阿蘇山/烏帽子岳(熊本県)

2025年10月25日



昨日は午前は濃霧と午後は有毒ガス発生のため、見学できなかった阿蘇山の火口。50年ほども前、高校の修学旅行の際にも見れず、いつか再訪したいと願い続けてきただけに、火口を何としても見たくて、2日連続でやってきた。



今日も有毒ガスが少し発生しているようで、火口から風下方向は立入禁止になっていたけれど、ついに阿蘇の大火口を間近に見ることができた。緑白色の湯だまりからは、噴煙が少し吹き上がっている。



火口見学所の周囲には、いくつもの避難シェルターが設置されている。桜島で見かけたものとはかなり形が違う。



火口見学を終え、草千里駐車場に戻り、烏帽子岳を目指して歩くことにする。昨日怪我した左脚の具合が少々気にはなるけれど、コースタイムは2時間ほどなので、まあ問題はあるまい。


しかし今日も問題は霧。草千里は問題ないんだけれど、目指す烏帽子岳は霧で完全に覆われている。このまま晴れることが無ければ、今日も霧の中を歩くことになる。



草千里には牛や馬が放牧されていると聞いていたけれど、放牧されているものは見当たらない。観光客向けの乗馬用の馬たちが数頭、繋がれているだけだ。



まずは草千里の中央部にある小山(駒立山)に向かって進んでいく。ここまで広々とした草原を歩いたような記憶はなく、とても新鮮で楽しい。



駒立山(1155m)の山頂。といってもスタート地点から30mくらい登っただけ。草千里をハイキングする人の多くはこの山のあたりで引き返すけど、さらに進んで烏帽子山を目指す。



一帯どれほどの面積になるのだろうか。阿蘇カルデラのなかにススキや草ばかりの原野が広がっている。草が生えているのに木は見られない。水が少ないのか、風が強いのか、あるいは土壌の関係で根を伸ばすことができないのだろうか。



いよいよ西側の尾根から烏帽子山に向けて登り始める。登山口の柵は、放牧された馬が逃げないように設置されているものだという。しばらくは比較的なだらかな道が続くし、霧も感じられない。



尾根道だから眺望は良い。右手には南阿蘇、左手には草千里や駒立山が眼下に広がる。



が、少しずつ標高が上がっていくと前方に霧が立ち込めているのが判る。やはり霧の中の山歩きは回避できないようだ。



なんとミヤマキリシマが咲いている。春には阿蘇のアチコチでミヤマキリシマの花が山肌一面を覆いつくすというけれど、この季節にまさかお目にかかれるとは思わなかった。



ミヤマとは深山のこと。九州の高山に群生するツツジなんだけれど、阿蘇、霧島やくじゅう連山など、火山の周辺が名所になっているような気がする。火山質の土壌に強い植物なのだろうか。



山頂に近づくにつれ、霧が徐々に濃くなるとともに、勾配も厳しくなってきた。しかも「滑面注意」の看板が立つように、泥っぽい黒い土が多く、いかにも滑りやすそうだ。登りはともかく、下りは特に気を付けねばならない。



昨日の南岳や中岳ほどではないとはいえ、かなりの霧が立ち込めてきた。烏帽子岳に登っても眺望は見込めないのは判ってはいるけれど、ここまで来れば登るしかない。



烏帽子岳(1336m)の山頂。眺望は無いし何か特別なものがある訳でもないけれど、結構滑りやすそうで急勾配だった登ってきた道をピストンで戻るか、北側の尾根から下山するか、を決めかねて、誰かこの辺りに詳しいハイカーが来ないものかと山頂にしばらく留まる。



結局有益な情報は得られないまま、北尾根に向かうことにする。等高線を見る限り西尾根よりもさらに勾配は急にも思えるけれど、ピストンより周回の方が楽しそうなのだ。勾配もさることながら、霧はますます濃くなってきたように感じる。



