湖南市ぐるっとスタンプラリー

2015年5月31日(日)



湖南市のスタンプラリーに挑戦する。昨秋、旧東海道沿いを中心にした「みちくさコンパス」というイベントで訪問したばかりだが、今回は未だ歩いたことがない市の北部が主なスタンプポイントとなっている。8つのスタンプポイントを全制覇するためには、25km以上歩かなければならない。昨日のゴルフの疲れが残る体では、難しそうだが、歩けるところまで歩いてみよう。



昨秋同様、JR草津線の三雲駅からスタートする。猿飛佐助の故郷とも言われる忍者の里だが、駅舎に掛けられた駅名表示板も、木製に毛筆書き、という純和風。「駅」が旧字体になっているのも、とても渋くて格好いい。



以前歩いた旧街道ではなく、現代の東海道(国道一号線)を歩いて、最初のスタンプポイント、「こなんマルシェ」という地場の食品や工芸品を販売している店にやってきた。ハンバーガー屋やラーメン屋が建ち並ぶロードサイドのレストランゾーンに、一軒だけ雰囲気の異なる店がポツンと建っている。ここで400円もする地元のトマトジュースを奮発して購入。さすがに美味かった。



野洲川を渡って、市の北部へ。日射しは厳しいが、風があるため、温度は低く感じられ、最近にしては歩きやすい気候だ。



交通量の多い幹線道路を避けて、農道を進む。田植えが終わった水田の中に、茶色いゾーンが見える。良く見ると小麦だ。



歩いていると、広大な小麦畑が広がっているところにやってきた。麦秋を迎え、穂はかなり重そうだが、強風に煽られて、小麦畑が大きく波打っている。



2つめのスタンプポイント、湖南市伝統工芸館にやってきた。下田焼と呼ばれる焼物の窯元にもなっている。肉厚の白い器に藍色の絵付けをしたものが多い。信楽にも近いところだが、信楽焼とはかなりテイストが異なる。



湖南三山のひとつ、善水寺を目指す。ある程度は覚悟していたが、山の中腹にあるお寺の本堂までは、そこそこの山道を上っていくことになる。



善水寺の周囲にはかつて多くの坊舎があったそうで、十二坊山とも呼ばれている。かつての坊舎の調査も進められているようだが、僧坊跡は「推定」となっている。



善水寺。和同年間というから、今から1300年ほど前の創建となる湖南を代表する古刹だ。ちょうど秘仏開帳中のため、多くの人が参詣していた。ここで3つめのスタンプをゲット。



次のスタンプポイントの、「十二坊温泉ゆらら」までは直線距離では1kmほどだが、バス道をグルッと大回りする2km以上の道程。ところが、善水寺から、ゆららまで、山を突っ切る森林整備道があることをパンフレットで知る。厳しい登り坂だが、丸太階段がしっかりと整備されている。



と、思っていたら、びっくりするほどの細い道で、周囲の木々で道が埋もれてしまいそうになっている。藪漕ぎ状態で、登り・下りを繰り返して、ひたすら前進するが、眺望も開かず、どこをどう歩いているのか、さっぱり判らない。これって近道になっているのだろうか・・・。



スマホの地図で現在地を確かめる。航空写真で見てみると、善水寺とゆららの間の山中奥深くに入り込んでいることが判る。有難い機能だ。



山道を30分以上、彷徨するように歩いて、ようやく十二坊温泉ゆららに到着。シャツは汗でずぶ濡れで、ひとっ風呂浴びたいところだが、ここで入浴しようものなら、どっと疲れが溢れ出て、もはや歩けなくなりそうだ。



ここで4つめのスタンプを押印。スタンプは、湖南市のマスコット、猫の「こにゃん」の手型(前足型?)になっている。



温泉の入口に、こにゃん市長選挙、なるポスターが貼られている。どうやら、湖南市では、住民のお宅で飼われているペットから、毎年こにゃん市長を選んでいるらしい。下のポスターでは、1109票を得た猫ちゃんが、新しい「市長」になったことが告知されている。



