鉄拐山・栂尾山【六甲山系】

 2023年10月24日


先週の山歩きでは、情けなくも栂尾山に向かう400階段で息切れが激しく、何度もベンチに座り込む始末。何度も歩いた階段だけれど、こんなはずがない、と考え、あらためて再挑戦だ。今日は須磨駅から一の谷を経由してまずは鉄拐山へと登っていく。



集合住宅街の坂道を抜けて、鉄拐山へと向かう登山口にやってきた。須磨周辺の六甲山系はどこから登ろうが、階段に悩まされる道なのだけれど、須磨浦道とも妙見堂跡ルートとも呼ばれるこの道は比較的楽な階段に思える。



一の谷合戦では源義経軍(の一部?)は鉄拐山から東南方向へ逆落しで一の谷の平家陣へと奇襲をかけたと言われ、だとすると須磨浦道がその進軍路にあたるように思える。当時とは地形も異なるのかもしれないけれど、さほど大袈裟に語られるほどの急坂には感じない。



鉄拐山の山頂の少し手前に毎日登山の拠点ともなる署名所がある。山に近い神戸の独特と文化とも聞くが、旗振山、高取山、一王山、摩耶山、再度山などなど、六甲山系の至るところで毎日登山が長年続けられている。



署名所のなかを少し覗いてみるが、いつものことながら、多くの人が雨の日も風の日も、まさに「毎日」ここに登ってきていることが判る。10000回を超えている人も少なくなく、間違いなく高齢者だ。400階段で少々息切れするくらいで凹んではいられない。



鉄拐山への最後の登り。どこから登ってもちょっと邪魔くさい。六甲全山縦走路ではつい鉄拐山山頂をバイパスして歩きたくなってしまう。



鉄拐山(234m)。今日も秋晴れの良い天気だ。気温はかなり低くなったとはいうものの、日射しは弱くない。



いつも気になるのが鉄拐山周辺の石標。「正面」とは石標の向こう側なのか手前側なのか。個人的には石標の向こう側が「正面」だと思うのだけれど、ここでは手前側を「正面」と呼んでいる。誤解してしまう人が多いように思うんだけどなぁ…。



高倉山の手前から海方向に見える「小山」。低いとはいえ、立派に山の形をしているのだけれど何故か山名が無い。ニュータウン開発で高倉山が削られて残った山塊なのだろうか。



高倉山の山頂(200m)には、「本来高倉山を全部削り取ってポートアイランドの埋立に使うつもりだったけど、環境や景観を守るために一部残した」との神戸市長のメッセージが記されているけど、違うだろ。神戸沖の埋立による都市開発が破綻したからではないのか。



無理やり山を削ったものだから、このような無粋で不自然なまでに急勾配の階段が高倉台の東西に造られている。まあ、足腰には良い鍛錬となるのだけど、ポンコツハイカーには厳しい難所となっている。



高倉台でしっかりと休養を取り、問題の栂尾山への400階段へと向かっていく。



素人の見立てだけれど、前回息切れが激しかったのは、筋肉の疲労ではなく心拍数が適値を超えて無酸素状態になったからと推察。筋肉疲労は徐々に蓄積していくものなので、急に歩けなくなるようなものではないはずだ。今日は心拍数を良く見ながら登っていくつもりだ。



ゆっくり歩いてきたつもりだけれど、階段に登り始める前の心拍数は早くもZONE3の115。マラソンをするならこの心拍数を維持すべきだというレベルだ。とにかくZONE5に突入しないようなペースで登っていこう。



心拍数はすぐ135前後まで上がってしまうけれど、ゆっくり進む。先週は堪らず座り込んでしまった、ひとつめのベンチに座りたいとも思うことなく登っていく。



2つ目のベンチあたりでZONE5(140)に突入。少し立ち止まって心拍数の回復を待つ。140以上の心拍数で歩き続けると、無酸素状態のためにたちまち息切れでダウンしてしまうように思える。



