大和葛城山(千早赤阪村)

 2026年5月12日


超混雑との話を聞き、毎年見送ってきた大和葛城山のひと目百万本とまで言われるツツジを見に行く。平日でも早朝に駐車スペースが無くなると聞くけれど、早朝からの登山者が下山して帰る正午頃が狙い目では、と考えたのが大正解。水越峠の公営駐車場を確保できた。



駐車したのはダイトレ道と青崩のほぼ中間地点。ダイトレで登ると階段地獄が待っているので、一旦少し下って青崩から天狗谷を登っていくことにする。道端には薄紅色の華麗な花が咲いている。ハナミズキだ。幸先からイイ感じだ。



天狗谷を登っていくと、何やら小さな赤い花が群生している。登山道を外れて見に行くことができないのが残念。金剛山が聳えているのもイイ感じ。正午過ぎの入山、しかも未踏破の天狗谷を行くことが不安だったけれど、気分はいい。



登山道の標識。葛城山⇔葛城登山口バス停とあるけれど、バスは随分前に廃線になってしまった。10年ほど前、ダイトレを3日に分けて踏破した際も、南海紀見峠駅と金剛バスの水越峠バス停が中継点だった。バスが無くなり、ダイトレの踏破は更に難度が高まったと思う。



気持ちのいい杉林のなかをテクテク歩いていく。あまり時間的な余裕はないけれど、無理はできない。一昨日の音羽三山縦走の疲れも残っているし、何より下山時に右膝の痛みを感じたことが気になる。もし右膝に電気が走るようなことがあれば撤退しよう。



序盤こそ呑気に歩いていたけれど、天狗谷という怖ろし気な名を持つ道だけに、徐々にその本性を現してきた。まずは渡渉や沢歩きが始まった。



続いては岩ゴロゴロ、倒木の目立つ荒れた道がお出迎えだ。谷道だけあって、日当たりは悪いので、あまり暑く感じないのが救いだけれど、確実に体力が削られていく。



でもって、大キライな階段が始まる。息が続かず、脚への負担も大きい。どこか休めるところが無いかと思うけれど、適当な場所がない。時間的に下山者が多い。ハイカーが少なければ、階段の上とか、適当に座りこむんだけれど、そんなみっともないことはできない。



鎖場も現れた。まあ大した難所ではないけれど、この先どうなるのか、不安はさらに大きくなる。地図を見ると、この先さらなる急勾配が待ち構えているのだ。



石ゴロゴロ道で、膝に違和感を感じ始める。電気が走るほどではないけれど、もはや容易に撤退できないところまで来ているのだ。できるだけ頻繁に休みを取り、右膝の周囲にマッサージを施し、誤魔化していくしかない。



木段も荒れてきた。股関節に古傷を持つ者への意地悪と思わせるほど、脚を大きく広げて歩かなければならない場面が増えてきた。



出た~。エンドレスとさえ思える階段地獄。道幅一杯に階段が設けられているのが、有難いようで、実は有難くない。階段の横の隙間にある坂を上り降りする方が、太腿への負担はかなり少ないのだ。



気のせいか、樹々の上に空が広がり始め、山頂部が近いことを暗示しているようなのだけれど、全然到着しない。悪い癖だけれど、山頂到着を突然に驚きたいので、山頂に近寄るとスマホのGPSは見ないようにしているのだ。



14時に大和葛城山山頂(958m)到着。遅い入山ではあったけれど、山頂でゆっくりする時間はありそうだ。平日だというのに、山頂碑周辺は人で一杯。こんな混雑した大和葛城山は初めてだ。平日なのでシニアばかりかと思いきや、若者が目立つ。



さあ、山頂の南西に広がるツツジ園を見に行こう。群生地の外側にもツツジは多い。金剛山をバックに花の赤さを誇っているかのようだ。




光の加減だけでなく、ツツジにも微妙に色の違いがある。ピンクっぽいもの、深紅のもの、オレンジに近いもの…。いろいろあって、どれもいい。



高原状の山頂部一面にツツジが咲き誇っている。百万本、というのは少々大袈裟なようにも感じるけれど、数えられないほどあることは確かだ。これほどのツツジ園は他にはそうそう無いだろう。



