池田~豊中~柴原(梅めぐりスタンプラリー)

2016年2月21日(日) ①



昨日とは打って変わって快晴。少々の肌寒さは、逆にウォーキング日和といえる。先日、岡本公園でひとつ目のスタンプをゲットした、阪急阪神の梅めぐりスタンプラリーの続きとして、池田の水月公園から、万博記念公園に向けて歩くつもりで阪急宝塚線池田駅にやってきた。(結局、予定とは全然異なった道を歩いたのだが・・・)


池田駅前には、池田市のマスコットキャラクター、ウォンバッドの「ふくまるくん」の家がある。驚いたことに、奥さんは「ふくまるちゃん」、4人の子供たちの名前は、「ふー」、「くー」、「まー」、「るー」と、手抜きを通り越した大胆極まりないネーミングだ。



向かう水月公園とは真逆になるが、まずは池田市駅前から北方向に延びる、サカエマチ1番街を進む。ここでもウォンバッドがマスコットになっているようだ。



ちょっと寄り道したのは、落語みゅーじあむの隣にある大正ロマン溢れる煉瓦積みの建物を見るため。NHKの朝ドラ「あさが来た」で聖地化していると言われる、旧加島銀行池田支店だ。現存する唯一の加島銀行の建物なんだそうだが、現在はインテリアの店になっている。



 池田にやってきたついでに、以前から気になっていた小林一三記念館に立ち寄る。阪急電鉄の創業者であると同時に、住宅開発、温泉、歌劇、野球、遊園地、百貨店と、留まることにない事業展開に加え、電力会社社長や商工大臣まで務め、さらに文筆や茶の湯の世界でも名を残す、スーパー実業家だ。



自宅が改装された記念館を見学し、小林一三の事績をあらためて確めると、慶応義塾を卒業して三井銀行に入行したあたりは、大した才覚を現していない。ところが、銀行を辞めた30代半ばから、鉄道に転じた後の急激ともいえる台頭ぶりは驚くばかりだ。とても現在のサラリーマンの出世の物差しで測れるスケールではない。



通称、尊鉢厄神と呼ばれる、若王子釈迦院。神功皇后が新羅から献上された鉄鉢を持ち帰ったものの、仏教伝来前の日本では、その価値が判らず、長らくこの地に保管されていたらしい。



出発後2時間ほども、あちこち寄り道した末に、ようやく、目的地の水月公園にやってきた。池の畔に紅梅、白梅が満開の日を待っているようだ。



阪急阪神のアプリで、デジタルスタンプも無事ゲット。



さて、ここから、次なるスタンプポイントとして、万博記念公園を目指すはずだったが、気が変わって豊中方面を目指す。小林一三記念館で見た、高校野球発祥の地、豊中球場の跡を探しに行くことにする。石橋駅を通過。



中央環状とモノレールの高架をくぐる。ここを東に行けば万博公園なんだけど、まっすぐ南へ豊中を目指す。



蛍池付近の公園に、以前加古川の河原で見かけた魚の頭のような車止めを発見。これって、既製品だったんだ・・・。あまり一般受けしそうにない、不気味なデザインに感じるのだが・・・。



散々迷った挙句、ようやく豊中駅の西側の玉井町2丁目と3丁目の境あたりの住宅街のど真ん中に、豊中球場の跡地を発見。ちょうど一軒分の家が建つほどの敷地に、煉瓦塀と記念レリーフが飾られている。



 阪急豊中駅。ここから改めて万博公園に向けて歩き出す。



以前から気になっていた麻田藩陣屋跡を訪ねる。あまり知られていないが、蛍池あたりは、江戸時代には石高1万石強の麻田藩と呼ばれた藩の政庁があったところ。もともと蛍池駅も麻田駅になる予定だったところを、小林一三が、それでは面白くない、と名前を変えさせたとのことだ。歴史ある麻田より、イメージの良い蛍池を採るところが小林一三らしいのかもしれない。



モノレールの柴原駅までやってきたが、万博公園までは、まだ7km以上もあることが判明。あっさりギブアップして、モノレールで帰宅する。モノレールには、先日オープンした「ららぽーと」の広告がペイントされていた。




寄り道の連続で、もともと目的地としていた万博公園には遠く及ばない柴原でウォーキングは終了。歩行距離は13km。