若草山・春日山原始林(奈良市)

 2026年5月29日


猛暑にならないうちに、奈良の若草山(三笠山)と春日山原始林に出掛けることにする。おそらく15年ぶりくらいのこととなる。近鉄の列車内でも外国人の多さに驚かされたけれど、近鉄奈良駅を降りると、平日とは思えない大混雑状態にさらに驚かされる。



先に見えるのが若草山。古くは三笠山と読んでいたものを、宮家と同じ名前は畏れ多いと若草山と改名されたと聞く。遠目にも大勢の人が山麓の芝生エリアにいるのが見える。どうやら修学旅行や遠足の生徒たちのようだ。



5月中旬から7月が鹿の出産期なんだそうだ。まだ産まれて間もないと思える子鹿が階段で眠っている。母鹿は子鹿に危機が迫るとが大激怒するので、決して子鹿には近寄らないようにとの注意書きが貼られ、なんと階段の半分、小鹿が眠る側は通行止めになっている。



入山料150円を支払い、いよいよ若草山に登る。延々と階段が続くうえに、日射が厳しく、早々に太腿が震えだす。登っていく人の半分以上は海外からの観光客のように見える。なんと裸足で登っている人もいる。



三笠山とも呼ばれるように三つの山が重った形をしている若草山の一重目のベンチに座りこんでいたら、なにやら左腕を鹿が舐めている。な、なんなんだ。



最初は気持ち悪かったけど徐々に慣れてきた。犬や猫に比べて、舌は大きく分厚い。牝鹿だと知ると、さらに悪い気はしない。そもそも、これまでの人生で、これほど動物に慕われたという記憶がない。こちらがじっとしているのを良いことに、ずっと舐め続けている。



上腕を舐め終わると、下腕まで舐め始めた。鹿せんべいは持っていないし、スキンクリームとか日焼け止めの類は一切使ったことがない。汗の塩分を始めとするミネラル分を欲しているのだろうか。3分以上も舐め続けられ、鹿は恍惚の表情を浮かべているようにも見える。



5分ほどしてようやく鹿から解放され、二重目、三重目へと登っていく。奈良の市内が広く見渡すことができる。真正面にある大きな建物は東大寺の大仏殿だ。



若草山山頂(341m)。山頂は実は鶯塚という古墳なのだ。4世紀後半の前方後円墳だというから、平城京遷都よりもずっと前のものだ。



若草山を東に下り、いよいよ春日山原始林に入っていく。路面は自動車も走れる簡易舗装が施されているけれど、道の左右には手付かずと見える深い森が広がっている。春日大社の神域で、1200年もの間、樹木の伐採も鳥獣の狩猟は禁じられているという。



市街地に隣接して、このような広大な原生林があるのは、奈良だけだという。よく見られる植樹された杉や檜の森ではなく、ナギ・ヤマモモ・シイノキ・アラカシなど、昔からの植生のままの森だ。おそらく奈良時代も同じような風景が広がっていたのだろう。



予定はしていなかったのだけれど、ちょっと道をはずれて、鶯の滝を見に行く。簡易舗装路を歩くつもりでタウンスニーカーを履いてきたものだから、滝までの山道は歩きにくかったけれど、小ぶりながらも静かな森のなかで澄んだ水が流れ落ちる音は実に心地よい。



古都奈良の文化財のひとつとして、春日山原始林は世界遺産に登録されている。そのせいか、歩いている人の半数ほどは海外の観光客だ。話かけてみた夫婦は米国アイダホ州から来られたそうだ。日本の森林が大好きだそうで、奈良の前には屋久島に滞在していたそうだ。



いくつか立派な東屋も整備されている。少し休憩して歩き始めると、突然足を攣ってしまった。久しぶりの現象だ。足を攣るほどハードな運動をしてきたつもりもないのだが。ひょっとして鹿にミネラル分を吸い取られたのだろうか。芍薬甘草湯を久しぶりに服用する。



こんなトコにまで、クマが出没しているらしい。厄介なことだ。クマがシカほどに懐いてくれるとは思えない。



春日山石窟仏。平安末期に刻まれたものらしい。2つある石窟のうちひとつには、菩薩型の立像が三体(四体かも)並んでいる。天井部にも何かあるようなのだけれど、良く見えない。



