大阪府沿岸歩き:岸和田~泉大津(伊能でGO?)

2017年12月31日(日)


大晦日で、しかも雨模様の天気予報にもかかわらず、今日も大阪府の沿岸を完歩すべく、南海岸和田駅に降り立つ。駅前には、NHK朝ドラのカーネーションに関するポスターや掲示板がズラリと並んでいるが、カーネーションって、6年も前の朝ドラだ。朝ドラ効果って、これほどに続くものなのか。



今日も旧紀州街道を歩くことにする。雨が降るという予報だが、空を見る限り、青く澄んでいて、その心配は無さそうだ。むしろ心配なのは連日の20kmウォークで疲れの溜まった足腰だ。



春木川に架かる橋の欄干にはダンジリのレリーフ。岸和田の中心部を出てもなお、町のアチコチにダンジリに因んだものが目につく。春木って、岸和田の2駅北になるのだが、伊能忠敬が岸和田で宿泊した春木屋というのも、この町に縁のある商家に違いない。




静かな佇まいの街道沿いに、なかなかに奇天烈なカフェがある。車のボンネットを開けて花壇にしているなど、目を引くデコレーションが山盛りになっている。



忠岡町に入る。下水道伸ばして住みよい町づくり、というスローガンが大きな看板で掲げられている。大阪府、特に沿岸部の下水道普及率はほとんど100%近いはずなんだが・・・。調べてみると、忠岡町の普及率は97%弱で、府平均を上回っているが、まだまだ、ということなんだろう。



以前、長茄子のように細長い忠岡町を軽く一周するつもりが、予想外の長距離ウォーキングとなり疲労困憊した記憶があるが、短い南北間なら15分も掛からず突っ切ることができる。今は廃墟のようになった銀行が目につく程度で、さして見るものも見当たらない忠岡町を一気に通り過ぎていく。



泉北と泉南の境となる大津川。この川を渡ると泉大津市になる。河原の公園には、大きな日本地図がある。小笠原諸島も北方四島も一部端折られているのに、竹島っぽいものが、隠岐の島の北にある。



大津川に架かる紀州街道の橋には、参勤交代の風景が描かれている。それにしても、この橋を渡る大名は、紀州藩と岸和田藩の2つの藩しかないのではなかろうか・・・。



泉大津市に入ると、紀州街道の更に海側を進む浜街道というのが現れる。ここもまた、かつての街道の雰囲気が感じられる道になっている。



その浜街道からすぐのところにある南冥寺。実は、今日のウォーキングのハイライトはここにあった大津城(眞鍋城)の跡を確かめることなのだ。和田竜の小説「村上海賊の娘」のなかで、準主役として大暴れする姿が描かれている眞鍋父子の居城がここにあったらしい。



お寺には楼閣があって、白壁や小さな濠などもあってお城風なので、ちょっと期待して境内に入ったが、本堂の前に、小さな「眞鍋城址」と書かれた石碑がポツンと建っているだけ・・・。せめて説明板でもあれば、と思うのだが・・・。



ぽんぽん屋という和菓子屋。川田アナが、ここのくるみ餅を絶賛していたので、一度食べて見たかったので立ち寄る。確かに甘いもの好きには堪らない濃厚な餡だが、クルミが入っているのではないようだ。くるみ餅とは、餅を餡で「くるむ」から命名されたものらしい。



泉大津も、岸和田に負けずにダンジリには思い入れの深い土地。町中のビルにもダンジリの絵がビッシリと描かれているようものが見える。



泉大津市に入ると、急に空が曇りだし、ついには小雨がパラついてきた。本殿前に厄除けの大きな桃が据えられた市内中心部にある大津神社に立ち寄りながら、さてどうしたものか、考える。駅はすぐソコにある・・・。



結局、今日のウォーキングはここでお終い。大晦日だし、大事を取ることにしよう。駅の西口には羊毛の街、泉大津を象徴する羊の像が昔からあるのだが、えらく古ぼけてしまっていて、台座の文字さえ消えかけている。毛布産業も斜陽ということか・・・。



と、思っていたら、駅の東口には、真新しい羊の像が建っている。泉大津のマスコットキャラクター「おずみん」だ。今どき、リアルな羊像より、ゆるキャラ像の方が、圧倒的に支持されるんだろう。



マンホールも羊だけど、こちらはソコソコリアル感がある。



お粗末なことに、本日の歩行は僅かに7km・・・。伊能でGOのスタンプはひとつもゲットすることができなかった・・・。さらに3日で歩きとおすつもりで始めた大阪府沿岸完歩も、5日は掛かることが確定してしまった。



