縁結びビンゴ(4)&森スタンプラリー(吉野~高取)

2013年12月22日(日)


「縁結びビンゴスタンプラリー」も既に10ヶのスタンプをゲットし、吉野を残すばかり。ところが吉野に設定された2つのスタンプポイントは、スタンプポイントによくありがちな吉野山ではなく、大和上市駅前の吉野ビジターズビューローと、そこから6kmほど吉野川を上った宮滝。

今日は「森とのふれあいスタンプラリー」の3ヶ所目となる高取城の制覇も目指すため、上市と宮滝の間を往復する余裕はない。そこで、まず朝9時の開館と同時にビジターズビューローでスタンプをゲットし、1日数本しかない宮滝方面に向かう9時03分発のバスに飛び乗る。



宮滝は、かつて吉野宮と呼ばれた離宮が置かれ、持統天皇が何度も行幸し、壬申の乱で大海人皇子が挙兵したところだが、意外にも、吉野川の北にある平地は、かなり狭小だ。興味深い時代なんだけど、スタンプポイントになっている吉野歴史資料館は、なんと冬季休館。休館中にも拘わらずスタンプは玄関前に設置されていたけど、入館できなかったのは、ちょっと残念。



宮滝からは、吉野川の北岸を走るバス道ではなく、南岸にある旧道を歩いていく。岩肌を抉るように流れる吉野川豊かな水量だ。いつも感じるのだが、吉野川の水の色は、とても青い。



しばらく歩いていると、電力会社の水道橋を発見。下から見るとただの橋のように見えるが、上に上ってみると、かなりの水量が橋の上を流れていることが判る。




西に向かって歩いて行くにつれて、吉野杉のメッカだけに、材木置き場が多い。かつては吉野川の水運を利用して運び出されたのだろうが、今では陸運がほとんどではないだろうか。



上市にある桜橋を渡って、吉野川北岸へ。川の北側に連なる山々に、僅かに隙間が見える。この隙間こそ、芋ヶ峠から飛鳥方面に向かう千股川沿いの道が通っているところだと遠目にも良く判る。



千股川は、田舎にありがちな小河川だと思っていたところ、突如、整備された河川敷公園が現れた。人里離れた山間部に不似合な公園だと感じたが、説明板を良く読むと、上流で山崩れがあった場合、ここで土砂や流木を堆積させ、下流での被害を防ぐためのものらしい。



河川敷公園を少し過ぎたところで、県道から、「古道芋峠」の標識がある山道に入る。相当険しい道を覚悟していたが、そこそこ道幅もあり、平坦でとても歩きやすい道だ。落ち葉が路面を覆っているので判りにくいが、簡易舗装も施されている。



治山ダム(あるいは砂防ダムかも)が堰き止めてできた湖沼に半ば水没した白い落葉樹が、山肌を通して差し込む光の中で、幻想的な雰囲気を醸し出している。




といった具合に、呑気に歩いていると、途中から、道幅も狭くなり、路面も悪く、険峻な道に突如変貌してしまった。標高にして、300mほど、悪路を登っていく。持統天皇が、飛鳥から吉野宮に何度となく足を運ばれたのも、この道に違いない。



ようやく県道に戻ってきたところが、まさに芋ヶ峠。芋峠と書かれていたりもする。飛鳥の都に食料の芋を運搬してきた道かと思いきや、調べたところ、芋とは、疱瘡のことで、都に厄病が入って来ることを防ぐ峠ということらしい。

この峠は、大和川系と紀ノ川系の分水嶺。さらに、吉野町、大淀町、高取町、明日香村の4町村の境界となっている。米国には、ユタ、ニューメキシコ、アリゾナ、コロラドの4州の境界線が一点で交わるFour Cornersという名所があって、四つん這いになって4州を同時に制覇できるようになっているらしいが、芋ヶ峠にも、4本の境界線を地面に描けば面白いのに・・・。



芋ヶ峠から、再び山中に入り、高取城に向かう。事前に調べたのだが、この道が良く判らない。営林局が建設した林道から入るのが無難そうだと思っていたのだが、山道に入る標識があったので、意を決して暗くて深そうな山に足を踏み入れる。