このツツジ、植樹されたものではなく、自生なんだそうだ。山頂部を支配していた笹が一斉に枯死した後、ツツジが爆発的に繁殖したらしい。1970年頃のことらしい。



ツツジ園というけれど、境界がある訳でもない。あちらこちら歩きまわりながら、何枚も写真を撮り続ける。



厳しく見れば、少しピークは過ぎているのかもしれない。少し枯れ始めているものも見られる。先週の土曜日がピークだったという声も聞こえてきたけれど、これで充分、大満足だ。



人は多いんだけれど、人が入り込まない写真を撮ることはさほど難しくない程度の混雑具合。まあ、それだけツツジ園が広いとも言えるんだけれど。



名残り惜しいけれど、ツツジ園を後にして、ダイトレ道で水越峠に戻ることにする。階段地獄のダイトレ道は痛めた膝にはとても辛いことが予想される。ゆっくり確実に下っていくことにしよう。



ダイトレ道を少し下ると、奈良盆地が一望できるところがある。おそらく正面に見える三つの山が一昨日登った、音羽三山に違いない。



さあ、階段地獄の始まり。記憶していたよりもかなり段差がある。昔はスイスイと下っていたような気がするんだけれど、今では、ドスンドスンという感じでしか下れない。膝に悪いこと、この上ない。



「危険・急な坂道」とある。もう勘弁してくれ~。しばらくは膝を休める期間が必要になりそうだ。もう15時台だというのに、重装、軽装、ソロ、カップル…様々なハイカーがまだ大和葛城山を目指して登って来ることに驚かされる。



距離8.6m、登り獲得標高810m。所要時間は4時間20分。遅い出発時間にはなったものの、頂上で充分ツツジを楽しむ時間を取れたし、16時前に下山できた。膝の具合はちょっと不安だけれど、上々の出来だ。



音羽三山(桜井市)

 2026年5月10日


奈良県桜井市の音羽三山に向かう。先日訪問した談山神社や多武峰の東側に連なる山だ。薄っぺらい日本書紀の記憶によれば、神武天皇は頑強に抵抗する宇陀の豪族との戦いに勝利した後、この山々を越えてついに明日香に入ったんじゃなかろうか。



最近には珍しく朝7時台に山に取りつく。まずは音羽山の中腹にある音羽山観音寺を目指す。藤原鎌足を祀る談山神社の丑寅の鬼門を護るお寺だという。簡易舗装道だけれど、駐車場からお寺まで1.5㎞ほどの道がとんでもない急坂。



急坂の脇にはベンチも多数設置されていたけれど、頑張ってノンストップで音羽山観音寺に到着。が、開門は9時とのこと。駐車場に車を停めさせていただきながらお参りできないのは残念で申し訳なくもあるけれど、閉ざされた門扉越しに参拝、撮影させていただいた。



距離的にはお寺が山頂までの中間点だけれど、この先さらに勾配はきつくなる。それでも頑張って登っていくと、この先道路が決壊しているので展望台経由で登れとの警告板が現れた。元より展望台経由で登るつもりが、今日もまた違う道に入り込んでしまったようだ。



写真では解りにくいけど、勾配がきついことに加えて、路上に石が多く、また道幅が狭い。危険個所はないけれど、とても歩きにくく疲れる道が続く。



全く展望の無い道を進んできたけれど、万葉展望台というところでようやく西側の眺望が開けた。明日香・御所の町の向こうに聳えるのは、左が金剛山、右が大和葛城山だ。



展望台の標高は710mほど。音羽山山頂まではまだ150mほど登らねばならない。「音羽山への山頂近道」の案内板が現れた。いや近道ってことは急勾配ということだろう。遠回りでも緩やかな斜面を登りたいんだけれど、「近道」以外の道は見当たらない。



杉林のなかの急勾配。相変わらず写真が下手くそで、勾配が伝わらないけれど、心が折れそうになるような坂が続く。人々が歩くことで道ができる訳だけれど、その意味では、まだ道になりきっていないと言える。



音羽山(851m)。山頂部は高い杉の林に囲まれて眺望は無い。ごく簡易なベンチが一脚あるだけだけれど、有難く休憩させていただく。ここまで誰とも会わなかったけれど、ここでトレランの若者が休憩もせず抜き去っていく。



