2026年7月4日
昨日日光街道を歩き終え、宇都宮泊。せっかくの機会なので、引き続き奥州街道を氏家宿まで歩くつもりでいたのだけれど、天気が思わしくない。大した降雨量ではなさそうだとはいえ、2日連続で雨の中を一日中歩くのは辛い…。
奥州街道を歩くか、あるいは大谷資料館など宇都宮近辺の観光に充てるか、決めきれないまま、まずは市街地の北にある八幡山まで歩いていくことにする。八幡山山頂に立つ宇都宮タワーが雨霧に霞んでいる。
宇都宮市街地のど真ん中にありながら、11haの面積を有する八幡山公園は想像以上に緑が深く、その中に動物園や長大吊り橋など、数々のレジャー施設が設置されていて、市民の憩いの場となっているようだ。そんな公園の片隅に八幡山山頂(159m)の一等三角点がある。
八幡山から南へと下山し、下野の一ノ宮、二荒山神社を参拝。一説には宇都宮という地名は、いちのみやが訛った地名とも聞くが、宇都宮を代表する古刹であることは間違いなかろう。境内の休憩所で、止まぬ雨のなか、この後どうすべきかをしばらく考え込む。
悩んだ末の結論は、いつものことながら、「行けるところまで行ってみよう」。山では危険な考え方だれど、街歩きならさほどリスクの大きな発想でもなかろう。しばらくはバスが頻繁に走る道なのだ。道路標識には「奥州街道」の表記された道を白沢方面に向かう。
東北新幹線の高架があり、その先にはJR東北本線の踏切が見える。ややこしいことだけれど、ここからは「奥州街道」と表示された道ではなく、「白沢街道」と呼ばれている県道が、旧奥州街道になるようだ。
退屈極まりない道が何キロも続く。都市郊外にありがちな景色が続き、1時間以上写真に撮りたいものが現われることもないままテクテク歩き続ける。雨は止まない…。
よく見る光景だけれど、ツツジの木に薄く蜘蛛の巣が張っていて、雨露がキラキラと輝いている。ツツジにとって、蜘蛛は害虫を駆除してくれる存在だと聞いたことがあるけれど、雨を凌ぐ笠まで提供してもらっているようだ。
白澤宿に近づいてくると、道幅も狭くなり、道路の片側だけとはいえ、立派な街路樹が並ぶ道になってきた。杉や桜が混在する街路樹で、奥州街道の名残りなのかどうかは判らないけれど、やはりこのような並木が登場すると、歩く力が湧いてくるというものだ。
宇都宮から3時間近く歩いて、ようやく次の宿場町、白澤宿に到着。現在の地名は白沢なんだけれど、宿場町は旧字の澤を使うようだ。
奥州街道白澤宿の会が建てた白澤宿の表札の横にとんでもないものがある。「江戸時代の公衆便所跡」だという。「跡」とあるけれど、元々あった便所をブリキやトタンで補強を重ねたもののように見える。
恐る恐る裏側を覗いてみる。もちろん今では使われているはずもなく、ゴミ置き場のようになっているけれど、肥溜めのようなものも残っている。江戸時代、糞尿は廃棄物ではなく、肥料として有効な資源だったというから、用を足してくれる旅人は歓迎されたようだ。
町には、いくらか旧宿場町の風情が残っている。町のメイン道路には水路があり、いくつかの水車が設置されている。特に仕事を与えられている訳ではなく、景観のための水車のようだけれど、清らかな水の流れを受けて回る水車を眺めているのはとても癒される。
白澤宿の本陣跡。関ヶ原の戦いの引き金ともなった徳川家康による上杉討伐の先鋒隊がこの地で、鬼怒川の北に陣取る上杉軍と対峙したそうだ。ここが宿場町となったのは、その際に徳川軍に色々と便宜を図ったことの見返りだったようだ。
有難いことに、この辺りで雨は止んでくれた。雨合羽を脱ぎ、郵便局の前で自販機コーヒーを飲みながら休憩。静かな町の佇まいを堪能する。
白澤宿のあたりからは、すっかり田園地帯だ。遠くには白いビニールハウスも見えるけれど、イチゴかなぁ…。かれこれ5日ほどは栃木県を歩いているというのに、未だに大規模なイチゴ農家には出会えないでいる。
西鬼怒川。雨上がりとはいえ、川の流れは穏やかだ。この川でさえ江戸時代は渡船だったようだ。鬼怒川って、かつては衣川とか絹川という文字だったものが、明治になって鬼怒川なんていう怖ろし気な字になったそうだ。昔はもっと荒々しい暴れ川だったのだろうか。
白沢の町外れにある一里塚跡。江戸日本橋から三十里になるようだ。水田の前に、塚木は無いけれど、地元の有志が協力して、立派な碑が建てられている。
鬼怒川の土手を北上する。かつてはこの辺りに鬼怒川の渡船場があったようだけれど、今は最寄りの橋までサイクリングロードのような土手道を1㎞以上北上しなければならない。
鬼怒川を渡る阿久津大橋。これ一番ヤバイ道。歩道がないうえに、路側の余地もごく狭いし、草木がはみ出している。前方からの車もヤバイ奴が歩いていると警戒しながら通り過ぎるのが判る。雨が止んでいてよかった。傘など差しながら歩けるような橋ではない。
鬼怒川。河川敷はかなり広い。増水時には、400mほどはあると思われる東西の堤防の間に水が満たされるのだろうか。上杉軍と徳川軍がこの川を挟んで睨み合ったということも理解できるし、江戸時代には相当な難所だったのではないかとも想像できる。
鬼怒川を東に渡ると、次の宿場町である氏家となる。将軍地蔵なるものがあるけれど、ここでいう将軍とは徳川でも足利でもなく、源義家。平安時代に奥州平定を委ねられた鎮守府将軍だ。奥州路を北上していることを実感させてくれる。
かつての氏家市は平成大合併で今はさくら市。この辺りが氏家宿の本陣などがあったところのようだけれど、何も見られない。旧街道の風情も感じられない。雨が上がったのは良かったけれど、取れ高の少ない1日だった。
距離21.3㎞、登り獲得標高173m。所要時間は7時間19分。雨模様のなか、退屈な風景が多い疲れの溜まる街道歩きとなった。
歩行軌跡には宇都宮から北に延びる線が加わった。狭義の奥州街道は福島県の白河宿まで残り70㎞くらい。距離はともかく、この後アクセスの悪いところが続くし、熊も心配。さてどうしたものか。今日の退屈な区間を振り返ると、モチベーションは高まらない。


