石畳が繋ぐ街と人との出会い(天神橋筋)

2013年6月23日(日)


昨夜は、摩耶・六甲ハイキングの疲れで、何回か右腿裏側が攣りそうになったというのに、一晩寝ると元気復活。しかし、あいにくの小雨模様だし、用事もある。ちょうど、先日、天神橋筋ぶらり歩きで満歩状を貰った際に、情報を仕入れたイベントが、今日行われることを思い出す。「石畳が繋ぐ、街と人の出会い」という堅苦しそうなイベントだが、スタンプラリーもやっているようだ。



石畳というのは、天神橋筋に貼られた、タイル状の路面のことらしい。主催しているHOPEゾーン協議会は、官民が協力して、大阪市内各地の街並み整備を推進している団体だ。



受付がある天満宮に行くと、テントが張られて、子供広場で昔遊びなどが紹介されていた。ここで、スタンプラリー台紙をゲットし、最初のスタンプを押してもらう。さあ出発だ。



次のスタンプポイントは、天神橋筋の繁昌亭。おいおい、最初のスタンプポイントの天満宮から、わずか徒歩30秒だぞ。


第三のスタンプポイントも、さらに徒歩30秒で到着。雨のため、スタンプ台にはビニール傘が置かれている。



ものの10分ほどで天神橋筋1~3丁目に設置された7ヶ所のスタンプポイントをすべて回り切り、再び天満宮に戻る。ゴールスタンプを押してもらい、参加賞のペットボトルホルダーを頂戴する。ウォーキングイベントでは定番の記念品だ。これで一体いくつ目になるのだろう・・・。



何度も歩いている場所だが、フクロウの専門店が天神橋筋にあることを発見。最近ブームだとは聞いていたが、何十万円もする。店の中でフクロウが羽ばたく姿は、なかなかの迫力だった。



あらためて気付いたのが、天神橋筋にはマッサージ店が、やたらと多いこと。同じ系列の店が100mおきに3店舗並んでいるほどだ。長い天神橋筋商店街を歩いていると、マッサージがしたくなるのだろうか・・・。しかし、全く疲れもなく、汗もかかないまま、スタンプラリーは終了した。

六甲・摩耶あちこちスタンプラリー

2013年6月22日(土)

谷上→森林植物園→穂高湖→六甲山牧場→掬星台→六甲道


一昨日来の大雨も上がり、「六甲・摩耶あちこちスタンプラリー」に出掛けることにした。先月、グリコ提供のポッキースタンプラリーに参加したばかり。それに、「六甲」=「きつい」、との思いが強く、躊躇していたんだけど、昨年も見送ってしまっただけに、もう逃げる訳にはいかない。



北神急行の谷上駅から、まずは、森林植物園へ。先月のポッキースタンプラリーでは、ただ1ヶ所、歩いて行くことを諦めてしまったところだ。山田道は楽チンという話も聞いていたが、念のため、まずは腹ごしらえ。まだ10時台というのに、谷上駅前の牛丼屋で超早い昼飯。



清流沿いの道を行く。昨日の雨でぬかるんだところも所々残っているが、急坂もなく、歩きやすい道だ。飛び石や木橋で川を渡るところが、いくつもある。かなり増水しているようだけど、楽しい。



川の水面が路面とほぼ同じ高さ。さらに雨が降ると、道全体が川のようになるのだろうか。



谷上駅から50分で、六甲山森林植物園の正門に到着。急坂も無く、歩きやすい道のため、全く休憩することなく、登ってくることができた。この時期、森林植物園の最大の見どころは、あじさい園。色とりどり、大小のあじさいが、競い合うように咲いている。



これも、あじさいの一種。「ガクあじさい」というらしい。青紫の花芯の周囲を縁どるように、数個の花が咲いている。まるで白い蝶が花を取り囲んでいるかのようだ。立派なカメラを据えて、写真を撮るなど、思いのほか、園内は賑わっている。



「森バス」というスタンプポイントを周回するバスが臨時運行されているのだが、そんなものは無視。植物園の中を、正門から東門に向かって突っ切って歩く。川を渡る長い飛び石が続く。写真を撮った直後、前方からハイカー集団が現れ、長い間、飛び石の脇で待つ羽目になる。



第二のスタンプポイント、六甲山牧場に向かう。途中、堤防の工事のため迂回を余儀なくされる。なんと、工事現場の仮設階段を上ったり下りたりしなければならない。



パイプを組み合せた足場に、板を載せただけの仮設橋。なんだか危なっかしいぞ。何人もが同時に歩けるような気がしないんだが・・・。



増水のため、飛び石がほとんど水没している。足場が悪いので、急いで渡ることもできない。かなり用心したつもりだったが、靴の中に水が浸入してしまった。しかし、安物とはいえ、ゴアテックス。しばらく歩くと気にならなくなるほどの、染み込みで助かった。



幕末、神戸に居留していた外人と、大名行列との軋轢を避けるため、明石と東灘の間に、西国街道間のバイパスとして、突貫工事で作られたという徳川道を行く。結局、この道は使われなかったらしいが、そりゃそうだろう。海沿いの街道を避けて、険しい六甲山中を行くのは、体力的にも時間的にも、負担が大きすぎる。



