2012年4月14日(土)
北白川~瓜生山~比叡山~横高山~水井山~大原(戸寺)
ところが、早起きしたものの、朝から生憎の雨。ネットで天気予報を調べながら出発を迷っていたが、京都も9時には晴れる、との予報を信じて出発することに。しかし朝7時半の大阪は、未だしっかり雨降り。どうせ晴れると考えて、傘も持たずに駅へ向かった。
もっとも悪天候の登山に備えたフル装備。滅多に登場しないミドルカットのトレッキングシューズを履き、ステッキ、ヘッドライト、ウォーキングナビ、雨合羽、などに加えて、着替えは2セット、コンビニで食料もたっぷり、水分は1.5Lもバッグに詰め込んだので、バッグはやけに重い。
(1)北白川
京阪出町柳駅から銀閣寺前までバスに乗ったが、9時半になってもなお雨は止まない。傘もささずに銀閣寺道から山中越に続く志賀街道を行く。北白川仕伏町は、大学の2~4回生の3年間下宿していたところ。行きつけだった銭湯も定食屋も無くなっていたが、下宿していた家は残っていた。外から眺めていると、偶然扉が開いて、お婆さんが出てきた。たぶん当時の大家さんの奥さんだ。挨拶したんだけど、あまり覚えてくれていなかったみたい。家もかなり改装していて、間取りも相当変わってしまったみたいで、少し寂しい。
志賀街道と御蔭通の三叉路。この仕伏町交差点の少し西側から、今回の比叡山登山のルートが伸びている。学生時代、毎日のように通ったところだが、この瓜生山に向かう登山路は、存在さえ知らなかった。雨は未だ止まないが、ままよとばかり、登山コースに足を踏み入れた。
(2)瓜生山まで
登山路に入ると、道の4分の1くらいは川になっている。おいおい、ホントにこのまま行くのか。
比較的平坦と思われる本ルートを外れて、瓜生山に登る脇道を選ぶ。山の頂点に立つことに、あまり拘りはないのだが、瓜生という名前は、南北朝時代、新田義貞の配下で戦った越前の瓜生保を彷彿とさせるので、登ることにした。この後、千種忠顕戦死の地なども訪れる予定なので、気分はすっかり南北朝。しかし脇道に入ると倒木や流水などの難所が続く。
ようやく瓜生山頂に到着する。ちょうど京都芸術短大の裏手にある標高300m強の山だ。瓜生山は歌枕にもなっているし、応仁の乱の頃には北白川城があったところだ。本丸跡には勝軍地蔵社が建立されている。10時を過ぎたが、雨は未だ止まない。
(3)水飲対戦跡まで
瓜生山を下りて、しばらく行くと、絵に描いたような尾根道が続く。道幅は狭いし、右も左も谷だ。三年前に山で滑落事故を起こして大怪我をしただけに、注意しながら進む。幸い、このあたりで、やっと雨もあがった。稜線を進むと、大きな石鳥居がある。神社は残っておらず、鳥居だけがあるようだ。しかし鳥居には「崩れそう」と注意書きが貼ってある。確かに、ひび割れ多数で、長くは持ち堪えれそうに無い。
比叡山に登るためには、鳥居を過ぎたところで、一度大きく下って、川を渡る。せっかく少しずつ高度を上げてきたのに、下るのはホントに辛い。雨は降ったが水量は少なく、難を要することなく渡渉できた。渡渉したところで、早めの昼飯。この時2人連れのハイカーに追い抜かれた。約10分後、今度は2人が弁当を食べているところを抜き返した。この2人には、この後10キロほど進んだところで、再び出会うことになる。
昨年秋に比叡山に登った時に通った、修学院からの雲母坂コースとの合流点。距離は雲母坂の方が短いが、歩きやすさでは今回の瓜生山コースだと思う。
後醍醐天皇側近の千種忠顕の碑。大正10年建立とあるが、このデカイ石碑を運んでくるのは大変だったと思う。最近読んだ北方謙三の小説「楠木正成」では、千種忠顕は徹底的に低能な武将にされていた。水滸伝や揚家将など、北方の本では豪傑、智将が目白押しで、続々と凄い連中が登場するなかで、しかしその中で主人公を図抜けて凄く、上手く描いていることが多いんだけど、同時期に描かれた楠木正成は、登場人物の描写が薄っぺらすぎると感じた。
(4)ケーブル比叡
八瀬からのケーブルカーの駅までやってきた。このあたりまで来ると、宝ケ池や岩倉のあたりが一望できる。
駅の脇に京都一周トレイルの東山コースの最後の標識74番がある。ここから先は北山コースになる。
北山コースの1番の標識。仰木峠から大原に下りる道で、丸太橋が崩壊しており渡渉が必要、増水時は大変危険、との張り紙がある。雨降りの後だし、やばそう。まあ、取り敢えず先へ進む。
ケーブル駅から頂上方面に向けて敷設されているロープウェイの下を通って、比叡山に向かう。
かつての人工スキー場の跡。随分昔に営業中止したはずだけど、リフトや食堂などの施設は、まだ原形が残っている。写真の正面が比叡山の山頂公園。
(5)延暦寺
