歴史街道BINGOdeラリー(千林~中之島)

2014年6月29日(日)



関西5私鉄5社「歴史街道BINGOdeラリー」が開催中だ。5私鉄沿線の各5つのスタンプポイントで、タテ・ヨコ・ナナメのいずれか一列が揃うようにスタンプを集めれば賞品に応募できるというものだが、関西一円に散らばったスタンプポイントをどのように歩き回っても一列揃えることは容易ではないため参戦を躊躇っていたが、気が付けば開催期間はあと半月しかなくなっていた。



今日は試しに手近なスタンプポイントをいくつか歩き回ることにして、京阪千林駅にやってきた。千林商店街は大阪でも屈指の活気のある商店街として知られるところ。このあたりに、かつてダイエーの1号店があったはずだが、詳しい場所が判らない。



駅から商店街を3分ほど歩いていると、道端に唐突にスタンプポイントが現れた。早速最初のスタンプを押していると、後ろで待っている人がいた。手にしたスタンプ台紙を見ると、既に10個以上のスタンプが押されていた。明らかにコンプリートを目指しているようだ。



 スタンプポイントの傍に、千林商店街「発祥の地」のプレートがある。現在の京阪千林駅から西に200mほど入ったこの場所に、1910年に最初の停留所が設置されたそうだ。今となっては、ここを電車が走っていたことなど信じられないほどに、商店や住宅が密集している。



惰性で京阪の線路に沿うように旧京街道を南西に向かっていたが、考えてみれば次のスタンプポイントは天神橋筋六丁目。京街道をこのまま進めば京橋に向かってしまう。




旭区を東西に横切るように流れる城北運河。運河の上には阪神高速守口線が覆い被さっている。



関目神社の境内に「関目発祥の地」なる石碑を発見。野江から関目にかけて、豊臣秀吉が大阪防衛のために、京街道を七曲りと呼ばれる曲がりくねった道筋にしたとの伝承があるが、ここ関目は、その京街道の通行を見張るための番所があったところらしい。





4年後には新大阪まで開通予定の「おおさか東線」の高架を潜る。複線仕様ながら結局最後まで単線のままで終わった城東貨物線を転用するものだが、おそらく線路を設置されないままだった片方の下部鉄板は腐食が酷い。下から見ると透けて空が見えるほどだ。



このスタンプラリー、どういう訳か「11時から16時まで」と開催時間が明記されている。色々と都合もあるのだろうが、真夏にウォーキングするには辛い時間帯だ。都島区に入って、野江国道筋商店街を進む。深いアーケード状の庇が日射しを遮ってくれて有難い。



地下鉄都島駅への入口の上に、農業用水路の水門が保存されている。かつて、この辺りは、淀川の水利に恵まれた田園が広がる地域だったらしい。




大川を渡る。近くに漕艇倉庫がある大阪市立大学の学生たちだろうか、ボートの練習をしている。漕艇は最もキツイ競技のひとつだとは判ってはいるが、暑い最中だけに、とても気持ち良さそうにも見える。



地下鉄谷町線の工事中に起こった天六ガス爆発の慰霊碑が、天六交差点近くの国分寺公園にある。もう44年も前のことになるが、今も多くの花が供えられている。



かつては阪急のターミナルだった天六。長らく古い駅舎を再利用した商業施設があったのだが、最近スーパーと高層マンションに建て替えられてしまった。



スタンプポイントになっている「大阪くらしの今昔館」。かなり手の込んだ施設だが、市政改革のなかで存廃の渕に立たされていたはず。年に1度くらいの割で訪問しているが、いつもにも増して来場者が多いように感じた。良い施設なので、残してもらえれば嬉しいんだけど。



南北に長く続く天神橋筋商店街から分岐するように西に伸びる天五中崎通商店街。賑わう天神橋筋商店街とは対照的に、人通りが少ない。アーケードは明るい色づかいなんだけど、休日のせいかシャッターが閉まったお店が多い。



扇町公園はかつて大阪における競泳のメッカだったところ。おそらく当時のものだろう。スタート台が8コース分、公園のベンチ?として、再活用されている。背泳ぎで使われるスタート台の取っ手も、そのまま残されている。



次なるスタンプポイントは大阪市立科学館。堂島川沿いには、いい感じの遊歩道が整備されている。中之島を巡る遊歩道も、ほぼ完成に近づいてきたようだ。




大阪市立科学館。なかなかカッコいい建物だ。くらしの今昔館も、この科学館も、有料施設。入場料を払って見学するつもりだったのだが、いずれも入場ゲート外にスタンプ台は設置されていた。日をあらためて、ゆっくり見学することにしよう。



