伏見名水スタンプラリー(2020)

2020年3月28日


京都での所用を済ませ、恒例の名水スタンプラリーに参加するために伏見に立ち寄ることにする。新型コロナが深刻化が増しているだけに、あまり混雑しているようなら諦めて帰ることにしよう。



これまで乗ったことが無かったんだけど、京都の洛南方面にはREXバスというちょっとマイナーなバスが走っている。城南宮方面に向かうには好都合だ。黒を基調としたREXバスに初めて乗車する。LINE Payが使える一方でPITAPAは使えない。



城南宮に到着。週末のお昼過ぎだというのに、心配していた混雑は見られない。三密を避けてのウォーキングには却って好都合かもしれない。



城南宮の鳥居を見ると、北風氏が寄附したものだ。おそらく北前船や樽廻船で有名な神戸の名家だろう。方除けの神社として知られる城南宮だけど、船の世界でも方除けというものがあったのだろうか。



城南宮から西へ、藤野神社方面に向かう途中、近衛天皇陵に立ち寄る。天皇陵としては珍しく、多宝塔を陵墓としている。



近衛天皇陵と安楽寿院との間の細い道では桜が満開に近い。



第二スタンプポイントの清和荘。新鮮組の近藤勇が襲撃されたところだ。近藤勇は鳥羽伏見の戦いの際にはこの時の傷の治療で大阪にいた。幕府軍の敗戦を聞いて地団駄を踏んで悔しがっていたに違いない。



第三スタンプポイントの藤森神社。このブログが始まって以来、2~30回ここでは写真を撮っている。定点撮影ポイントだ。



御祭神は素戔嗚尊以下12柱もある。いくつかの神社が合祀されたのだろうが、実に多様な顔ぶれだ。文化人の舎人親王の碑には追贈された崇道尽敬天皇の名が刻まれている。早良天皇や井上内親王などの冤罪でこの世を去った皇族も祀られている。



久しぶりに宝物殿を覗いてみると、なんとスペースの半分くらいは、アニメ「刀剣乱舞」のコーナーになっていた。様々なグッズや登場人物のパネルなどが所狭しと並べられている。



藤森神社から南に向かう途中、「かましきさん」と呼ばれる勝念寺を訪問する。織田信長から賜った「釜敷地蔵尊」は、炎に炊かれ煮えたぎる釜の上に立つお姿をしている。苦しむ人々の身代わりとなってくれるという。境内の萩が美しいことで有名だ。



第四スタンプポイントの金鵄正宗。いつの間にか工場のフェンスとゲートが新しくなっていた。



第五スタンプポイントは大国寺。薩摩藩との縁の深いお寺で、境内から湧き出る金運清水の注ぎ口には、「ひとり2Lのペットボトル2本まで」などの注意書きが不格好に貼り付けられている。



京阪丹波橋駅南の踏切。道路が鉄道に鋭角に交差していることもあって、踏切に気づかないドライバーが多いようだ。踏切の手前には大きな停止信号機が取り付けられている。



御香宮神社。第六スタンプポイントだ。こちらも桜が八分咲きとなっている。



御香宮神社の拝殿に、コロナウィルス感染予防のため、鈴の緒と手水鉢の柄杓を撤去していると書かれている。いつもと比べて明らかに参拝者も少ない。



京阪伏見桃山駅のホームや線路に密着するように立つ大手筋商店街のアーケード。ここまで寺社は人は疎らだったが、商店街はいつも通り混みあっている。混雑を避けて、商店街を迂回して次に向かう。



第七ポイントの鳥せい本店あたりに来ると、再び人の姿は疎らだ。いつもなら内外の観光客で賑わっているところだ。



第八ポイントの黄桜酒造。資料館に付属する土産物屋に、古いレコードが販売されている。「かっぱっぱ~、るんぱっぱ~…」の歌いだしで有名な黄桜のCMソングだ。500円で販売されているが、帰宅してネット検索すると3000円で取引されていた。



第九ポイントの月桂冠大倉記念館。コロナウィルスの感染防止のため休館している。伏見の南に進むにしたがって、コロナ対策が強化されている。最初は呑気に歩いていたけど、三密はさけてはいるものの、だんだんと悪いことをしているような気になってくる。




