打越山~七兵衛山~蛙岩【六甲山系】

 2023年10月3日


ほぼ毎日が真夏日だった9月が終わって、ようやく涼しくなってきた。9月はナイトハイクばかりだったので、久しぶりに日中の山歩きに出掛ける。とはいえ、長い山道を登ることには自信が無いので、荒神山のすぐ南麓、標高250mほどの住吉台からスタートする。



しばらく進むと四差路が現れる。ここで六甲山上へと続く住吉道や石切道に向かうメインコースではなく、打越山へと向かう道へと進む。



あまりハイカーが歩かないマイナーなコースではあるけれど、良く整備され、さほどアップダウンが厳しくない道が続くことは昨年も歩いて確認済だ。誰が製作したのか、道端には鹿威しなんかもあって、涼感を増してくれる。



簡素な木橋で清流が迸る住吉川を渡る。ここから打越山へと取りつく。



大した急坂ではない。でも体は期待していたほどには動かない…。体が重く感じらるし、息もあがりがちだ。まあ、タイムなど気にせず、ゆっくりと歩いていこう。



この道の嬉しいところは、登り坂が延々と続く、六甲山系にありがちな道と違って、ところどころに平坦な道が現われて、体も気分もリフレッシュできるところだなんだけれど、相変わらず足取りは重い…。



打越山に近づいてくると、アンテナ類が立ち並ぶ六甲の山上部が望めるようになる。昨年までは当たり前のように登っていたはずなんだけど、今日はひどく遠いところのように感じる。



山頂に近づくと周囲は低木しかなくなり、急に日射しが辛く感じられる。真夏日ではなくとも、夏日なんだから暑いのは当然だ。あまりの猛暑で感覚が麻痺しているけれど、本来なら9月上旬の気温のはずだ。



思っていた以上に体は水を要求する。ペットボトル2本あれば十分だと思っていたけれど、もう1本持ってきた方が良かったかも…。でも秋は確実に近づいているようで、栗の実がアチコチに見られる。



打越山(481m)。Fさんが長年かけて整備された石のベンチが並んでいる。丸太を組み合わせた作品が目立つけれど、石の作品は木以上に大変そうに思えてならない。大きな石は辛うじて動かせるほどの重さだし、付近に適当な大きさの石が散在している訳でもない。



眺望はあまり無い山との印象が強かったのだけれど、近年山頂付近の木が伐採されたのか、木々の間から市街地が見通せるようになっている。



打越山を一旦下り、続いては七兵衛山を目指す。岡本方面から歩いていくと山の姿を確認しづらいのだけれど、打越山側からであれば、丸みのある山容が確認しやすい。



Fさん製作の木製ベンチが並ぶ打越峠。平日ということもあるのだろうけれど、誰ひとりいない。



七兵衛山(462m)まで登る。山頂部の4ヶ所に50人分をゆうに超すとも思えるベンチがある山頂だけれど、珍しく誰もいない。何だか気持ちが悪いけど、「個室」とも呼ばれるお気に入りのコーナーでまったりと寛ぐ。思っていた以上に疲れも感じる。



七兵衛山から西へと向かう。ハブ谷、保久良神社、薬大尾根、魚屋道…といくつもある道のどこから下山しようかと考えながら、ゆっくりと歩いていく。



水平道。標高300m〜400mあたりの樹林帯をアップダウンもあまりなくのんびりと歩ける道だ。いつもはとても気持ち良く歩くところなんだけど足取りは重いままだ。でも久しぶりの山歩きなので、どれだけ長く山歩きができるかが大切と考えながら、ゆっくりと進む。



登山道の真ん中に、これまで見たことが無い真っ黄の芋虫を発見。普通、こういう連中は茶色や緑色の保護色や擬装で、鳥などの天敵から身を守っているものなんだけど、怖ろしい毒でも持っているのか、喰えるものなら喰ってみろ、と言わんばかりに目立っている。



左が本庄山。藪を掻き分けて3分ほど登れば三角点があるのだけれど登る価値はない。YAMAPで登頂が記録されるようになってから、付近を通過するだけでピークゲットすることに後ろめたいものを感じていたけれど、本庄山とか荒神山とかはもう登る気にもならない。



西へ進むにつれて、ザレたところが増えてくる。8月には甲南山手からの魚屋道から登ったものの、足に異常を来して、随分と苦労して歩いた道だったことを思い出す。



結局、いくつかの下山路を見送り、蛙岩から芦屋へと下る道までやってきた。下りで使うのは初めてだけれど、結構急坂だったような記憶がある。



蛙岩。おそらくこの角度から見るのが一番カエルっぽいように思うのだけれど、ビミョーだ。ウサギとかネコにも見える。動物名を冠した岩としては圧倒的にカメが多い。やはり堅牢な巨岩は、いかにも柔らかそうなカエルより、固い甲羅をカメを連想しやすい。



登るのも厄介な道だけれど、下るにも厄介な道だ。足腰がスムースに動かず、ドスンドスンと段差を下りていくものだから、さらに足腰への負担が増す。



中腹に会下山遺跡がある。稲作が行われていた弥生時代の集落跡なのに、何故か標高200mの山腹にある。珍しい高地性集落らしい。軍事的理由か防災的な理由なのだろうか。祭祀場跡とか竪穴式住居跡などの看板はあるけれど、当時の集落を想起することは難しい。



わずかに高床式倉庫だけが復元されている。稲作はしなくとも、木の実や猪などの食料は調達しやすそうだ。でもそれって縄文人の暮らしなんだよなぁ…。縄文人が暮らしていた日本に、ある時期弥生人(渡来人)がやってきた、なんていう説を思い出す。



歩行距離8.3㎞、所要時間5時間半。獲得標高は下りが740mなのに、上りは500m。大して登っていないのに、結構疲れてしまった。