多武峰・御破裂山~談山神社(桜井市)

 2026年4月2日


飛鳥の石舞台周辺の桜が見事と聞いて、久しぶりに飛鳥の散策をしようと考えて車で出かけたものの、平日にもかかわらず周辺の駐車場は満車ばかり。止む無く、談山神社までやってきた。紅葉で有名なところだけれど、桜もなかなかだと聞いている。



談山神社に向かうのは後回しにして、この際周囲の山を3つほど制覇することにする。談山神社の西大門跡付近には、「女人禁制」の石碑が残る。当然のことながら明治の初期に撤廃された規則だけれど、「女性の人権の歴史遺物として残す」との説明板がある。



まずは談山神社の南側にある多武峰(とうのみね)に登っていく。これまで談山神社を包含する山域全体を多武峰と呼ぶとともに、山域で最も標高が高い山も多武峰と呼ばれているらしい。



杉の木が真っすぐに伸びる林のなかを快適に登っていく。登っても登ってもずっと杉林だ。杉林の木漏れ日のなかを歩くのはとても気持ちの良いものだけれど、背の高い樹林帯だけに、眺望は皆無だ。



山頂近くには数件の家から成る集落があり、そこに入るには獣除けの電気柵を解放しなければならない。5本ある電線のグリップを外さねばならないのだけれど、この種の電気柵の電圧は数千ボルトだと知ってから後は、グリップ操作にひどく緊張してしまうようになった。



2つの電気柵を通り抜けて山頂部にやってきた。鳥居と祠があるのだけれど、神社の名前が見当たらない。古い歴史のある多武峰の主峰だけに、神域となっているとは思っていたけれど、意外にも小ぶりの神社だ。



実際の山頂(678m)は、さらに数m登った小山の上のようだけれど、道がない。無理すれば登れそうだけれど、昨日の雨で地面が緩い。そもそも飛鳥の散策のつもりでやってきただけに、靴もタウンユースのスニーカーなので無理せず山頂制覇は断念。



麓では桜が満開を迎えつつあるけれど、山頂部では丁度可愛い梅が見頃を迎えている。



杉の木(檜かもしれない)には、二両引の家紋のようなものが書き込まれている。足利家の家紋として知られるものだ。最近は手入れもされず放置された杉林が多いけれど、この辺りの樹林はしっかりと手入れされている。おそらく木の所有権を示しているのだろう。



登ってきた道を戻り、談山神社の西大門跡に下山。かつては立派な門があったようだけれど、今では古い石仏が見られるだけ。驚いたことに、この石仏は文永年間のもの。元寇があった頃からこの地を護っておられるのだ。



続いては談山神社の北にある御破裂山を目指す。談山神社の西側の森を登っていく。ここもまた杉林だ。



北側の眺望が開けてきた。中央に見えるこんもりとした小山は大和三山のひとつ、耳成山だ。ということは、その南側の緑地は藤原京跡のはず。



御破裂山(611m)にやってきた。この山の山頂は藤原鎌足の墓所となっている。国に異変があるたびに、この山が鳴動したらしい。鎌足の墓所となる前から、この山は神様が降臨した、特別な山であったらしい。



山頂部には柵が設置されていて立ち入ることができない。藤原鎌足の墓所は、北摂の阿武山古墳とも言われていて、鎌足の冠のようなものが出土している。でも、なぜ北摂?と思ってしまう。御破裂山の方がいかにもという場所だ。



御破裂山から次に談山に向かう。談山神社が「たんざん」と読むから、談山も当然同じだと思ったら「かたらいやま」とルビが振られている。



談山へと向かう石段。石段の上が談山の山頂になる。この山頂もまた、日本史上特別な場所なのだ。



談山山頂(566m)。「御相談所」と彫られた石碑がある。ここが、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蘇我氏を暗殺する大化の改新の相談をしたところだと伝わる。そりゃ、誰かに聞かれたら大変だろうから、こんな山中で密談したのも理解できる。



