日野町見どころスタンプラリー (滋賀)

2012年11月25日(日)



大阪マラソンでボランティアを務めている同僚には申し訳ないことだが、朝から滋賀県で私用があり、そのまま「すたんぷらりぃ(原文どおり)」開催中の日野町まで足を伸ばした。近江鉄道の日野駅到着は午後1時。細長い市街地の西端にある日野駅は想像以上に荒廃した駅舎だ。

駅前の観光案内所のおじさんが、レンタサイクルを薦めてくれたが、当然歩いていくのだ。スタンプポイントは広い日野町内に18もあるが、スタンプ3つで台紙は埋まる。時間も限られているので、市街地にあるスタンプを6つ取れれば良し、と考えて出発する。



駅から25分歩いて、蒲生氏郷の銅像までやってきた。日野出身の戦国武将で、信長、秀吉に仕えて、会津92万石を領するまでになったが、惜しくも早くこの世を去った。本能寺の変が無ければ、次世代エースとして織田家を支えた人だろう。

戦の実績もさることながら、商工業振興に力を入れたことで有名なだけに、武将の銅像としては珍しく、帳面と筆を手にしている。町には「蒲生氏郷を大河ドラマに」の看板も見られた。



もうひとつの日野のウリは「近江商人発祥の地」。古い商家を転用した、近江日野商人館に入館して30分ほど見学した。



日野の2大商品は、薬と椀。近江商人には、おもに日野系と近江八幡系があるそうで、前者は行商+フランチャイズ経営、後者は大店直営、と、商形態は大きく異なっていたそうだ。



日野小学校の前にある、近江商人の像。各地を行商に回っている姿のようだ。全国の宿場には、「日野商人定宿」の標識が掛かった、契約旅籠があったそうだ。



日野町の汚水マンホールの蓋の絵柄も、日野商人をモチーフにしたものだ。



旧道沿いには、古い民家や商家が随分多い。しかし町並みを整備しているのではなく、自然に残っているようだ。古い家と新しい家が混在しているところが、観光的にはちょっと残念だ。



観光協会が入っている、日野まちかど感応館。もともとは、日野商人の行商の主力商品となっていた「万病感応丸」を製造していた薬屋だったそうだ。近江商人の経営哲学として有名な「三方よし」の垂れ幕が目を惹く。



珍しい桟敷窓がある古民家。塀に窓を開けて、家と塀の間に桟敷を設けて、道行く人を眺めながら食事をするという趣向らしい。



蒲生家の菩提寺、信楽院。寺門や鐘楼には彫刻などが施され、とても厳めしい雰囲気だ。



市街地を東に抜けたところに、蒲生家の本拠地、日野城の址がある。本能寺の変の際、賢秀・氏郷父子が、安土城にいた信長の家族を匿い、明智光秀に徹底抗戦の姿勢を示したところだ。もっとも今は、石垣などが少し残っているだけで、当時を偲ぶには、逞しい想像力が必要だ。



紅葉が美しい日野川ダム。このダムの建設の際、日野城の遺構の大部分が破却されたらしい。



往路は日野駅から日野城址まで、ジグザグに東進してきたが、帰路はの5kmほどの道のりを駅に向かって一直線に戻る。

そういえば、日野町は「びわこ空港」建設計画があったところ。既に空港計画は実質的に崩壊していると思うのだが、未だ空港反対の貼り紙が多く見られた。



街灯も疎らで、暗い道を歩いて日野駅に戻って来た。駅舎もベンチも木製。ウン十年前にタイムスリップしてきたような駅だ。それでも、このあたりでは唯一の有人駅だ。



スタンプは合計6つを獲得。町の名所の絵柄が美しくデザインされている。これで2口応募できることになる。




ついでに、日野・近江八幡・竜王・東近江の4市町が共催している「東おうみスタンプラリー」もやった。83ヶ所もスタンプポイントがあるし、事務的なスタンプデザインだし、4つ押印すれば応募可能というハードルの低さだ。これでは、上級スタンプラリーストの、モチベーションを上げることはできない・・・。


まとめ


歩行距離   約11km
所用時間   270分(4時間30分)
歩数      19000歩 (しっかり 10100歩)





安倍晴明スタンプラリー (あべの・天王寺)

2012年11月24日(土)



今年の5月に開催された「あべてん まちあるき」の第2弾が安倍晴明をテーマに開催された。

前回は、「「真田幸村、最後の指令~我が十勇士よ、集結せよ~」」という訳のわからないイベント名だったが、今回のイベントも「白狐伝説祭」と、テイストは少々異なるものの、歴史大好きスタンプラリーストを魅了するタイトルになっている。



まずは、最初のスタンプポイントの阿倍王子神社へ。熊野街道沿いにある、熊野権現の分霊が祀られた九十九王子のひとつで、府下で現存している唯一の王子社だ。以前、大阪から海南まで、何日かに分けて熊野街道を歩いたが、多くの王子には、祠も石碑も無かった。



