モンスターの発見は難しくなっていると聞く。



3Fには個人から寄付された大小の標本が並んでいる。触るなとも書かれていないので、クマの標本に岸和田の三館共通入場券を持たせて記念写真を撮る。趣味の悪いことをしてしまった…。



結局5館に入場し、タコタコスタンプラリーもコンプリート。ご褒美にタコの缶バッジをいただく。



岸和田駅への帰路、明智光秀の肖像画を保有する本徳寺に立ち寄るが、意外に小規模なお寺だったけど、改修中で内部は窺い知れなかった。この寺を開基したのが光秀の実子だと伝わるらしい。



本日の歩行軌跡。15kmくらい歩いたことになっているけど、各ミュージアムをかなり丁寧に見学したこともあり、あまり運動にもならない細かな移動が多く含まれていると思う。



知明湖・山下城址(川西)

2020年2月24日


まだ寒さが残るなか、どうも出かけるのが億劫になってしまうが、ネットで入手した能勢電鉄の過去のハイキングマップから、これまで行ったことのない川西市の山下城址などを歩いてみよう。



スタートは能勢電鉄の日生中央駅。日生線の終着駅だ。かつて日本生命が阪急とともに開発したニュータウンの中核として建設された駅だ。



日生中央駅は猪名川町だけど、しばらく歩くと川西市に入る。



広い幹線道路を外れて、一庫の旧道に入る。日生中央駅を中心としたニュータウンとは対照的に、漆喰の白壁、石垣、木塀…、古い日本の風景が残されている。



一庫の集落を抜け、一庫ダムへの道を上っていく。坂の向こうにダム下流側の巨大な壁が見えてきた。



一庫ダムの完成により出来た広大な水域が知明湖だ。水力発電用ではなく、治水・利水用だけど貯水量はなんと3300万トン。今は釣りとかキャンプとかが楽しめるエリアになっているけど、この湖の底には多くの家々が眠っていることを忘れてはならないだろう。



ダムカードをもらおうと広報館を訪ねたが、なんと冬季は閉鎖しているようだ。やはりアウトドアを楽しむために冬場にこの知明湖を訪ねる人は少ないのだろう。



北摂里山街道の井補野トンネルを抜けてダム下流側に戻っていく。夏のトンネルは涼しいけれど、冬のトンネルは風もなく暖かい。



一庫ダムから流れ出る川は一庫大路次川(ひとくらおおろじがわ)という大層な名前が付いている。ダムの貯水量の割には、川幅は狭く、自然もそのまま残されているように見える。ダムからの放流水はどうなっているのだろうか。



一庫ダムから東に進み、山下城址にやってきた。道の傍まで城址の遺構が迫ってきている。室町時代後期、畿内が三好氏を中心とした大混戦状態にあったときに、この城でも激しい戦闘が繰り広げられたというが、土塁や堀切などの遺構が良く残されているという。



城郭は標高188mの小山の上に築かれていたらしく、主郭の周囲には曲輪がいくつも配置されていたという。小山の頂上に向けて整備された登山道を進む。



このあたりが主郭だったようだ。獅子山ノ城阯と書かれた石碑がある。調べてみると、この城は、どういう訳か異名が多く、山下城、獅子山ノ城以外に、龍尾城、一庫城、塩川城、多田城という名でも史書に登場するらしい。



不思議な計器が、頂上付近に数多く設置されている。イノシシなどの害獣に対するセンサーみたいなものだろうか。それにしては、ちょっと位置が高いような気がする。ひょっとして人間を監視するものかもしれず、そそくさと退散する。



山下城阯から南に向けての景色。北・東・西は山なので、南側から来る敵だけを見張っていればいい立地だ。三好長慶もこの城を攻め落とせなかったという。



城山のふもとでは、桜の花(たぶん)が綻びはじめている。出発当初は肌寒く感じていたけど、花や青空を見ているとなんだか身も心も暖かくなってきたような気がする。



川西市郷土館。もとは銅の精錬を生業としていた大正時代建築のお屋敷をそのままに利用した博物館・美術館だ。



山下城址から川西市郷土館に立ち寄るために、能勢電マップと異なる道を歩いたのだけど、なかなか本来の道に戻ることができない。まあ、景色もいいし、のんびりと進んでいくことにしよう。



本来の道に戻るためには、とにかく北へ行けばいいと考え、山の中に入り込む。静かな木立のなかにお堂などがあったりして、これはこれで面白い道なんだけど、一体どこに続く道なんだろう。



進めば進むほど山道は険しくなり、もはや道ではなくなってきた。さすがに引き返すしかない…。



北がダメなら、東に進むしかない。用水路に沿ってちょっと頼り無さげな道が続いているが、方向的にはこの道を進めば能勢電の光風台駅方面に続いているはずだ。能勢電マップには光風台駅が記載されているので、駅からなら本来の道に戻れる。



嫌な予感がしてきたぞ。用水路の右側に川が現れた。川の向こう側に線路が通っているはずなんだけど、川を渡ることができるだろうか。



ついに行き止まりになってしまった。川幅はさほど広くないが、無理に渡ったところで、崖をよじ登らなければ進むことができない…。グーグルで確認すれば光風台駅は200mほど先でしかないんだけど、来た道を戻るより他ない。



結局用水路沿いの道を2㎞ほど戻って、住宅が見えるところまで戻ってきた。当初予定とは全く異なるが、光風台駅に向かうことは諦めて山下駅に戻って今日はお終いにしよう。



住宅街で目に付くのは、ビンの分別回収のボックスがアチラコチラにあること。色によって3つのボックスが用意されている。ビンの色で分別しているところは、あまり知らない。それに常設のビン回収ボックスが彼方此方で目に付くことも他に例を知らない。



本日の歩行距離は11㎞。予定どおりには歩けなかったけど、これはこれで楽しい。山道では一度違う道を進んでしまうと軌道修正することは容易ではないことを改めて思い知る。来た道を戻って誤ったところからやり直すのが結局のところ最善策になることが多い。