北尾根へと向かうと、やはり「滑面注意」の看板がある。昨日は迂闊にも岩に膝をぶつけて怪我をしてしまっただけに、用心にも用心を重ねて下っていく。



幸い要所には手摺りや階段などがあって、あまり怖い思いをすることなく下っていける。しばらく下ると霧が徐々に晴れてきて、草千里の景色が眼前に広がってくる。



ススキが生い茂る草千里を再び横切り、ゴールの駐車場へと向かう。昨日の疲れや怪我の影響もなく、快適な山歩きだったけれど、どうしても霧さえ無ければ、と思ってしまう。



距離3.5㎞、登り240m、所要時間2時間。予定通り正午までに阿蘇を離れ、熊本市内に向かうことができた。




やはり熊本に来た以上は、是非とも訪問したかった熊本城。50年前の修学旅行でも来ているはずだけど、まるで覚えていない。(何故か水前寺公園は覚えているのだけど…) 熊本地震による傷跡が未だ多く残っているけれど、天守閣は立派に復旧されていた。




阿蘇山/南岳・中岳(熊本県)

 2025年10月24日


涼しくなってきて、久しぶりに中山道を歩こうと思っていたのだけれど、信州の山道を歩くなんて熊に襲われに行くようなもの…。ということで、名前と違って熊がいないという熊本にやってきた。高校の修学旅行で訪問したものの霧で何も見えなかった阿蘇山を目指す。



しかし阿蘇山に向かうにつれ、酷い霧で、車の運転さえ危ない状態となる。阿蘇山の火口を見学するとともに、内輪山の中岳などをトレッキングするつもりだったけれど、こんな状態では火口など見えるはずもなく、山に登れそうにもない。



取り敢えず標高1100mほどの噴煙展望公園までやってきた。ここに車を停めて、トレッキングを開始するつもりだったけれど、霧は晴れる気配もない。



止む無く有料道路を利用して、標高1200mの火口近くにある駐車場までやってきた。火口はとても見えそうには無いけれど、標高のせいか、時間経過のせいか、進む方向は霧が晴れてきた。どこまで行けるかどうかはわからないけれど、行けるとこまで行ってみよう。



これが砂千里というところのようだ。まるで月面のようなところだ。どうやらかつては火口だったところらしく、植物はほとんど生えていない。



砂千里には霧はかかっていないものの、進むべき方向の霧は濃い。天気予報では曇りなんだけど、霧が今後どうなるかまでは判らないのだ。



まずは南岳に向けての急登を進んでいく。水平距離で700m進むために250mも登らなければならない。しかも岩はゴロゴロだし、霧は濃いし、道もあるような無いような…。



濃霧のなかを登るところではないように思うけど、ハイカーの数は少なくない。その7割ほどは海外からやってきた人たちだ。少し話したところ、その多くは英国、ドイツなど、欧州から来られているようで、自国にない火山の登山に気分が高揚しているようだ。



岩は赤いところ、黄色いところなどがあり、とてもユニークだ。触ったり叩いたり、臭いを嗅いだり、長らく岩や地層の観察をする。実のところ、とても一気に登れる坂ではなく、腰を下ろして岩を見ながら休憩しているのだ。



もう全然前が見えない。足元だけを見ながら進むしかないんだけど、撤退すべきなのかもしれないと何度も思う。でも元気に登っていく外国人などを見ていると、ここで下山する訳にもいくまい、とゆっくりと進んでいく。



道など無いようなもので、崖も多く、間違った方向に進めば大変なことになるんだけど、幸い岩に乱暴に書かれた矢印を丁寧に辿っていけば大丈夫そうだ。もっとも霧が濃く、足元の矢印は見えても、次の矢印が見えない。



標高が上がっていくと、ますます奇妙な岩が登場する。土の色も赤い。どこか見知らぬ惑星を探検しているような気分にさえなる。



南岳の手前がまた凄い濃霧。時間もあるし、無理しても仕方ない。腰を下ろして、少しでも霧が晴れるのを待つ。調べてみると1㎞以上先が見えないのが霧、10㎞先が見えないのが靄というらしい。10m先が見えないのは何と呼ぶべきなのだろう。



