北山緑化植物園&甲山(西宮市)

 2025月4月4日


北山貯水池の桜が見頃ということなので、午後からのんびりと出掛けてみる。まずは北山緑化植物園からスタート。案内図では小さな植物園に見えるけれど、9haあると言われる園域の大半は道も無いような「山」なのだ。安心して歩ける道も結構限られている。



園内では良い枝ぶりのソメイヨシノが見頃を迎えている。平日の昼間だというのに、随分な人が訪れている。



植物園という性質上、いくら人気があるといっても桜ばかりを主役に据える訳にもいかないはずだけれど、様々な種類の桜がまさに満開を迎え、園内は桜色に満ちている。幸い空も青いので、桜の花がさらに映える。



もちろん桜に隠れるように、種々の春の花々が園内を彩っている。特に目を惹いたのが、黄、白、薄紫が交じり合った可憐な草花。花の横にリシマキアボジョレーと書いてあったんだけれど、帰宅してネットで調べると全然違うようだ。この花は何なんだろう…。



園内の花々をのんびりと見て回った後、北山池に向かって園内のハイキング道を進む。植物園内とは思えない、本格的な山歩きの様相だ。もっとも路面はしっかりと整備されていて、誰もが安心して歩けるようになっている。



園内には川や池も多く、植物だけでなく、珍しい鳥や昆虫も多く棲息しているらしい。池の畔ではサギが羽根を休めているけれど、きっとサギの餌となる魚も多いんだろう。戦後に開発された広大な住宅街に囲まれつつ、よくまあこの自然が開発されずに残されたものだ。



15分ほど歩いて北山緑化植物園を北に突き抜けると北山貯水池。池の南岸は桜の林のようになっている。



池の畔の桜も見事。池の向こうに見えるのは甲山だ。西宮市のシンボルマウンテンとでも言っていい存在だけれど、意外なことに元々は火山だったという。



甲山の西側から頂上を目指す。登山口には「未整備区域につき、ハイキングや山登り等の準備が十分でない方たちの立ち入りを禁じます」との警告がある。確かに見た目よりキツイ階段が続くけど、ここまで厳しい警告文とは…。意外に事故や救助要請が多いのかもしれない。



10分ほども登って甲山山頂(309m)に到着。相変わらず殺風景な山頂だ。周囲の立木のせいで眺望が良い訳でもなく、木陰もない。除草されているのはいいけれど、小さな記念碑を除けば、何もない。子供たちが遊びまわるような場所として整備されているのだろうか。



二等三角点の脇にある山頂標識もシンプルなもの。それにしても標識の足元にゴロゴロ転がっている石ころは一体何なんだろう…。



しばらくの休憩後、仁川方面へと下りて行く。こちらは中途半端に敷石があるんだけれど、歩きやすいような、歩きにくいような…。イマイチ敷石の意味が判らない。



登山道の脇にある頼朝塚。初めてこれを見たときには驚かされた。生涯を通じて源頼朝は京より西には行ったことさえないはずなのに。調べてみると頼朝は甲山の麓にある神呪寺の再興に尽力したらしい。塚といっても墓ではなく、追悼のために建立されたものだろう。



仁川への下山道からトラバース道を経て神呪寺へと向かう。道に沿って30mおきに西宮市の境界標識が立っている。他市では見たことが無いものだ。宝塚市との市境となる社家郷山付近でも同じものがあるけれど、ここって市境じゃない。私有地と市有地の境なのかぁ?



神呪寺の桜も満開。寺社仏閣と桜の相性もいい。いや桜って、海や空などの自然はもちろん、橋でもダムでも、古い建物でも近代的な建物でも、何とでもマッチする。



神呪寺境内からは大阪平野を広く見渡すことができる。視界を遮るような高地はここより南側には無い。



甲山大師とも呼ばれるとおり神呪寺の本殿の奥に甲山がある。神呪とは恐ろし気な言葉のようだけれど、真言と同義で仏様の真の言葉のことなんだそうだ。



ここから車道を歩いて北山緑化植物園に戻るもの面白くないので、石仏が立ち並ぶ甲山八十八ヶ所めぐりの道を通ってショートカットをしてみよう。



地図では道がありそうに見えたんだけれど、まともには歩けるところではない。進みたい方向へと進めない。厳しく言えば、これもちょっとした遭難状態なのかも…。でも踏み跡もあるし、住宅地はすぐ傍だし、さすがに危機感は無い。