徳川道には、当時の石段が未だ残っている。単に石柱を並べただけではなく、基礎がしっかりしている。当時幕府が、本気で整備した道であることが窺い知れる。



標高650mに位置する穂高湖に到着。何となく、上高地の大正池を思わせる雰囲気だ。絶好の休憩ポイントだ。しかし、気温はあまり高くないものの、あいにく風は生温かく湿っぽい。



穂高湖から、掬星台方面に向かうのが、スムースなんだけど、一旦、六甲山牧場まで行って、また同じ道を帰って来なければならない。しかも適当なハイキング道がなく、バス道を行くしかない。六甲山牧場の馬が、バス道脇の境界柵まで、挨拶に出てきてくれた。



六甲山牧場の北ゲートでスタンプを押印した後、再びバス道を歩いて、摩耶山方面に向かう。GWにポッキースタンプラリーで歩いた際には、車が大渋滞だったが、今日は閑散としている。歩道もしっかり設置されているので、バス道とはいえ、気持ちよく歩ける。



次のスタンプポイントは、天上寺。これもポッキースタンプラリーで訪れたところだ。バス道でも行けるが、敢えてアゴニー坂を登っていくことにする。アゴニーって、AGONY(苦痛)か?確かに岩場と急坂の厳しい道だ。高校時代、「アゴに苦痛のアッパーカット」で覚えた単語だ。当時、連想式英単語記憶術なんて本が、仲間うちで流行ったが、今もあるのだろうか・・・?



天上寺で3つめのスタンプ。3つのスタンプで、キャラクターシールを貰う。続いて、オテル・ド・摩耶のフロントで、4つめのスタンプをゲット。カッコいい名前だが、ここは国民宿舎なのだ。



掬星台に向かう途中、「摩耶の石舞台」という案内板に引き寄せられて、高台に登る。飛鳥の石舞台のように、古代豪族の墓でもあるものと思っていたのだが、その実態は、展望台。清水の舞台をモチーフにして名付けられたらしいが、石舞台といえば、古墳のイメージが強すぎる。



次のスタンプポイントは、摩耶ケーブルの駅。2ヶ月連続で、掬星台からロープウェイ・ケーブルを使って楽に下山する訳にはいかない。ロープウェイ乗り場を無視して、青谷道から下山する。厳しい下り坂で、膝や足首にかなり負担が掛かりそうだ。



青谷道の途中にある摩耶山史跡公園は、旧天上寺跡。ここに至る階段が凄い。以前、青谷道を通って掬星台に登った際、ここの長い石段で疲労困憊となった。その時の「六甲」=「きつい」という印象が、今も定着したままだ。



ケーブル(摩耶ビューライン)の「虹の駅」で、スタンプを探すが、見当たらない。改札内に隠れているのかもしれない。スタンプラリーの商品は、天上寺の座禅体験チケットなど、六甲・摩耶の様々な施設の利用券。無理にスタンプを集めることもない、と駅を後にして、上野道を下っていく。



急な階段を下っていく。滑落事故以来、下り階段では、右足を庇って、左足で下りていく癖がついた。疲れてきて右足の踏ん張りが効かなくなると、段ごとに、左足からドスンと落ちていく歩き方になる。明日はきっと左の足首が痛くなるぞ・・・。


スタンプのコンプリートは諦めていたのだが、摩耶ビューラインのケーブル駅にスタンプがあった。となると、商品には興味がなくとも、最後のスタンプが欲しくなってしまう。六甲道にある、モンベル六甲店を目指して、再び歩き始める。



JRの下を潜る。さすがに何本も線路が走るだけに、トンネルはとても長い。



谷上駅を出て、およそ7時間。早い昼飯を食べて以来、何も食べていないので空腹が辛い。途中カツ丼の大盛りを食べた後、国道2号線沿いのモンベル六甲店で、最後のスタンプをゲット。



疲れた・・・。山田道や徳川道より、むしろ、下りの青谷道や上野道が辛かった・・・。

 

まとめ


歩行距離   22kmくらい
所要時間   441分 (7時間21分)
歩数      32900歩 (しっかり14800歩)

賤ヶ岳・木之本シールラリー

2013年6月16日(日)


「春夏の陣!賤ヶ岳・北国街道木之本宿シールラリー」に出掛けた。賤ヶ岳の七本槍をテーマにしているところは好みなんだけど、遠隔地のうえに、シールを貰うためには、買い物や宿泊が必要というのが気に入らない。しかし、天気も良いことだし、久しぶりの賤ヶ岳を楽しむとしよう。



まずは、滋賀県の北端、余呉駅へ。福井県はもうすぐそこだ。昨日の雨で少し涼しくなるかと思ったが、朝から日射しは厳しい。余呉湖の湖面も明るく輝いている。暑い日になりそうだ。