かなり苦労して、やっとのことで南岳(1496m)まで登ってきたけれど、岩がとんでもなくゴツゴツしていて、座りこむところを見つけることさえ難しい。当然のことながら眺望は皆無だ。



南岳で長い休憩をしながら、もう十分、とは思ったけれど、この先さほどのアップダウンも無さそうなので、中岳までは縦走してみよう。



と歩き始めたものの、霧は相変わらず。何度ももう帰ろうかとの考えが頭を過るけど、下山するにしてもこの霧の中を突っ切る必要がある。眺望もないので、方向も判り難く、GPSとたまの標識だけが頼りだ。



霧のなかをひたすら歩いて中岳(1506m)山頂へ。やはり、何も見えない。晴れていれば火口まで見通せるらしいけれど、四方は霧に塞がれていて、どちらが火口方面なのかさえ分からない。



「火山性有毒ガス注意」の看板がある。気のせいかもしれないけれど、何か硫黄臭のようなものを感じる。周囲の白いガスが実は有毒ガスのような気もしてきて、何だか息苦しいような気分になってくる。



まだ正午前。ここから往復1時間ほどで阿蘇山最高峰の高岳まで行けるんだけど、もう十分。これ以上濃霧のなかを進む気になれない。濃霧の中の下山はかなり危なっかしく感じるけれど、矢印を見失うことなく、ゆっくり下っていこう。



迂闊にも躓いて左脚を岩にぶつけてしまった。深い傷ではないけれど、かなり出血してしまった。消毒液をかけていたら、ポーランドのハイカーが声をかけてきた。思い付きで富士山に登る外国人と違い、十分な装備とファーストエイドも携えていることに感心させられた。



ポーランドからのハイカーには大丈夫だ、と答えたものの、実のところ精神的・肉体的ダメージは小さくない。さらにゆっくりと山を下っていくと、いつの間にか霧が晴れてきて、遠くの山まで見通せるようになってきた。



砂千里にも少し立ち入ってみる。山の上とは思えない、サラサラした砂だ。海岸を歩いているのと変わらない。



振り返れば、南岳や中岳(たぶん)も見通せるほどに霧は晴れている。もっと遅い時間に登るべきだったとは思うけど、今更仕方ない。これくらい晴れていれば、山道も随分と違ってくるに違いない。



出発前は濃霧のため見送った火口見学に向かうが、なんと有毒ガス発生のため立入禁止になっている。なんとも間の悪いことだけど、待てば立入禁止が解除されるというものでもない。明日の予定を変えて、再チャレンジするかどうか考えながら帰路につく。



距離6.2㎞、登り獲得標高387m。休憩ばかりして所要時間は5時間強。勾配もきつく、濃霧や負傷もあって、コース定数11とは到底思えない辛い山行だった。





打越山~七兵衛山~金鳥山【六甲山系】

 2025年10月1日


9月も中旬になると急に秋めいてきたというのに、何かと忙しいうえに、体調も悪い日が続いたいたけれど、10月になって久しぶりに山へと向かう。あまりブランクが長すぎて、足腰の老化が進んでいないか心配。ちょっとズルして標高240mほどの住宅街のバス停から出発だ。



住吉台から打越山、七兵衛山を目指す。六甲山系でもかなり緩やかな登山道だ。住吉台から山へと入ると、左手にこんもりとした山がある。荒神山だ。YAMAPでは何回も登頂したと記録されているのだけれど、実は登ったことがない。山頂部は霊園になっているようだ。



槿の花が咲いている。この夏はほとんど山に出掛けていないかったので、今年初めてお目にかかった。夏の花だけど、今日まで待っていてくれたようで、嬉しい。



住吉台からしばらく進むと、四差路が現れる。左に行けば石切道、真っすぐ進めば住吉道。どちらも標高800m~900mの六甲山上へと続く道だけど、右の道を進んで標高500m弱の打越山へと向かう。



