梅田~九条(3社沿線スタンプラリー④)

2017年2月12日(日)


近鉄・阪神・山陽3社沿線スタンプラリーも、ついに最終の10コース目となった。今日は梅田から九条までの大阪市内歩き。正直なところ、仕事でいつもウロウロしているところなので、気持ちをオフにスイッチすることが難しそうだ。



大阪随一のターミナル、梅田をスタート。リュックを背負ったウォーキング姿が似合う町ではない。いかにも誰か知り合いに会いそうで、どうにも気乗りしない。



何とも新鮮味に欠けるコースのため、脇道でも歩きたいところだが、取り合えずマップに忠実に、曽根崎お初天神通りを進む。



露天神社。お初天神という通称の方で有名だ。近松門左衛門がお初・徳兵衛の悲恋を人形浄瑠璃として劇化して大ヒットしたのは300年以上も前のことだが、この心中が実話であることを最近まで知らなかった・・・。



国道1号線・2号線と御堂筋が交差する梅田新道交差点に夥しい数の鳩が集まっている。大都会の真ん中でも鳩は珍しいものではないが、ここまでの「おしくらまんじゅう」状態は、あまり見るものではない。餌を争っているのか、あるいは寒さを凌いでいるのか・・・謎だ。



大阪のキタの繁華街、北新地のど真ん中を突っ切る。昼間はもちろん、最近は夜もご無沙汰気味だ。かつてここを流れていた曽根崎川跡の碑が飲食店がひしめく通りに建てられている。



北新地には、国産ビール発祥の地なる碑も見られる。明治5年、澁谷庄三郎なる人が日本字としては初めてここでビールを醸造したらしい。もっとも、外国人によるビール醸造は、これより2年ほど前に横浜で始まっているようだ。



北新地の南、中之島に面した堂島浜には堂島米相場跡の記念碑と記念像も建てられている。



中之島のビル群。ツインビルとなるフェスティバルゲートタワーも2本目がほぼ完成しているようだ。



堂島川の上流側。大阪市役所や日銀大阪支店などが立ち並んでいる。このあたりで急に空が曇り、雪が舞い始めた。



土佐堀川に架かる錦橋の袂に、「浪華橋々繁栄見立相撲」と書かれた橋の番付表がある。200年ほど前のものらしいが、東大関が天神橋、西大関が難波橋。三役はすべて公儀橋で占められ、心斎橋は東前頭ニ枚目、淀屋橋は東前頭四枚目に甘んじている。



靭公園。自慢のバラ園もさすがにこの季節は閑散としている。



しかし、梅の花は既に開花しているものが見られる。



雨と雪の混ざったようなものが降り続けている。天気など気にする風もなく、休日を楽しんでいる人たちがいるようだが、これらは全て人形だ。



靭公園のなかにある楠永神社。太平洋戦争の空襲でも、周囲が焼け野原になるなか、この楠1本だけが残ったという。



10面ほどある靭公園のテニスコートも、降雨のため、プレイは中止されている。間もなく、手分けしてコートの水を掃き出す作業が始まりそうだ。



川口にある津波・高潮ステーション。2009年設立と、東日本大震災に先んじて創設された施設だ。さすがに、低地が多く過去に何度も水害を経験している大阪ならではのことだが、開設時から高潮だけでなく、「津波」が名称に含まれていたことに今更驚いてしまう。



過去に2度ほど入館しているが、沿線スタンプラリーのクイズの答が、この館内にあるため、仕方なく入館するが、閑散とした館内でマンツーマンの説明を受ける羽目になる。有り難いような、迷惑なような・・・。



最大のウリは、体感型シアター。他に人はおらず、完全貸し切り状態だ。地震の映像に合わせて、床も揺れているように感じる。以前見たものとは、映像が変わっていて、地下街や伝言ダイヤルなども取り上げた内容になっていた。



 遊郭の名残が未だ残る松島地区を突っ切って、ゴールの九条駅を目指す。未だカメラを向けることが躊躇われるような店も多く見られる。いや、最近逆に目立ってきたようにさえ思えるが、気のせいだろうか・・・。



貯水タンクのような雰囲気の阪神九条駅。どうしてこのような形状のビルになっているのだろうか・・・。



今年も3社沿線スタンプラリーは無事コンプリート。 まだ近鉄が参加していない頃から、10年ほどは続けてコンプリートしているはずだ。