2014年1月18日(土)
昨年度は年末までに全10コースを完歩した、近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリー(通称、沿線散歩)だが、今年度は未だ3コースを歩いただけ。過去に歩いた道が多く、今イチ気が乗らず、開催期間は5月初旬までなので、つい後回しにしてきた。
播磨町って、町名の割に、かなり小さな町。しかも町域の3分の1は埋立地で大工場が並ぶ。大中遺跡と別府鉄道廃線跡くらいしか見どころのない町のせいか、過去沿線散歩でもあまり取り上げられていなかったように思うが、「黒田官兵衛ゆかりの地スタンプラリー」のポイントがひとつあるので、出掛けてみることにしよう。
所用を済ませた後、山陽電車の播磨町駅に降り立ったのは、午後3時近く。最近時間に追われるウォーキングが多い。まずは西に向かい、加古川市との境界に近い阿閇(あえ)神社へ。元禄時代に建立された、4棟の同型の本殿が郭橋で連結されて並ぶ珍しい形式だ。
次に、北に向かって石ヶ池公園へ。池を突き抜けるように、木製の遊歩道が設置されている。
池の中に、60cmほどの長さの羽根を持つプロペラ状のものが、ゆっくり回転している。バイオファンと呼ばれるもので、池の水を撹拌して、ヘドロ化を防ぐもののようだ。
山陽電車と山陽新幹線を北に渡り、続いて新幹線の高架下を東に向かう。覚悟はしていたが、退屈な道だ・・・。
犬の飼い主に対する注意看板が多い。50mおきくらいに、いくつかの種類の看板が順々に登場する。この付近で新幹線高架下の金網に貼られている看板は、ほぼ例外なく、犬のフンの後始末を呼び掛けるものと言っても過言ではない。
播磨町の中心を流れる喜瀬川。護岸に整備された、気持ちのいい遊歩道を北に向かって歩く。
大中遺跡の中に建っている「兵庫県立考古博物館」に到着。ここでも池の中に設置された遊歩道を歩いて入館する。
大中遺跡で発掘された壺などがずらりと並ぶ。かなり規模の大きな博物館だ。
収納庫には、展示室には入りきらない膨大な数の土器類がギッシリと保管されている。西神ニュータウンにある神戸市埋蔵文化財センターでも、同じように収納庫の様子が見学できるようになっていたことを思い出す。
黒田官兵衛ゆかりの地スタンプラリーのスタンプも無事ゲット。姫路市内のスタンプは青色だったが、ここでは赤。ここも、グッドデザインだ。それにしても、ここが黒田官兵衛のゆかりの地、というのは解せない。官兵衛が、三木城の後詰に来襲した毛利水軍を撃退したと伝わる、場所が特定できない阿閇城(阿閉城という説もあるようだが)の代替にしては、少し遠すぎる・・・。
考古博物館の来館記念スタンプ。
大中遺跡は、50年ほど前に、地元の中学生が発見した弥生時代後期の遺跡。少なくとも250軒の竪穴式住居から成る大規模な集落だったようだ。10軒ほどの住居が復元されている。
竪穴式住居の中は、こんな感じ。当然のことながら、居心地の良いところではない。
生垣に囲まれた復元住居も見られるが、弥生時代に生垣なんてあったのだろうか。
大中遺跡公園を出て、野添であい公園へ。喜瀬川を渡る「ふるさと橋」の欄干には、鉄琴のような金属製の音板が嵌め込まれている、備え付けのマレットで順々に叩いていけば、童謡「ふるさと」の演奏ができる。
かつてJR土山駅と別府港の間を結んでいた別府鉄道の廃線跡は、緑道「であいのみち」として美しく整備されている。とても気持ちよく歩ける道だ。
「であいのみち」は歴史年表のようになっている。大中公園から土山駅に向けて、年代順に、国内外の出来事が書かれたパネルが設置されている。パネルの支柱は、別府鉄道の廃レールを利用したものと思われる。
JR土山駅前には、弥生時代の物見櫓のような時計台が設置されている。もう5時。ひどく寒いし、このまま帰りたいとも思ったが、沿線散歩のスタンプを貰うためには、山陽電車の東二見駅まで、あと3km以上歩かなければならない。
大した見どころも無いし、寒さを忘れるためにも、東南に向かって、ひたすら歩く。播磨町から明石市に入る。
いつの間にやら明姫幹線の歩道が整備されて、姫路明石自転車道なんてものが出来上がっていた。
日もすっかり暮れた頃、東二見駅に到着。沿線散歩の完歩証明となる改札印。何の愛嬌も無い事務的なものではあるが、不正の発生が起こりにくい信頼感の高いスタンプだ。
まとめ
歩行距離 9.6km
所要時間 170分
歩数 17000歩 (早歩き 13600歩)