七里の渡し(名古屋市・桑名市)

 2026年5月24日


4年前に日本橋から三条大橋まで完歩した東海道五十三次だけれど、実は空白の区間がある。宮宿から桑名宿の間「七里の渡し」と呼ばれる海路なのだ。無論名古屋南部に脇往還(佐屋街道)もあるのだけれど、できれば江戸時代の旅人同様、船旅を体験したいと思っていた。



七里の渡しを体験できる個人参加可能なクルーズツアーは年に数回程度。人気のため予約が取りにくい。ひとつは、定員45名の屋根付き遊覧船、もうひとつは定員10人の釣り船のクルーズだけれど、江戸時代の旅の雰囲気に近そうな後者についに参加できることとなった。



名古屋駅近くの堀川に停泊していた釣り船を目の当たりにすると、辺野古の海難事故を思い出さずにはいられない。辺野古で転覆した船の1.5倍のサイズらしい。この小舟に参加者10名、船頭さん、説明の先生、補助作業員の計13名が乗船して正午過ぎに出発する。



全員がライフジャケットをしっかり装備し、まずは名古屋の中心部を流れる堀川を河口に向かって下っていく。名古屋城築城にあたり、名古屋の港(当時は熱田神宮がある宮宿)と名古屋城を結ぶため、開削されたものらしい。



堀川に架かる歴史的な橋の下をいくつも潜りながら舟は進んでいく。時速は4〜5㎞。歩くスピードくらいだ。説明のために乗船されておられる主催者の先生の知識は豊富で、橋や護岸の構造や当時の材木取引など大変興味深い話を切れ目なく披露してくれる。



松重閘門。異国情緒溢れるデザインだ。このクルーズの前半は、堀川沿岸に今も残る歴史資産を川面から楽しむこと。後で判ったことだけれど、参加者の大半は名古屋周辺の方で、七里の渡しより堀川や名古屋港を舟から見て回ることをより楽しみにしていたようだ。



JRと名鉄の鉄橋を潜る。舟は金山駅近くまでやってきたようだ。名古屋市内の地理に疎いため、どこをどう進んでいるのかが判らないけれど、川も穏やかで風もほぼ無く、船旅の序盤は極めて楽しく順調だった。



1時間ほどの堀川クルーズを終え、宮宿に到着。一旦トイレ休憩を兼ねて下船。実はこれは、桑名城にあった幡龍櫓を復元したものなんだそうだ。4年前には池鯉附宿(現在の知立)から25㎞歩いて宮宿に到着したのは日暮れの後だったけれど、今回はゆっくりと見学できた。



こちらも復元された常夜燈。大規模な埋立や港湾整備が進んだけれど、江戸時代は、この常夜燈のある岸の向こうは大海原だったという。かつでの名古屋の玄関口だったところだ。



20分ほどの休憩を終え、再び乗船。ここからが七里の渡しだ。宮宿から桑名宿まで約28㎞の海路を進むことになる。しかしこのクルーズは風速5mを越えれば中止と決まっていたところ、現在の風速は4mだという。ちょっと不安だ。



堀川を出て名古屋港内へと入っていく。左右に建造物がある運河のようなところを進んでいくけれど、明らかに堀川とは深さが違うことが判る。舟は防潮水門を通過し、さらなる沖へと進んでいく。



舟は逆風のなかを進んでいく。波が高くなり、前を向いていると顔面に強く水飛沫が襲い掛かって来る。。乗船時には雨具を着用していなかった乗客も慌てて、装備を整える。遊園地のアトラクションにも似て、まだこの辺りでは楽しいと感じることができた。



伊勢湾岸道路の名港西大橋。この橋の下を潜るのがこのクルーズのハイライトのひとつのようだ。確かにアルファベットのAの字にも似た2つの赤い主柱はカッコいい。東岸にはレゴランドも見える。



愛知県警の警備艇が心配そうに近づいてくる。「どこに行くのか」「この先、波が相当高いけれど大丈夫か」などの質問を受ける。だんだん不安になってきたけれど、他の乗客は船に慣れているのか、全然平気そう。