湖南市は「動物に優しいまち」を、キャッチフレーズにしているらしい。それと関係あるのかどうか、十二坊温泉ゆららには、およそ温泉とは縁の無さそうなヒツジが飼われている。



スタンプラリーとは関係ないが、磨崖仏があると知り、1kmほど遠回りして立ち寄る。江戸時代ものらしく、欠けや崩れも感じられない。いいお顔の磨崖仏だが、何となく、この手のものは、以前栗東市の金勝山を歩いた際にも見られたような、長年の風雪に耐えてきたことを感じさせるようなものの方が有難く感じる。



山を一気に下り、野洲川の北岸近くに戻ってきた。この辺りには、自転車優先道なるものが多数見られる。歩行者はダメという意味では無さそうで、自動車は遠慮してほしい、との意味らしい。ただの農道のようにも見えるが、これらの道を走る自転車は一台も見掛けなかった・・・。



5つ目のスタンプポイントになっている正福寺。お堂の横の石塔が、とても古いものなんだそうだ。



正福寺古墳群、と書かれた案内板に導かれるように、山道を入っていくと、古墳の横穴が出現した。一昨日、既に喜寿を迎えた会社の大先輩を囲んでの同窓会があったのだが、30年ほど前に橿原市にある大先輩のご自宅を伺った際、一般には知られていない近所の古墳に連れて行ってもらった話で盛り上がったばかりだ。



その頃のことを思い出し、当時と同様、思い切って石室の中に入り込む。当然のことながら、何もないんだけど、もしあったら怖い。



既に足腰はガクガクし、右足の中指の皮がめくれかけているようで痛い。疲れはピークに達しつつあるが、正福寺から、野洲川に向けて、気持ちのいい林道を一気に下りていく。



6つめのスタンプポイント、西応寺。あと2つのスタンプポイントは、常楽寺、長寿寺、という湖南三山に数えられる2つの古刹。しかし共に野洲川の南側にあり、これらを制覇するためには、あと10kmは歩かなければならない。あわよくば8ヶ所全制覇と目論んでいたが、ギブアップして帰路につくべくJR石部駅に向かう。




石部という町は、旧東海道の宿場町で、古い街並みが残っているのだが、目立つのはコンクリートや採石の工場。石部、という地名から察するに、昔から採石や石工が行われていたところなんだろう。



石部駅前にある東海道五十三次の石部宿の復元ゾーン。



約17kmを5時間半歩き続けて獲得したスタンプは6つ。全制覇は成らなかったが、これで6ヶ所制覇コースに応募できる。



石部町と甲西町が合併してできた湖南市だが、今日歩いたのは、ほとんどが旧甲西町。石部は、いつか改めて訪れることにしたい。

武庫之荘~箕面ウォーキング(花・新緑スタンプラリー)

2015年5月24日(日)


阪急沿線 花・新緑ビンゴスタンプラリーも第二期に突入。第一期は池田~仁川のウォーキングと、天王山ハイキングの最後に寄り道した長岡天神で、3駅全てのスタンプを獲得できたが、今日は第二期スタンプ絵駅となっている武庫之荘駅から箕面駅までを歩いてみる。例によって花も新緑も二の次で、歩くモチベーションとしてのスタンプラリーだ。



武庫之荘は尼崎市の北西部。戦前、阪急が住宅開発と併せて作った駅だ。駅前には、ゴンドラを象った立派な噴水がある。



まずは、武庫之荘駅から西へ、阪急沿線沿いを進む。2~3日前の天気予報では雨とのことだったが、幸いとても良い天気になった。もっとも、気温は高く、服装は既に真夏のものに近い。



尼崎の関係者には失礼だが、尼崎市の下水マンホールって、全く尼崎のイメージに合わない。トンボ、クワガタ、泥鰌、蛍など、自然豊かな地域に生息する小動物が描かれているのだが、尼崎に蛍など棲息しているのだろうか・・・。工業都市として名高く、住宅が密集している地域だが、このような水環境を取り戻したいという願いを込めたものなのだろうか?



