2014年9月15日(祝)
泉大津での所用の空き時間を利用して、大阪府国民健康保険団体連合会が各市に設置したウォーキングコース「ツール・ド・大阪」を歩くことにする。もっとも、コース設置から随分経ってしまっているので、多くの市では地図も標識も無くなってしまっているようだが、泉大津市には、ちゃんと看板が残っている。ツール・ド・大阪を歩くのは、摂津市に続いて2コースめとなる。
スタートポイントは泉大津市役所に隣接する東雲公園。少年時代を過ごした泉大津を散策するのは随分久しぶりだ。もっとも、健康づくりを目的としたコースだけに、旧市街ではなく、道路が整備されたベイエリアの埋立地がコースの過半を占めている。
市役所から、早速臨海部に向かって歩く。泉大津は毛織物や毛布の製造で栄えた町。昔は三角屋根の紡績工場が各所に見られたものだが、今ではほとんど見られなくなってしまった。僅かに残っているが、もはや工場としての役割は終えているように見える。
6年間の小学生時代を過ごした泉大津市立浜小学校。在校中に大半を占めた木造校舎は影も形も残っていないが、5年生の時(45年前!)に増築された一棟の鉄筋コンクリートの校舎は未だ現役のようだ。かつては校庭の向こうはすぐに海だったものが、今や埋立が進んで海までは随分遠くなった。プールができて、校庭は芝生化されている。
2年間通った浜幼稚園。 ほとんど記憶が残っていないので、あらためて見ても、特段の感慨もない。
泉大津市民会館。大阪万博のスイス館をイメージして建設された、市の自慢の施設だったが、海風がまともに当たるとこだけに、ひどく老朽化が進んでいる。杮落しは中学一年生の時。市民歌の合唱団に選ばれてステージに立ったり、NHKのど自慢の観客席で始めてのテレビ出演?をしたことが懐かしい。
かつての堤防。あらためて見ると、随分低いものだ。この堤防を越えると、砂浜が広がっていたのだ。
埋立地を海側に向かって歩く。臨海道路を渡る横断歩道がそのままの高さで、1kmほどの遊歩道に繋がっている。車道の横に高さ10mほどもの展望歩道が設置されているのだ。
完成当時は、周囲の工場・倉庫・港湾施設を見渡すことのできる歩道だったが、緑が生い茂って、今や眺望は望めない。ここが車道より10mほど高いことさえ忘れそうなほどだが、緑に囲まれている方が散策には丁度いい。ツール・ド・大阪の案内板も数百mおきに設置されている。
海に近づき、遊歩道が車道レベルまで下りてくると、急に殺風景な港湾施設ばかりが目に入る。
埋立地の先端にあるフェリーターミナル。かつては大阪市内をバイパスする神戸行などのフェリーも運行されていたが、今は阪九フェリーだけ。門司港との間を運航している。
泉大津大橋。完成当時は、世界一だか東洋一だかの単弦橋だった。そもそも両側に弦があるのが一般的で、単弦橋そのものが希少だと思うのだが・・・。市民から橋の名前を公募したものの、期待していた「泉大津大橋」という応募が無く、それでも市がその名前を強行して問題になった。当時の市民は、自市のことを「大津」と呼んでいたし、既に大津川に架かる大津大橋があるのだから、泉大津大橋という名前には違和感を感じたものだ。
大阪府警の水上警察署が所有する船が4隻係留されている。パトロールカーならぬ、パトロールボートとでも呼ぶのだろうか。もっとも、水上警察署は天保山にあり、ここは府内唯一とはいえ、水上警察の派出所になるらしい。交番相当だと思うと、少し寂しい。
大阪府の港湾局など、港湾関係者が多く入居しているポートサービスセンタービル。股の名を、きららセンタービル。随分立派な建物なんだけど、空室が多いようだ。海に近く、阪神高速からのアクセスはいいけど、駅から遠いもんねぇ・・・。
きららセンタービルの前に係留されている、謎めいた船。海上災害防止センターと書かれたテントで中を覗きみることができない。船の転覆や油の海上流出などが起こった際に、即時出動できるように、必要となる資機材が積み込まれていると、勝手に想像する。
ポツンと置かれた錨のモニュメント。タイトルも説明板も何もないが、土佐日記や更級日記にも登場する古い港町らしい、力強い創作だと思う。そういえば、泉大津の市章も錨をモチーフにしたものだ。
埋立地に林立する高層マンション群。ありがちな白やグレーではなく、淡い暖色で統一されているところが、何となく南国情緒を感じさせ、野暮ったさがウリの泉大津らしくない、などと言ったら、市の関係者に怒られそうだ。
臨海部から、臨海道路を渡り、旧市街に戻る橋が、単弦橋風になっている。おそらく泉大津大橋を模したものだろう。
橋の上から、だんじり倉庫で、1ヶ月後に迫った祭礼の笛や太鼓の練習をしているところを見学させてもらう。岸和田のだんじり祭りはこの連休に開催されているが、泉大津のだんじりもなかなかのもの。だんじりもポピュラーになったものだが、大津川を挟んで、だんじりの型式が異なっていることを知っている人は、さほど多くないだろう。
まだひと月もあるが、昔から、夏休みが終わると、そのまま祭りモードに突入する町なのだ。
かつての大津のメイン道路、浜街道。今となっては車の通行にも難儀しそうな細い道に、虫籠窓の旧家が並んでいる。アチコチの赤い布をぶら下げたり、電信柱に紅白の帯を巻いているのは、祭礼の際に、だんじりに当てられないように注意を喚起するもののようだ。
泉大津を代表する神社、大津神社。ここの境内で月3回ほど開かれる夜店を訪れるのが楽しみだった。
南海泉大津駅駅の西口ロータリーにある、羊の石像。毛織物の町、泉大津のシンボル的モニュメントだったのだが、摩耗のためか、随分ツルツルになってきたように感じる。昔は西口が繁華街だったのに、今や商店もまばら。空地も目立つ。変わってマンションが増えてきた。
逆に、かつては工場や住宅が多かった東口が賑やかになってきた。駅前に2棟の高層マンションが聳えたち、道も整備され、スーパーやホテルも集まっている。
今回は臨海部が中心で、市域の3割くらいしか歩けていない。近いうちに機会を見つけて、少年時代を過ごした旧市街も探索してみたいものだ。
まとめ
歩行距離 6.3km
所要時間 約100分
歩数 9700歩