いよいよ名古屋港の出口。灯台やブイを越えると防波堤の外になる。要するに外海だ。海には白波も見え、港内とは全く違う海が広がっていることを感じさせる。



外海に出ると、波は一層高く、風も一層強くなる。ほんの100mか200m進んだだけで、全く海の様相が変わった。舟は左右に、そして前後に大きく揺れる。さらに船底を叩くような衝撃が繰り返し襲ってくる。胃の中で何かが大暴れしているような気分になってきた。



舟は時速2㎞くらいの低速で、波の影響を最小化するよう操縦してくれるものの、もはや遊園地の絶叫マシンを越えるようなレベル。あと数百mほど進めば波は穏やかになると説明されるけれど、。船べりにしがみついていなければ体を支えきれない状態となる。



外海に出て数分後、ついに船頭さんが、撤退を決断。冷静・的確な判断だったと思う。港内に戻り、風速をアプリで確かめたところ6m近く(どこまで確かなものかは不明)。陸上では落葉が宙を舞う程度の風だけれど、海の上ではまるで違う。



舟は外海からUターンし、弥富市の鍋島避難港へと退避。入江の内部にある港は嘘のように穏やかで波も無い。このような事態に備えて全国各地に避難港なるものが備えられているそうで、今回のクルーズでもIFケースの対応として、元より想定されていたことだ。



鍋田港に上陸し、15時40分、クルーズは敢え無く終了。海上から携帯電話で手配してくれたおかげで速やかに迎えにきてくれた主催者手配の車で桑名宿まで送っていただく。まさか車で木曽川を渡ることになるとは思わなかった。



16時20分。桑名城のすぐ傍にある桑名宿に到着。伊勢国、一の鳥居が出迎えてくれる。この大鳥居を海から見たかったんだけれど、止むを得ない。



桑名港の海面も至って穏やか。つい先ほど外海で襲われた波風が嘘のように感じる。海は怖いとつくづくと感じる。乗客のなかで一番ビビッていたことは間違いない。七里のクルーズ、いい体験をさせていただいたけれど、多分リベンジはなさそうだ。



近鉄桑名駅から帰阪。津駅から特急「ひのとり」に初乗車。疲れのせいか、着替えるのが邪魔くさくて、ずっと登山用のレインウェア上下のまま、帰宅した。



YAMAPの軌跡。参考までに距離42.2㎞。南にあるオレンジ色の矢印が外海に出たものの引き返したところ、赤い矢印が鍋田港だ。それ以降は車移動の軌跡となる。



残念に思い続けてきた東海道五十三次を歩いた軌跡の空白区間が繋がった。とはいうものの、渡船ではなく、一部は車なんだよなぁ…。これはインチキとのご批判は甘んじて受け入れるけれど、舟も車も歩いていないことには変わりないということで…。無事で何より。




金剛山(千早赤阪村・御所市)

 2026年5月22日


先日水越峠から大和葛城山に登った際、長らく金剛山に登っていないことを思い出す。大和葛城山のツツジも終盤となり、落ち着きを取り戻した水越峠の公共駐車場からダイトレ道で金剛山を目指す。



昨日はほぼ終日雨が降っていたけれど、今日は終日曇りの予報。しかし、周囲には霧が立ち籠め、さらに小雨が降ってきた。まあ、暑いよりマシと考えて進んでいったものの、雨脚はどんどん強まってきた。



金剛水と呼ばれる湧水の前にあるベンチで堪らずリュックを下ろす。もうすっかりグッショリだ。遅ればせながら、粗品で貰ったレインポンチョを取り出す。簡易なものだけれど、まさか雨がこれほど強く降るとも思わず、こんなものしか持ってきていない。



画像では判らないけれど、結構しっかりとした雨が降っている。他のハイカーの多くは傘を差している。登山でも道が広ければ傘が結構有効だとは聞くけれど、片手を取られてしまうことにどうしても抵抗を感じてしまう。



小さな小屋が現れた。雨というより、通気性がほとんど無いレインポンチョの蒸し暑さに耐えきれず、雨宿り。電波が入らないので、この先の天気予報や雨雲レーダーの様子を知ることができない。行くか戻るか、かなり長い時間悩む。



雨脚が弱まった訳ではないけれど、何人ものハイカーが続々と登っていくのを見て、意を決して進んでいくことにする。が、小屋を過ぎると、ダイトレ名物の階段が延々と続く。



金剛山に1600回登ったという75歳の強者としばらくご一緒する。普段なら気にも留めない草花などの話をしていただけるのは有難いけれど、ポンコツハイカーには付いていくだけで精一杯。心拍数はレッドゾーンに入るし、レインポンチョの中が超蒸し暑くなる。