延暦寺の手前で鹿を発見。こちらを気にしながら、草を頬張っている。このあたりまで来たときにはすっかり晴天になっていた。
昨年秋に2度比叡山に登った。
一度目は、近江坂本から大宮川林道を通って延暦寺の横川中堂、西塔、東塔を回った。紅葉シーズン前の観光オフシーズンに来山者増加を狙ってのスタンプラリーに参加したのだ。通常は車やバスで回るところを歩いた。記念品を貰う際に記入を求められたアンケートに来山手段の問いがあったが、「徒歩」は選択肢になかった。帰りは遅くなったのでバスを使った。
二度目は、「山を越える」ことを目的に、修学院から雲母坂を登り、比叡山頂に登って、本坂を近江坂本まで下りた。
いずれも広い延暦寺内に入らざるを得ず、入山料を払っていたが、京都一周トレイルのコースでは、入山料を徴収する門を経由せずに延暦寺境内を通過することができた。写真の釈迦堂の横を通過した以外は、コース上にメインの建物はない。
延暦寺西塔からしばらくは、比叡山ドライブウェイに平行する整備されたハイキングコースを行く。
横川中堂の手前にある玉体杉という、杉の巨木。ここで丁度15時。ちょっとペースが遅すぎる。この後は、知らない道に入るし、そこそこ難所が続くと、ネット検索で見つけた、どなたかのブログに書いてあった。
(6)横高山、水井山
横川中堂に行く道に別れて、横高山に取りつく。そこそこではなく、大変な難所だ。まず、道らしい道が無い。木の根っこに足をかけながら急坂を上る。写真では坂の具合がわかりにくいんだなぁ。坂の途中で何度立ち止って休憩したか、数え切れないほど、苦労して横高山の頂上にやってきた。横川からならバスが出ているが、ここまで来ると進むしかない。今登ってきた坂は、泥濘もあり、とても下りる気にならない。
横高山を今度は急坂で下って、また急坂をぜいぜい登って水井山に辿りついた。聞いたこともない山だが、ここが京都一周トレイルの最も標高が高い場所だ。
(7)仰木峠からボーイスカウト道
水井山から、一気に坂を下る。長時間歩いて疲れた足に、急な下りの連続は結構キツイ。全く人気を感じず、トボトボ歩いていたら、後ろから突然人が現れてビックリした。比叡山登山中に出会った2人連れである。丸太橋の崩落について聞いてみた。2人は無難な東海自然歩道を行くつもりとのことだった。仰木峠で、もう16時20分だ。時間は無いが、遠回りでも、それが安全だろう。
と思っていたのだが、東海自然歩道との分岐点で気が変わった。ここの標柱には、丸木橋崩落の張り紙が無かったのだ。急な下り坂で、森の中の道無き道を行く感じだけど、ぬかるんでいる様子が無い。そして時間も水も無い。ええい。行ってしまえ。
下りてきたところを、下から撮ったもの。えげつない急坂なんだけど、写真では判らないねぇ。
不安いっぱいだ。とにかく道が無いのだ。どんどん下りているだけに、道を間違って元の場所に戻るのは相当なエネルギーが必要だ。ボーイスカウトが借り受けている区域のようで、人気は全くないものの、間違いなく人の手が入った整備が少しだけど行われている。何となく木と木の間に隙間があったりして、自然とそちらに進んでしまうようになるのだが、これでいいのか?
ついに丸太橋にやってきた。やはり橋は崩れ落ちていたが、幸い水量は大したことは無い。あまり濡れることもなく渡渉できた。でも、こんな危険なコース取りは、もう止めよう。54歳の分別ある大人のはずだし、メタボで体力は全然落ちているのだから。
(8)大原(戸寺)
丸太橋を渡ってしばらく行くと、旧若狭街道(鯖街道)の標識が現れた。ええっ、今通って来たのがあの鯖街道なのか?途中で道なんて無かったけど・・・。大いに疑問だ。
大原の里に下りてきた。もう日も陰り始めている。冒険が過ぎた道程だったけど、無事に帰れそうだ。
京都バスの戸寺のバス停。今日はこれまで。あまり待つことも無く、17時30分過ぎのバスに乗ることができた。
(9)八瀬
八瀬でバスを下りて、叡山電鉄(昔の京福)に乗り換え。八瀬はちょうど桜が見頃だった。
八瀬の駅。最近、八瀬比叡山口と改称したようだ。学生時代、三宅八幡の友達の下宿で夜中まで麻雀をして、自転車で銀閣寺の下宿に帰るのに道を間違えて、この駅に出てきた。まだ京都の地理が頭に入っていない時で、電車道沿いを行けば北白川の方に出るはずと進んだが、途中で道が無くなった。真夜中の3時くらいだったと思う。戻る気にならず、自転車で電車道を進んだ。すると今度は鉄橋が現れた。真っ暗の中、自転車を担いで鉄橋を渡った。かなり長い鉄橋だったように記憶していたが、帰りの電車から見た鉄橋は、ごく短いものだった。若い頃は、結構無茶をしていたが、50歳を超えても治らないものだ。
まとめ
歩行距離 17.0km
所用時間 464分(7時間47分)
歩数 32300歩 (しっかり11800歩)