打越山へと向かう道には、誰が造ったのか、鹿威しがあったはずなのに、見当たらない。あちこちと見まわしながら進むうちに住吉川を渡る橋までやってきた。



住吉川を渡ると、そこそこの登りが始まる。といっても大した勾配でもないんだけれど、長らく山から遠ざかっていたせいか、心拍数がすぐ上昇してしまう。



気持ちのいい林道が続く。急ぐ必要は全くない。今の体力レベルに合わせて、休憩も取りながらゆっくりと進んでいこう。



遠く六甲山上のアンテナ群が見える。石切道を進んだときのゴールだ。数年前まではあそこまでさほど苦もなく登っていたのに、今では六甲山上まで登るのはかなりの覚悟が必要になった。



高圧鉄塔が現われた。風吹岩へと続く送電線だ。地図によれば、さらにこの真下を山陽新幹線が通っているようだ。ゆっくりと登ってきたけれど、打越山はもうすぐそこのはずだ。



長らく花の名前が判らなかったけれど、どうやらフサフジウツギというらしい。漢字で書けば房藤空木。なんだか御大層な名前だけれど、六甲ではよく見かける花だ。これも夏の花なんだけど、高気温のせいか、10月になっても元気に咲いている。



打越山(481m)の山頂。沢山設置されたベンチは全て深田さん(皆はえっちゃんと呼ぶ)というこの辺りの山域をコツコツ整備されている方の手によるものだ。全く頭が下がる。



打越峠。こちらもベンチだらけ。芦屋からの六甲銀座を始めとして六甲山系にはベンチが少ないんだけれど、この辺りだけは全くの例外だ。



七兵衛山(462m)。100人ほどは楽に座れるベンチが数ヶ所かに別れて設置されている。個室と呼ばれるような、こじんまりとしたベンチゾーンまである。



七兵衛山からの眺望。真正面に見えるのは六甲アイランドだ。



えっちゃんに聞くと、この延々と続く手摺りは、万里の長城と呼ぶものらしい。登山マップにも記載されていない道だけれど、横池方面へと歩きやすい道が続く。



古いリュックが放置されている。ピッケルまで付いているだけに、かなり山慣れた方の持ち物であることは間違いない。「すぐに戻ります」とあるけれど、周囲に人の気配はない。何だか気になって長らくこの場に留まったけど、なんとえっちゃんが置いたものだった。



なんだかヤバそうな橋だけど、ごく普通の橋。えっちゃんが製作した橋の手摺りが逆に橋を渡るのを躊躇わせることになるかも。でも橋を渡る安全レベルアップの効果の方が遥かに大きい。



歩き始めた時には涼しいと思っていたんだけれど、だんだんと暑くなってきた。日射しは強くはなく、なんだか薄暗い道が続くけど、湿気がとても高い。



最近できたという金鳥山(333m)の山頂碑を見に行く。山頂碑だけでなく、この辺りの案内標識が一新されたようだ。



もともと金鳥山の山頂碑は見つけにくいものだった。何年か前には幹に括り付けられたお洒落な銀色のプレートが設置されたけど、やはり発見は難しい。かつては旗振山としての役割も担っていたというけれど、周囲が樹々に覆われて山頂がどこかも判り難い山なのだ。




大キライな保久良神社への道を進む。長らく悩まされてきた右膝の痛みの具合を確かめるため、敢えて段差の大きい石段を下っていく。膝の違和感は皆無とはいえないまでも、かなり具合は良さそうだ。さすがに長い間山行を控えたことが膝の治癒に繋がっているようだ。



保久良梅林。来年にはまた梅が咲き誇ることだろう。



保久良神社周辺は梅だけでなく、モミジも名物なんだけど、さすがに葉はまだまだ青い。紅葉までにはまだ2ヶ月近くかかるんじゃなかろうか。



下山道にはフジバカマが花を咲かせている。秋の七草に数えられながらも準絶滅危惧種に指定され、アチコチで栽培がおこなわれているという。アサギマダラという珍しい蝶がフジバカマの蜜を好むことから、アサギマダラが見られるかも…という看板が立っている。



距離6.3㎞、登り獲得標高424m。休憩タップリののんびり登山といいたいところだけれど、結構疲れた。今の体力では、この程度の山歩きが丁度いいのかもしれない。