金剛山、葛城岳は後回しにして、涌出岳の山頂を目指す。標高は1112m。YAMAPでは、以前近くを通っただけでピークゲットしたことになっていたけれど、実際に山頂に登るのは初めてだ。



湧出岳に登りたかったのは展望塔を見たかったから。真新しい電波塔の隣に古い鉄骨製の展望塔が立ち、先端には灯りが付いているという。展望塔とはいうけれど、柵に囲まれて登れない。高さ25m、燭光400W。大して強力な光ではないけれど、夜間には結構目立つそうだ。



幸い雨が降りやんだので、無人の湧出岳でのんびりと昼食を採り、あらためて金剛山のメインゾーンに向かう。史跡金剛山と刻まれた石碑がある大鳥居を潜って進んでいく。



雨は止んだけれど、霧が凄い。樹齢600年と言われる仁王杉も深い霧の包まれ、木の先端が見えない。



裏参道のブナ林のなかを進んでいく。野鳥がたくさん棲息しているところなんだけれど、さすがにこの雨模様では鳥もどこかでおとなしくしているようだ。



葛木神社。葛木岳(1125m)山頂はこの神社の境内にあって立入ができない。もっとも拝殿の横には、「金剛山頂(2026年5月22日)」の登頂記念板が立っている。広い意味ではこの辺りは全て金剛山なのだし、葛木神社の山号が金剛山なのだから間違っている訳ではない。



金剛山頂(1125m)の山頂碑が立つ国見城址。山頂の主だった施設はこの付近に固まっているので、最も人の多いところなんだけど、今日はかなり閑散としている。摂河泉の各国を見渡す千早城の詰め城として楠木氏が城を築いたところだけれど、霧のため何も見えない。



太尾尾根コースで下山する。さほどの難路ではないと聞いてはいるけれど大丈夫かぁ? 雨のせいで泥濘が酷い。進んでいると、「この先で事故発生」の標識が立っている。よく見ると、違った道を進んできてしまったようだ。ダイトレと違い、標識類がかなり少ない。



雨は完全に上がったようだけれど、足元が緩く、霧は相変わらず濃い。未知の道を歩くには随分と心細い天候だ。



大日岳山頂(1094m)。山頂碑も立派だけれど、有難いことにベンチがある。ここにきて足腰の疲れを強く感じる。一旦座り込むと再び歩きだすのが億劫になってきた。



どうも道が不明瞭だ。たぶんどっちに行っても同じだろうと思うんだけれど、もし誤ると厄介なことになる。YAMAPのマップを頻繁に確かめながら、進む方向を確認していく。



六道の辻。六つの道が合流した地点かと思っていたけれど、どうやら仏教用語の六道のようだ。天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの世界への分かれ道ということだろうか。間違った方向に進めばとんでもないことになることは理解できる。



尾根は狭いし、路肩は緩い。フラフラと歩くことなく、緊張感をもって進んでいかねばならない。



太尾塞跡。かつての山塞の跡のようだ。楠木正成に関連するものだろうか。どうやらこの先からかなり厳しい下りになるようで、砦の適地であると納得させられる。



急斜面が続く。厄介なことに地盤が緩く、急坂で体を支えてくれるストックが深く突き刺さってしまう。あれだけウンザリと言っていた階段だけれど、こういう斜面を目の当たりにすると階段の有難さが身に染みる。



西尾根と東尾根の分岐点を右に進み、太尾東尾根へと入る。地図で見る等高線は狭い。道は狭く、地面はぬかるんでいるし、足腰には疲労が溜まっている。滑って転ばないようにしなければならない。幸い要所にはお助けロープが張られている。



随分とスローペースでの下山になったけれど、やっとのことで下山完了。最後は知らぬうちに地図上の登山道を外れてしまったようだけど、何と下りてきたのが車を停めた公共駐車場だった。



距離9.8㎞、登り獲得標高840m。所要時間は6時間20分。最後は涼しくなり、長袖の薄手のセーターを羽織る。着たり脱いだりを何度も繰り返した山行だった。登山靴とズボンの裾はドロドロだ。