須磨歴史紀行スタンプラリー

2018年10月13日(土)


須磨歴史紀行スタンプラリーに出掛ける。海外出張に加えて、天候不良やら体調不良やらで、日本でリュックを背負って歩くのは、約1ヶ月半ぶりのことになる。まあ今日は心身のリフレッシュとリハビリを目的に、のんびり歩くことにしよう。

 


山陽電車月見山駅で下車。須磨歴史紀行は、スタンプポイントが須磨区全体に散らばっているため徒歩でのコンプリートはまず不可能。そのため過去1回しか参加していないのだが、今回は長らく歩いていないこともあって、完歩は端から諦めて、10個しかない応募用紙の欄を埋めればヨシと考えて歩き始める。



月見山の駅前の商店街にある居酒屋さん兼定食屋さんの前に早速ひとつ目のスタンプポイントを発見する。以前は古印体文字の角印だったものが、丸型のイラスト印になっている。



月見山駅から南へ、JRの須磨海浜公園駅にやってきた。10年ほど前に新設された駅だが、この駅舎の北側の姿がとてもいい感じ。白逆三角形は波なのか貝殻なのか、よくは判らないものの、 ビーチサイドらしい爽やかな駅舎だ。



神戸市はマンホールの種類がやけに多いところ。特定の町や商店街だけで見られるものに加えて、観光地では一点もののマンホールも多い。須磨にも一点もののマンホールが多数あるのだが、その多くは劣化が著しい・・・。



須磨海浜公園と水族館を繋いでいる若宮商店街。そのせいか、生鮮食料品店などより、水族館来館者目当ての食堂や喫茶店が多いように感じる。最近「ドルフィンロード」と名乗りだしたようで、イルカなどのイラストが散見される。



若宮商店街のスタンプポイントは喫茶店。以前もここがスタンプポイントだったように記憶している。シャッターが下りているのを見て嫌な予感がしたが、臨時休業をお詫びする貼り紙とともに、店外にスタンプがちゃんと設置されていた。スタンプポイントになって、売上が特段伸びるのでもないだろうが、責任感を持って対応していただいていることに頭が下がる。



ヨットハーバーがスタンプポイントになっている須磨海岸にやってきた。さすがに海水浴をする人の姿は見当たらないが、水辺や砂浜で遊ぶ人は少なくない。青い空、白い砂浜、青い海、そして明石海峡大橋と須磨アルプス・・・。一の谷の急坂を義経主従が馬で駆け降るさまなどを想像しながら(個人的にはあり得ないと思っているが・・・)、のんびり寝ころびたい気分だ。



須磨水族館の敷地内に、スマスイ動物病院というものがある。公道に面したところだけに、水族館の技術・施設・ノウハウを活用した、新ビジネスかと思ったが、調べてみると水族館の生き物だけが対象のようだ。



水族館の正門で4つめのスタンプをゲット。1957年開園というから奇しくも同い年だ。当時は東洋一(この言葉は今や死語になっているようにも)の規模だったという。正門の前までは度々来るものの、もう30年ほどは入館したことがない・・・。



須磨海岸を散策しながら、西に進む。兵庫開港に併せて建設されたという和田岬灯台がここに移設されている。国内最古の鉄製灯台とのことだが、錆などによる老朽化は感じられない。灯台の傍にあるリゾートホテルで5つめのスタンプをゲット。



綱敷天満宮。菅原道真が大宰府左遷の途上に立ち寄ったとされる由緒ある神社だが、ナス(成す)の腰掛けやら、思う壺やら、波乗り祈願像やら、やや悪乗りが過ぎるのではとも思えるようなオブジェや仕掛けがテンコ盛りのところだ。



参拝客を楽しませようと工夫を重ねているのは判るけど、ここまでテーマパーク化してしまうと、逆に御利益がありそうな気がせず、スタンプだけ押して早々に立ち去ろうとすると、今回も新たな趣向を発見。参道にサーフボードの形が刻まれている。波乗り坂というらしい。



JR須磨駅。南口は改札を出ると即海岸になっている。ちょっとした荒天で線路が冠水するのでは、とも見えるのだが大丈夫なんだろうか。正面の小さな建物はスタンプポイントにもなっている水産物販売所。近くの海苔工場の商品などが並んでいる。



須磨区関守町。海陸双方の関所があったことが町名として残されている。ところで、「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守」という歌が百人一首にあるが、千鳥は夜行性ではないのではないか、という長年の疑問があるのだが、未だに解決されないままだ。



