日光街道(5)間々田~自治医大

 2026年1月8日


日光街道歩き5日め。6時前の始発バスで自宅を出て、間々田駅着は11時。到着早々、駅近くの蕎麦屋で昼食を摂ったものだから、歩き始めたのは正午前。初日は宇都宮までの半分、20㎞ほどを歩くつもりだったけど、早くも計画が甘さが露呈。でも寒いながらも天気は良い。



間々田駅からしばらく歩くと「逢いの榎」。日光街道の中間地点にあった2本の榎の大木を「間の榎」と呼び、縁起の良い「逢」の字が宛てられたらしい。「愛」にも通じるし、ちょっとしたパワースポットともなりそうなトコなんだけど、肝心の榎の大木はもうない。



間々田宿本陣跡。今では電気屋さんの駐車場になっている。案内板があるけれど、内容は「本陣」についての一般的な説明で、間々田宿に関する記載ではない。小山市ってトコは、あまり旧街道や旧宿場町というものに力を入れていないような気がしてきた。



大した見どころも見つからないまま、8㎞ほど歩いて次の旧宿場町である小山宿にやってきた。ガイドブックによればここが脇本陣跡のようだけど、明治天皇の行在所との石碑だけが立っていて、脇本陣であったことには触れられていない。



市の中心部にやってきた。日光街道(今では国道4号線)に「小山宿通り」と書いた細い標識が立っている以外に旧宿場町を感じさせるものはない。栃木県第二の都市ではあるものの、旧宿場町が完全埋没するほどの戦災も都市開発も無かったように思うけど…。



小山市のマンホールは、馬三頭が巴状に配置されたもの。馬の名産地という訳もなく「小山市特有のものにとらわれずに公募作品の中から選んだ」そうだ。そりゃ自治体の勝手だけど、PRすべき名物や風景を苦労してデザインする町が殆どだというのに、変わった市だ。



さすがにマズイと思ったのか、最近作成されたというマンホールを発見。今度は町の名物を12個も詰め込んでいる。牛、豚、麦、桜、川、酒、新幹線…。「小さな自慢が山ほどある」とのキャッチコピー。でも、これは「大したものは何も無い」と言っているのと同じなのだ。



小山と言えば、会津征伐に向かう家康が、石田三成挙兵の報を受け、諸大名に諮って西に戻ると決した「小山評定」。関ヶ原での勝利や徳川政権樹立を決定づけたと言っても過言ではない。市役所前に石碑はあるけど、一般受けするエンタメ要素があっても良いのではと思う。



小山市の基礎を築いたと言えるのは、鎌倉~室町時代に関東屈指の有力氏族として隆盛を誇った小山氏。平将門の乱を平定した藤原秀郷の後裔だという。利根川支流の恩川の東にかつての小山城(祇園城とも呼ばれるらしい)にチョコっと登ってみる。



今では公園となっているけれど、当時の堀切や土塁が残り、いくつかの曲輪が確認できる。戦国時代には、上杉と北条の間にあって両者に翻弄されながら、次第に没落してしまった。標高も低く、あまり防御力が高い城とは思えないけれど、それより敵が巨大すぎた。



思いもかけず、三角点を発見。標高40mの城山だ。最近全く新しい山に登頂することがなかったけれど、久しぶりのピークハントだ。



小山と高崎を結ぶ両毛線の踏切には、「奥州街道踏切」とある。奥州街道と日光街道は、日本橋から宇都宮までは重複しているので、この道を奥州街道と呼んでも日光街道と呼んでも良いのだけれど、北に進むにつれて奥州街道の表記が目立つようになってきた気がする。



喜沢にある男体山の碑。日光の西に聳える男体山は地域の信仰の対象なのだろう。碑の下に小さく「右奥州、左日光」の文字がある。日光街道は右なのだけど、左の壬生道の方が少々近道に見える。奥の細道の芭蕉もどうやらここから壬生道で日光に向かったようだ。



ガイドブックに従って、国道4号線とそれに並行する脇道を交互に歩く。おそらく当時の日光街道に最も近い道になっているのだろう。しばらく2階建てのようになっている東北新幹線とJR東北本線に沿って進む。時折頭上で轟音を響かせて新幹線が通過していく。



新田宿。「にった」ではなく「しんでん」と読む。今では新田という地名は残っておらず、羽川という町名なので、街中に設置された旧街道風の灯篭には、「羽川新田宿」と記されている。



