のだふじスタンプラリー

2014年4月28日(日)


吉野の桜、高尾の紅葉、と並ぶ名勝と謳われた野田の藤をテーマにしたスタンプラリーに参加する。地元のライオンズクラブの主催するもので、近年、野田藤をPRする年中行事として定着しているようだ。



1日限定のスタンプラリーのうえに、賞品として掃除機など結構高価なものが用意されていることもあってか、阪神野田駅前の藤棚の下に設置されたスタンプラリー受付には多くの人が列をなしていた。ポカポカ天気のため、今年はじめて半袖でのウォーキングだ。



受付でスタンプラリー手帳を受け取る。福島区内の8ヶ所の野田藤の名所がスタンプポイントになっているのだが、そのうち4ヶ所を回ればよいことになっている。スタンプ手帳にも4ヶ所しか押印欄が無い。



野田駅前の藤棚。かつて湿地帯だった野田は、藤の生育に適した土地だったようで、鎌倉時代の和歌にも詠まれているそうだ。近年、都市化や空襲で大半が滅失してしまった野田藤の再生に、地域を挙げて取り組んでいる。



まずは、野田藤の発祥の地と言われる春日神社に行かねばなるまい。ところが、小ぶりな春日神社の藤棚には、なんとひとつの開花も見られない。スタート時に貰ったコミュニティ誌のなかに、鳩が藤の蕾を食べてしまうという話が出ていたが、ここの藤も鳩の被害に会ったのだろうか。



もっとも春日神社の前にあるマンション前の藤棚は満開。藤棚の周囲では、野田藤の鉢植えばかりか、野田藤サイダーとか、野田藤アンパンとかが売られていた。



最初のスタンプをゲット。スタンプ帳1ページに一つしか押せない大判のスタンプだ。係員さんが丁寧に押してくれた。



続いて、中之島にも程近い下福島公園へ。のだふじまつりの幟がはためいている。



野球グラウンドもある大きな公園の片隅に小さな藤棚がある。



ここの藤は、10m以上とも見える公園の大木の幹や枝に絡みつき、随分高いところでも花を咲かせている。



最も美しく藤が咲いている、との話を聞いて、少し遠いが、野田コミュニティセンターを目指して、中央卸売市場の傍を歩く。久々に福島名物?の10円自販機に遭遇。



以前は、ビックリしすぎて、購入することさえ忘れてしまったのだが、今回はじめて購入。10円玉を入れて、「何が出るかはお楽しみ」と書かれたボタンを押すと、出てきたのは、三ツ矢ミルクサイダー。どうせ無名メーカーの商品と思っていただけにビックリ。良く見ると賞味期限切れまで、あと半月ほどしかない。なるほど、納得である。



久しぶりに古い民家や商店が立ち並ぶ、野田の街並みを歩く。この辺りに焼夷弾が落ちたんだよ、と日向ぼっこ中のオジサンが教えてくれる。壁に焼夷弾の跡が残る家も見える。



野田って、ホントに歩きにくい町だ。斜めに伸びる道やT字路が多い。「野田迷路」と言われるのもよく判る。どっちに向かって歩いているのか、よほどの方向感覚の持ち主でも無ければ、すぐ判らなくなってしまう。



野田迷路に翻弄されながら、苦労して野田コミュニティセンターに辿り着く。なるほど、紫色の藤の花房がタワワになっている。


しっかりとした紫色だ。ズッシリとした重量感さえ感じられる。



最後に吉野小学校へ。最近では、セキュリティの関係で立入禁止になっている小学校が多いけど、この日は特別のようだ。多くのカメラが校庭の片隅の藤棚の写真を収めるべく、狙いを定めている。



こちらの藤は、水色に近い淡い紫。藤にも色々とあるようだ。



最近、福島区は、野田藤を区の花として、強力にプッシュしている。多くの公共掲示物に藤色を使用している。町名表示板にも、藤が描かれている。




良く見ると、福島区役所にも、藤がデザインされていた。



抽選会の開始までに1時間以上もあるので、残念ながらパス。以前から気になっていた野田藤を堪能できたことと、4つスタンプをゲットしたことで満足しておこう。



ダイヤモンドトレール(紀見峠~金剛山~水越峠)

2014年4月26日(土)


先々週、槇尾山口から紀見峠まで歩いたダイヤモンドトレール。今日は紀見峠から金剛山を目指す。さらに、水越峠まで歩ければ、目標としていた3日間での全コース踏破に目途を付けることができる。



金剛山は標高1125m。考えてみれば、5年前の滑落事故以来、愛宕山、比叡山、六甲山など900m級の山は上っているが、1000m超の山には登っていない。4月とはいえ、結構気温は上がりそうなので、2リットル以上の水分をリュックに詰め込む。



ところが、予想に反して、あまりアップダウンの無い林道が暫く続く。




まあ、こんなことで終わるはずもなく、いよいよ長く続く丸太階段が現れた。まだ序盤戦なので、ゆっくりとではあるが、休むことなく上っていく。



杉や檜に囲まれた道を進むため、見晴しの良いところはあまりないが、たまに紀ノ川の橋本市方面を見渡すことができる。天気がもう少し良ければ、大台ケ原方面までスッキリ見通すことができたはずだ。



いくつもの坂を上り、そしてまた下り、峠を越えて、苦労して歩いている割には、ずっと標高700m前後をウロウロしている。タンボ山などという、ふざけたような山に辿り着く。田んぼなどあろうはずが無い山の中なんだけど、タンボって何なんだ?



