仙台散歩

2018年5月30日(水)


出張で訪れた仙台を、時間が許す限りで散策してみる。3年に2回くらいは仙台空港を利用しているのだが、仙台市内をゆっくりと見て回るのは随分久しぶりのことになる。



JR仙台駅のコインロッカーに荷物とスーツの上着を突っ込んで出発する。もっとも平日のビジネスタイムのうえ、スーツのズボンにビジネスシューズという格好なので、帽子を被ったくらいではウォーキングの気分にはなりにくい。



仙台のメインストリート、青葉通を東へと進む。目指すは仙台城跡だ。



大きな交差点には信号が無く、歩道橋も見当たらない。歩行者は地下を行かなければならないようだ。地下には、地下街でもないのに、かなり広いスペースがあって、ベンチなどもある。北国の寒さを凌ぐ場所になっているのかもしれない。



コンビニも二重扉になっているところがある。これもまた厳冬期に向けた対策なんだろう。



東北大学の正門。旧帝大にしては、やや質素なイメージは拭えない。本部棟があって、もともとは旧制二高があった片平キャンパスなんだけど・・・。それにしても、どうして京都(三高)を差し置いて二高が仙台になったのだろうか・・・。



広瀬川を渡り、仙台藩初代藩主、伊達正宗が眠る霊廟「瑞鳳殿」に向かって、静かな林の中、石段を登っていく。



瑞鳳殿。荘厳で豪華絢爛な桃山形式の御廟に圧倒される。一方で傍らに建てられた石塔は政宗に殉じた二十名もの供養塔に愕然としてしまう。実は、この瑞鳳殿は、戦災で焼失したものの、30年前、大河ドラマによる政宗ブームに乗じて再建されたものなんだそうだ。



瑞鳳殿から少し離れたところに、二代忠宗公の感仙殿、三代綱宗公の善応殿が並んで建っている。四代目以降、伊達家当主の霊廟のスタイルは変わったそうだ。



瑞鳳殿に行くために一旦西に渡った広瀬川だが、東岸に戻り、再び西に渡る。広瀬川はいくつものS字を描きながら、大都市仙台の中心部を流れている。広瀬川という名前が全国に知られるようになったきっかけは、さとう宗幸が歌った「青葉城恋唄」。もう40年ほども前のことだ。さとう宗幸って、典型的な「一発屋」と思いきや、今もって仙台では大活躍している人気スターなんだそうだ。



広瀬川の河原に近い小さな公園に、キリシタンの殉教碑がある。キリシタンへの迫害は九州を中心とした西国のことと思っていたが、北国仙台でも同様の悲劇が起きていたようだ。



さあ、いよいよ仙台城の本丸に向かう。もともとは仙台城の堀の一部であったと思われる五色沼と名付けられている池がある。ここが日本におけるフィギュアスケートの発祥の地なんだそうだ。



仙台城跡を包含する青葉山公園内には、随分石像の類が多く見られる。これは魯迅の記念像。かつて医学生として留学していたものの、結局は文学の道に進む。祖国のためには、肉体より精神の改造こそ大事と、この地仙台で思い至ったんだそうだ。



寛政の三奇人のひとり、仙台藩に仕えた林子平の記念碑も見られる。昔は語呂の良さだけで覚えていた「親も無し妻無し子無し版木無し、金も無けれど死にたくも無し」という持って行きようのない無念や屈辱の思いを込めた句に、今では強く感情移入できるようになった。



おいおい、仙台城跡への道にクマが出るって、ホンマかいな。十分ご注意ください、と言われても、どうしたらいいものやら。



木や草に深く覆われた古い石垣の道を進んでいく。まさかとは思うが、横合いからクマが突然出てきそうな気もしなくもない。



 しばらく登っていくと、先ほどまでの古い石垣とは段違いの、隙間なく整然と積まれた石垣が現れた。デキ過ぎな感じさえするが、これが仙台城天守のオリジナルの石垣なんだそうだ。



天守閣跡から仙台市内を展望する。最近、アメリカの都市を訪れることが多いせいか、取り立てて「杜の都」というほどに緑が多いようにも思えない・・・。



仙台城跡に立つ伊達正宗像。仙台を代表する撮影ポイントだ。30年ほど前に見た像は、広瀬川の間近にあったように思うのだが・・・。人の記憶といい加減なものだ。



天守台には土井晩翠の像もあり、「荒城の月」の歌碑もある。荒城の月って、大分の岡城がモデルだと長らく信じてきたが、どうやら作曲の滝廉太郎が曲を構想したのが岡城で、作詞の土井晩翠は郷土の仙台城や会津若松城などをイメージして詩を作ったらしい。



仙台駅から仙台城跡まで、9kmほどのウォーキングで時間切れ。地下鉄に乗って仙台駅、さらに仙台空港に向かう。



(以下、おまけ)
明治初期に仙台に実在した福の神「仙臺四郎」。仙臺四郎が行く店は間違いなく繁盛したとのことから、この地域のお店には古い四郎の写真(のコピー)が貼られているのをよく目にするが、お土産グッズが多数出現していたことには驚いた。さらには、結構大きくリアルな人形まで販売されるようになっている。



この数年で、急激な広がりを見せている「鉄道むすめ」。仙台地下鉄にも「青葉あさひ」という鉄道むすめが設定されている。



さらには仙台空港鉄道にも鉄道むすめ。仙台空港駅で「杜みなせ」ちゃんが出迎えてくれる。



スリムな容姿の立て看板とは異なり、スタンプになると二頭身の幼児体型に縮んでしまうというのも全国の鉄道むすめに共通したものだ。


仙台空港で見つけた「温泉むすめ」。どうやら、鉄道むすめをモデルにしてか、全国の温泉地が続々とオリジナルのマスコットキャラクターを制作しているようだ。ここまで来ると、さすがにブームも終焉期に入ったように感じる。