川やフェンスに阻まれ、思った方向へと進めないけれど、抜け出せそうなところを探って、とにかくこの山域を脱出する。



やっとのことで甲陽園の住宅街に脱け出せた。北山緑化植物園の東に開発された豪邸が立ち並ぶ街だけれど、バスが通らず、駅からも遠いので庶民には縁遠いところと感じていたけれど、最近コミュニティバスが試験運行しているようだ。試験運行なのでバス停はショボい。



植物園の東側にも入口があったはずだけれど、どこだったのか覚えていない。植物園との境には小さな川があるんだけれど、ところどころ赤いテープが見える。どうやら渡渉して赤テープのところから植物園内の山に入れるようだけど、危なっかしいことはやめとこう。



ようやく東側の入口を見つけ、正面入口まで東から西へと横断する。地図では大した距離でもないけれど、普通にしんどい山道だ。植物園の中とは思えない。



登って下って、三ツ池とも呼ばれる北山池までやってきた。ここまで来れば植物園の正面玄関まであと少しだ。そのうちに北山緑化植物園をもう少し探索してみたい。ごく限られた道しか歩いたことが無いので、イマイチ面的にこのエリアが把握できない。



お花見目的のブラブラ歩きのはずだったけれど、後半はプチ遭難状態。最近は何かのトラブルがあるのが当たり前のようになってきた…。いかんなぁ…。距離5.8㎞、獲得標高320m、所要時間2時間40分。




堂屋敷・天上ヶ岳(箕面市)

 2025年3月26日


エキスポ’90 みのお記念の森の駐車場に車を停めて、未踏破が気になっていた箕面の3つの山を歩いてみることにする。中山道最大の難所のひとつ、碓氷峠越えに向けて、舗装道でも山道でも対応できるよう購入したローカットシューズの試し履きに丁度良さそうだ。



駐車場が既に標高480mほどなので、登山というにはお気楽すぎかもと思いながら正午過ぎに出発。もっとも午後5時と思っていた閉園時刻は午後4時だった。でも4時間もあれば十分すぎると気楽に考えながら、まずは舗装道を10分ほど進む。



舗装道を外れて、本日の最初の目標、堂屋敷山に向かうけれど、これがなかなかの直登。勾配のキツさもさることながら、階段の段差の高さが辛い。まだ歩き始めて間もないというのに太腿が悲鳴を上げる。



堂屋敷山頂(553m)。箕面の滝を中心にした広大な自然公園には何度もやってきたけれど、その多くは10年ほども前のこと。当時はピークハントに全く興味もなく歩きまわっていたものだから、こんなマイナーなピークに登ろうなんて考えもしなかった。



遠くに見える住宅地は箕面森町か光風台か。晴れているはずなんだけど、たぶん黄砂の影響で見通しがあまり効かない。




山名は立派だけれど何もない堂屋敷から、さらに立派な山名を持つ天上ヶ岳へと向かう。道は杉林をくぐっていくように続いている。気温は高いはずなんだけど、杉林が日を遮っているし、尾根を抜ける風が心地よい。



天上ヶ岳(499m)。手作りの素朴な山頂標識がいい感じ。この山頂標だけ見ると、な~んも無い山頂のように見えるけど…



さほど広くない山頂の大半はなんと役行者の墓所なのだ。知らんかった~。鬼や神様まで従えていたほどの法力の持ち主であり、日本における修験道の最高峰に君臨する大レジェンドだ。天上ヶ岳という御大層な山名にも納得だ。



罰当たりなことだけれど、役行者の銅像と向い合せになって昼食の握り飯をいただく。銅像とはいえ、眼光の鋭さは半端ない。



天上ヶ岳から箕面川ダムに向けて急坂を下っていく。山歩きの前半で下り、後半で登るというのは、あまり経験の無いことだ。



サルを自然に戻す実験をしているので森の中に入らないよう、との注意書きがある。サルを自然に戻すことは大いに賛同するけれど、サルにとってはさほど広いとも思えない森の中に閉じ込めてヒトと隔離することってできるんだろうか。もう少し解説が欲しい。



谷合には随分と大規模な倒木が見られる。昨年の台風によるものだろうか。いや谷合の木ばかり倒れているから、この冬の積雪に影響なのかもしれない。



箕面川ダムまで下りてきた。石積みで流れを堰き止めるロックフィルダムだ。素人目には治水ダムとしては少々頼りなさげに見えるけれど、コンクリートダムと比べて環境や景観に配慮されたもののように感じる。



