市バス・市電の軌跡ラリー(京都~北大路)

2018年10月21日(日)


京都市バス90種年記念で開催されている「市バス・市電の軌跡ラリー」に出掛ける。南は京都駅、北は北大路、東は岡崎、西は壬生、さらに梅津、と京都の市街地全体にスタンプポイントが散在していて、全ポイントの完歩のためには20km超となることは確実。しかも、手持ちのスマホと相性が悪いHELLO KYOTOのデジタルスタンプラリーなのが気になる。



どこまで歩けるかは判らないが、まずは京都駅前のメルパルク1Fにある特設コーナーを訪問する。古い写真や市バス備品などが並べられている。とても興味深かったけど、敢えて難を言わせてもらうならば写真をもう少し引き伸ばしてもらいたかった。



ここでのデジタルスタンプラリーの仕組みは、ラリーポイントに設置された掲示版の写真を読み取るもの。が、スマホとの相性が悪いのか、スマホの容量不足なのか、訳は判らないのだが、なかなか読みとってくれず苦労する。以前、同じHALLO KYOTOが開催する明治150年スタンプラリーでも随分苦労したことを思い出す。



京都地下鉄のPRキャラクター太秦萌。この2~3年の間にどんどんメジャー化して、あちらこちらに登場しているばかりか、いつの間にか、家族親戚から友人など、どんどん登場人物も増えている。もう付いていけない・・・。



JR京都駅の烏丸口に、ここが電気鉄道事業発祥の地であることを示す石碑が建っている。明治28年のことだ。石碑には、随分と可愛い路面電車の絵が描かれている。



次のラリーポイント、四条河原町に向けて、適当な道を歩いていく。気がつくと万寿寺通。京都五山のひとつ万寿寺があったところだ。先日、現在の万寿寺の門前を訪ねたが、もはや五山の一角を占めていたとは思えない凋落ぶりに複雑な思いがしたものだ。



仏光寺通を少し下ったところに学校歴史博物館なるものがある。入館料をケチって中に入ることはしなかったが、過去の教科書や教材などを収集・保存しているところらしい。見た目のとおり、元は小学校だったところを転用しているようだが、意外にも多くの人が訪れていた。



四条河原町に近づくにつれて、飲食店が目立ってくるのだが、いつの間にか横文字表記がひどく目立つようになっている。多くは和英併記なのだけど、このレストランのように英文字しか見られないところも多い。そういえば、ついに京都での宿泊者の半分以上が外国人になったとのニュースを聞いたように思う。



四条寺町の少し南にある京都大神宮。神社がテンコ盛りの京都で、しかも寺町に、京都代表のような神社があることが以前から気になっていたのだけれど、今日初めて境内に入る。明治時代に創建された伊勢神宮の遥拝所が起源のようだ。



歩道やバス停が整備されて、随分と歩きやすくなった四条河原町。バス停に掲げられたラリーポイントの写真がここでも上手く撮りこめない・・・。大勢の人だかりのなかで、冷や汗をかく思いで何度もトライしてようやくスタンプをゲットする。



河原町通で懐かしいメロディが耳に飛び込んできた。「ロバのおじさん チンカラリン、 チンカラリンロン やってくる・・・」。移動パン販売のロバのパン屋だ。今では京都を含む4府県で細々と営業しているらしい。「ジャムパン、ロールパン、出来立て、焼き立て、いかがです?」と歌詞にはあるが、売っていたのは蒸しパン系ばかりだった。2つばかり購入してパクつくが、歌は覚えていても味は覚えていない・・・。



坂本龍馬、中岡慎太郎が凶刃に倒れた近江屋。今は回転寿司屋になっている。三条の池田屋も居酒屋だ。京都ってところは、名所旧跡がテンコ盛りだけに、他の都市では考えられないほど、史蹟を蔑ろにしているように思えてならない。



先斗町。ちょうど人の流れが途絶えたところで写真を撮ったが、行き交う人の過半は外国人観光客だ。



三条大橋の袂に、何枚ものドローン禁止の貼り紙を見ることができる。よく見ると、中国語やらスペイン語やら、様々な言語で書かれているようだ。世界中から観光客が押し寄せる町だけに、注意標識の製作も大変そうだ。



三条大橋の擬宝珠のひとつに刀傷がある。写真中央の黒ずんだ楕円形状のところだ。池田屋事件の際に新選組が斬りつけたものだと聞くが、ホントだろうか。



京阪三条で3つめのスタンプをゲットした後、次のラリーポイントの岡崎まで歩いてきた。青空に映えて平安神宮の赤い大鳥居が凛々しく立っている。



次のラリーポイントは北大路バスターミナル。岡崎から疎水、鴨川、高野川と川に沿って歩いていく。高野川と加茂川の分岐点は、飛び石も整備されて、この季節でも水遊びを楽しむ人たちで賑わっている。



