橋本・伊都スタンプラリー(続)

2015年5月16日(土)


早朝から、滋賀県までハイキングに出掛けるつもりが、予報に反して雨模様。様子を見ているうちに昼前になってきった。結局予定を変更して、先週雨天中断となった橋本・伊都スタンプラリーをコンプリートするため、再び橋本駅にやってきた。高野山開削のシンボル「飛行三鈷」を象った、吉野の桜の霊木で作られた「撫で三鈷」が特別展示されている改札口からJRに乗り換える。



降り立った駅は、橋本から西に2駅目の高野口駅。先週は、橋本⇒九度山⇒高野口と歩くつもりだったのを、今日は逆向きに歩くことにする。



南海が九度山まで延伸されるまでは、この高野口駅が高野山への玄関口だったという。駅前には、高野山参拝客で賑わった当時を彷彿とさせる立派な旅館が今も残っている。もっとも今では旅館としては使われていないようだ。



大和街道と書かれた道を南に進む。どうやら和歌山と奈良を紀ノ川沿いに結ぶ街道らしい。そのなかに驚くべき地名を発見。なんと「ババタレ坂」。さほどの急坂でもないが、この坂を上る牛馬が、ここで力んで糞をすることから名付けられたそうだ。



高野口駅から南下して、紀ノ川を渡ると、そこは九度山町。紀ノ川の向こうに見える山々には雲が低く垂れこめている。小雨は断続的に降っている。



九度山の町立スポーツセンターの傍で、栴檀の大木に出会う。これまで何度もこの道を歩いているが、気付かなかった。小さな薄紫色の花が咲き、周囲に素晴らしい香りを振りまいている。



スタンプポイントになっている慈尊院に到着。高野山開削1200年のためだろうか、数多くの観光バスが停車し、お遍路さんのような人たちが大勢押し寄せている。



女人高野として名高い慈尊院だが、ここのお気に入りは築地塀。かなり年代を重ねた土塀だが、最近建立された多宝塔などとも、よく調和している。



続いて、慈尊院から長い石段を登って、丹生官省符神社へ。ここでもスタンプを押印。



慈尊院と丹生官省符神社のスタンプには、高野山町石道のスタンプが転用されている。丹生官省符神社の近くには最終の179町の石塔が立っている。以前この道の制覇を目指して歩いたが、途中でギブアップ。約60町分は歩けず終いのままだ。



先週押印した橋本市内の2個と合わせて4個をゲット。これで参加賞が貰える。



参加賞を受け取りに、九度山の道の駅まで行ったが、なんと先着500名に進呈となっていた、三鈷の松とこうやくんグッズは、払底していた。ゴールデンウィークに真田まつりが開催されていたので、、ドッと観光客が押し寄せたのだろうか。代替の参加賞として、真田幸村のクリアファイルと和歌山のマスコット、パンダのシールと絆創膏セットを頂戴する。



それにしても、相変わらず雨は降ったり止んだり。通り雨のようだが、ちょうど紀ノ川沿いに雨雲がかかっている。ウォーキングとしては、予定の半分も来ていない。九度山駅でリタイアすることも覚悟しながら、九度山の街中に向かう。



真田庵。真田まつりの名残だろうか、真田の赤い旗がこれでもかというほどに林立している。



これも真田まつりの飾り付けなんだろうか。家々には、真田六文銭をあしらった紙兜が軒先などにいくつも吊り下げられていた。



なんとなく雨雲も去ったようなので、九度山駅を横目に、南海高野線に沿って、橋本に向かって歩き出す。国道370号線だ。他にもうちょっとノンビリ歩ける道は無いものかと探したが、国道以外に適当な道が見当たらない。




学文路駅。九度山駅もお洒落な造りだが、ここもなかなかの雰囲気。毎年シーズンになると入試の御守にこの駅の入場券が販売されているが、最近は5枚セットなんかで売られている。なかなかに商魂逞しい。自動券売機を見ると、他の駅同様、フツーに入場券が買えるようだ。



学文路駅近くの踏切は、丁度レールがカーブしているところにある。踏切に列車が突入してくるような感じになっている。



ちょっと寄り道して、刈萱堂(西光寺)へ。石堂丸の物語とともに、刈萱堂を有名にしているのが、人魚のミイラ。何とも怪しげではあるし、写真を見たところとても恐ろしい形相なので、とても見る気も起らず、近くを歩いてもこの寺は避けていたのだが、ついに訪問。



ミイラが常時一般公開されているはずもないと思いつつも、もし見せてあげると言われたら、どうしようなんて考えながら、やってきたが、人気も無く杞憂に終わった。境内にある可笑しな人魚像を拝見するに留まる。



学文路駅から、そこそこ上り坂を上ってきたため、刈萱堂からの景色はなかなかのもの。雄大な紀ノ川の流れを眺望することができる。どうやら、ようやく雨の心配は無くなったようだ。



紀伊清水駅。ここもなかなかレトロ感ある駅舎だ。
以前、高野下駅から丹生の滝、国城山を経てこの駅までのハイキングの途中で、道を誤り崖から滑落した。その後、再び同じ道を歩いたが、かなりの難コースで、疲労困憊でこの駅に辿りつき、駅舎横の自販機で、水をガブ飲みしたことを思い出す。



橋本駅に戻る前に、再び寄り道。先日訪問するつもりだった織田秀信の墓に向かう。墓は国道371号線沿いにあるようだが、この道は国道とは名ばかりの、狭い山道だ。



国道から少し脇に入ったところに織田秀信の墓がある。ひどく小さな墓石だ。本能寺の変の後、三法師と呼ばれた幼年時代に豊臣秀吉に担がれて織田家当主となったものの、その所領は岐阜で僅かに13万石。関ヶ原の戦いで西軍に付いて領地は召し上げられ、高野山に追放された。しかし高野山でも冷遇されて、この地に隠棲し、26才という若さで亡くなったという。自殺とも言われるし、病死とも言われるが、毒殺されたのかもしれない。何とも憐れだ。



紀ノ川に渡る橋本橋を渡って、橋本市内へ。橋本という地名が橋の袂ということが由来だと知ると、橋本橋という名称は、なんとも言語矛盾を感じてしまう。



橋本の中心部は、何とも複雑な迷路状になっている。こんな狭い道が中央本通と名付けられている。




橋本駅に到着。駅舎には兵藤秀子(旧姓前畑)のパネルが掲げられている。「前畑がんばれ」と連呼されたラジオ放送で有名な、ベルリンオリンピックで日本人女性として初めて金メダルを獲得した伝説的なスイマーだ。この橋本市で生まれ育ち、紀ノ川で水練をしたという。



小雨の中、休憩ばかり取りながら、約15kmを5時間ほどかけて閑歩。少し腰が痛い。明日のゴルフに響かなければいいが・・・。