伏見~大津(京阪沿線街道めぐり)

2017年12月9日(土)


あわよくば3日で完歩するつもりだった「京阪沿線街道めぐり」も、なんと5日目を迎えてしまった。最後の2つのスタンプをゲットすべく京阪中書島に降り立つ。伏見や宇治でのイベント参加のため、頻繁に訪れる駅のひとつだ。今日はここから、滋賀県浜大津まで歩くこととする。



中書島から徒歩5分ほどで、最初のスタンプポイントの黄桜酒造にやってきた。ついでに河童資料館を少し見学。カッパは川で足を引っ張ることから、客の足を引くという意味で商標に用いられることが多いらしい。



次いで、再び5分ほど歩いて大手筋商店街で最終15個目のスタンプをゲットして、コンプリート。大阪天満橋から滋賀県大津までの60~70kmに渡るスタンプラリーのなかで最短のスタンプポイント距離だ。スタンプポイント配置のバラツキも酷いが、スタンプの印影も酷い。まるで達成感が感じられない。



あっという間に、京阪沿線街道めぐりは終了。さあ、先週コンプリートした京阪大津線スタンプラリーの賞品を貰うため、電車なら42分・700円の浜大津駅までの15kmほどを歩いていくことする。大手筋商店街を出て、電車の最後尾が踏切スレスレという、ホームの短い京阪伏見桃山駅を横目に東に進む。




乃木神社への道も、藤森神社への道も、伏見桃山城への道も歩き飽きた感があるので、久しぶりに明治天皇伏見桃山御陵に立ち寄るルートを歩くことにする。鬱蒼とした樹々のなか、玉砂利が敷き詰められた道を進む。



伏見城の石垣に使われていた石などを観察しながら、テクテクと20分ほど歩いていったところに明治天皇陵はある。上円下方墳というものらしい。元々は伏見城の跡地になるようだ。



さらに進むと、皇后である正憲皇太后陵がある。鳥居などは天皇陵より多少小ぶりのような気がする。どうして皇后陵じゃないのだろうか。明治天皇の後に崩御されたので、皇太后陵ということなんだろうか。



御陵の入口には宮内庁の標札が掲げられている。「みだりに域内に入らない」「魚や鳥を取らない」「竹や木を切らない」との3つの決まり事が書かれている。見ようによっては、かなり緩いルールだ。御陵の前で弁当を食べている人もいたが、OKのようだ。



先週、山科の六地蔵を訪問したばかりだが、伏見桃山の六地蔵、大善寺を再訪する。六角形の六地蔵堂にお参りする。



畏れ多くも、地蔵堂のなかのお地蔵様を撮影させていただいた。冥界と自由に行き来できたという小野篁が、冥府で実際に会った地蔵尊を像に仕上げたものだというから1000年以上前のもののはずだが、極彩色だ。地蔵はモノクロ、という固定観念があっただけに、ちょっとビックリだ。



六地蔵から小栗栖街道を北に進む。天王山で敗れた明智光秀が土民に殺害されたのがこのあたりのはず。以前、光秀の胴塚や明智藪を訪ねたことがあるが、どこだったのか、さっぱり思い出せない。案内表示も見当たらない・・・。



山科の中心部を迂回するように、小栗栖街道から奈良街道へ抜ける。名神高速の脇に、一里塚の跡がある。榎の巨木の下部が未だ残っている。かつての旅人に倣って、一里塚跡の石段に腰を掛けて一休みする。



おそらくは大津への近道と思われる名神高速に沿った道を進んでいると、妙見寺というお寺が現れた。神仏習合ってやつの名残だろうか、お寺なのに鳥居があって、「妙見大菩薩」という扁額が掛けられている。



鳥居の奥に、小さなレンガ積みの遺構がある。道に掲げられた案内標識が無ければ、まず、誰にも気付かれることなさそうだ。大正10年に現在の東海道本線が完成する前の、「旧東海道線」のトンネルの入口跡とのことだ。



東海道新幹線の高架を潜る。第一大塚CB。CBとは何なんだろう・・・。それはともかく、469粁957米06の表示がある。おそらくは東京駅を起点としての距離なんだろう。決して古い表示ではないが、kmを粁と書くとか、センチメートル単位までの表示をするとか、も気になってしまう。



ほぼ同じ地点の名神高速には、478.7の文字。東名+名神の距離表示なのだろうか。想像が正しければ、高速道路は新幹線より、やや遠回りしていることになる。問名高速の起点は、東京駅よりかなり西の世田谷なので、なおさらだ。



国道1号線にも、東京日本橋を起点とするに違いない距離表示がある。道路や鉄道には、このような表示が随分多いのだけれど、意味不明な表示を延々と見せつけられるのは気分があまり良くない。門外漢にも多少は意味が解るようにしておいてもらえれば有難いと思うのだが。



滋賀県内に入って旧逢坂の関、京阪大谷駅付近にやってきた。元祖走井餅の石碑がある。この辺りの茶屋が、付近の清水で搗いた餅を売り出したのが走井餅の起源らしい。もっとも、京都・滋賀のアチコチで本家や元祖を名乗る店があるように記憶しているのだが・・・。



うなぎも、この辺りの名物になっている。「日本一のうなぎ」と大見得をきっている店もあったりする。うなぎが捕れるところでは無いと思うが、うなぎの顔出しパネルや、飛び出し坊やなどが、道に設置されている。



蝉丸神社。"これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関"の歌で有名な蝉丸を祀る神社だ。百人一首の坊主めくりでは「坊主」扱いされているる蝉丸だが、実のところは琵琶の名手。今風に言えば、音楽家に区分されるべき人物だ。



国道1号線の脇に、かつて、ここに逢坂の関があったことを示す石碑がある。常々感じるのだが、別にここを通らなくとも、大津と京都の間を行き来できる道は他にいくつもあるのだが、関ってどれほど機能していたのだろうか。



逢坂の関から、すこし大津側に下ったところに、別の蝉丸神社がある。正しくは関蝉丸神社の上社。最高権力者以外で神として祀られている人は、例外なく非業の死を遂げた人と言っていたのは、確か哲学者の梅原猛だが、蝉丸はどうなんだろう。あまりに謎めいた人物だ。



大津の市街地に入るところに、旧東海道線の廃トンネルがある。ほんの少しだけだが、中に入ることができるようになっている。トンネルの扁額は、三条実美による「楽成頼功」の四文字。「落成」の「落」は「落盤」に通じて縁起が悪いので、「楽」に変えたそうだ。



関猿丸神社の下社。京阪大津線が鳥居の際際を走っている。踏切の遮断機と鳥居がほとんど一体化しているようだ。



こちらは、現在のJRの逢坂山トンネル。トンネル入口の上を京阪が走っている。あらためて見ると、こちらもかなり年代物のように見える。



京阪浜大津駅まで歩いて、先日貰い損ねた大津線スタンプラリーの賞品をいただく。表も裏も、なかなか洒落たデザインのキーホルダーだ。



本日の歩行軌跡。15km強と予想していたが、結局20km歩いていた。