持参した地図は、6年前に全50コースを制覇したJRの「駅からはじまるハイキング」のもの。その際は、木之本から賤ヶ岳を越えて余呉まで歩いたのだが、今回はその逆コース。地図に従って、賤ヶ岳に登る前に、余呉湖の湖岸を散策する。月末に紫陽花祭りがあるそうだ。




余呉湖は、羽衣伝説が伝わる土地のひとつ。湖岸には、羽衣を纏った天女がモチーフになった看板や像などが設置されている。



30分ほどの湖岸散策を終え、いよいよ賤ヶ岳登山だ。住宅の横をすり抜ける小路が、登山口になっている。



登山口には、電線が張られている。イノシシばかりか熊まで出る山らしい。電線を跨いで、山に入っていく。



あたかも緑のトンネルだ。樹林が日射しを遮ってくれるうえに、余呉湖の方から、とても気持ちいい風が吹いてくる。



大岩山の中川清秀の墓所に立ち寄る。秀吉軍に属して、ここに砦を築き、北方からの柴田勝家軍に備えていたところ、余呉湖西岸を迂回して奇襲してきた猛将佐久間盛政に討ち取られた。荒木村重や明智光秀などの負け組と、際どく袂を分かつ立ち回りの良さを見せた清秀だが、享年42で戦場に散った。



木之本からの道に比べて、距離は長いが、坂は緩やか。もっとも賤ヶ岳山頂の手前では、息がきれるような坂が続く。



登り始めて70分余りで、標高422mの山頂に辿りついた。賤ヶ岳の戦いの直後の武将を描いたと思われる像がある。いかにも疲労困憊の体だが、1年弱の間に、明智光秀、滝川一益、柴田勝家と、 かつて仲間であった織田家重臣との戦いが続いたことへの悲嘆を感じる。



賤ヶ岳展望台から余呉湖の全貌を見渡すことができる。



逆サイドには、琵琶湖が広がる。2つの湖の水脈は繋がっているのだろうか。水位はほとんど同じように見える。



木之本への下りは、賤ヶ岳リフトを利用する。片道、しかも下りにリフトを使うのは、馬鹿らしい気もするが、シールラリーのコンプリートに、賤ヶ岳リフトは外せない。16ヶ所あるシールポイントのうち8ヶ所は宿泊施設なのだから、8枚シールをゲットするためには、残りはひとつも外せない。



山を下り、JR北陸本線を東に渡る。田植えも終わり、稲も順調に育っているようで、田んぼ全体が風を受けて波立っている。秋には美味しい近江米が収穫されるだろう。



北陸自動車道の上り線のサービスエリア。シールポイントになっているのは、下り線のレストランなのに、南行きを下りと勘違いして、30分以上、無駄なウォーキングをしてしまった。ここのサービスエリアは下り線に限って、一般道からも利用できるようになっている。



木之本町も余呉町も、3年前に長浜市に編入されたのだけれど、未だに、「町境」の表示が掲示されている。



旧北国街道を南下して、木之本の町に入る。道路には、融雪システムが整備されている。水のパイプの錆のせいだろうが、道路面は、赤錆色になっている。



うだつの町並み。いかにも旧街道の宿場町という風情だ。



馬宿の跡。山内一豊の妻、千代が、夫のために名馬を購入したのが、木之本宿だという。6年前に木之本を訪ねた際は、NHK大河ドラマの影響で、「功名が辻」ばかりがフィーチャーされていたが、現在のウリは、木之本が出生地と伝わる、来年のNHK大河の主役「黒田官兵衛」だ。



滋賀銀行の支店であった近代洋風建物が、今は「きのもと交遊館」として活用されている。シールポイントにもなっているので、入館料を払って見学。賤ヶ岳の戦いのジオラマが興味深かった。それにしても、羽柴秀吉、柴田勝家は勿論、加藤清正や福島正則などの七本槍武将、黒田官兵衛、山内一豊夫妻・・・。戦国武将テンコ盛りだ。さらにマスコットのモデルは石田三成だ。



木之本宿の古い酒屋。七本槍という酒を造っている。



シールを集めるため、ポン酢(醬油屋)、酒粕ジェラート(酒屋)、草餅(菓子屋)、そしてパンを購入。このサラダパンが、知る人ぞ知る、木之本の名物。コッペパンにマヨネーズと刻みタクアンを挟んだものだ。何個もサラダパンを購入する人たちが行列をなしていた。



木ノ本の駅。町の名前は「木之本」だが、駅は「木ノ本」だ。黒田家発祥の地の幟が駅前に並んでいる。



シールラリーも無事完成。木ノ本駅にある観光案内所で、好きな七本槍武将のピンバッジをひとつ貰える。ベタなことだが、加藤清正のバッジを貰う。特に清正が好みでもないのだが、失礼ながら、大名にもなれなかった平野長泰とかを希望する人は、余程のマニアと言える。



今日の出費は、電車賃5000円、買い物2000円、その他、リフト代や交遊館入場料など・・・、1万円近く・・・。


まとめ


歩行距離    約12km
所要時間    370分 (昼食・見学・買い物等を含む)
歩数       26000歩 (しっかり17500歩)