元気と時間があれば、4つめのスタンプポイントのアベノまで歩くのだが、昨日のゴルフ疲れに、暑さもあって、もう歩く気がしない。今日ゲットしたのは、わっずか3つのスタンプ。ビンゴにつなげるためには、タテ、ヨコ、ナナメ、いずれにしても、あと3ヶ所は必要。さて、どうしたものか・・・。




スマホのアプリのおかげで、歩いた道程がはっきりと記録できるようになった。なかなかの優れものだ。




まとめ


歩行距離   9.7km
所要時間   133分 (2時間13分)
歩数      14800歩

【当選】近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリー

2014年6月24日(火)


昨年秋から今年初めにかけて、全10コースを完歩した、近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリー(通称「沿線散歩」)の「完歩賞」の当選通知が届いた。賞品は1000円分のスルッと関西カード。昨年も全く同じ絵柄の賞品を貰っている。



それにしても、このスタンプラリーの当選確率は異様に高い。毎年参加しているが、当選確率は8割くらいになるのではなかろうか。各駅にドッサリ、地図付きの冊子を置いて、ポスターもバンバン貼っているのに、参加者は少ないのかなぁ・・・。色々と改善要望もあるが、イベント枯れの冬場のウォーキングにはモッテコイなのだ。

それにしても、例年、スルッと関西カードは阪神電鉄のもの、賞品の発送は山陽電鉄から、と役割が決まっているようだ。気のせいか、PRも含めて、近鉄の腰が引けているような気がしてならない。今後もいい形で続けてもらいたいものだ。




名古屋城(日本どまんなかお城スタンプラリー)

2014年6月21日(土)


名古屋に出張の機会を利用して、名古屋城を訪問する。小学生の頃に来たはずだが、50年近くも前のことだけに、何も覚えていない・・・。正面入口にある案内所で、「日本どまんなかお城スタンプラリー」の台紙を発見。NEXCO中日本が主催しているものだ。



ここまで来て、スタンプラリーをするつもりは無かったのだが、せっかくなので名古屋城のスタンプをゲット。もっとも中部地方の20もの城がスタンプポイントになっているが、今日は他の城を訪れる時間も無いし、今後の予定も無い・・・。



天守閣は反りのある高石垣の上に聳え立ってる。加藤清正が受け持ったため、この扇勾配は、特に清正流三日月石垣と呼ばれているようだ。加藤清正や藤堂高虎は、築城の名手などと称されているが、本人が設計技師であったとも思えない。おそらく優秀な土木技術者を多数抱えていたのだろう。



高石垣を取り囲む空堀に、どういう訳か鹿が棲みついている。こんな大都会で、まさか迷い込んだということはないだろうが、わざわざ飼っていると考えるのも不自然だ。



名古屋城を下から見上げる。結構低重心で、ドッシリ感がある。



正面門近くにある金のシャチホコ(のレプリカ?)。昔、大凧に乗った盗賊が、金のシャチホコ(の一部?)を盗んだという話を聞いたことがあるが、これって実話なんだろうか・・・。

「そうだ 京都、行こう。」スタンプコレクション(大徳寺)

2014年6月15日(日)


JR東海が開催している「そうだ 京都、行こう。」スタンプコレクションに参加する。スタンプがとても美しいと聞く。京都駅新幹線コンコースだけに設置された台紙の入手には結構手間取った。

京都市内の70もの寺社が対象となっているのだが、その中で、洛北にターゲットを絞り、地下鉄北大路駅から、まずは大徳寺に向けて歩き出す。



臨済宗の古刹で、市内でも屈指の規模を誇る大徳寺だけに、当然京都五山のひとつと勘違いしていたが、後醍醐天皇との深い関係のせいで、室町幕府から疎まれ、五山からは外されていた。一休宗純や紫衣事件の沢庵など、反骨精神ある高僧が輩出されているのも、こうした歴史と無縁ではないように感じる。

勅使門。いちいち説明していたらキリが無いが、境内に数多ある重要文化財のひとつだ。




室町幕府との関係が悪かった反動だろうか、織田・豊臣政権とは縁が深いお寺だ。黒田・細川・前田など、織豊時代の大物が建立した塔頭が多数見られる。石田三成の墓所がある三玄院もそのひとつ。石田三成、浅野幸長・森忠政が建立したものだ。石田・浅野なんて、犬猿の仲という印象が強いんだけど・・・。



大徳寺の法堂。400年ほど前の建立だが、屋根のカーブや、板壁に施された波型の欄間など、質朴さと優雅さを兼ね備えている。



川の源流から海に至る、本堂を一周する壮大な枯山水庭園で有名な大仙院。茶道草莽期の茶室なども見どころ。残念ながら、塔頭の中は写真撮影禁止だった。玄関の前には、無常の象徴として描かれることが多い沙羅双樹の木が植えられている。これまで実物を知らなかったのだが、木の表示が無ければ、ありふれた木と感じてスルーしてしまいそうだ。