昨日歩いた比叡山への道を高野川からの眺望に重ね合わせる。右側のピークが比叡山、左側のフタコブが横高山と水井山のはず。それにても比叡山とは標高差が50mくらいのはずなんだけど、随分と低く見える。



北大路バスターミナルに到着。地下鉄駅にもなって、ショッピングセンターも併設していて、この地域の中核施設だ。地下3階構造のビルには、いくつものバス乗り場がある。ただ、赤のりば、青のりばっていうのは、賛否が分かれそうなネーミングだ。



スマホの記録では14kmになっているが、GPSの乱れを差し引くと歩いた距離は12kmくらい。時間は未だ十分あるものの、残りのラリーポイント3つ(北野白梅町、壬生、梅津)をコンプリートするためには、さらに10kmは歩かねばならない。



正直なところ、疲れた・・・。らしくもないが、今日はここでギブアップ。収集したスタンプは8ヶ所中5ヶ所に留まった。地下鉄で京都駅に戻る。



京都駅横のメルパルク内特設会場に再び立ち寄り、3ヶ所制覇のクリアホルダーを頂戴する。



昨日の比叡山の疲れはさほどでもないと思うのだが、とにもかくにも気分が乗らない・・・。最近、こんな日が増えてきた。

比叡山スタンプラリー(八瀬~横川~東塔)

2018年10月20日(土)


毎年参加を続けていたものの、ついに昨年連続参加が途絶えてしまった比叡山スタンプラリーに出掛ける。徒歩による制覇を念頭に置いたイベントではないことは承知しているが、毎年登山ルートを様々に変えながら、横川・西塔・東塔の3ヶ所を含む5つのスタンプポイントを歩きまわっている。



 例年滋賀県の坂本から登ることが多いが、今回は初めて八瀬方面から登ってみることにする。夜半からの雨が未だ残るなか、叡電に乗ってドーム状の大屋根で覆われたレトロな駅舎、八瀬比叡山登山口駅にやってきた。「登山口」とはいうが、この駅から歩いて登山する人はまずいないはずだ。



しばらく歩くと、ケーブル八瀬駅。ここがスタンプポイントのひとつになっている。ここからケーブル、そしてロープウェイと乗り継いで比叡山山頂を目指す人たちを横目に、大原方面に続く道をひとりテクテクと歩いていく。



高野川に沿って旧道を歩くつもりだったのが、道が判らなくなって結局国道歩きになってしまった。トンネルもあって、ほぼ平坦な舗装道だけに、山に向かっているという実感は湧かない。



駅から3kmほど歩いて、「登山口」というバス停までやってきた。こんな名前を付いているけれど、比叡山に登るルートとしては、相当マイナーな登山口で、ブログなどを探しても、走出(はせだし?)路と呼ばれるこの道から登ったという記録はごく僅かしか見つからない。



登山路は簡単に見つかった。横川元三太師道との碑があるので間違いない。八瀬比叡山登山口駅の標高が110m、ここが170m。ダラダラ歩きとはいえ、国道歩きでもう少し標高稼いでいるかと思ったのだが、それほどでもない。



登り初めて早々に気づいたのだが、やけに倒木が多い。おそらく1ヶ月前の大型台風によるものに違いない。



決して整備された道とはいえないが、比叡山登山路としてはマイナー扱いされているため、相当な悪路では、と懸念していたほどのことではない。さらにかなり短い間隔で標識が立っているので迷うこともなさそうだ。



道はさほど悪くはないのだが、人影は全く見られないどころか、足跡もほとんど見当たらない。小さな沢を渡渉するとき、冷たい風が頬を打つ。生来、一人歩きが性に合っているのかもしれないけれど、ふとした瞬間に、ひとりぼっちの孤独さを痛感する。



6番の立札のあるところで大いに道を迷ってしまう。実は倒木で完全に塞がれている左側に道は続いているのだが、20分以上も、前や右側を道を求めて、アチコチと彷徨う羽目に陥った。おそらく6番の立札が無ければ、さらに引き返していたに違いないが、最後の最後、樹木で覆われた左側に向かう。



V字状になった谷道の両側から、20本以上の大小の樹木が倒れて道は完全に塞がれている。崖を這い上がったり、木の上によじ登ったり、木の下を潜り抜けたりを繰り返し、ついに先に進む道を見つけることができた。