400階段の途中で2~3度立ち止まりはしたけれど、無事座り込むことなく横尾山の山頂(274m)までやってくることができた。ちょっとだけだけど、自信回復できた。



3分以上の立ち止まったことを示すコーヒーカップマークが4つも並んだ先週とは違って、今日は休憩マーク無し。さすがに栂尾山の山頂では座りこんだけど…。かなりゆっくり登ったつもりだけれど、それでも標準ペースより少し早いことを示す緑色の軌跡が残されている。



須磨アルプスに向かった先週とはルートを変えて、須磨離宮公園方面へと下山していく。



標識は無いけれど、確かこの分岐点を右へと進むと、かつて加藤文太郎が歩いたという旧道(文太郎道)。400階段を登るより難路の文太郎道を進む方が気分的には楽だと考えていた時期もあったけど、体力的には400階段の方が遥かに楽であることは間違いない。




大きな木が並ぶ尾根道を進む。歩く人も少ないマイナーなルートだし、眺望もほとんどないいけれど、とても静かで歩くのが楽しい道だ。



この道はそのまま須磨離宮公園の有料ゾーンへと繋がる。ここから下山するハイカーも入園料を払えとの警告板がある。それが邪魔くさくて以前は寂しげな天王谷へ迂回して下山したものだけど、65歳になって須磨離宮公園の入園料は無料になった今では無敵状態だ。



須磨離宮公園。相変わらず噴水が豪快に水を噴き上げている。



バラ園を楽しみながら、ゆっくりと月見山駅へと向かう。



距離6.6㎞、獲得標高470m、所要時間3時間40分。あまり疲れも無く、良い山歩きができた。




須磨アルプス【六甲山系】

 2023年10月18日


午後1時と遅いスタートになったけれど、須磨浦公園から旗振山へと登っていく。気温は24度だというけれど、体感的にはかなり暑く感じる。日射しは厳しく、目の前の海がやけに眩しい。



旗振山までは大キライな階段が延々と続く。緩い坂道へと迂回することもできるんだけれど、結局「ちかみち」と表示された急な階段を進んでしまう。



いきなり心拍数は爆上がり。なんとかロープウェイの山上駅までは座り込むことなく登っていきたいと、ゆっくりと進んでいく。



が、ロープウェイ山上駅の真下にある展望台で、堪らず座り込んでしまう。もうひと息だったのに…。正面の木々が邪魔をして、まるで眺望が開けていないことで有名な展望台だ。



ロープウェイ山上駅で、既にかなりの疲労を感じる。日射しが強いせいか期待していたような涼しさは全く感じないのだ。まだ一度も乗ったことがない乗り心地の悪さで知られるカーレータに乗ってみようかな、なんて思いが胸をかすめる。



長らく中に入ったことがない回転展望閣を覗いてみる。2Fは寂れたゲームセンター、3Fがいかにも昭和って感じの、レトロ感溢れる床が回転する展望レストラン。入場するだけで飲食代とは別に100円取られるというのが納得できない。



もっとも屋上からの眺望は素晴らしい。遅いスタートとはいえ、鉢伏山、旗振山、鉄拐山と六甲全山縦走路の序の口とも言える三山だけ登って一の谷に下山するつもりなので時間はたっぷりある。のんびりと雲ひとつ無い秋晴れを楽しむ。



長い休憩の後、登山再開。回転展望閣から少し歩けば鉢伏山。登山地図では標高244mとあるけれど、現地の表記は260m。どうしたことか、結構違いがある。



旗振山(252m)。摂津と播磨の国境ともなり、米相場の変動を旗振りで通信したことで知られる山だ。今も本四公団の無線塔が立っていて通信の拠点になっている。



旗振山を過ぎると、ウバメガシの林の中を進むアップダウンの少ない尾根歩きとなる。備長炭の原料として植樹されたものなのだろうか。



鉄拐山(237m)から一の谷に下山するつもりだったのだけれど、つい高倉山(200m)まで歩いてきてしまった。六甲山系の茶屋としてはおそらく唯一鉄筋造りのおらが茶屋。晴天のせいか、思っていたよりもハイカーが数多く見られるけれど、茶屋は閉まっている。



高倉山から高倉台の住宅地まで激下りの階段。もとは正面の栂尾山まで山が繋がっていたというけれど、すっかり高度経済成長期の住宅開発で寸断されている。高倉山が削られた土はポートアイランドの埋立に使われたという。



