筑波山(茨城県)

 2022年12月29日


東京出張の翌日、茨城県の筑波山に登ってみる。前夜の飲酒はかなりセーブしたつもりだけれど体はダルい。秋葉原からつくばエキスプレスで50分、さらにバスに50分、比較的短時間で筑波山に登れそうなお立石コースの登山口がある「つつじが丘」にやってきた。



筑波山は女体山と男体山の双耳峰。女体山へと続くロープウェイの乗り場を横目に登山道へと向かう。よく整備された道だけれど、序盤からそこそこの急坂が続く。空が真っ青で、風も無く思っていたよりもずっと暖かい。



登山口を見下ろしていた「ガマ大明神」にお参り。筑波山名物のガマの油売りに因んで開設されたと思われる謎めいた遊園地?ガマランドの施設の一部のようだ。ガマ洞窟など、半ば廃墟化したようなガマランドには惹きつけられるものを感じるが、寄り道する時間は無い。



登山道はさらに厳しくなってくる。この程度に岩っぽい山には慣れているつもりだけれど、どうも勝手が違う。見た目以上に滑るのだ。茶色く埃っぽい表面の下に黒っぽい艶が見える。これってまさか蛇紋岩なのかぁ? よく判らないけど経験のない岩質だ。



関東では人気の山だし、多くの人は年末休暇中だから覚悟はしていたけれど、想像を遥かに超える人の多さだ。に子供連れも多いし、犬連れも多い。すれ違いや難所の手前では、容易に渋滞が発生する。でもそのおかげで息を整えることができる。



登山口から50分ほど登ってくると、有名な奇岩エリアに入る。まずは、頭上の岩が今にも落ちそうで、豪傑で名高い弁慶でさえ通ることを逡巡したと伝わる「弁慶の七戻り」が登場する。



出船入船と名付けられた、これまた不安定極まりない奇岩。この他、北斗岩とか屏風岩とか陰陽岩とか、数えだしたらキリがない。気に入らないのは、とにかくこの種の特別な自然の造形をすべてパワースポットという言葉だけで紹介している案内が散見されることだ。



女体山に向けての最後の急登。筑波山は見かけと違って火山ではないらしい。でもゴロゴロ転がる岩は、蛇紋岩なのか、ただの花崗岩なのかは判らないけれど、火山岩だと思える。広い関東平野のなかで浸食されず山として存在し続けたのはこの硬い岩のおかげだろう。



登山口から80分ほどで筑波山の東峰・女体山(877m)に登頂。日本百名山とある。筑波山が山の少ない関東人にとって極めて特別な山だとは理解できるけれど、日本百名山ってちょっと東日本に偏りすぎじゃないかと感じてしまうのは、関西人の僻みだろうか。



尖がった山頂から見渡す関東平野は広い。よく目を凝らすと霞が関や東京らしきビル群は確認できるけれど、ほぼまっ平だ。



女体山の山頂にあるお社は、麓にある筑波山神社の本殿なのだ。伊弉冊尊(イザナミノミコト)が祀られている。筑波山全域が筑波山神社の神域であり境内なのだ。



女体山を下り男体山を目指す。途中、有名なガマ石が見える。ガマの口のような二つの岩の間に石だか小銭を投げ込めたらご利益があるそうだ。このガマ石の前で、かつてガマの油売りの口上が発案されたらしい。決して筑波山が特別にガマガエルが多い訳ではないのだ。



女体山と男体山の鞍部となる御幸ヶ原。正面に見えるのが男体山だ。男体山も女体山も山頂部は狭いため、ここに売店とか展望台、さらに弁当広場などの施設が集中している。筑波山神社方面へのケーブルカーもここを起点にしている。



どうやら珍しい鳥がいるらしい。立派なカメラを抱えた人が大勢、足元の森の方に向かってレンズを向けている。おそらく相当長い時間ここに立ち続けているのだろう。ハイカーとは明らかに異なる分厚いコートに身を包んでいる。



ちょっと休憩した後、男体山に向かう。写真では伝わりにくいのだけれど、結構な登りが続く。



階段や岩場を登り続けて、伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祀る男体山の本殿が見えてきた。筑波山の西峰・男体山(841m)の山頂に到着だ。女体山に比べて僅かに6m低い。