年々体力低下を実感しつつも、1年を通して歩くことができた。今年は年間100日ほどは海外で、恒例の宇治や比叡山のスタンプラリーなど参加できなかったイベントが多かったけど、例年どおり100本以上をブログにアップできたことに自己満足度は高い。

大阪府沿岸歩き:阪南市尾崎~岸和田(伊能でGO)

2017年12月30日(土)


大阪府の沿岸を南から北に向かってのウォーキング2日め。昨日の終着点、阪南市の尾崎駅から再スタートする。

阪南市は大阪府で最も新しい市で、その以前は阪南町。ところが、駅前の公民館には、さらにその前身の南海町の表札が未だに掲げられている。南海町が西鳥取町と合併して阪南町になったのは45年も前のことなのに・・・。



旧紀州街道だと思える道を北に進む。道幅といい、家々の佇まいといい、いかにも旧街道風だ。



などと思いながら歩いていると、孝子越街道の石碑が現れた。そうか、紀州街道の本道は、JR阪和線に沿って山側を進むもので、大阪湾岸を進むこちらの道は紀州街道の側道とでも呼ぶべき道だった。



尾崎漁港。歩いていると、淡輪あたりから、下荘、西鳥取、尾崎、そして樽井、岡田浦、田尻・・・、とかなり短い間隔で漁港があることが判る。



尾里川を渡り、本日2つめの市となる泉南市に入る。Googleマップを見ていると、神武天皇聖蹟、と気になる表示を発見したので、少し寄り道する。雄水門顕彰碑とある。神武東征で畿内勢力の抵抗にあい、手痛い敗戦をしたようだ。驚いたことに、神武天皇聖蹟は畿内を中心に20ヶ所ほどもあるらしい。



りんくう南浜海水浴場(タルイサザンビーチ)にやってきた。背の高い椰子の木がズラリと砂浜に植えられている。写真だけ見ると、真冬を感じさせない陽気だが、実際は相当に寒い。



砂浜に椰子の影。青い海、青い空、海の向こうには白く光るりんくうゲートタワービル・・・。長閑な夏のバカンスにしか見えない。



りんくうタウンに向かって、ひたすら海岸沿いの道を進み、田尻町に入る。橋の橋脚の隙間からりんくうゲートビルが見える。



対岸には関西空港の人工島。離陸する飛行機を何とかカメラに収めるべく、寒い風が吹きつける橋の上で狙いを付け続けた結果の1枚がコレ。飛行機までの距離は何kmもあるだけに、どうしてもピンボケ気味になってしまう。



関空との間は、波も穏やかなのだろうか、ヨットが気持ちよさげにセーリングしている。



ようやくのことで、泉佐野市、りんくうタウンに到着。西洋の街並み風のアウトレットと、ヤシの街路樹。いやヤシではなくて、シュロだろうか、蘇鉄だろうか・・・。この辺りの違いが恥ずかしながら判らない・・・。



空は真っ青。アウトレットモールには年末の休みだけに、随分大勢の人で賑わっている。今日なら遠くまで見渡せるように思えるのだが、観覧車に乗車している人は意外に少なそうだ。年末だけに、それほどノンビリともしていられないのかもしれない。



りんくうタウンを過ぎ、阪神高速湾岸線の高架下の殺風景な道をテクテクと歩いていく。以前、泉佐野の雛人形スタンプラリーで、この道を歩いた記憶がある。



佐野川に架かる橋。自動車道でも歩道でもなく、橋そのものが公園のようになっている。面白いなぁとは思うけど、どうしてわざわざ川に橋まで架けてここに公園を作るのだろうか。



貝塚市に入る。大阪府下で唯一(だったはず)の自然の海水浴場、二色浜だ。随分と久しぶりにやってきたが、昔より海も砂浜も綺麗に感じる。海岸には帆船のマストが建てられている。二色浜の二色って、青い海と、白い砂と、緑の松のうちの2つだと勝手に想像しているのだが、三色浜の方が実態に相応しいように思える。



海水浴場のすぐ傍の松林のなかを阪神高速が通っているのが気になっていたが、高速の高架下は美しく整備された駐車場になっていた。人気も無い今のシーズンは、格好のウォーキング道だ。



