安土城跡・観音寺城跡(近江八幡市・東近江市)

 2025年5月4日


繖(きぬがさ)山にある観音寺城跡に向かう。が、その前に安土城跡にも登ろう。おそらく20年ぶりくらいのことだ。JR安土駅前には織田信長像が立っている。エピソードも肖像画も残っているので、ステレオタイプになりがちな武将銅像と違っていかにも感が強い。



今では近江八幡市となったけれど、駅前には旧安土町のマンホールがある。経済振興に力を入れた信長の街とはいえ、明の永楽通宝をデザインに取り入れるのも型破りだけれど、さらに注目すべきは、町名表記が当時の宣教師の記述に倣ってANZUCCIとなっていることだ。



小麦畑の向こうに見える小高い山が安土山だ。城郭の主流が防衛に徹した山城から、行政や通商の利点を重視した平城へと移る時代の先駆けともなった安土城がここにあったという。平山城とも分類される城だ。



安土城の登城口にやってきてビックリ。ゴールデンウィークということもあるけれど、随分な人がやってきている。さらに入城料が700円だとぉ? 以前はどうぞ勝手に見てくださいって感じだったのに。すっかり観光地になっている。



繖山に登る前の足慣らしくらいのつもりだったのに、400段あるという石段に意外に苦しめられ、息があがる。以前より石段や石垣は随分と復元が進んでいるようだけれど、道が厳しくなったはずもない。さらに厄介なことに昨秋痛めた右膝がまた痛くなってきた。



標高193mの安土山の山頂に天守台跡がある。かなり多数の礎石が見られるけれど、これは地下1階部分らしい。地上部は周囲の土塁を含めてさらに広いものであったに違いない。まだ山頂付近でも発掘調査が続けられていて、今後も新たな発見が期待できそうだ。



山中にある捴見寺。仏教とは悉く対立していたような信長だけれど、安土城に付属するように立派な寺院を建立している。この三重塔も近江の長寿寺から移設している。信長の菩提寺となった京都の総見院もこの捴見寺も臨済宗。名前も似ているけれど、詳しくは判らない。



安土城にほど近いところにある西の湖。琵琶湖に通じる、いわゆる内湖だ。今では干拓が進んだけれど、以前はもっと大きな湖だったはずだ。信長が安土山を居城と決めたのは、この湖を通じての海運面、軍事面での利点を評価したからに違いない。



膝の違和感はあるものの取り敢えず繖山の麓にある、金ピカの安土城天守の復元模型などがある信長の館に向かう。隣には文芸セミナリオというポルトガルの教育機関の名を冠した文化施設もある。併設されたレストランでカレーを食べながら長々と繖山に登るかを考える。



しかし安土までやってきてこのまま帰る訳にもいかないと、桑実寺の長い長い石段を登っていく。この石段は20年前でさえシンドイ思いをさせられたところだけれど、右膝を庇いながらではあるけれど、何とか登っていけそうだ。



桑実寺の本堂まで上がってきた。信長が、竹生島に出掛けた際に無断で桑実寺に遊びに出掛けた女中全員ばかりか桑実寺の僧までも殺害したということで知られる。



桑実寺からまだまだ登りは続く。道は荒れはじめ、相変わらず急勾配だ。右膝の痛みは相変わらずなんだけれど、右膝を庇っていた左脚の具合が痙攣の兆候を見せてきた。どこかに座って休憩したいけれど、適当なところが見当たらない。



そしてついに左脚ふくらはぎを攣ってしまった。止む無く登山道に座り込み、芍薬甘草湯を飲んで、ポカリも飲んで、足をマッサージする。経験上、10分ほどもすれば痛みは治まるはずだけれど、こんな時に限って、何人もの登山者が心配そうに通りかかる。恥ずかしい…。



しばらくの休憩のあと、再び登り始める。攣った足は全快とはいえないものの、歩くことに支障は無い程度には復活している。芍薬甘草湯にはいつも助けられる。ゆっくりと進んでようやく古い石垣が現われた。かつて南近江を中心に威勢を振るった六角氏の観音寺城跡だ。



観音寺城の城域は広く、繖山を中心に今も多くの曲輪跡が残るようだ。興味はあるけれど、かなりアチコチと歩きまわらないと城の全体像は把握できそうにないほどに広い。それよりも急坂ではあるけれど、まずは繖山の山頂を制覇することにしよう。



繖山山頂(432m)。眺望はない。さて、この後どうするか。無難に桑実寺から安土に下山するか、観音寺城の曲輪を見て回るか…。気が向けば、と思っていた伊庭山、猪子山への縦走はもはや考えられない。五箇荘側に下山して六角定頼の銅像を見に行くことにする。



繖山で休憩しているうちに、随分と風が強くなってきた。周囲の樹々が相当大きく揺れているんだけれど、写真では解らないんだよなぁ。



正面に見えるのがたぶん伊庭山。この縦走路を東近江トレールと呼ぶらしい。決してハードな道ではないとの評価だけれど、安土山と繖山だけでこの疲れよう。足が万全だとしても今の体力ではかなり苦労させられそうだ。



西の湖の手前の低山が安土山。繖山の方が遥かに高く雄大だ。六角(観音寺城)、浅井(小谷城)、織田(安土城)、秀吉(長浜城)、秀次(八幡山城)、石田(佐和山城)、井伊(彦根城)と、僅か30年ほどの間に東近江の支配者が次々変わり、新たな城を築いたことは興味深い。



地獄越という怖ろしい名を持つ鞍部がある。織田軍の攻撃から逃げる六角勢が地獄模様だったということらしい。地獄越から六角定頼像がある五箇荘に下山する道が悩ましい。過去にYAMAPのハイカーが歩いた軌跡が黄色で示されてはいるものの、「道」になっていないのだ。



しかし地獄越までやってくると丁寧な道案内が立っていて、「トンネル入口」とある。無難に雨宮龍神社の北にある階段を下るつもりだったけど、この道が使えれば、六角定頼像までの最短距離だし、これだけの看板があるくらいだから大丈夫そうだ。



登山地図になぜこの道が書かれていないのかは不明だけれど、歩き始めると十分な道だ。特段の危険個所もなく、さほどの急坂でもない。



幹線道路のトンネルの出口に六角定頼像がある。六角氏の全盛期を支えた武将だけれど、全国的にはマイナーの域を出ないだろう。郷土の教育やPRに銅像はとても有効だと思うんだけれど、車が高速で通り過ぎるばかりで運転手には銅像など見えていないように感じる。



山をぐるっと回り込んで能登川駅まで歩くつもりだったけど、上手い具合にバス停が現われた。有難い。20分待つくらいはなんてこともない。キレイなお姉さんの案山子が立つ石馬寺バス停から能登川駅までバスで戻る。



距離9.2㎞、獲得標高530m、所要時間6時間半。軽めの山歩きのつもりだったけれど、ブッチャケ滅茶苦茶疲れた。GWで混雑する新快速に辛うじて座れたのがとても有難かった。