高倉台のスーパーで買ったパンを齧りながら、正面に見える栂尾山を見ながら考え込んでしまう。登るのはしんどいなぁ…。ここからバスで帰ろうか…。



考えた挙句、疲れた体に鞭打つように、栂尾山への通称400階段を登っていく。これまでも、この階段を休憩無しに登り切ったことなど無いのだけれど、今日は更にしんどい。すぐ息があがってしまう。



少しずつ西に傾いた太陽が階段を登る背中から照り付ける。約100段おきにベンチが設置されているのだけれど、情けなくも全てのベンチで座り込んでしまう…。



なんと情けない歩行記録なんだ…。コーヒーカップのマークは3分以上動かなかったという記録。階段を登り切る間に4回も休憩しているんだけれど、水平距離で言えば20~30m進むたびに座り込んでいたことになる。



栂尾山(273m)。なんとか登ってきたものの、このまま須磨アルプスに向かうべきか、それとも須磨離宮公園方面へと下山すべきか。何度も歩いた道だけれど、栂尾山でこんなに疲れていたという記憶はない。老化を痛感させられる。



結局、そのまま横尾山(312m)を経て須磨アルプスへと向かう。いつもあまりスマートに歩けない道だけれど、今日は更にへっぴり腰で進んでいく。



馬の背までやってきた。標高300m弱とは思えない岩稜は、何度来てもちょっと興奮してしまう。



岩を攀じ登って進んでいく。日暮れも近くなったせいか、ほとんど人の姿も見えない。あまりノンビリしていられないけれど、焦ってはいけないところだ。



疲れのせいだろうか。あまり力強く歩くことができず、体が安定しないように感じる。これまであまり怖さを感じることもなかったけれど、今日のような日はちょっとヤバイのかもしれない、と気を引き締めて進む。



東山(253m)を経て、六甲全山縦走路を妙法寺駅方面へと下山する。この下り坂も嫌いなんだよなぁ…。激坂が足首や膝に応える…。



あわやナイトハイクになりかけたけど、ヘッドライトを装着することもなく、18時前に妙法寺駅に到着。計画していたより随分長く歩いたとはいえ、ちょっと疲れすぎ。以前はさらに高取山を越えて鵯越駅まで歩いていたものだけど、もう歩く気になれない。



距離6.8㎞、獲得標高600m。所要時間は5時間。老化だからと諦めるのではなく、なんとか体力回復に努めたいものだ。





打越山~七兵衛山~蛙岩【六甲山系】

 2023年10月3日


ほぼ毎日が真夏日だった9月が終わって、ようやく涼しくなってきた。9月はナイトハイクばかりだったので、久しぶりに日中の山歩きに出掛ける。とはいえ、長い山道を登ることには自信が無いので、荒神山のすぐ南麓、標高250mほどの住吉台からスタートする。



しばらく進むと四差路が現れる。ここで六甲山上へと続く住吉道や石切道に向かうメインコースではなく、打越山へと向かう道へと進む。



あまりハイカーが歩かないマイナーなコースではあるけれど、良く整備され、さほどアップダウンが厳しくない道が続くことは昨年も歩いて確認済だ。誰が製作したのか、道端には鹿威しなんかもあって、涼感を増してくれる。



簡素な木橋で清流が迸る住吉川を渡る。ここから打越山へと取りつく。



大した急坂ではない。でも体は期待していたほどには動かない…。体が重く感じらるし、息もあがりがちだ。まあ、タイムなど気にせず、ゆっくりと歩いていこう。



この道の嬉しいところは、登り坂が延々と続く、六甲山系にありがちな道と違って、ところどころに平坦な道が現われて、体も気分もリフレッシュできるところだなんだけれど、相変わらず足取りは重い…。



打越山に近づいてくると、アンテナ類が立ち並ぶ六甲の山上部が望めるようになる。昨年までは当たり前のように登っていたはずなんだけど、今日はひどく遠いところのように感じる。



山頂に近づくと周囲は低木しかなくなり、急に日射しが辛く感じられる。真夏日ではなくとも、夏日なんだから暑いのは当然だ。あまりの猛暑で感覚が麻痺しているけれど、本来なら9月上旬の気温のはずだ。