須磨寺。言わずと知れた源平ゆかりの古刹なんだけど、ここもまた綱敷天満宮同様に珍スポットと感じさせるような珍妙なオブジェや仕掛けに満ち溢れている。紹介しだしたら、キリが無いので今回は割愛。



社務所の掲示版に、H1グランプリなるもののポスターを発見。つい眠たくなる法話ではなく、また話を聞きたくなる法話を奨励するための大会で、須磨寺の副住職さんが参戦するようだ。どんなものなのか、かなり興味があるぞ。



須磨寺の参道には、いつの間にやら顔出しパネルが設置されていた。武将とその妻、といった構図だが、源義経と静御前、平通盛と小宰相局、平維盛と建春門院新大納言、はたまたこの地で捕らわれた平重衡と藤原輔子?・・・。誰だっていいのだろう。戦が多くの仲睦まじいカップルを引き裂いたことを伝えたいだけだと思う。



綱敷天満宮と須磨寺を結ぶ道は「智慧の道」と名付けれれているのだが、弘法大師の「弘」と天神さんの「天」から弘天さんと名付られた智慧の輪くぐりのようなものまで出来上がっている。時代も思想も異なる2人を並べることに違和感もあるが、珍スポット同士で意気投合して参道にも色々と仕掛けを続々施しているようだ。



何だか怪しげな店構えだが、須磨寺別院とある。人形供養や写真供養を行ってくれるところらしい。



須磨駅前商店街、須磨寺、須磨寺前商店街とスタンプを重ねて、応募用紙一杯の10個は達成したが、光源氏の住居跡とも伝えられる源光寺にも立ち寄る。



山電須磨駅前。グーグルマップに「神戸市電須磨駅前電停跡」とある辺りを探すが、それっぽい痕跡が見つからない。国道脇に立つ市バスの案内板がかつての市電の停留所標識ということだろうか。納得感の無いまま、山電須磨駅から帰宅する。



スタンプは須磨区のマスコットキャラクターを各ポイントらしいイラストのなかに嵌め込んだ可愛いものだ。スタンプポイントは23か所もあるのだが、スタンプ応募ハガキは10個で満杯。まあこれでコンプリートということにしておこう。



もっとも応募葉書とは別に、全23個のスタンプの押印欄がパンフレットに付いている。11個しか押せていない。自称スタンプラリーストとしては、空欄だらけのスタンプ台紙では達成感は得られない・・・。



本日の歩行軌跡。アチコチ歩いたようでも、実際のところ8kmしか歩いていない・・・。



気温も低いというのに、わずか8kmで結構な疲労感。なんだか、この1~2ヶ月で急に老化が進んだような気がしてならない。

【当選】明治150年スタンプラリー(京都岡崎)

2018年9月29日(土) ②


先月、京都岡崎・蹴上地区で開催されていた明治150年スタンプラリーに当選した。京都の伝統工芸品「京こま」が大中小の3つセットになったものだ。木を削りだしたものではなく、竹の心棒に幅広の繊維質のテープを巻き付けたものだ。手にとってみても、回してみても、とても可愛い。



比較的狭いエリアでのお手軽なスタンプラリーだけに、応募者も多かったと思われるが、当選者数10名(他の賞品を併せても25名)のなかに選ばれたとは運がいい。

【当選】阪堺・南海からの挑戦状

2018年9月28日(土) ①


米国出張から帰国すると、南海電鉄からの郵便が届いていた。先月、堺市内を歩いて応募した「阪堺・南海からの挑戦状」に当選したのだ。



封筒のなかには、随分様々なものが入っている。南海特急「こうや」のボールペン、特急ラピートのジグソーパズル、阪堺電車のマスキングテープ、紀伊の湯の温泉の素など。かなり奮発していただいたように思える。ただしクイズの舞台になった堺関連のものは見当たらない。

ケンシコダム・タリータウン散策(ニューヨーク州)

2018年9月22日(土)


ニューヨークで仕事をする際の拠点にしているホワイトプレインズ。市章には3つの年号が刻まれている。モヒカン族から土地を購入し植民が始まった年、アメリカが独立した年、そして市となった年だ。



マンハッタンから電車で30分余り、独立戦争では激しい戦いの場となった町だというが、今は静かな、でも退屈な町だ。いかに休日を過ごすか、いつも悩ましい。土曜日には道一杯に野菜などの露店が並ぶマルシェなども、年間30泊ほどもしていると飽きてしまった。



ということで、以前、ニューヨーク市との境からブロンクス川に沿ってホワイトプレインズまで北から南へ歩いたことがあるが、今日はその続きとして、北に向かって歩いていってみよう。