談山を下って、いよいよ談山神社へ。祭神は藤原鎌足。国造りの神々や皇族ではない人物を祀る神社としては、東照宮や湊川神社など共に、最上級の別格官幣社の社格を有していた。何といっても見どころは16世紀建立の木造の十三重塔だ。桜が見事に彩りを添えている。



左が本殿、右が拝殿。いずれも十三重塔などとともに重要文化財だ。本殿は、日光東照宮のモデルになったという。



拝殿は何本もの太い柱に支えられながら、崖に寄りかかるように造られている。懸造りというものらしい。山側の本殿に向かっての拝殿であると同時に、谷側に向かっては眺望が広がる舞台としての役割も兼ね備えているように見える。



桜が周囲に咲いた中庭は、蹴鞠の庭と呼ばれるところらしい。中大兄皇子と中臣鎌足は蹴鞠を通じて知り合ったという故事に因んで、毎年ここで蹴鞠祭りが開催されるそうだ。



蹴鞠の庭の横にある総社拝殿のなかには、高さは3mほどもある木彫りの福禄寿が祀られている。多武峰にあった神木の欅で造られたものらしい。



出口付近の桜も見事。厳密に言えば七分咲きといったところだろうけど十分だ。何枚も写真を撮った後、談山神社を辞去する。



参道には何軒もの店が並び、名物の焼餅や味噌蒟蒻を売っている。愛想のよい店員んさんに勧められるがままに、豆大福や栃餅などたくさん注文してしまった。さらに奈良漬けや佃煮などのサンプルも。でも、これで600円とはリーズナブルだ。



距離6.1㎞、登り標高500m。初頭時間は2時間半。大した運動量でもないのに、アンコがたっぷり入った餅を2つ食べてしまった。完全にカロリーオーバーだ。



亀の瀬地すべり&三室山(柏原市・生駒市)

 2026年3月15日


大阪・奈良の県境の亀の瀬と呼ばれる大和川北岸はかつて大規模な地すべりが起こったところだ。奈良の三郷駅から地すべり歴史資料室の見学ツアーへと向かう。三郷駅前には、「もう、すべらせない!!」というかなりパンチ力のあるマンホールがある。見学が楽しみだ。



菜の花が咲き乱れる大和川の北岸を西へとブラブラ歩いていく。近所のご婦人だろうか、両手に大量の菜の花を抱えておられる。おしたしにしても、炒め物にしても美味しいもんね~。



河口まで25.6㎞の標識がある。三郷駅から大和川河口まで歩いたのが12年前のこと。川沿いに道が無いところもあったりして結局30㎞ほど歩いた。当時の記録を見直すと所要時間は7時間半ほど。今では考えられないペースだ。



大和川は奈良盆地のいくつもの川が王寺あたりで全て集合し、金剛山系と生駒山系の間を流れている。奈良盆地唯一の水の出口といってよいだろう。それだけに地すべりなどで大和川が塞がってしまうと、奈良盆地の水はたちどころに行き場を失う。



平城京と河内・難波を結ぶ官道として整備されたという龍田古道を歩いて、県境を越える。大阪府知事が掲示する「地すべり防止区域」の看板があちらこちらに立てられている。地すべりを増長させるような土地の形状変更や地下水に影響を与える行為が禁じられている。



大和川沿いを歩くのかと思いきや、川の北岸には道はなく、寂しい峠道を30分ほど歩いて、「亀の瀬地すべり歴史資料室」にやってきた。元々は地すべり対策工事の現場だったようで、広い駐車場を備えた広大な敷地だ。もっとも建物は至ってシンプルだ。



地すべりを防ぐための深礎杭。大きなものは直径は6m以上の鉄管にコンクリートを流し込んだもののようだ。この地域には何十本もの杭が深さ100mほどまで打ち込まれているらしい。



最近国交省が推進しているインフラツーリズムの一環として、亀の瀬地すべり対策に関しても各種の見学ツアーが開催されている。歴史資料館での説明を終え、排水トンネルの見学へ。よく見るとトンネルの入り口には亀が描かれている。