もうひとつの石窟には、大日如来などが見られる。お寺のお堂の仏様もいいけれど、こうした野外に彫られた仏様は、厳しい風雨に晒され、私たちの苦しみや悲しみをより深く理解していただけるような気がして、一層有難く思える。



石畳の道を奈良市内に向けて下っていく。柳生街道とも呼ばれる古道だ。以前、奈良から柳生まで歩いたことがあるけれど、あの頃は元気だったよなぁとつくづく思う。今では半分くらいしか歩けそうなきがしない。



首切り地蔵。大和郡山藩に召し抱えられていた剣客、荒木又右衛門が、伊賀上野の鍵屋の辻の決闘に赴く際に、試し切りをしたと伝えられている。



樹齢何百年だろうか。随分と太い古木も多く見られる。伐採禁止だからといって、いつまでも樹が長生きするものでもなかろう。環境に恵まれた強い個体だけが、高く太く育っていると思う。



朝日観音。鎌倉時代に造られたという三体の摩崖仏だ。渓流に沿って、東に面しているため、朝日に良く映えるらしい。一度見てみたいけれど、早朝にここにやってくるのは困難だ。



朝日観音からは、春日大社の裏手へと続く遊歩道もあるのだけれど、やめておこう。見るからに難路で、タウンスニーカーで挑むところではなさそうだ。



アイダホからやってきた夫婦に再会。熱心に古い倒木を写真に収めている。この朽ち具合やキノコがビッシリ繁殖している様子がいいらしい。う~ん、そんなものかぁ。そう言われれば、そんな気がしてきた。



最後に春日大社にお参り。ここから先は、再び旅行者で大混雑している。



本日の歩行距離14㎞。距離は長いけれど、アップダウンはあまり無い歩きやすい道だった。登り獲得標高は600m、所要時間は6時間。



七里の渡し(名古屋市・桑名市)

 2026年5月24日


4年前に日本橋から三条大橋まで完歩した東海道五十三次だけれど、実は空白の区間がある。宮宿から桑名宿の間「七里の渡し」と呼ばれる海路なのだ。無論名古屋南部に脇往還(佐屋街道)もあるのだけれど、できれば江戸時代の旅人同様、船旅を体験したいと思っていた。



七里の渡しを体験できる個人参加可能なクルーズツアーは年に数回程度。人気のため予約が取りにくい。ひとつは、定員45名の屋根付き遊覧船、もうひとつは定員10人の釣り船のクルーズだけれど、江戸時代の旅の雰囲気に近そうな後者についに参加できることとなった。



名古屋駅近くの堀川に停泊していた釣り船を目の当たりにすると、辺野古の海難事故を思い出さずにはいられない。辺野古で転覆した船の1.5倍のサイズらしい。この小舟に参加者10名、船頭さん、説明の先生、補助作業員の計13名が乗船して正午過ぎに出発する。



全員がライフジャケットをしっかり装備し、まずは名古屋の中心部を流れる堀川を河口に向かって下っていく。名古屋城築城にあたり、名古屋の港(当時は熱田神宮がある宮宿)と名古屋城を結ぶため、開削されたものらしい。



堀川に架かる歴史的な橋の下をいくつも潜りながら舟は進んでいく。時速は4〜5㎞。歩くスピードくらいだ。説明のために乗船されておられる主催者の先生の知識は豊富で、橋や護岸の構造や当時の材木取引など大変興味深い話を切れ目なく披露してくれる。



松重閘門。異国情緒溢れるデザインだ。このクルーズの前半は、堀川沿岸に今も残る歴史資産を川面から楽しむこと。後で判ったことだけれど、参加者の大半は名古屋周辺の方で、七里の渡しより堀川や名古屋港を舟から見て回ることをより楽しみにしていたようだ。



JRと名鉄の鉄橋を潜る。舟は金山駅近くまでやってきたようだ。名古屋市内の地理に疎いため、どこをどう進んでいるのかが判らないけれど、川も穏やかで風もほぼ無く、船旅の序盤は極めて楽しく順調だった。



1時間ほどの堀川クルーズを終え、宮宿に到着。一旦トイレ休憩を兼ねて下船。実はこれは、桑名城にあった幡龍櫓を復元したものなんだそうだ。4年前には池鯉附宿(現在の知立)から25㎞歩いて宮宿に到着したのは日暮れの後だったけれど、今回はゆっくりと見学できた。