八幡市散策(橋本~石清水八幡宮~松華堂庭園~流れ橋)

2018年5月27日(日)


昨日のゴルフの疲れが残るなか、八幡市の探索にでかける。京阪電鉄が発行しているウォーキングマップを参考に、橋本、石清水八幡宮、松花堂庭園、流れ橋などを巡ることにしよう。



京阪の橋本駅に降り立つ。隣の樟葉駅が、ニュータウンの中心として特急停車駅として賑わっているのと対照的に、小じんまりとした質素な駅舎だ。



駅前の洋食屋さん。看板にあるアサヒスタイニーって、何十年前に流行っていた小瓶のビールじゃないか。この橋本駅を、京阪本線随一の秘境駅と呼ぶ人もいるくらいで、駅に降りたところからタイムスリップしたような景色が続くのだが、近年、古い建物がどんどん取り壊されていると聞き、久しぶりにこの町にやってきたのだ。


線路の脇の道も、公道なのか私道なのかは判らないが、とんでもなく狭い。自転車さえ通行できそうにない。



駅から淀川に向かって2~3分ほども歩いたところに、かつての渡船場の跡がある。柳谷の渡しと呼ばれていたものだ。石碑には、山崎、愛宕の文字が見られる。西国街道に出るひとばかりではなく、愛宕山や柳谷観音にお参りする人がこの渡しを利用していたようだ。



淀川の堤防にのぼり、山崎方面を臨むが、広い河原に草木が茂り、淀川はまったく視認できない。かつて「日本三古橋」の筆頭「山崎橋」が、橋本~山崎の間に架かっていたなんて、信じられないような光景だ。



堤防の上から橋本の町を振り返ると、古い旅館風の建物が並んでいる。かつて栄華を誇った橋本遊郭の跡だ。



詳しくは判らないが、築後何十年も経っていると思われる2階建ての木造建屋が佇んでいる。ひょっとしたら築百年超かもとさえ感じさせる。



妓楼建築というのだろうか。いかにも、というような建物が軒を連ねている。一部は旅館とか喫茶店として営業しているようだが、民家として使われているものも多そうだ。様々な映画のロケ地にもなったそうだが、最近、この種の建物が多く取り壊されているようだ。



エキチカだし、宅地には適当な場所かもしれないが、透かし彫りなどを施した妓楼建築群がこのまま消えていくのはちょっと寂しい。観光の対象ともなりうるし、個々の建物にも文化財的な価値があると思えるのだが。



橋本駅付近は、京阪本線が男山と淀川の間を縫って、大きくカーブを描きながら走るところ。運転手にとっても見通しの悪いところだと思うのだが、見慣れない信号機がある。よく見ると「停」と「通」の2文字が表示できるようになっている。文字の表示より、赤黄緑の色を使う方が判りやすいようにも感じるのだが・・・。



 橋本駅周辺の秘境探索を終えて、新しい住宅地の間を抜けて石清水八幡宮に向けて男山の坂を登っていく。大した山でもないのだが、最近体力がめっきり落ちたのか、随分と疲れる。



住宅地を抜けると、竹林が広がる。この地の竹は、エジソンが電球に用いたという特別なもののようだが、他の竹林同様、地元の人が小さなテーブルを置いて、タケノコやハチクが即売している。




石清水八幡宮。早くも今年2回目の参拝になる。



本殿の周囲を囲む土塀。織田信長が寄進したものらしく、信長塀とも呼ばれているらしい。



本殿の周囲や参道に林立している燈籠の多くは摩耗のため文字が読めないのだが、そんななかに、はっきりと判読できるものがあった。「姫路侍従 源朝臣直矩」の寄進とある。おいおい、これって、最近映画にもなる引越大名とまで呼ばれた松平直矩ではないか。年代的にも合致する。移封続きで慢性的な財政難と言われているが、石清水八幡宮への寄進はケチることができなかったようだ。



男山にも毎日登山のような仕掛けがあるようだ。日付入りのスタンプを100集めるといいことがあるらしい。



本殿から、燈籠が立ち並ぶ参道を抜けて、男山の南側に抜けることとする。



男山には、いくつかの散策路がある。前回石清水八幡宮を訪ねた際には、台風か何かの影響で通行止めになっていた「せせらぎルート」を歩く。



やはりこの道も竹林を抜ける道。竹林を揺らす穏やかな風と、竹の葉を通り抜けて射し込む柔らかな日の光の相乗効果で、とても気持ちよく歩ける。


男山から下山して、さらに南下して松花堂庭園にやってきた。これまで何度も門前を通過してきたが、今日初めて入園する。男山の散策路のごつごつした自然とは異なり、実に様々な植物(特に竹と椿)を集めて、それぞれに合った役割を与えて出来上がった、見事に調和された自然だ。



左奥の建物が松花堂。茅葺の草庵と、豪華な書院、瀟洒な茶室などが、広大な庭園のなかに、見事に配置されている。



松花堂庭園から東へ、久しぶりに流れ橋とよばれる上津屋橋にやってきた。増水した際には無理に橋を守るのではなく、固定されていない橋桁は流れてもいい、という、画期的な発想の橋だ。



が、流れ橋の上を歩くことを楽しみにここまで来たが、なんと通行止め。昨年の台風で橋桁が流れてしまい、その後改良工事を施しているようだ。橋が流れすぎるのもお金がかかるということで、あまり流れないように橋を嵩上げしているんだそうだ。



楽しみにしていた流れ橋だが、後日再訪することにしたい。これまで橋の上を歩くのを楽しみに何度か訪問したところだが、橋が流されているところも見てみたいものだ。