桜は見ごろを迎えているけど、十石舟、三十石船の運航の開始も延期されている。



最終ポイントの長建寺で、休館中の月桂冠大倉記念館と長建寺の2つのスタンプを押して終了。菊せい以降の4つのスタンプポイントは寄り道もせず一気に歩きとおした。



中書島駅でゴール。例年どおりコンプリートのご褒美にお猪口をもらう。



本日の歩行距離は10㎞くらい。



通勤と比べれば、人との接触など皆無に等しいけれど、健康維持のためとはいえ、大した用事でもないのに繁華街を歩くのは暫く控えた方が良さそうだ。混雑していても不安になるし、閑散としても不安になる。

新龍アルプス縦走(たつの市)

2020年3月26日


これまでいくつもの関西ご当地アルプスを制覇したけど、最近「新龍アルプス」の存在を知る。新宮町と龍野市の間の山々であることから名づけられたのだろう。(今では新宮と龍野は合併し、たつの市となっている)室町~戦国時代の気になる山城が並んでいる。



播磨の小京都、醤油と素麺で有名なたつの市の龍野城から山に入っていく。新龍アルプスは、もともと新宮町と龍野市の間の山々であることから名づけられたのだろうけど、今や新宮町は龍野市と合併し、たつの市となっている。



これまで龍野城は何度も訪問しているが、庭園の隅っこに登山口があるなんて気が付かなかった。ここから鶏籠山の山頂にある龍野古城に向かって登っていく。



古城大手道と呼ばれる道を進む。確かにお城の大手、正面に続く道なんだろうけど、平城の大手通とは全く異なる。細くて急な坂道が続く。険阻なうえに、要所には土塁や切岸を構築し、要塞化していることが判る。



二の丸などいくつかの曲輪を経て、30分ほどで本丸跡に到着。標高218mの鶏籠山の山頂でもある。播磨の多くの山城同様に、ここも赤松一族が築いた城だが、秀吉に攻め落とされ、その後は蜂須賀正勝や福島正則など、秀吉股肱の武将が城主に就いている。



本丸跡の周辺には石垣が残る。おそらく室町~戦国時代のものだろう。戦国時代が終わると城は破却されたが、江戸時代に脇坂氏が現在の場所に龍野城を建てているのだから、この場所は400年以上も放置されていたはずだ。



鶏籠山をいったん下り、次は的場山を目指して、歩きにくいガレ場を下っていく。単なる登山と違って縦走は登ったり下りたりを繰り返すのがとても楽しい。



鶏籠山と的場山の間の鞍部は両見坂と呼ばれている。このあたりには山から侵入してくる不審者を取り締まる龍野藩の番所があったそうだ。今にも倒れそうにも見える石灯籠が置かれているが、絶妙のバランスを保っているようだ。



両見坂を過ぎると、一転して急な登りの道になる。露出した岩を両手両足で伝いながら登っていく。



的場山の山頂。標高は394m。大きな通信アンテナ設備が山頂付近に設置されている。頂上からの展望は良く、眼下には龍野の町が広がる。天気がもう少し良ければ瀬戸内海も見えそうなところだ。



 続いては亀山を目指す。途中名前もない小高いピークを上ったり下りたりしながら、北へ北へと進んでいく。



基本的に尾根道を歩いているため、樹木が途切れたところからは、新宮から龍野にかけて続く揖保川の流れと川の周囲に広がる集落がよく見渡すことができる。



標高458mの亀山(きのやま)山頂付近にある城山(きのやま)城跡。万人恐怖政治を敷いた6代将軍足利義教を暗殺した赤松満祐が奮戦空しく幕府軍に敗れて自刃したところだ。嘉吉の変が終結した歴史の大舞台なんだけど、特段の遺構は見当たらない。



遺構どころか、簡単な説明板があるだけで石碑さえ見当たらない。地面を見ると標札の一部だったと思われる「城」の一字が落ちている。寂しいところだ…。



亀山付近の立っていたかなり草臥れた山岳マップのなかに、ついに「新龍アルプス」の文字を発見する。ここまで新龍アルプスという字を見かけなかっただけにちょっと嬉しい。アルプスと聞けば、歩くモチベーションも随分と変わってくる。



亀山を少し下ったところにある亀岩。巨岩につけられる名前としては亀岩が一番多いのではなかろうか。硬くて動かない丸みのある大岩なら、亀岩と呼ばれる条件をほぼクリアしていると言える。この岩には首をもたげるような出っ張りがあるのでさらに亀らしい。