マンホールも特製だ。松をあしらったNISHIKI BEACHと書かれたものだが、阪神高速道路公団のマンホールというのも珍しいのではなかろうか。同じデザインで、雨水、大阪府工業用水のものも見られた。



おそらく近年の埋立地に建設されたと思われる臨海の自動車道を歩くのも無粋なので、ひとつ陸側の旧堤防の脇道を進む。伊能忠敬が歩いたのも、このあたりに違いない。



岸和田市に入り、天性寺、通称「蛸地蔵」に立ち寄る。岸和田城に籠る中村一氏に蛸の集団(きっとどこかの僧兵のことだと思うのだが・・・)が助太刀したことに由来する。長らく改装工事が続いていたが、無事ほぼ完工したようだ。



このあたりの紀州街道はどんどん整備が進んでいて、来るたびに驚かされてしまう。岸和田といえば、お城とダンジリばかりだった町だが、新たな魅力発信に随分力を入れているようだ。



一里塚の碑もある。もっとも、碑に植えられている木は最近のものにしか見えないが・・・。いつの日か、旅人が見上げるような大木になることだろう。街づくりは、焦らず、慌てずだ。



伊能忠敬の岸和田の宿所は春木屋という商家だったようだ。現地に行ってみたが、今は和菓子屋さんが建っていた。春木屋との関係は不明だ。



岸和田城。ライトアップが始まっていた。いつも感じることだが、天守も堀も石垣も立派。6万国程度の大名には過ぎたる城に思えるのだが、大藩紀州藩の抑えの役割があったとも聞く。



岸和田駅前商店街には、岸和田出身のコシノジュンコが大阪万博誘致特使になったことを祝福する垂れ幕が掲げられていた。



商店街の音楽店では、音楽関係の商品を差し置いて、店頭にズラリとダンジリのDVDが並んでいる。驚いたことに、各町ごとに映像化されているようだ。



本日の歩行軌跡。う~ん、昨日同様、一本道で面白さの欠片も感じられない 。伊能忠敬の測量より今のGPSは精度が高いと思うのだが・・・。


大阪府沿岸歩き:岬町小島~阪南市尾崎(伊能でGO)

2017年12月29日(金)


毎年、年末年始には、何か特別なウォーキングにチャレンジしているが、今年は、海に沿って大阪府を縦断してみよう。

実は最近、気になるスタンプラリーアプリが発表された。その名も「伊能でGO」。「ポケモンGO」か「電車でGO」のパクリのように見えるが、これが大変なスタンプラリー。江戸時代に精密な日本地図を描くため、国中を歩き回った伊能忠敬の宿泊地、全3100ヶ所がスタンプポイントになっているという。ぜ~ったいコンプリートは無理だけど、ウォーキングのお供として試してみたい。



本日のスタートポイントは、和歌山県との県境にある岬町の小島という集落。電車は通っておらず、象(の像)が出迎えてくれる南海本線みさき公園駅から岬町のコミュニティバスに乗って向かう。



コミュニティバスに乗るのは、生まれて初めて。運転手さんも含めて顔見知りばかりの車内のなかで、最初はアウェイ状態だったが、そんな他所者にも気さくに声を掛けてくれて、とてもホッコリした気分にさせてくれた。



県境の手前でバス路線が途切れるのは、テレビのローカル路線の旅でお馴染みのとおり。しかし、ほんの少し歩くと、海岸に是ヨリ紀伊國と書かれた古い石碑が立っていた。伊能忠敬もここを通過したはずだ。



海岸沿いを歩いていくと、長い海釣り桟橋が見える。曇っているものの、海の向こうには淡路島の島影がうっすらと見える。



小島から30分弱歩いたところ、多奈川の谷川浦というところに、最初のスタンプポイントがある。今から212年前の夏、ここで伊能忠敬一行が宿泊したということだ。説明文のなかに、「中食 小島」とある。小島で昼食を取ったということも記録されている。



しかしながら残念なことに、伊能忠敬が宿泊した庄屋戸口市左衛門宅は、跡形さえ無い・・・。



伊能忠敬のように、海岸を歩いていきたいものだが、道は無さそうだし、発電所なんかもあって立入できないところもあって、歩きやすい自動車道を進むことになる。伊能忠敬一行の日間平均移動距離は17kmほどのようだが、ただでも歩きにくい海岸を測定しながら17kmも進むというのは尋常なことではない。



みさき公園方面に戻るコミュニティバスに追い抜かれる。運転手さんが、軽いクラクションを鳴らしてくれたので、手を振って応える。またまたホッコリした気分になる。
南海多奈川線の深日港駅にやってきた。随分レトロなホームだ。



