2017年12月3日(日) ①
今月1日から始まった京阪電鉄大津線800系20周年記念スタンプラリーに早速出掛ける。新型車両導入から20年というのが、記念行事を開催するほどのものなのか、ちょっと首を傾げたくもなるが、坂本~浜大津~山科と3つのスタンプポイントを繋ぐと15~16kmといったところ。ウォーキングには程よい距離だ。
JR比叡山坂本駅で下車して、京阪坂本駅まで500mほどの道を行く。毎年恒例にしている比叡山スタンプラリーに合わせての比叡山登山は米国出張のために今年は行けずじまいだ。
京阪坂本駅にやってきた。以前もそうだったので、半ば予想されていたことなのだけれど、電車系スタンプラリーでは珍しく、スタンプが改札内に置かれている。仕方なく、1駅だけ電車に乗ることとする。改札内には、鉄道むすめ、石山ともかのパネルが設置されている以外、見るべきものもなく、15分に1本の電車をボンヤリと待つ。
電車賃が勿体ないが、数百m先の松ノ馬場駅で下車。安土城に次ぐ豪壮華麗さと言われた坂本城に立ち寄るが遺構はほとんど残っていない。ずんぐりむっくりの明智光秀像も違和感がある。赤穂城跡の四十七士同様、安くあげるために中国に発注したものではなかろうか。中国の武人像は、ずんぐりむっくりが定番だ。
驚いたことに、いつの間にやら、「光秀(おとこ)の意地」という鳥羽一郎が唄う歌詞碑が建てられている。失礼ながら「光秀」を「おとこ」と読ませたり、「わしは主を間違えたようじゃ」とのセリフなどが臭すぎて感情移入できそうにない。
比叡山方面を見上げると、何本もの帯状の雲が見える。これは地震雲か何かでは、と瞬間感じたが、何のことは無い、伊丹と北陸・北海道方面を繋ぐ飛行機によるもののようだ。比叡山の山中に大阪空港の施設があったことを思い出した。
飛行機雲は真っ青な琵琶湖を渡って、北東に流れている。
唐崎神社にも立ち寄る。清少納言が枕草子で「崎は唐崎」と讃えた旧蹟だ。唐崎の代名詞ともいうべき名松も、今のものが3代目らしい。
国道沿いに陸上自衛隊の駐屯地が広がっている。柵越しに見える戦車やヘリコプターも興味深いが、もっとも感じ入ってしまったのが、「平和を仕事にする」という募集広告。賛否両論あろうが、なかなかにパンチ力のあるキャッチフレーズだ。
単管バリケードが延々と並ぶ仮設の歩道を進む。ウォーキングの際、動物柄などの単管バリケードの写真を撮り続けているが、最近目立つアニメ系はあまり好きになれない。狸とか鹿とか、いろいろと動物を並べる方が楽しいように思うのだが・・・。
まだ大津の市街地までは距離があるが、国道沿いは、琵琶湖の景観などお構いなしにファーストフードや量販店などの大きな広告板がギッシリと並び、賑やかではあるが、雑然として猥雑とさえ感じてしまう。
琵琶湖畔にあった巨大旅館「ホテル紅葉」の跡地に、大きなマンションが建設中だ。かつて、湖の景観、温泉、そして派手なテレビCMと併設する遊園地で、大変な人気を博していたのを知っているだけに、栄枯盛衰の儚さを感じずにいられない。
突如ヴュルツブルク通りなるものが現れた。調べてみると、大津市とドイツのヴュルツブルク市は姉妹都市になっているようだ。25年ほど前訪れたことがあるヴュルツブルクは、荘厳な中世の建物が多く残るロマンチック街道の起点。大津との共通点は何なんだろう・・・。水辺の街道都市ということだろうか。
琵琶湖疎水の入口。明治初期に、こんなところから、よくまあ京都まで疎水を通したものだ。
京阪浜大津駅。ここでは、改札内外双方から入ることができる駅事務室にスタンプが置かれていた。来年3月には、びわ湖浜大津駅と駅名が変更される。ちょっと馴染めない感じもするが、おそらく来春には、駅名が変わる大津線の4つの駅を対象にしたスタンプラリーが開催されると睨んでいる。
さあ、次は山科だ。京阪の路面電車に沿って西に向かうのが常套ルートだろうが、混雑を避けるため、以前歩いた小関越えを行くことにする。
小関越の石碑。かなり古いものだ。「右、三条・五条・いまくま(今熊野)」とある。別の面を見ると「右、三井寺」とある。あれ~、どっちも右じゃないか、と戸惑ってしまう。石碑の各面に正対して右のことだ、と、当たり前のことに気づくまでに暫くかかってしまった。
小関越は、ほとんど車も通らない準自然道。ススキや紅葉を楽しみながら、のんびりとウォーキングができる。
峠を越えたところで、長いトンネルを潜り抜けてきた疎水に再会する。
トンネルを出た疎水は、真っすぐに夕陽を目指すように進んでいる。
疎水沿いの道は最近何度も歩いたので、東海道線に架かる歩道橋を渡って南に向かう。6つの軌道が走っている。2本が湖西線、そしておそらく4本が東海道線のようだ。
旧東海道を歩いていくと、六角形のお堂に出会う。都に入る6つの街道(奈良、西国、丹波、周山、若狭、そして東海道)にある六地蔵のひとつだ。
山科の街には、義士祭の提灯や幟が多数見られる。確かに大石内蔵助は赤穂城引き渡しの後、山科に隠遁し、ここで仇討ちの決意をしたようだが、義士祭をするほどかなぁ、とも思う。そんなことより、山科から京都の遊郭まで通うのは大変だったろうな、という下世話なことを考えてします。
京阪山科駅で3つ目のスタンプをゲットして、無事コンプリート。しかし、浜大津駅でしか、記念品の交換ができないことを知る。さすがに、再び浜大津に戻る気にはならない。
本日の軌跡。JR比叡山坂本駅から寄り道を繰り返しながら山科まで約18km。もっともこのうち坂本~松ノ馬場の600mほどは止む無く電車に乗っている。