音羽山から経ヶ塚山、熊ヶ岳に向けて縦走開始。しばらくは杉の樹々に囲まれた長閑な道が続くけれど、こんな平坦な道が続かないことは判っている。等高線図を読むと結構なアップダウンを繰り返す道が待ち構えていることは間違いない。



アップダウンも厄介だけれど、樹々の根っこが道を覆っていることも厄介。うまい具合に階段のようになっていて助かることもあるけれど、つま先を引っ掛けて転びそうになることの方が多い。



経ヶ塚山の手前で宇陀の又兵衛桜に下る分岐点がある。道明寺の戦いを逃れ、隠遁した屋敷にあった桜だという。又兵衛には九州に逃れたという説もある。義経、信長、光秀、勝頼、幸村…、願望が先にあるのだろうけれど、実は死んでいなかったという話が多すぎる。




経ヶ塚山(889m)。山名から想像するに、経典を奉納したような山なのだろうか。灯籠のようなものが立っている。横たわっている石材は、ベンチかと思いきや、よく見ると何やら文字が刻まれていて、元は何かの宗教的な構造物があったことを窺わせる。



ここもまた眺望のない山頂だけれど、赤いツツジが咲いており、その周囲に濃い緑の低木、さらにその周囲に薄い緑の高木、そしてその上に青い空。こんな山頂も悪くない。



岩だらけ、アップダウンだらけの尾根筋を伝って、次のピークを目指す。歩き始めて急登を登っていくとすぐ上着を脱いで半袖になったんだけど、標高が高いせいか、尾根を風が抜けるせいか、長袖に上着を着ていて丁度いい感じだ。



熊ヶ岳(904m)。音羽三山お揃いの山頂標識がここにも立っている。途中しっかりとした標識もところどころあり、地域の方が、この山系のハイキング道整備に力を入れておられることが良く判る。でも、山中で出会った人は4〜5人。5月の日曜日としてはちょっと寂しい。



熊ヶ岳を過ぎると、かなり荒れたところが目に付く。経ヶ塚山も熊ヶ岳もベンチのようなものはなく、座り込んで休憩するところを探しながら歩いているんだけれど、なかなか見当たらない。



唐突に反射板が現れた。電力会社のものだろうか、通信、放送用のものだろうか。この設備、簡単そうな構造ながら、正式には無給電中継装置と言い、電力不要で電波を中継するという優れものなのだ。が、周囲が立木に覆われているところでも機能するのだろうか。



ここまでアップダウンを繰り返してきたけれど、熊ヶ岳を越えて、大峠まで、最後の激下り。つい蹴り飛ばしてしまった石が、どこまでも転がり落ちていく様は恐怖を呼び戻すのに十分だ。さすがにトレッキングポール無しでは怖くて下れない。



大峠にある「女坂伝承地」。登山道が2本ある山ではキツイ登りを男坂、比較的緩やかな道を女坂と呼ぶことが多いけど、ここは違う。日本書紀にも記載がある、宇陀の豪族が神武天皇軍に対抗するための予備軍(なんと女軍と呼ぶ)を配置したところ。主力軍は男軍なのだ。



渓流沿いの長~い林道をトボトボ歩いて出発地点へと戻る。風景はいいんだけれど、地味な下りが続き、膝にはとても堪える道だ。



あらかた山を下り、人家があるところまで下りてくると、渓流に大きな注連縄が張られている。この辺りも山を神域として大切にし、邪なものが神域に入り込まないよう、注連縄で結界を作っているのだろう。



不動延命の滝。左が滝で、右が渓流から流れ込む水だ。落差は数mほどだけれど、水は清らかでヒンヤリとした水飛沫を体じゅうで受け止めることができる。何より、周囲に誰もいないところがいい。



出発地点に戻ってきた。大峠からの道が長く、ほぼ下り道だというのに妙に疲れてしまったけれど、「ご縁を大切に」と書かれた音羽山観音寺のイラスト看板にホッコリさせられる。



距離8.6kkm、登り獲得標高880m。所要時間は5時間半。山頂などで1時間以上もゆっくり休憩しながらの山行だったけど、下山は13時過ぎ。久しぶりに時間に追われることのなく、のんびりと歩くことができたような気がする。