こちらも復元された常夜燈。大規模な埋立や港湾整備が進んだけれど、江戸時代は、この常夜燈のある岸の向こうは大海原だったという。かつでの名古屋の玄関口だったところだ。



20分ほどの休憩を終え、再び乗船。ここからが七里の渡しだ。宮宿から桑名宿まで約28㎞の海路を進むことになる。しかしこのクルーズは風速5mを越えれば中止と決まっていたところ、現在の風速は4mだという。ちょっと不安だ。



堀川を出て名古屋港内へと入っていく。左右に建造物がある運河のようなところを進んでいくけれど、明らかに堀川とは深さが違うことが判る。舟は防潮水門を通過し、さらなる沖へと進んでいく。



舟は逆風のなかを進んでいく。波が高くなり、前を向いていると顔面に強く水飛沫が襲い掛かって来る。。乗船時には雨具を着用していなかった乗客も慌てて、装備を整える。遊園地のアトラクションにも似て、まだこの辺りでは楽しいと感じることができた。



伊勢湾岸道路の名港西大橋。この橋の下を潜るのがこのクルーズのハイライトのひとつのようだ。確かにアルファベットのAの字にも似た2つの赤い主柱はカッコいい。東岸にはレゴランドも見える。



愛知県警の警備艇が心配そうに近づいてくる。「どこに行くのか」「この先、波が相当高いけれど大丈夫か」などの質問を受ける。だんだん不安になってきたけれど、他の乗客は船に慣れているのか、全然平気そう。



いよいよ名古屋港の出口。灯台やブイを越えると防波堤の外になる。要するに外海だ。海には白波も見え、港内とは全く違う海が広がっていることを感じさせる。



外海に出ると、波は一層高く、風も一層強くなる。ほんの100mか200m進んだだけで、全く海の様相が変わった。舟は左右に、そして前後に大きく揺れる。さらに船底を叩くような衝撃が繰り返し襲ってくる。胃の中で何かが大暴れしているような気分になってきた。



舟は時速2㎞くらいの低速で、波の影響を最小化するよう操縦してくれるものの、もはや遊園地の絶叫マシンを越えるようなレベル。あと数百mほど進めば波は穏やかになると説明されるけれど、。船べりにしがみついていなければ体を支えきれない状態となる。



外海に出て数分後、ついに船頭さんが、撤退を決断。冷静・的確な判断だったと思う。港内に戻り、風速をアプリで確かめたところ6m近く(どこまで確かなものかは不明)。陸上では落葉が宙を舞う程度の風だけれど、海の上ではまるで違う。



舟は外海からUターンし、弥富市の鍋島避難港へと退避。入江の内部にある港は嘘のように穏やかで波も無い。このような事態に備えて全国各地に避難港なるものが備えられているそうで、今回のクルーズでもIFケースの対応として、元より想定されていたことだ。



鍋田港に上陸し、15時40分、クルーズは敢え無く終了。海上から携帯電話で手配してくれたおかげで速やかに迎えにきてくれた主催者手配の車で桑名宿まで送っていただく。まさか車で木曽川を渡ることになるとは思わなかった。



16時20分。桑名城のすぐ傍にある桑名宿に到着。伊勢国、一の鳥居が出迎えてくれる。この大鳥居を海から見たかったんだけれど、止むを得ない。



桑名港の海面も至って穏やか。つい先ほど外海で襲われた波風が嘘のように感じる。海は怖いとつくづくと感じる。乗客のなかで一番ビビッていたことは間違いない。七里のクルーズ、いい体験をさせていただいたけれど、多分リベンジはなさそうだ。



近鉄桑名駅から帰阪。津駅から特急「ひのとり」に初乗車。疲れのせいか、着替えるのが邪魔くさくて、ずっと登山用のレインウェア上下のまま、帰宅した。



YAMAPの軌跡。参考までに距離42.2㎞。南にあるオレンジ色の矢印が外海に出たものの引き返したところ、赤い矢印が鍋田港だ。それ以降は車移動の軌跡となる。



残念に思い続けてきた東海道五十三次を歩いた軌跡の空白区間が繋がった。とはいうものの、渡船ではなく、一部は車なんだよなぁ…。これはインチキとのご批判は甘んじて受け入れるけれど、舟も車も歩いていないことには変わりないということで…。無事で何より。