思っていた以上に体は水を要求する。ペットボトル2本あれば十分だと思っていたけれど、もう1本持ってきた方が良かったかも…。でも秋は確実に近づいているようで、栗の実がアチコチに見られる。



打越山(481m)。Fさんが長年かけて整備された石のベンチが並んでいる。丸太を組み合わせた作品が目立つけれど、石の作品は木以上に大変そうに思えてならない。大きな石は辛うじて動かせるほどの重さだし、付近に適当な大きさの石が散在している訳でもない。



眺望はあまり無い山との印象が強かったのだけれど、近年山頂付近の木が伐採されたのか、木々の間から市街地が見通せるようになっている。



打越山を一旦下り、続いては七兵衛山を目指す。岡本方面から歩いていくと山の姿を確認しづらいのだけれど、打越山側からであれば、丸みのある山容が確認しやすい。



Fさん製作の木製ベンチが並ぶ打越峠。平日ということもあるのだろうけれど、誰ひとりいない。



七兵衛山(462m)まで登る。山頂部の4ヶ所に50人分をゆうに超すとも思えるベンチがある山頂だけれど、珍しく誰もいない。何だか気持ちが悪いけど、「個室」とも呼ばれるお気に入りのコーナーでまったりと寛ぐ。思っていた以上に疲れも感じる。



七兵衛山から西へと向かう。ハブ谷、保久良神社、薬大尾根、魚屋道…といくつもある道のどこから下山しようかと考えながら、ゆっくりと歩いていく。



水平道。標高300m〜400mあたりの樹林帯をアップダウンもあまりなくのんびりと歩ける道だ。いつもはとても気持ち良く歩くところなんだけど足取りは重いままだ。でも久しぶりの山歩きなので、どれだけ長く山歩きができるかが大切と考えながら、ゆっくりと進む。



登山道の真ん中に、これまで見たことが無い真っ黄の芋虫を発見。普通、こういう連中は茶色や緑色の保護色や擬装で、鳥などの天敵から身を守っているものなんだけど、怖ろしい毒でも持っているのか、喰えるものなら喰ってみろ、と言わんばかりに目立っている。



左が本庄山。藪を掻き分けて3分ほど登れば三角点があるのだけれど登る価値はない。YAMAPで登頂が記録されるようになってから、付近を通過するだけでピークゲットすることに後ろめたいものを感じていたけれど、本庄山とか荒神山とかはもう登る気にもならない。



西へ進むにつれて、ザレたところが増えてくる。8月には甲南山手からの魚屋道から登ったものの、足に異常を来して、随分と苦労して歩いた道だったことを思い出す。



結局、いくつかの下山路を見送り、蛙岩から芦屋へと下る道までやってきた。下りで使うのは初めてだけれど、結構急坂だったような記憶がある。



蛙岩。おそらくこの角度から見るのが一番カエルっぽいように思うのだけれど、ビミョーだ。ウサギとかネコにも見える。動物名を冠した岩としては圧倒的にカメが多い。やはり堅牢な巨岩は、いかにも柔らかそうなカエルより、固い甲羅をカメを連想しやすい。



登るのも厄介な道だけれど、下るにも厄介な道だ。足腰がスムースに動かず、ドスンドスンと段差を下りていくものだから、さらに足腰への負担が増す。



中腹に会下山遺跡がある。稲作が行われていた弥生時代の集落跡なのに、何故か標高200mの山腹にある。珍しい高地性集落らしい。軍事的理由か防災的な理由なのだろうか。祭祀場跡とか竪穴式住居跡などの看板はあるけれど、当時の集落を想起することは難しい。



わずかに高床式倉庫だけが復元されている。稲作はしなくとも、木の実や猪などの食料は調達しやすそうだ。でもそれって縄文人の暮らしなんだよなぁ…。縄文人が暮らしていた日本に、ある時期弥生人(渡来人)がやってきた、なんていう説を思い出す。



歩行距離8.3㎞、所要時間5時間半。獲得標高は下りが740mなのに、上りは500m。大して登っていないのに、結構疲れてしまった。