尼崎市から伊丹市に入る。こちらのマンホールは、白鳥と鴨がギッシリの風景だ。昆陽池を思い浮かべてしまうが、他にも水鳥が棲息している湖沼があるのかもしれない。



山陽新幹線を潜って、北へ北へと進む。



新伊丹公園。黄色いたい焼きのような遊具に目が引き寄せられる。



JR伊丹駅。立派なロータリーには、ひっきりなしに伊丹市営バスが入ってくる。兵庫県って、神戸は勿論だが、尼崎や伊丹でも、市営バスが運営されている。



JR伊丹駅の北、猪名野神社から、お気に入りの伊丹緑道を使って北に進む。



国道171号線の手前で西に進路を変える。猪名川の手前で西国街道の碑を発見。以前、三宮から京都まで4日間かけて西国街道を踏破したことがあるが、この道を歩いたのだろう。5年ほど前のことなのに、ちっとも覚えていない・・・。



猪名川。かなり広大だ。川の向こうには大阪市内の高層ビル群も微かに見える。おそらく江戸時代に西国街道を旅する人は、ここから渡し船に乗ったんじゃなかろうか。



今は伊丹空港を離陸する飛行機が轟音を唸らせて、猪名川を越えて飛び立っていく。



猪名川に架橋された国道171号線の軍行橋から伊丹空港まで、飛行機を誘導する施設が直線状に並んでいる。もっとも、伊丹空港北側からの着陸は強風で南側からのアプローチが難しい時だけ。伊丹空港に着陸する飛行機に乗ったのは優に100回は超えるが、記憶している限り、北側からの着陸は1回しかない。もっとも窓側に座っていても寝ていることが多く、どちらから着陸したかなど、あまり見ていないのだが・・・。



軍港橋から石橋駅に向かう道の途中、立ち寄った十二神社の境内に防空壕の跡が保存されているのを発見。伊丹空港が近くにあるため、爆撃対象になりやすいと考えた地域の人々が作ったものらしい。この防空壕に30人程度が入れたと説明書にはあるが、実に狭い・・・。



阪急石橋駅。ここで宝塚線から箕面線が分岐している。もっとも梅田と箕面の間に直通列車が走るのは一日数本しか無いため、多くの場合ここで乗り換えることになる。



池田市のマンホールには、亀甲模様の中心にイゲタの市章が施されたもの。以前はどこもこのようなの幾何学模様マンホールばかりだったのが、最近はそれぞれの自治体がデザインを凝らしている。各自治体のアイデンティティを賭けた渾身のデザインとして見れば実に興味深い。池田市でも、市の鳥、山鳩のマンホールも設置しているのだが、石橋周辺では発見できなかった。



池田市から、阪急箕面線に沿って歩いて、ついに箕面市に突入。箕面市のマンホールは、箕面の滝と紅葉。納得感の高いデザインだ。レアなカラーマンホールに出会うと、宝物を見つけたような気分になる。しかし、カラーマンホールは人通りの多いところに設置されていることが多いため、すぐ色がくすんでしまうようで、色鮮やかなものに出会うのは実に困難だ。



桜井駅、牧落駅を通過して、ゴールの箕面駅に向かう。



箕面駅に到着。駅前には、東海道自然歩道西の拠点を示す石碑と並んで、「滝ノ道ゆずる」くんの石像がベンチにチョコンと坐っている。箕面の滝と、名産品の柚子から名付けられたゆるキャラだ。失敗作目白押しの大阪府内のゆるキャラの中では、最も成功したものではなかろうか。