勇んで歩き始めたものの、すぐ道なき道を行く羽目になる。ホントにこれでいいのかぁ。人気も足跡も無いし、携帯GPSは利かないし、地形図を見ても良く判らない。登ったり下りたり、急坂が続く。こんなところで遭難する訳には行かない。歩いたところを頭に叩き込みながら進む。



不安一杯で進むが、赤いテープで貼られた「高取城⇒」と書かれた小さな紙片を見つけ一安心。何となく赤いテープや黄色いテープが幹や枝に巻かれている方向に進むが、それが高取城への道を示している保証はなく、その後も不安な山歩きが続く。



眼下に営林局が造った林道が現れた。林道を行けば良かった、と悔やむが、今更林道に下りることもできない。道幅は狭いし、昨日の雨の影響で路肩も緩んでいる。危険な山道を選びながら、今更、安全第一を念じながら、へっぴり腰になりながら難路を進む。



体力や経験を顧みず、無茶な道を選んでしまったが、1時間近く掛けて、ようやく山道を脱出して、なだらかな林道に出る。なんと、道端の草木には、雪が残っている。



ついに、高取城のものと思われる石垣を発見。ところが、この後、歩いても歩いても本丸に着かない。結局最初の石垣発見から本丸まで30分ほども掛かってしまった。高取城の縄張りがいかに大掛かりなものだったのか、身に染みる。



本丸に続く大手門。虎口になっている。山城とは思えない立派な石垣だ。



残念ながら天守閣をはじめとする建築物は何も残っていないが、何重にも石垣を張り巡らされたこの城が、相当な堅城であったことは容易に想像できる。江戸時代、ここに封じられた植村氏が、当時主流となっていた平城を新たに築くのではなく、南北朝以来の山城を使ったのは、それだけこの城郭が立派なものだったからだろう。



典型的な野面積の石垣。関ヶ原以降に広まったと言われる打込み接ぎや、切込み接ぎより、歴史の重みを感じさせてくれる。



天守台から吉野方面を望む。大台ケ原などの山々は、冠雪している。



芋ヶ峠から高取城までの道のりは険しかったが、一般的な高取城への登山道となっている壺坂山からの道も、急坂が続く難路。幕末、天誅組は、優位な兵力にモノを言わせて、この堅城を攻めにかかったが、敗退を余儀なくされたのも頷ける。もっとも天誅組は、城に攻めかかることもできず、麓での戦闘で撃退されたとも聞く。

城への登り道の途中、猿石が設置されている。飛鳥にある猿石に似ているが、それもそのはず、この石も、飛鳥で発掘され、もとは、高取城建設の石材にすべく運んできたもののようだ。



標高500mを超す本丸から、標高100mくらいまで山を下りきったところに、史跡高取城址の石碑が立っている。まさに、この碑より上、山全体が高取城なのだ。



高取藩が政務を行い、多くの藩士が居を構えた土佐街道付近では、「土佐街道まち歩きクイズラリー」が開催されていた。以前訪問した際には、侍姿の案山子の門番が立てられていた家老屋敷の門前にもクイズが貼りだされていた。結構難問だ。



まち中にある公園では、既に正月飾りと思われる案山子風のアートが展示されていた。良く見ると地元の老人会の作品のようだ。昨年、膨大な数のビールの空き缶で高取城を再現してギネス記録に認定されたが、これも高取町のシルバーパワーの結集によるものだと聞く。



ご自由にお持ち帰りください、と、民家の玄関前の駕籠のなかに柚子が置かれていた。そう言えば、今日は冬至・・・。随分日が短くなったものだ。


  
 無事、縁結びビンゴ・スタンプラリーは、コンプリート。



森とのふれあいスタンプラリーも、高取城で3つ目のスタンプをゲットできた。




しばらく前からおかしい、とは思っていたが、ついに歩数計が歩数を全くカウントしなくなった。長年いつもポケットに入っていた相棒のような存在だが、新しい歩数計を買うことにしよう。それまではスマホ内臓の歩数計で間に合わせる。


まとめ


歩行距離    約22km
所要時間    7時間10分
歩数       30400歩