新田宿の本陣跡。格式が高い四脚門だけが残されている。とても気になるのだけれど、今は民家の玄関となっているだけに、あまりジロジロと観察する訳にもいかないし、説明板も何もない。



「幕府代官陣屋跡」とか「奥州道中新田宿羽川」といった看板が道端のプレハブの横に立っている。そう、立っているだけなのだ。遺構らしきものは見当たらないし、説明も何も無い。最後の最後まで小山市にガッカリさせられながら、下野市に向かって北上する。



下野市にある小金井宿へと向かう。国道4号線を離れて住宅街へと導かれるが、驚いたことに、幅広の舗装道が車両通行止めになっている。旧街道だからではなく、住民の安全性や快適性のためなんだろうけど、とても快適で贅沢とさえ思える街道歩きが2㎞ほども続く。



小金井の一里塚。道筋が変わって、東塚も西塚も同じ公園のような空地の敷地内にある。元は一辺12mの方形だったそうだけど、長い年月を経て塚は崩れてしまっている。しっかりと保存復元された一里塚も良いけれど、往時のまま残されている一里塚もとても興味深い。



手前が東塚。奥に見えるのは西塚のようだ。東塚には、木が2本生えているけれど、元々そうなのかはわからない。調べてみると榎とかクヌギとか書いてあるけれど、何が正しいのか、植物に疎いだけに実物を見てもよく判らない。



「くたびれた奴が見つける一里塚」は秀逸な江戸川柳だけれど、確かに随分と疲れてきた。それでなくとも、こんな一里塚なら、しばらく座り込みたいものなんだけど、あまりに寒く、どんどん暗くなってきた。



小金井宿の本陣跡。立派な四脚門には「小金井宿本陣」の表札が掲げられているのだけれど、門以外はコンクリートの壁に囲まれていて内部を窺うことは難しい。とても広い敷地のようだけど内部に建物はほとんど無いように見える。



17時、JR宇都宮線(東北本線)の自治医大駅で本日は終了。無医村が増えてきたことに危機感を持った都道府県が共同して設立した医科大学で昔から注目していたけど、こんなトコにあったんだ。遺跡が多く「東の飛鳥」を標榜する下野市らしく駅前には埴輪が並んでいる。



餃子は宇都宮までお預けのつもりだったけど、投宿した小山にも餃子を提供する店は多数。地域の歴史をあまり評価していないように思える小山市には不満は多いけど、餃子は旨かった。



何の変哲もない一本道の軌跡。歩行距離20.2㎞と初日のノルマは達成できた。膝は万全とは言えないけれど、まだ痛いというほどではない。所要時間は6時間20分。



油コブシ~掬星台【六甲山系】

 2025年12月27日


神戸に出かけようスタンプラリーも残るところ6スタンプポイント。今日こそは最終日とすべく六甲ケーブル下までバスでやってきた。先日、整形外科の診断で右股関節と右膝が変形関節症になっていることが判明。無理せず、騙し騙しやっていくしかないとのことなのだ。


ケーブル駅にやってくるまで、ケーブルに乗るか、あるいは歩いて登るか、悩みに悩んでいたんだけど、意を決して油コブシルートで六甲山上を目指すことにする。いきなり、ホントに行くのか?と試されているような長く険しい階段が現われる。



数年前に初めて出会った際には腰を抜かすほど驚かされた「コロナに負けるな」の人形。当時はリアルな人形だったのが、月日の経過は残酷で、今では幽霊のようにさえ見えるようになってきた。そろそろお役御免にしてあげたいものだ。



今のところ股関節も膝も調子は悪くないけど、いつになったら痛み出すやら分からない。幸い天気はいいので、休憩をしっかり取りながら、身体への負担をなるべくかけないように進んでいこう。



油コブシ(652m)。歩いてくるとピーク感の無い山なんだけど、麓から見ると立派な山の形をしているし、岩に囲まれて三角点もある。



灘の油商人が急坂のため、油を溢してしまうことから名付けられた油コブシ。しかし油コブシを過ぎると、かなり緩やかな道となる。六甲山上駅と今発車したばかりのケーブルが樹々の間から見えてきた。なんとか無事膝が痛むことなく山上駅までは辿り着きそうだ。



六甲有馬ロープウェイ表六甲線の鉄塔。六甲山上駅とガーデンテラスを結んでいたけど、20年以上休止中だ。運開するつもりなどサラサラ無さそうで、鉄塔の塗装も放置されているけど、廃線となると撤去が必要となるので致し方なく休止ということにしているらしい。