先着300人限定の、天王寺蕪を使った「晴明大なべ粥」を御馳走になった。柔らかく炊いたお粥のなかでも、天王寺蕪のシャキシャキは失われていない。確か、野沢菜のルーツは天王寺蕪だったはずだから、お粥に合わないはずがない。

住宅地に囲まれた、さほど大きくも無い境内の中に神木が立ち並ぶ。



続いては、安倍晴明神社。晴明の生誕地と伝わるが、桜井の安倍文殊院にも、生誕地説があったはずだ。晴明も、遣唐使・阿倍仲麻呂も、奥州豪族・阿倍貞任も、江戸老中・阿部正弘も、みんな同じルーツというくらい複雑だから、晴明伝説が様々に伝わるのも止むをえまい。



安倍晴明神社には、晴明の母と伝わる白狐の像もある。ここから、信太山までなら、子供の足でも頑張れば一日で着ける距離だから、狐を「狐が化けたとしか思えないほどの美女」とでも置き換えれば、結構リアリティのある話になる。それより晴明自身の事績の方が余程オカルト的だ。



熊野街道の碑は、どこも同じ文字で統一されているんだけれど、この丸ゴシックのようなフォントには違和感がある。「かいどう」をどうして平仮名にするんだろうか。高価そうな石材を使っているんだから、もう少し古風で格調高いものにした方が良かったんじゃないかなぁ・・・。



南海の阪堺線の東天下茶屋駅。財政難で大変なんだろうけど、車体の広告がどんどん派手なものになって、レトロな駅舎の雰囲気に合わなくなっているのは淋しい。




東天下茶屋のホームで見つけた馬車鉄道の跡。阪堺線はかつて、ここから四天王寺の間、軌道の上を馬車が走ることから始まったそうだ。知らなかった・・・。



阿倍野区を西に横切り、聖天さんと呼ばれる正圓寺で、聖天山の山頂の碑を発見。標高14mで、大阪5低山のひとつに数えられる。これまで標高が高そうな奥の院が山頂だと思っていた。



スタンプポイントにもなっている聖天公園には、阿倍野区のキャラクター「あのん」が愛嬌を振りまいていた。



阿倍野区の西端を通って天王寺に戻る。南北に走る上町断層のため、隣接する西成区との間に20mほどもの段差がある。



最後のスタンプポイント、あべのQ’sモール。ここまで占いやクイズなど、各スタンプポイントには趣向を凝らしたコーナーが併設されていたけれど、ここでは紙芝居や射的が行われていた。



下から見上げた建設中のあべのハルカス。既に300mを超えているらしい。天王寺にこの規模のビルはちょっと無理があるんじゃないか、とも思っていたけど、Q’sタウン、HOOP、and、など、続々と建てられた「あべの****」は、どこも結構賑わっている。



HOOPのゴール。安倍晴明神社では男性が晴明に扮していたが、ここでは端麗な顔立ちの女性が晴明役になっていた。貴族姿がとても凛々しくてお似合いだ。



スタンプは、いずれも晴明に所縁のある言葉が入った図柄。五色の取り合わせが美しく、デザインも面白い。最後に五芒星のスタンプを真ん中に押すなんて、なかなか凝っているぞ。



最後のくじ引きはハズレだったけど、それでも、クイズコーナーでの賞品も含めて、5月にも貰った笛付きボールペン2本、晴明神社で御祈祷済みの知恵の飴などを、貰った。5月と比べて歩く距離はとても短かったけれど、やはり楽しいイベントで、多くの人が参加していた。



【おまけ】

たまたま発見した「あべの近Qスタンプラリー」。ついでに3つまでは押印して回ったけれど、残る1つは天王寺公園の有料エリア、ってことで、たぶん行くことはないだろう・・・。



確かに、あべの・天王寺は大きく変貌しつつある。まだまだ工事中の施設も多く、すぐ近くには再開発の対象外になっているような古い地域もあるが、様々なイベントを繰り広げて、是非一度この地を訪れてほしい、という地域の思いは良く伝わってくる。

真田幸村、安倍晴明、ときて、次は聖徳太子だと思うんだけれど、どうなんだろうか。


まとめ


歩行距離   5kmくらい  
所用時間   1時間40分
歩数      12000歩 (しっかり 5500歩)





沿線散歩(2) 飛鳥

2012年11月18日(日) -②



吉野線スタンプラリーに続いて近鉄・阪神・山陽の沿線散歩のコース(2)の制覇を目指す。

沿線散歩では、岡寺駅⇒亀石⇒板蓋宮跡⇒飛鳥寺⇒甘樫丘⇒橿原神宮前駅と歩くようになっている。板蓋宮跡や甘樫丘は渋い選択だが、高松塚、石舞台、岡寺など、横綱級の名所をいくつか外した、小じんまりとしたコースだ。そこで飛鳥駅を起点にしてひと回り大きく飛鳥を歩く。