やけに、枝を真横に伸ばした松の木がある。どうやって、こんな方向に枝を延ばさせたのだろう。大仙院の門前には多数の松の木があるが、実に様々な種類の松が植えられている。




前田利家の内室、まつが建立した芳春院。残念ながら公開されていない。利家が死去した後、前田家の菩提寺となるこの塔頭を建立し、自らは出家して、芳春院と号している。それだけに、芳春院といえば、この塔頭より、「まつ」その人を指すことが一般的かもしれない。



織田信長の墓所がある総見院。信長の死後、秀吉が柴田勝家やお市の方を無視して、この大徳寺で大規模な葬儀を執り行い建立したものだ。歴史ドラマでは、信長は死後、秀吉などから「総見院様」と呼ばれているのが耳に残っている。遺体代わりに製作された2体の信長の木像のうち1体が今も残っているらしいが、塔頭内部は非公開になっている。



このスタンプコレクションの台紙の表紙も飾っている高桐院の参道。竹や紅葉の木々の隙間からの木洩れ日が、参拝する者の気持ちを清め、そして和らげてくれるように感じる。とても美しく、凛とした雰囲気のこの参道が大好きだ。



大広間のある本殿の縁側には赤い毛氈が敷かれ、誰でも座って庭を楽しむことができる。



細川家の菩提寺となっていて、庭の先には、細川家代々当主の墓石が並んでいる。その中でも、忠興、ガラシャ夫妻の墓所は、特別扱いのように、他の当主とは別区画となっている。



塔頭では、住職の筆になる禅語などの色紙が販売されている。モノの有難味の判らない身にとっては、結構な高値に感じる。大仙院では随分PRされた。



大徳寺は、いくつもの塔頭が集まった町のようになっている。古い住所表示板が渋い。広大な境内の南端には、どういう経緯からは判らないが一般住宅と見える建物もある。



大仙院と高桐院でスタンプを押印し、応募のために必要な最後のスタンプも、大徳寺の塔頭のひとつである黄梅院でゲットしようとしたが、なんと非公開。よく見ると、特別公開日以外にはスタンプは無い、とJRのパンフレットにもちゃんと書いてあった・・・。



仕方ないので、次なるスタンプポイントとして、北野天満宮をチョイスするが、その前に、船岡山に登ることにする。ここには建勲神社があり、織田信長が祀られているのだ。国に多大な功績があった偉人を祀った神社として別格官幣社のひとつに名を連ねる建勲神社だが、日本史の大ヒーローを祀る神社としては、思いのほか小ぶりな神社だ。



標高111mの船岡山の頂上。応仁の乱では、西軍の陣地にもなったところで、市街地が良く見渡せる。



船岡山登山で草臥れた足を引きづるように、北野天満宮にやってきた。予想どおり、修学旅行生たちが多く参拝していた。本殿をバックに、ジャンプした瞬間を写真に撮っていたが、これって、最近の流行りなんだろうか・・・。



北野天満宮で3つめのスタンプをゲット。限られた四角い印影の中に、各寺院の特徴を上手く表現した良いスタンプだ。このスタンプコレクション(スタンプラリーとは違うらしい)は、3ヶ月ごとに期が更新されるだけで、スタンプは引き続き設置されているようだ。70全ては無理としても、もう少し他のスタンプポイントを巡ってみたいものだ。



北野天満宮の本殿に続く門を正面に見ることができる休憩所で、タバコを吸いながら、しばらく疲れた足を休める。もう少し歩くことにしよう。



北野天満宮から南に、円町方面に向かって歩く。百鬼夜行の怪異伝説で知られる大将軍商店街では、相変わらず妖怪ストリートをアピールしている。



北野天満宮の西側を南に流れる紙屋川。天神川の上流になる。洪水対策のためか、護岸はとても高い。ちょうど消防士さんたちが、この川から人を救出する訓練を行っている最中だった。滑車と梯子で人を上に引き上げていた。単純な救出活動に見えるが、何人もの消防士さんと多種の機材が必要な難しい作業のようだ。



偶然見つけた竹林寺。平野国臣や古高俊太郎など、維新の志士37名の墓があるようだ。



法輪寺。達磨寺の別称で知られる臨済宗のお寺だ。起き上がり達磨を始め、大小の何百体(あるいは、それ以上?)の達磨が祀られている。



歩いていれば、すぐ何かに出くわすという、史跡てんこ盛りの京都だが、10kmほどの散策で今日は終了。円町から帰宅する。