深日港といえば、20年ほど前までは淡路島洲本までのフェリーで賑わっていたところ。今は赤と白の灯台が、どことなく悲し気に立っているように見える。しかし、最近、期間限定で、淡路島へのフェリーを復活させたと聞く。



深日港の岸壁近くにある自販機。Misakey(ミサッキーと読むのだろう)という岬町のマスコットキャラクターが描かれている。



深日漁港。正午も過ぎ、人っ子ひとり見当たらない。年末で今年の操業は終わっているのかもしれない。岸壁に並んだ漁具をゆっくり観察するが、特に魚が一旦入ると抜け出せない漁籠の仕組みは興味深い。



風が吹き荒ぶ海岸沿いの道を進む。右側は名門、大阪ゴルフクラブだ。風が強い随分な難コースで、まともなスコアが出た試しが無い。



みさき公園のイルカショー のバックヤードが見える。飼育員さんたちのスェットスーツなどが干されている。金網越しに眺めていると、時折イルカが飛び跳ねるのがチラっと見える。ちょっと得をした気分だ。



淡輪の街にやってきた。船守神社は1100年以上前に創建されたという古い神社。
豊臣秀頼の命で片桐且元が再建したという桃山様式の本殿も興味深いが、それより目を引くのは、樹齢800年の巨大な楠だ。



淡輪氏の本拠地、淡輪城の跡を訪ねてみたが、標札があるだけ。織田・豊臣政権で水軍で重宝されたものの、豊臣秀次の側室を出したのがケチのつき始め。秀次に連座して罪に問われ、その後関ヶ原では小西行長、大坂の陣では塙団右衛門と、負け組ばかりと共に戦い、ついには没落してしまった気の毒な一族だ。



淡輪から箱作までの2kmほども延々と広がる砂浜海岸、せんなん里海公園。夏には大賑わいなんだろうけど、今の季節は人の姿はほとんど見られない。すごく気持ちいいウォーキングルートのはずなのに、寒くて、風が強くて、気持ちが悪くなってきた。



砂浜には、何面もビーチバレーのコートがあるのだけど、本格的な大会用に、観客席付の立派なコートも見られる。



あえて海岸を突き進んでいくと、すぐ道なき道に突入してしまう。 強風のなか、ススキを掻き分けながら、進んでいく。



コミュニティバスの運転手さんには、目標は泉佐野、と宣言してしまったものの、全然辿りつけそうにない。りんくうゲートタワーが遠くで西日を受けて光っているが、歩いても歩いても近づいた気にならない。



波はザンブザンブと、容赦なく海岸を洗い流している。



 コイン洗艇場という見慣れない設備に出くわす。どうやら、プレジャーボートを洗うための施設のようだが、一体どのように、ここにボートを持ち込むのか、クレーンはあるものの、まるでイメージが沸かない・・・。



防波堤というのは、殺風景なものだと思っていたが、花火禁止、ゴミ捨て禁止、潜水禁止、密漁禁止、バーベキュー禁止・・・など、掲示物の多いことには驚かされる。1年前にあるいた淀川河川敷もそうだったが、ルール違反、マナー違反の多さにホトホト手を焼いているのだろう。



西鳥取漁港の近くに「勇夫善六墓」なるものを発見。随分と立派な墓石だ。裏の説明を読むと、秀吉の小田原北条攻めに駆り出された(淡輪水軍かも)善六なる水夫が、大活躍するも戦死。その功に報いるため、永年この地の年貢は減免されたらしい。



旧紀州街道を通って、阪南市尾崎にある本日2つ目のスタンプポイントに到着。西本願寺加ヶ所御坊というところだ。あれ~、谷川浦の宿泊が8月13日で、尾崎の宿泊が15日になっている。アプリを製作した伊能忠敬研究会のHPを調べると、14日は大雨で谷川浦に連泊したらしい。



で、これが西本願寺加ヶ所御坊の今の姿。本願寺尾崎別院となっているが、同一のものだろう。とても立派なお寺だ。なにぶん、幕府御用だけに、その地で一番いいトコに泊まらせてもらえるのだろう。



当初目標の泉佐野は、まだ10キロほども先。寒さと疲れで、20km地点の尾崎でギブアップする。



岬町から西淀川区まで、大阪府沿岸を3日間で完歩する予定だったが、4日間に変更せざるを得ない。