とにかく地下水を溜め込まずに、さっさと排水することが大切らしく、このような1㎞以上にも及ぶ排水トンネルが何本も作られているらしい



集水井。水を貯め込む井戸だ。深さは60mほどもあるようだ。上から覗き込めるんだけど、中は暗く、底まで見通せるものではない。ここに溜めた水は適時大和川へと放流されるようだ。



近年の地すべりで有名なのは昭和7年のもの。大阪・奈良を結ぶ鉄道のトンネルが圧し潰され、長らくこの間は徒歩移動を余儀なくされたそうだ。皮肉なことに地すべりや亀裂の現場を見るため大勢の観光客が押しかけ、一時的にこの地域は随分賑わったらしい。



復旧は到底不可能と、トンネルは放棄され、大和川南岸に新たに新線が敷設されたのだけど、近年地すべり対策工事を行っていたところ、崩落を免れたトンネルの一部が発見された。通常入口は施錠されているけれど、ツアーに参加すれば内部見学できるのだ。



煉瓦積みのトンネル。単線が通れるだけのギリギリの幅だ。当時の蒸気機関車が吐き出した煙が黒くこびり付いているようだ。ツアー参加者は20名ほどと少人数なので、トンネルの中は静かで、特別な空気感がダイレクトに伝わってくる。



しばらくトンネルを進むと生々しい崩落の跡が現れる。ここから先には行けない。



トンネルのなかでプロジェクトマッピングが始まった。奈良時代の貴族の行列とかつてここを走っていた列車などが次々と現れる。10分ほどの放映だったけど、想像していたよりも随分と迫力がある。動きも早く、ひょっとしたら気分を悪くする人もおられるようにも思う。



龍神神社。難波津から大和川を遡上する舟運はここまでで、荷卸しが行われたところらしい。かつて水夫たちが運行の安全を祈った場所だという。



名物の亀岩は多分これ。標識が立っている訳ではないので、自信が持てない…。見る角度によっては亀にはとても見えなかったりもする。山にも亀岩は多いけど、川にも多い。ひょっとして日本中の岩の名称では一番多いのではなかろうか。



地すべり区域を下から見上げる。さほどの勾配ではない。かつての火山活動の関係ですべり面ができるらしく、崖崩れとは違って、小さな亀裂が生じたり少しずつ地面が動くことから始まり、長い時間をかけて地面が動くという。



見学ツアーを終え、地すべり区域を上に登ってみることにする。道端には、いくつもの集水井が見られる。見学ツアーで立ち寄ったところ以外は、立入禁止になっているようだ。



仁川の地すべり対策施設を以前見学したことがあるけど、確か地すべり区域には芝桜が植えられていた。こちらでは立派な桜の木が何百本も植えられている。既に満開となっている木もある。あまり桜の名所としては聞いたことはなかったけど、凄いことになりそうだ。



地すべり区域を上まで登り、尾根道を三室山へと向かう。結構な山道だ。街歩き用のスニーカーでやってきたのが悔やまれる。



東に向かってダラダラと下ってきたはずなのに突然三室山(137m)の山頂。地理的には山頂ではないはずだけど、かつては龍田神社の本宮があり、万葉集などにも数多く登場するなど、古来特別な場所だったところだ。今では町を見下ろす展望台もあり、公園化している。



ここの桜もなかなか見事。地すべり見学でこれほどの桜を満喫できるとは思っていなかった。



最後に三室山古墳に立ち寄る。約20m四方の同サイズ同構造の方墳が2つ並び、それぞれに石室が2つという他に例のない双墓双室古墳だ。開口部から中に入れるようだけど、おっかなくて入れない。七世紀前半というから聖徳太子の時代のものだ。被葬者が気になる。



距離6.8㎞、登り獲得標高325m。所要時間は地すべり歴史資料館でのツアーを含めて3時間50分。軽く見に行くつもりだったけど、想像以上に迫力のある地すべり関連施設を目の当たりにしたことに加えて、満開の桜も見ることができて、満足感の高い見学&山歩きだった。