まずは、欽明天皇陵を目指して歩く。欽明天皇は仏教伝来の時の天皇で、推古天皇など4人の天皇の父、聖徳太子の祖父である。在位32年間と当時としてはかなりの長期政権だ。



欽明天皇陵の近くにある、猿石。欽明天皇の孫にあたる吉備姫王の墓所内に設置されている4体の石像だ。猿石とは名付けられているが、どうやら渡来人の姿を象ったものらしい。



鬼の雪隠。もともとは石棺の蓋だったものが、何かの拍子で転がり落ちてきたものらしい。それにしても雪隠とは見事な命名だ。



こちらが石棺の底の部分で、鬼の俎板と呼ばれている。被葬者は不明のはずだが、宮内庁の管理となっている。この俎板の一部は割られていて、高取城築城の際の石材になったそうだ。



欽明天皇陵から続く遊歩道に、亀石の手前の道路を渡る地下道ができあがっていた。昨年訪れた際に工事をしていたが、まさか地下道を作っていたとは・・・。大した道路を横断する訳でもなく、信号ひとつ付ければ十分のようにも思えるんだけど。



謎めいた石造物が多い飛鳥だが、その代表選手とも言えるのが亀石。大昔、奈良盆地が大きな湖だった頃、この地の対岸の当麻が争って、当麻のヘビが水を吸い上げて、湖の亀が全滅したそうだ。この亀石が西を向く時、奈良盆地は再び湖面に沈むのだそうだ。



橘寺。聖徳太子の生誕地と言われるが、この中に厩戸があったのだろうか。橘寺は、外塀が低いため、入場料を払わずとも、内部が大体見えるので、中に入ったことがない。



再び沿線散歩のコースから外れて、石舞台古墳に向かう。石舞台公園では、飛鳥時代の服装を試着する催しが人気を呼んでいた。



石舞台古墳。いつの頃からか、植栽で公園と仕切られて、入場料が必要になった。今日は「関西文化の日」で、多くの博物館や美術館が無料になる日なんだけど、古墳や寺社は対象外のようだ。でも植栽越しでも、古墳は十分見えるのだ。我ながらケチだと思う。



岡寺の参道入口付近にある犬養万葉記念館。これまでは素通りだったんだけど、関西文化の日で無料になっていたので、初めて入館した。



犬養万葉記念館の前にある「書状集箱」。明治初期の郵便制度草創期の形式だそうだ。なんと現役のポストで、写真の撮影が終わるまで、封書を持った若者が投函を待ってくれていた。



再び沿線散歩のコースに戻り、伝飛鳥板蓋宮跡へ。飛鳥の板蓋宮跡と伝わる地、ということだ。天智・天武両天皇の母にあたる皇極天皇の宮殿だそうだ。井戸などの遺構が復元されている。



日本最古の本格寺院と言われる法興寺を前身とする飛鳥寺。優しいお顔の飛鳥大仏で有名。


飛鳥寺の梵鐘。誰でも自由に撞くことができるので、修学旅行の団体などがいると、大変な騒ぎになる。どういう訳か今日は鐘楼の周りに誰もいなかったので、久しぶりにひと撞きした。深く余韻のある音色だ。



飛鳥寺の開祖は蘇我馬子で、蘇我氏の氏寺。そのためか、大化の改新で討伐された馬子の孫、蘇我入鹿の首塚が、飛鳥寺のすぐ横にある。馬子の墓と言われる石舞台古墳の豪勢さとは比べようもない質素なものだ。




甘樫丘から橿原市内を遠望する。手前の山が畝傍山で、向こうに見えるのが二上山。当麻の町は二上山の麓だから、亀石が西を向くと、広大な地域が湖に沈むことになってしまう。



飛鳥のスタンプラリー。もう何年も前、飛鳥全域に渡って設置されている全12個のスタンプを集めた。その時でさえ、スタンプがかなり傷んでいたんだけど、さらに傷みが激しそうだ。



甘樫丘にあった飛鳥京絵図。とても判りやすい。以前からこのような地図が欲しかったのだ。



橿原神宮前駅に向かって歩く。紅葉は先週よりさらに進んでいい感じになっていた。



橿原神宮前駅に到着。ここで、沿線散歩のゴール駅スタンプを押してもらい、吉野線スタンプラリーの賞品を貰う。



なんだか、今日は、観光ガイドブックのようなブログになってしまったなぁ・・・。

まとめ

1日分(吉野線スタンプラリー + 沿線散歩)の合計

歩行距離  15.5km
所用時間  277分 (4時間37分)
歩数     24400歩 (しっかり 11100歩)