先日は休業日だったため、やむなく撤退した百合珈琲。さすがに日曜日は開店している。店からは大阪湾や神戸の街並みがバッチリ見える。とても眺望の良いお店のようだ。



記念碑台へと向かっていると道路の隅に白いものが残っている。記念碑台で森林整備作業をしている方々とお話をしたところ、朝は真っ白だったそうだ。秋はホントに短い。確かに四季から二季に変わりつつある。



旧六甲山ホテル。オーナーの阪急が売却して、今では六甲サイエンスリゾートと名前を変えている。バス停もいつの間にか、六甲山ホテルから六甲サイエンスリゾートと改名されている。



かつて六甲山ホテルの名物だったジンギスカンレストランが今では空のダイニングとして営業していて、今回のスタンプポイントになっている。提供しているのは羊ではなく、ビーフだという。名前や料理が変わっても、ここからの景色は相変わらず素晴らしい。



誰が呼び始めたのか、「六甲のオアシス」藤原商店。何度もお世話になっている。店で買ったものを食べる椅子やテーブルが店の横に設置してくれているのが有難い。暖かい今日はカレーまん。コンビニよりかなり高めだけど、それは仕方ない。


始めて入る神戸六甲迎賓館。どうも敷居が高そうで敷地に入ったこともないけれど、スタンプポイントにもなっていることなので、数年前の開業以来はじめて入構する。基本的にホテルだけど、レストラン、土産物屋。日帰り温泉などがも利用できるようだ。



日陰はまだ相当霜が残っている。木道などはちょっと注意深く歩かないとズルっと滑ってしまいそうだ。



六甲山牧場が近くなってきたせいか、「羊とびだし注意」の標識が現われる。フェンスで囲われているので、さほど頻繁に羊が脱走しているとは思えなないんだけど、一度出会ってみたいだ。



などと呑気に歩いていたんだけど、全く間違った道を六甲山牧場に向けて数百mほども進んでしまっていた。穂高湖に向かうにはこの東屋のところで左折しなければならない。何度もここを右左折してきたというのに、どうして見逃してしまったのか…。



道間違いのショックもあって、急に膝が痛くなってきた。お医者さんの無理しないで、という言葉を反芻するが、この状態になるまでに歩き終えるのがいいのだろう。とはいうものの、こんなトコで止めてもバスもタクシーもやってこない。



穂高湖畔にあるカフェ、シェール・ミエール。初めての訪問だけど、店名の由来はすぐ判る。湖の向こうに、シェール槍が穂高湖の向こうにバッチリ見える。槍とか穂高とか河童橋とか、六甲には北アルプスオマージュが多い。



摩耶山に向けての最後の難所、アゴニー坂。霜柱がしっかりと残っている。急な岩場に疲れ、霜柱の観察を言い訳にして、長い休憩をする。



厄介な岩場だ。膝や股関節の痛みが急激に酷くなってきた。アゴニー坂の由来は知らないけれど、英語のagony(苦痛)をどうしても想起してしまう。高校時代には、「顎に(agony)苦痛のアッパーカット」と覚えていた。



摩耶山天上寺。開創はなんと大化の改新の翌年という超古刹だし、何度もこの前を通るというのに、未だにお参りしたことがない。今日も疲れてしまった。次の機会には是非とも参拝したい。



掬星台。六甲山の眺望ポイントは数多いけど、やはり掬星台の可視界の広さは群を抜いているように思う。既に16時半。夕闇が刻々と近づいてきているようだ。



神戸方面。暗くなってきたし、疲れたし、膝も痛いし、ロープウェイで下山することは決めていたんだけど、ここからの夜景を楽しむためだろう、下山するより、登って来る人が圧倒的に多い。掬星台にいる人の過半がアジア系の観光客のように感じる。



新神戸駅のトレイルステーションでスタンプコンプリートの手ぬぐいをゲット。昨年同様六甲山系をデザインしたものだ。さらに抽選で缶バッジをひとつ。六甲・摩耶・旗振・高取・再度の5つから引き当てたのは、皮肉なことに最も登ることが少ない標高478mの再度山。



距離10.7㎞、登り獲得標高879m。所要時間は5時間24分。結果論だけど、今日の場合、4時間くらいのところで止めるのが身体的には最適だったように思う。登りが効くのか、距離が効くのか、それとも歩行時間が効くのか、少しずつ確かめていかねばならない。