山桜?が咲く道を進む。ずっと杉林ばかりなので、たまに色目が変わると気持ちがリフレッシュできる。写真では紫色っぽく映っているが、実際はもっとピンク色だ。



長年履いている黄色のトレッキングシューズも少々草臥れてきたので、最近買った新しいトレッキングシューズを履いてきた。少々の山道なら、ローカットの方が軽くて楽チンなのだが、小石が靴に入り込みやすいところが難点だ。たびたび靴を脱いで小石を取り除く。

靴の横にあるのは、途中で拾った杖。まさに今日の相棒だ。朝から部屋を探したのだが、スティックが見当たらない。どこかに置き忘れてきたんだろうか・・・。困ったことだ。



行者杉という古木と祠がある峠にやってきた。ちょうど、和歌山(橋本市)、奈良(五條)、大阪(河内長野)の境界になる。



千早峠。「天誅組が駆けた道」と交わっている。幕末、堺に上陸した天誅組が、狭山、観心寺を経て、この峠を越えて、五條の代官所を襲撃したという。



ゴツゴツした、木の根が地面に露出した狭い道を進む。面倒な道だ。このあたりから、少しずつ左腿の裏側がおかしくなってきた。



女性ハイカーグループが、この花を取り囲んでいた。どうやら「ショウジョウバカマがというらしい。たまに見かける花のように思うのだが、名前を始めて知った。実際はもっと紫がかった花だ。



道の周辺は笹が群生している。南斜面とそれ以外では、笹の黄ばみの具合が異なっている。



ダイトレを行く人たちの2割程度は、走っている。急な下り坂を一気に駆け降りていく。とても真似できない。こんなところで、足首でも捻ろうものなら大変なことだ。



歩き始めて5時間程度、ようやく金剛山の頂上が見えてきた。



先々週歩いた槇尾山~岩湧山~紀見峠では、ほとんど携帯電話の圏外だったのだが、金剛山は県内になっている。金剛山が富士山に次いで入山者が多いとあるが、ホントかなぁ・・・。入山の定義にもよるだろうが、六甲山など、もっと込み合っている山があるように感じる。



金剛山頂近くのキャンプ場。テントを担いでダイトレを一泊二日で行く人たちは、ここでキャンプを張ることが多いようだ。



ダイトレを少し外れたところに、大阪府の最高点(1053m)の碑がある。碑のすぐ傍の奈良県側には、もっと高地があるだけに、あまり感慨もない・・・。



正確には、金剛山は、複数の山で構成されているようで、金剛山頂と呼ばれるのは、そのなかの葛木岳の山頂となる。山頂には電波塔や展望台(立入禁止になっていた)がある。金剛山の手前で中葛城山という山を通過したが、、葛城(葛木)というのが、かつて、この周辺の山地の総称だったようだ。



山頂を過ぎ、いよいよ水越峠に向かって下っていく。地図で見る限り、ひたすら坂を下る道になりそうだ。下りも急すぎると、平地の何倍ものエネルギーが必要になる。



右側の白雲岳の向こうに、大和葛城山が見える。大和葛城山の麓が水越峠になるわけだから、まだまだ歩かなければならない。かなり疲れてきたぞ。



御所市方面が広く見渡すことができる。その向こうには大和三山も確認できる。



丸太階段をひたすら下る。足がガクガクしてくる。このあたり、丸太の周囲の土が抉れてしまっているところが多く、丸太が浮き上がっているようになっている。



どんどん下って、水越峠が近づいてきたところで、目の覚めるような黄色の山吹がゴールを祝ってくれた。



水越峠のバス停に無事到着。1日わずか4本しかないバスだけに遅れたら大変なことになる。到着したのは富田林行の最終バスが発車する10分前。うまく時間調整できた。



まとめ  


歩行距離    約17km
所要時間    441分 (7時間21分)
歩数       28600歩 (階段2200段)







阪神x近鉄つながって5周年スタンプラリー(尼崎~上本町)

2014年4月20日(日)