ブロンクス川に沿っては、遊歩道のように整備されたトレイルルートが整備されている。自転車のマークがあるが、自転車よりも走っている人が多い道だ。



9月といえば、ニューヨーク郊外では、秋のど真ん中なのだけど、走っている人達は皆半袖半ズボン。日射しはあるものの気温はさほど高くない。走ったり歩いたりするには絶好の天候だ。



ブロンクス川に沿って整備された道は歩いていてとても気持ちいい。でも、もう1ヶ月余りもすれば、寒くて歩く気にならないような季節がやってくるはずだ。



ブロンクス川を離れて、ホワイトプレインズのひとつ北の駅、ノースホワイトプレインズにあるメトロノース鉄道の車両基地までやってきた。見慣れた車両が随分たくさん並んでいる。



8kmほど歩いて、ノースホワイトプレインズの先にあるケンシコダムにやってきた。ブロンクス川を堰き止めたダムに公園が併設されていて、この付近の人たちの多くが休日を楽しんでいるようだ。お母さんたちが、ベビーカーの赤ちゃんをあやしながら運動をするという教室なんかも開催されていた。



公園には9.11の慰霊塔が建てられている。何気なく見ていると、日本人の名前がある。マンハッタンで勤務する日本人の多くがホワイトプレインズ近辺に住んでいるが、慰霊塔に刻まれた合計111名の名前のなかに、9名もの日本人名があった。



ケンシコダム。城郭の石垣を思わせる壁が反り立っている。この向こう側に水が湛えられているようには感じられない。



階段を上ってダムの上部にやってきた。ダムの堰堤の上は歩道になっていて、多くの人がダム湖の景色を楽しんでいる。



満々と水を湛えたダム湖。地図をひと睨みしたところ、3平方kmくらいの面積はあるようだ。水深も随分深いように見える。



堰堤の上から、ホワイトプレインズのビル群(写真中央)が少しだけ顔を出している。2時間ほども歩いてここまでやってきたが、車でなら15分もあれば余裕でやってこれそうな距離だ。



ケンシコダムから次なる目的地、ハドソン川に面したタリータウンを目指す。高架になった道でバルハラ駅の上を渡る。ホワイトプレインズの次の次の駅だ。2時間半も歩いてまだ2駅分しか進んでいない。駅間距離が長すぎる・・・。



遊歩道のようなものは無さそうなので、グーグルマップを頼りに、ごく普通の道を進んでいく。



道をテクテク歩いていると、全米で共通のものなのか、地域独自のものなのかは判らないが、様々な交通標識が見られる。



ケンシコダムとタリータウンの中間点、エルムスフォードの村にやってきた。さほど大きな村でもないが、ウェルカムボードが掲げられている。



大手モーテルチェーンのMOTEL6。調べてみると全米で1420もあるらしい。50年ほど前に創業した際、一泊を一律6ドルにしたことが、名前の由来だと聞く。30年ほど前には20~30ドルはしていたと記憶しているのだけど、今はいかほどの宿泊料金になっているのだろうか。



タリータウンに続く、州道119号線。随分だだっ広い道だが、歩道は無く、歩きにくい・・・。



ついにハドソン川が見えてきた。川岸に行くため、住宅街の中の道をウロウロするが、どこをどう進んでも行き止まりになる。川岸を走る鉄道を超えるところが無いのだ。



タッパンジー橋。築60年を超え、橋全体の立替工事が行われているため、新旧2本の橋があるうえに、工事のクレーン類も立っているようで、ゴチャゴチャしている。



タリータウンの駅にやってきた。この駅のなかの高架通路を渡って、ようやく線路を超えて川岸まで行くことができる。



ハドソン川。川岸まで来ても、なおタッパンジー橋の構造は判りにくい。この橋の正式名称は、かつてのニューヨーク州知事の名前が付くのだが、それに反発する人が多いらしく、皆タッパンジー橋と呼んでいる。



タリータウンからホワイトプレインズまではバスで帰る。2ドル75セントの定額料金だが、コインしか使えない。マンハッタン地下鉄のプリペイドカードで乗車する人が多いのだが、クオーターで11枚払う人が実際にいることに驚いてしまう。



本日の歩行軌跡。22kmのウォーキング。まずまずの距離だ。



ホワイトプレインズには、今後も度々と宿泊することになる。これまで東西南北の各方面に歩いたが、さて次はどこへ行こうか・・・。もっとも、もうすぐ歩きたくても歩けない冬がやってくる。