こちらからの眺望も、真っ平の関東平野。天気が良ければこの方向に富士山が見えるというが、それっぽいものは視認できない。



男体山から再び御幸ヶ原へと下っていく。登りではさほど苦労しなかった岩場だけれど、下りでは苦労させられる。下るのは苦手なくせに、他のハイカーも多く、登り下りのすれ違いも多いので、どうしても格好良く下りたいと考えてしまう。



御幸ヶ原からは筑波山神社に向けて御幸ヶ原ルートで下山。おそらく筑波山神社にお参りをした後、この道で山に登るのが王道ルートのように思える。登るには随分とキツそうだけれど、下るにも膝や足首への負担が大きい道だ。



鬱蒼とした杉林に囲まれた暗くて静かな道だけれど、岩も多くて手こずる。厄介なことに古傷のある股関節が痛くなってきた。



こんな岩だらけのところなのに、杉は大きく成長している。岩のないところに張り巡らされた根が至る所に顔を出しているのは仕方ないとは思うものの、歩く分には随分と厄介な障害物だ。下りだからといっても、すいすいと歩けるものではない。



ケーブルカーの軌道。おそらく20度くらいはあるのではなかろうか。ケーブルカーは御幸ヶ原に向けて当然直登しているのだけど、登山道も九十九折などはほとんど無く、ケーブルカーにほぼ沿った急勾配になっている。



もう嫌だよ~。ゴロゴロ岩の道が続き、股関節の痛みに耐えながらヨタヨタと下っていく。既に午後2時半だというのに、この道から登っていく人が多いことには驚かされる。もう2時間もすれば日も暮れるはずなのに、大丈夫なんだろうか。



予想を大きく上回る疲労を感じつつ、南麓の筑波山神社に下山。本殿は女体山と男体山の頂上にあるので、ここにあるのは拝殿だけなのだ。



今どき売ってないだろう、と思っていたガマの油だけれど、今でも筑波山の主要な土産物のようだ。かつてはガマガエルの分泌液を成分にしていることをウリにしていたはずだけれど、今ではそんなものは含まれていないんじゃなかろうか。



距離5.6㎞、獲得標高516mだというのに、所要時間は4時間16分。登りも下りも想像以上にしんどかった…。帰路の新幹線のなかで足を攣りかけてしまった…。



途中で気づいたのだけれど、YAMASTAがたくさんのバッジを山中に用意してくれていた。最初から知っていれば、もっとバッジを集めれたはずだけれど、それでも20個ほどもバッジを獲得できた。



ごろごろ岳(六麓荘登山道)【六甲山系】

 2022年12月24日


これまで何度も歩いた六麓荘登山道なのに、2年ほど前から道を間違うことばかりが続いている。分岐点など無かったはずなのに、記憶にある道とは違う酷い悪路を突っ切る羽目に陥るようになった。この謎を解明すべく国内屈指の超高級住宅街を抜けて登山口を目指す。



奥まった山麓に拓かれたこの町を歩く人はごく少ない。時折高級外車が通りすぎるばかりだ。最寄りのバス停から20分ほど登ったところにある豪邸に挟まれた細い路地が登山口。銀色のプレートに「六麓荘登山口」と書かれていたと思われる文字はほとんど消えている。



いよいよ六麓荘登山道を登り始める。序盤はどうってことはない道だ。しかし六甲山系登山詳細図では難易度高・登山道グレードC級・熟練者向けに分類されている道だ。ごろごろ岳への直登ルートとなるだけに、この先かなり厳しい急登が待ち構えていると記憶している。



だんだん心細くなる道を登っていくと鉄塔が現れた。見覚えが無い…。今日もまたおかしなところを歩いているようだ。どこでどう間違ったのか…。間違ったと判れば引き返すのが登山の鉄則なんだけれど、ここまで分岐があったようには思えない。



YAMAPには本来の六麓荘登山道は記載されていないけれど、ベースとなっている国土地理院の地図で破線で示された「徒歩道」を読み取れる。現在地は「徒歩道」のはずなんだけれど、落ち葉が積もる急坂の連続で、一般的には道とは呼びたくないところだ。