奈良~生駒、三宮~魚崎、と歩いて、2日かけて4つのスタンプをゲットした「阪神×近鉄つながって5周年スタンプラリー」。今日は、尼崎~難波~上本町と歩いて、残る3つのスタンプを制覇したい。阪神尼崎駅には、阪神なんば線5周年を祝うパネルが多数展示されていた。



小雨が断続的に降るなか、尼崎駅を出発して東に向かう。尼崎城跡は、この数年少しずつ城跡っぽく石垣や白壁の整備が進められている。もっとも「城内」にあるのは図書館である。



駅の近くでも海抜0m以下。なかなか厳しい数字に思える。



阪神線と並行して走っている国道43号線をひたすら進む。何とも無味乾燥な道だ。



尼崎の街はずれに、ユニチカ記念館がある。ユニチカの前身にあたる尼崎紡績の本社跡らしい。説明板によると、1900年の建設で、赤レンガは英国から輸入したものだそうだ



左門殿川を渡ると大阪市西淀川区に入る。江戸初期の尼崎城主・戸田左門氏鉄が治水工事を行ったことから、この名が付けられたらしい。



左門殿川と神崎川に挟まれた島が佃。この地の漁民が江戸に移住して考案したのが佃煮ということだが、江戸移住前、この地で既に佃煮は発明されていたとの説もあるらしい。もっとも今の佃には多くの工場が建ち並び、当時の風景を想像することは難しい。



大野川緑陰道路。もともとの河川を埋め立てて緑地化したものだ。大阪市が全24区分を発行している「みどりのウォーキングマップ」を全完歩した際、もっとも驚いたのがこの道路だった。もっとも緑が少なそうに思えた西淀川区で数kmにわたる緑地道が整備されていた。



伝法大橋を渡る。長さは1km近くあるのではなかろうか。せっせと歩いたにも拘わらず、渡りきるのに10分かかった。



伝法鉄橋を走る阪神電車。




伝法を超えて、すっかり埋め立てられてしまった正連寺川までやってきた。この地下に阪神高速淀川左岸線が走っている。



千鳥橋、西九条を通り、安治川に差し掛かる。ここから阪神なんば線は鉄橋、歩行者は安治川トンネルを進むことになる。



地元の人には日常生活の一部になっているのだろうが、たまに来る者にとっては、やはりワクワク感がある。エレベータに乗り込んで、地下トンネルに向かう。



地下トンネル。いろいろと物騒なこともあるのだろう。警備員が2人もトンネルを監視してくれている。



キララ九条商店街。休日のせいか、ちょっと閑散としている。地下鉄九条駅を挟んで連続しているナインモール(どうしてもイオンモールと読み違えてしまう・・・)も併せれば、1kmほどの長い商店街だ。



キララ九条の電気屋さんの前に、懐かしいナショナルパナカラーのマスコット人形「元気くん」を発見。パナソニックにブランドが統一されて早くも数年が経ち、ナショナルの文字さえ懐かしいが、パナカラーは、パナソニック最初のカラーテレビの商標で1980年代まで使われていたものだから、この人形も相当な年代物に違いない。



中之島の西端で土佐堀川から分岐し、京セラ大阪ドーム方面に流れる木津川。もともと何とも殺風景な川辺だったのが、少しずつ、緑や遊歩道が整備されてきたようだ。




南堀江にある西道頓堀発電所跡。明治22年に我が国初の交流発電方式による高圧送電を開始したところだ。10年ほど前まで、赤レンガの施設跡が残っていたが、今は高層マンションになってしまった。赤レンガ風のマンション壁面と、花に囲まれたモニュメントがあるだけになった。



道頓堀川までやってきた。小雨が降りやまない。



雨を避けて、JRなんば駅の近くから地下道を進む。阪神と近鉄が共用している大阪難波駅駅にやってきた。ここでスタンプをゲット。さあ、あと一つ。



なんばWALKは、かなりの人出。雨を避けて地下にやってきた人も少なくないだろう。



堺筋で地下道を出て、なお少しでも雨を避けるため、黒門市場を進む。



ついに大阪上本町駅に到着。かつては上本町六丁目駅だったので、未だに上六と呼んでしまう。ここで最後のスタンプを無事押印。



インクの出が悪いスタンプがいくつかあったため、印影は少々不鮮明だが、全制覇達成。もっとも阪神三宮~近鉄奈良までの57駅(たぶん)のうち、3日かけて歩いたのは29駅。



全制覇の御褒美は、阪神・近鉄沿線「いろはかるた」。
「(わ)若草の山焼き古都の夜を照らし」といった本格的な俳句風のものもあれば、「(つ)鶴橋は焼肉タウン、さあカンパイ」といった軽い五七五もあって、統一感は無い・・・。



そういえば、数年前のスタンプラリーでは、 阪神・近鉄の駅名を各カードに付けたトランプセットも貰ったんだけど、行方不明だ。

 

まとめ


歩行距離   13km
所要時間   193分 (3時間13分)
歩数      21500歩