駅前で、滝ノ道ゆずるくんの防火水槽のカラーマンホールを発見。まだ新しく色落ちもしていないし、かなりレアもののような気がする。嬉しい。



無事、武庫之荘と箕面のスタンプをゲット。スタンプ機が大きいので、小さなマス目の中に上手く押印するのは、至難だ。残るは松尾大社駅だが、興味深いスタンプラリーイベントが目白押しだし、何やかんやで忙しいし、さてどうするか・・・。



歩行記録。15kmの道を4時間余りかけて歩いた。



なんだか、今回はマンホール特集のようになってしまった・・・。

【番外】福島県いわき市

2015年5月21日(木)


出張で福島県のいわき市で一泊。朝早く起きて、JR常磐線のいわき駅の北にある磐城平城跡に出掛ける。関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城攻防戦で大奮戦の末に玉砕した守将鳥居元忠の戦功を賞して、嫡男忠政に与えられた城だ。



 いわき駅は、50年ほど前の大規模合併によって誕生し、当時は全国一広い市となった、いわき市の中心に相応しい、立派な造りだ。もとは、平市の平駅だったのが、市町村合併により改称されたらしい。駅前にも商店やホテルなどが多く立ち並び、想像以上に繁華街も広く感じた。



正直なところ、磐城平城にさほどの興味があったわけでもないのだが、早朝の散歩に適当な目的地がここ以外に見当たらなかった。まあ、覚悟はしていたが、城址に至る道は寝起きにはキツイ坂道だ。



城址の入口にやってきたが、門が固く閉ざされている。



仕方なく、さらに坂道を上り、別の門までやってきたが、やはり閉鎖中。早朝のせいなのだろうか。中を覗くと、市内を見渡すことができそうな、展望広場や、手入れの行き届いた庭などがありそうだが、入れないものは仕方ない・・・。



この常磐線のいわき駅も、元は磐城平城の堀跡だったそうだ。



地方中核都市としては、駅付近にホテルはかなり多いように感じるのだが、震災復興や福島原発での作業のせいか、ほとんどが満室状態。予約を取るのにも苦労した。未だに仮設住宅暮らしを余儀なくされている被災者も多いせいか、建設中のマンションも目立つ。



天気も良く、行き交う人々にも活気が感じられるが、道端の放射能測定器は、4年前この地域を襲った悲劇を思い起こさせる。



昼食休憩で立ち寄った小名浜港。高台にマリンタワーという高さ約60mの格好いい展望台が設置されている。青と白の外装が青空に映えている。



マリンタワーから見た小名浜港。10ほどもの埠頭が並ぶ東北有数の巨大港でもあり、漁港でもある。



 太平洋。説明書きによると、水平線と見えるのは45km先なんだそうだ。



港の北側には、砂浜が広がっているが、この砂浜に面した集落はすべて、津波に呑みこまれたそうだ。今見える建物は全て震災後に建てられたものらしい。



観光物産センターには、震災コーナーが設置され、震災・津波の発生から今日に至る記録ビデオなどを見ることができる。当時の避難所の様子も再現されている。段ボール紙で仕切られたスペースは実に窮屈で、避難所生活の大変さが思い知らされる。



ここでも放射能の測定記録が掲示されている。



福島空港から帰阪。ウルトラマンの生みの親、円谷英二がこの近くの須賀川市の出身なんだそうで、空港の中はウルトラマンだらけだ。ゲートのドアにもウルトラマンがデカデカと描かれている。




東京マラソンで銅メダルを獲得しながらも、その後の故障や周囲からのプレッシャーに苦しみ、ついには自ら命を絶った円谷幸吉も、同じ須賀川市の生まれだ。



ポストもウルトラマン仕様だ。近くの郵便局の風景印はウルトラヒーローたちがデザインされているらしい。



なんと、須賀川市は、「M78星雲光の国」と姉妹都市提携をしているそうだ・・・。