亀山、亀岩、と来て、続いては亀池だ。溜め池だろうか。山上にあるにも関わらず水面は穏やかで、岸辺は砂浜のようだ。



亀池から流れ出る渓流に沿って下山していく。坂は緩やかで、倒木や渡渉を楽しみながらのんびりと歩いていく。



亀池からの水を近隣の村々で激しく争ったことが記録されている。今歩いている道も自分の村に多く水を流すために勝手に築いた堤らしい。



山中に井関三神社の奥宮が現れる。巨石を背にして小さな祠がある。この岩はいわゆる磐座なのだろう。神様が鎮座する神聖な岩だ。



ここまで調子良く新龍アルプスを縦走してきたが、最後の最後、道が怪しくなる。どこかで間違ったのかもしれない。信用しきれるものではないのだけど赤いテープだけを頼りに消えかけている道を草木を描き分けながら下る。



幸い無事下山することができ、ひと安心。池の前に並ぶ6体のお地蔵様に無事を感謝して手を合わせる。



下山して、あらためて歩いてきた新龍アルプスの山々を眺望する。大した標高ではないけど、これくらいの山でも下手をすれば道誤りや滑落の危険はある。



麓の田畑は、山の動物たちに随分と荒らされているのだろう。動物除けの長い柵が見られる。「鹿さん、熊さん、タヌキさん、山野で遭ったら一杯やろう」と動物たちに呼び掛けている。動物たちとの共存共栄を願う気持ちが良く理解できる。



本日の歩行軌跡。新龍アルプスの山行は10㎞地点まで。そこから先の6㎞は平坦な舗装道を歩いて本竜野に戻った軌跡だ。


豊川稲荷参詣

2020年3月21日 ②


赤坂~岡崎の東海道五十三次ウォークを終えた後、小一時間かけて豊川稲荷に向かう。三大稲荷のひとつに数えられるほどメジャーなんだけど、伏見稲荷大社の総本社とする神社ではなく「お寺」だという。どうにも理解できない。実際に行ってみるしかない。



駅から商店が立ち並ぶにぎやかな道を10分ほども歩くと豊川稲荷の門前に到着する。門柱には「豊川稲荷」とだけ刻まれていて、ここでは寺とも神社とも判断がつかない。



境内に入ると大きな鳥居、その前に稲荷神の神使である狐が鎮座している。何の変哲もない稲荷神社の風景だ。



が、鳥居の先にあるのはいかにもお寺の本堂だ。神社ではありえない瓦葺きの屋根だし、拝殿にあるべき妻もない。



カメラのフレームから鳥居が無くなると、完全に寺院の風景になる。この参道を東京オリンピックの聖火リレーが走るようだ。



豊川稲荷の正式名は妙厳寺。曹洞宗の寺院だ。ここでは吒枳尼天(だきにてん)という天女をお祀りしている。吒枳尼天は稲穂を荷い白い霊狐に跨っていることから、いつしか「豊川稲荷」が通称として広まったそうだ。



賽銭箱が大きい。大きな神社やお寺はかつてはこのような幅広の賽銭箱だったように思う。今は行儀よく最大3列で並んでお詣りしているところが多い。真正面からしかお詣りできないことは無いし、神様も仏様も一度の受付が最大3人なんてはずはない。



今は境内に神社と寺院の双方が混在しているが、明治初期には神仏分離令に基づき、鳥居は撤去されたそうだ。再度鳥居が立ったのは戦後なんだそうだ。一方で戦国時代に建築された古い山門もある。なんと今川義元が寄進したものなんだそうだ。



豊川稲荷を満喫し、門前の商店街を散策しながら駅に戻る。いなり寿司の店が随分多く目につく。一説には、豊川がいなり寿司の発祥の地とも言われているようだ。



JR豊川駅と名電豊川稲荷駅が共有する駅舎の前には、狐と人間が仲良く踊る像がある。人を騙すとも言われるが、田んぼを荒らす害獣のネズミを食べることから、農耕する人々にとって狐は益獣だったようだ。



豊川市のマンホールにも狐が描かれている。豊川市といえば、昨秋日本で初めてマンホールの蓋を企業の有料広告に使ったことで話題になったところ。他の市町村にも広がるのか注目しているのだけど、実際の企業広告マンホールには出会えなかった。