箕面川ダムからしばらくは舗装道。天上ヶ岳から下った200mほどを登り返さねばならない。前方の山は目指す長谷山。う~ん、かなり尖がってるなぁ…。



舗装道を外れて山道へ。箕面自然公園では自然研究路の7号路とナンバリングされている道だ。そこそこ険しいところもあるけれど、手摺りなどの安全対策は十分に施されているようだ。



渡渉部もあるけれど、景観に馴染むよう目立たないように飛び石も設置されている。もっともこの日は全く水が流れていない。



平坦部のない山裾には桟道のようなものを設置して、歩行スペースが確保されている。手摺りなどに少々老朽化したところも見られるけれど、適切に保全して誰もが山歩きを楽しめる道を維持してもらいたいものだ。



何の案内標識も見られないけれど、どうやらここが長谷山の南側の登り口のようだ。地図の等高線がメチャクチャ狭いというのにほぼ直登だ。どうやら北側からアプローチする方が遥かに無難そうだ。このところトラブル続きの山歩きなので、今日は無理はやめておこう。



長谷山登頂を見送り、自然研究路7号路をそのまま北上。この道は全長300㎞と言われる「おおさか環状自然歩道」の一部ともなっている。時折標識は見かけるんだけれど、未だに全コースを詳細に案内するマップやサイトに出会ったことがない。



エキスポ’90 みのお記念の森に戻ってきたけれど、花の谷と言われるメインエリアへの門は何故か閉じられている。この先にある立派な展望台も老朽化のため閉鎖中らしい。荒廃の一途を辿っているように感じられてならない。



園内の樹木には鹿による食害防止のため、樹木保護ネットが施されている。サルスベリなんて鹿が齧る樹皮などないツルツルの木だと思っていたけれど、そうでもないようだ。まあ、サルスベリとはいってもサルは平気でこの木を登れると聞く。



多くの人が勘違いしているんだけれど、エキスポ’90 みのお記念の森って、1970年に千里で開催された大阪万博ではなく、1990年の花博を記念したものだ。花咲太郎という、花咲じじいを現代風にアレンジしたようなオブジェが見られる。



新しいメレルのシューズの具合は悪くなさそうだ。ちょっと重く感じるけれど、山道でも舗装道でも、程よいクッション性とグリップ力を発揮してくれた。インソールも陸上自衛隊員ご愛用のものに変えて足回りは完璧だ。残る問題は体力、天気、そしてクマだ。




距離5㎞、獲得標高400m、所要時間は2時間40分。



槇尾山(和泉市)

 2025年3月22日


久しぶりに槇尾山に出掛ける。ダイヤモンドトレールの起点だけにハイカーの姿も見られるけれど、西国三十三所札所の施福寺の参拝者が圧倒的に多そうだ。もっとも施福寺まででもバス停や駐車場から200mほども登らなければならないので、ちょっとした登山となる。



豊臣秀頼が寄進したと伝わる山門には立派な仁王像が睨みを効かせていて、小さな草鞋が多数奉納されている。西国三十三所を踏破した花山法王(大河ドラマ光る君へにも登場したけれど、若くして退位させられたことで知られる)に関係していると聞いたような気がする。



山門からかなり急な参道が続く。あまり山慣れていない高齢の参拝者が多く、ちょっと優越感を感じながらドンドン進んでいたのだけれど、しばらくすると息があがってくる。以前はスイスイ登っていったような気がするんだけれど、気が付けば、こちらも立派な高齢者だ。



とにかく暑い。つい最近までは寒さに震えていたし、槇尾山も積雪しているということで、山行を延期したというのに、今日は20度を超えると言われている。情けないことに、途中のベンチに座り込み、アウターを脱いで、水分を補給して、足腰が回復するのを待つ。



弘法大師の御剃髪所跡なんてのがある。施福寺は天台宗だったはずだ、と混乱してしまう。普段なら、説明文を探したり、スマホで調べるところだけれど、暑いし、早くも疲れてきたし、とにかく早く本堂まで登ってしまおうと考えてスルー。



未だ山行の序盤だというのに、結構疲れていることに気付く。境内の白梅、紅梅を愛でながら長い休憩を取る。この境内は梅と桜が半分ずつくらい。もうしばらくすると主役は桜に移ることだろう。



梅の向こうに山頂が禿げたような山が見える。岩湧山だ。10年ほど前にはダイヤモンドトレイルで槇尾山口からあの岩湧山を越えてさらに紀見峠まで、さほど苦労もなく歩けたのが嘘のようだ。