しかし徒歩道は苦楽園尾根まで続いているので、少々の難路であっても頑張って登り続ける。生い茂った樹木を掻き分けたり、岩を攀じ登ったりしながら急な斜面を苦労しながら進んでいくが、こりゃ無理だ、帰ろっかなぁ、と思い始める。



そんな時、眼下に苦楽園の街並みが見える断崖にやってきた。これは見覚えがある。2ほど前にも間違いなくここにやってきた。ここまでやってきた経路は多少違うようだけれど、その際も苦労して苦楽園尾根に登ることができた。行けなくもない道のはずだ。



しかし季節が違うのか、とにかく枯木の多さに辟易とする。登るために掴んだ木がいとも簡単にポキリと折れてしまうので要注意だ。さらに棘のある木や蔓が多い。うかつに触れようものなら、ひどい反撃を食らうことになってしまう。



YAMAPで現在地を確かめながら、少しずつではあるけれど苦楽園尾根に向かっていることは確認できるけれど、油断のならない難所が次々と現れる。



最後は道らしきものも見えず、やむなく藪を掻き分けて、苦楽園尾根の方向へと直登する。GPS無しではできないことだ。



やれやれ、ようやく苦楽園尾根にやってきた。途中赤テープがチラホラと見えたし、苦楽園尾根との合流地点の木にも赤いペンキが見られたので、この道を行く達者なハイカーもおられるのだろうが、ポンコツハイカーにとっては「道」でさえないとあらためて痛感する。



苦楽園尾根をごろごろ岳方面へと進んでいく。道を塞ぐように岩が積み重なっているけれど、六麓荘から登ってきた道と比べれば、どれほど楽な道かと思う。



苦楽園尾根に合流してから20分ほど歩いたところに、六麓荘登山口への道を示す案内標識がある。本来ならここに登ってこなければならないはずなのに、どこでどう間違ったのだろうか。



標高500mくらいにもなると、僅かではあるけれど雪が残っている。六甲山系でも雪が気になる季節になった。



ごろごろ岳(565m)。山頂碑は立派だけれど、周囲から突出していないため山頂感のない山で、登頂の達成感もあまりない山だ。山頂碑に立ち寄らず、そのまま通過するハイカーも多い。



苦楽園尾根を戻り、再び六麓荘登山口への案内標識があるところにやってきた。芦屋市が立派な標識を作っているけれど、かなりの急坂だったと記憶している。登ったことはあるけれど、急坂と判っているだけにこれまで下りに使ったことがない。



荒れ気味ではあるけれど、はっきりとした道が続いている。ストックを取り出して滑りやすそうな急坂に挑む。



樹々の向こうに芦屋の街並みや大阪湾が見えるところがたまにあるけれど、ほとんどの道では木々が深くて眺望を楽しめる道ではない。



ところどころ石段が置かれているところがある。相変わらず急な下りが続くけれど、ちゃんと整備されてくれている道だと感じながら歩いていることに安心感は増す。



薄暗く狭く急な道だが、芦屋市が立てている案内標識は、六麓荘登山口への道ばかりを案内している。でも間違いなく苦楽園に下りるのが一般向けだ。苦楽園が西宮市だから、芦屋市としては六麓荘への下山を案内するしかないのだろうか。市町村行政の悪いところだ。



徐々に下りも緩やかになってきて、余裕を持って歩けるようになってきた。あらためて周囲や道を振り返るが、記憶に残る六麓荘登山道と同じ風景だ。



ここが間違ったところのようだ。左前方に登山道が続いているのだけれど、右前方が開けていて、トレースもあるように見える。でもあらためて見れば、こんなトコで間違う人がいるのか?、誰だって左に行くだろう、と思いたくなるところだ。



右の青線が登りで使った道、左が下りの道。右には国土地理院の破線があるのに対して、左側の道には何の表記もない。2年ほど前からYAMAPを使い始めたことで、右側の破線ばかりを意識していたため、右寄りの道を選んで登っていたようだ。



長い間、不思議に感じていた六麓荘登山道での道迷いの謎をようやく解明でき、気分もよく六麓荘の豪邸街に戻っていく。



距離4.8㎞、所要時間3時間半。獲得標高は470m。間違った道と正しい道との間は100mほどしかないけれど、山の中では100mも変われば景色も地形も大きく変わってしまうものだ。