ラスベガス散策

2017年9月21日(木) 


カンファレンス出席のためラスベガスにやってきた。仕事も終わり、投宿したホテルの最上階から夜景を眺めて人心地つく。ようやく不夜城ラスベガスにいるんだ、との実感が沸いてくる。



移動の飛行機が発つ正午までラスベガスを探索すべく、ストリップ地区と呼ばれる細長く伸びた大通りの南端のマンダレンベイホテルから散策を開始する。ホテル間をつなぐ無料のモノレールも何本か走っているが、そんなものは無視して歩くこととする。

 


カジノ&ホテルは、いずれも外観・内装ともに、贅と工夫を尽くしたものが立ち並んでいる。なかでも異彩を放っているのは、ピラミッドを模したルクソール。



ピラミッド内部の大空間も凄い仕掛けになっている。柱は一本もなく、エレベータは斜めに上がる。



続いてはニューヨーク・ニューヨーク。自由の女神の背後にはマンハッタンの高層ビル群が林立し、その周囲をローラーコースターが旋回している。



まるでディズニーランドのおとぎの国のようなエクスカリバー。子供狙いで、他のホテル&カジノとの差別化を図っているようだ。



シンボルのライオン以外には、驚くべき外観ではないが、世界最大のホテルと言われるMGMグランド。ボクシングのタイトルマッチなど、世界的イベントの開催場所としても有名なところだ。



フランスのパリをテーマにした、パリス。エッフェル塔もあれば、凱旋門もある。



イタリアのコモ湖をイメージしたと言われる大きな池の畔に建つベラージオ。この池で繰り広げられる噴水ショーはラスベガスのアトラクションを代表するもののひとつ。映画オーシャンズ11の舞台になったことも記憶に新しい。



派手なピンク色で知られるフラミンゴ。栄枯盛衰のラスベガスのホテル&カジノのなかでは最古参のひとつと言えよう。かつてはラスベガスを代表する写真といえば、フラミンゴであったように思う。



ヴェネチアン。その名のとおり、イタリアのヴェネチアを彷彿とさせる建物が並び、運河やゴンドラまで再現されている。ラスベガスのなかでは、最高クラスのホテルのひとつと聞くが、泊まった訳ではないので、判らない。



中に入ってみると、確かに内装も凄いものを感じる。ヴェネチア風というのだろうか。どれほどお金が掛かっているものなのだろうか。



トレジャーアイランド。宝島とか海賊とかをモチーフにしたホテルだ。その向こうのビルにはTRUMPの文字が見える。不動産王トランプ大統領が経営するホテルのひとつだ。気になるが、もはや時間切れで来た道を戻る。



ラスベガスの中心部には、横断歩道がほとんど見られず、陸橋で道路を渡らなければならない。随分歩行車が多いのだが、歩道橋は隣接するホテルやカジノの2階部と連結しているため、あまり歩かされ感は無い。



まあ、どの建物も刺激的。上を向いても下を向いても、あのビルが何なのか、あの店はどうなっているのか、と気なるものばかりだ。



早朝に歩き始めた頃は、さほどの人出でもなかったものが、時間が経つにつれてドンドン人が増えてくる。平日の午前中だというのに、この町は平日も週末も、昼も夜も、いつだって賑わっているようだ。



お店も、これでもか、というほどに凝った意匠になっている。これはチョコレートのハーシーズ。



ライバルのm&mも負けていない。ただのチョコレート屋さんには見えない。




街の中にドンと立っているコカコーラの巨大な瓶。コカコーラ関連のグッズなどが販売されているようだ。



ペプシコーラの看板は、逆にレトロさと渋さで異彩を放っている。



ハードロックカフェの前には巨大なエレキギターがある。



タコベルの看板は、スロットマシン風になっている。



何だか良く判らないが、コスプレをしたお姉さんや着ぐるみが町のアチコチで見られる。一緒に写真を収まることでチップの小遣い稼ぎをしているように見えるが、どうなんだろうか。



 ラスベガスを東西に貫く大通り。道の向こうにはロッキー山脈が見える。グランドキャニオンもこの先にあるはずだ。



歩行軌跡。ラスベガス大通りを南北にひたすら歩いただけ。大した距離でもないと思って2時間ほどブラブラ歩くつもりだったが、結局11kmを4時間近く掛けて歩いた。この町には目を引くものが多すぎる。



写真は撮っていないが、当然のことながらカジノにも挑戦。これまで2回の訪問(20年前と30年前)では、凄く興奮してスロットマシンやブラックジャックに興じたものだが、いつの間にかスロットマシンはデジタル化されて、コインじゃらじゃら、の音もない。ちっとも気分が乗らないまま200ドルほどもスッてしまった・・・。

いくつかのカジノを覗いたが、例外なく遊んでいる人は少なく感じたし、高額スロットは閑古鳥が鳴いていた。日本ではカジノ法案などで喧々諤々の議論をしているが、なんとなくカジノで人を呼ぶ時代は終焉を迎えつつあるようにも感じる。