花山天皇ゆかりの足腰守を授与していただくか迷ったけれど、もはやリュックには登山や足腰のお守りがいくつもあるし、花山天皇のイメージの悪さもあって結局パス。ダイヤモンドトレールの起点標から山道へと入っていく。



もっと広々としたトレイル道だったような記憶があったけど、結構切り立って狭いところも多い。10年振り以上ともなると、かつて歩いた記憶などほとんど役に立たない。



左に下るのがダイヤモンドトレール道だけれど、右側に登る檜原越へ。まずは未踏の奥槇尾山を目指す。



路傍には多くの石仏が見られる。その多くは真新しい前掛けを施されてる。多くの地域の方々に愛されている信仰の山であることに気付かされる。



奥槇尾山に向かう道は思っていた以上にキツイ。最近たまに感じる右膝の痛みに加えて、古傷の股関節の具合も悪い。施福寺の足腰守を見送ったことで槇尾山のお怒りを買ってしまった訳でもなかろうが…。引き返すなら早いうちに、と思いながらも進んでしまう。



右側斜面に沿って延々と立入禁止の黄色テープが貼られている。たぶん、斜面の上にある槇尾山への登頂を施福寺が禁じているようだ。以前、ハイカーと寺の両者の関係がかなり険悪になっていると聞いたことがある。



グリーンランドだとぉ? まさか北極海の島に続く道とも思えない。どうやらこの先に和泉市が運営する野外活動施設があるらしい。



ようやく眺望が開け、岩湧山がクリアに臨めるようになった。3日かけてダイヤモンドトレールを踏破したのは10年ほども前のこと。昨秋に久しぶりに紀見峠から岩湧山、滝畑まで歩いたのけど、これが精一杯。今の体力では5日くらいかけないと踏破できそうにない。



何もないとは判っていたけれど、少し脇道に逸れて奥槇尾山(647m)に登頂。施福寺から170mくらい登ってきたことになる。ここで引き返すことも考えたけど、次の目標となる猿子城山は709m。膝は痛いけれど、60mくらいなら何とかなると考えて先に進む。



う~ん、結構タフで寂しい道が続く。止めときゃ良かったかなぁ…。最近いつもこんな気持ちで山を歩いているような気がする。明らかに以前ほど自分の体力への信頼感が低下している。



写真では判りにくいけれど猿子城山の山頂に向けては激登り。実はダイヤモンドトレールの終点が槇尾山であることにしばしば違和感を覚えていた。猿子城山から和泉葛城山、犬鳴山まで繋がるのに…と思っていたけれど、この道は大勢が歩くようなところではない。



やっとのことで猿子城山(709m)に到着。南北朝時代には城があったらしい。確かに攻めにくく守りやすい場所だけれど、人里から離れすぎているように思う。まあ千早城とか感状山城なんかもそうだけど…。とにかく今では考えられないほどに皆健脚だったのだろう。



それにしても鬱陶しいのは山頂標の多さ。大半はどこやらの登山会の登頂記念だ。ひとつ目、ふたつ目までは良いけれど、それ以上の山頂標は無意味だ。敢えて言えば、自己満足の塊のゴミでしかない。私がゴミを棄てましたとわざわざ団体名を記す神経が理解できない。



怖れていたとおり猿子城山からの下りはメチャクチャ急で、しかも長い。こちらから登ってきたなら、相当に体力を削られるに違いない。でも下るのもひどく怖い。とにかくその大半は直降なのだ。転倒でもしようものなら、一気に滑り落ちるに違いない。



ひどい下り坂をなんとかクリアし、ダイヤモンドトレールに合流。ボテ峠という名前の由来は不明だけれど、この先は整備された道を施福寺へとノンビリ戻るだけだ。



と思っていたら、とんでもない倒木で道が塞がれている。何本もの倒木が複雑に重なりあって容易に潜りぬけることができない。屈んだり、身体を捻ったり、かなり無理な姿勢を強いられながら、苦労して通過する。



倒木帯を通り過ぎて、呑気に山道を下っている途中でスマホが無いことに気付く。どこで落としたのか…。結局最後に写真を撮った倒木帯まで登り直し、倒木の下に隠れていたスマホを無事救出。でも一気に疲れが噴き出した。覚束ない足取りで渡渉する。



軽めの山歩きのつもりだったけれど、結構疲れた。距離6.7㎞(もちろんスマホ紛失の間の歩行は含まず)、獲得標高745m、所要時間は5時間27分。