その後の何度もの障害物競争のような山道を這う這うの体で登り切り(倒木さえなければ、急坂も少なく登りやすい道だったように思えるが・・・)、比叡山と横高山・水井山を繋ぐ、勝手知ったる尾根道に出会う。何本からの道が交わる峰辻というところだ。



峰辻から、スタンプポイントになっている横川中堂の道は、さすがに東海自然道にもなっているだけに、整備状態が全く違う。平坦なこともあって、随分と歩きやすい。



横川中堂。比叡山延暦寺の三塔のなかでは、北側にポツンと離れているため、訪れる人も少ないところだ。遣唐使船をモチーフにして設計された舞台造りというものらしい。船が宙に浮いているように見えるというけど・・・、う~ん、どうだろう・・・。



 横川中堂でスタンプを押した跡、再び峰辻までトンボ帰り。往復で4kmほどの道のりだけれど、平坦な道なのでダメージは殆どない。朝の小雨もすっかり上がって快晴に向かっている。今日は峰辻から少し南に歩いた玉体杉からは、京都の町の眺望も開けている。



登ってきた走出路と異なり、京都一周トレイルや東海自然歩道などにもなっているため台風の被害からの復旧が随分進んでいて、歩くことに困るようなところは無い。しかし道の左右を見ると、根こそぎ倒れた木や、ボキンと折れてしまった木など、災害の爪痕はアチコチに見られる。



梯子やチェーンソーで、倒木の伐採をしている人達と出会う。やらなければならない仕事が山積み状態とのことだ。この様子だと、走出路には当分手が回りそうにはない。



毎度のことではあるが、峰道レストランの展望台から見る琵琶湖の景色は素晴らしい。景色だけ楽しむのは申し訳ないので、「平和どんぶり」という名物料理をいただく。ごま豆腐、湯葉、生麩などが入った「あんかけ丼」だ。精進料理とは思えない濃い味で、とても美味しかった・・・。



西塔に近づくと、再び台風の爪痕が随所に見られる。研修所の屋根が飛んでいたばかりか、若山牧水の歌碑が倒れていたのには驚いた。失礼ながら、ゲゲゲの鬼太郎に登場する妖怪ぬりかべを思い出してしまう・・・。



西塔にやってきた。以前は、「一階建てなのに、どうして西塔というのか」と訝しく思っていたものだ。比叡山での「塔」とはタワーではなく、エリアと考えた方が良さそうだ。西塔の中心となっているこの建物は、釈迦堂という。



西塔から東塔に向かう。牧水の石碑も倒れていたのに、莫大な数が並んでいると見える石灯籠には一つも倒壊したものが見当たらない・・・。既に修復した後なのか、もともと被害がなかったのか、どちらなんだろうか。



東塔。ややこしいことに西塔:さい「と」う、東塔:とう「ど」う、と堂の字の読み方が違う。さらにこの写真の奥にあるのは、東塔という塔なのだ。東塔といえば、この塔を指すこともあれば、この地区全体を指すこともある。ややこしいぞ。



延暦寺の大書院の前に、比較的新しい石碑が2本立っている。1本は昭和天皇、もう1本は今上天皇が行幸された際の御座所となったことを記している。平成も残りあとわずかだが、今上天皇の文字はどうなるのだろうか。来年来たときに確かめたい。



根本中堂は「平成の大改修」と称して、一昨年から大規模な補修が行われている。10年掛かりというから、工期の大半は平成ではなくなる訳だ。来年からは、何の大改修と称することになるのだろうか。



東塔近くの延暦寺バスセンターでスタンプコンプリートのご褒美をいただく。絵皿とか湯呑とか、これまでも色々なものを貰って集めていたのだけれど、3年前の引っ越しの際に処分してしまった・・・。今年の記念品は、これまでの瀬戸物系からガラリとイメージチェンジして、アルミボトルになっていた。



明るいうちに山を歩いて下るのは厳しい時間になっていたため、京都駅までのバスに乗って帰宅する。歩行距離は約16km。結構厳しい山歩きにも見えるかもしれないが、登山といえるのは、4km~6km地点でしかない。




石切ラリー

2018年10月14日(日)


東大阪市石切で開催されている石切ラリーなるものに出掛ける。どうやらスタンプラリーとキーワードラリーを組み合わせたもののようだが、石切剣箭(つるぎや)神社の参道付近を巡るお手軽なもののようだ。



実は、この日は久しぶりに比叡山に登るつもりだったのだが、朝から身体も怠く、気分はさらに重く、朝になって行き先を変更。新石切駅から比叡山より200m以上も低い生駒山を見上げるが、あの山頂まで登る体力も気力も無いことを改めて痛感する。



石切の商店街を歩くのも何年か振りのことになる。以前は、「おどろおどろしさ」と「珍妙さ」で溢れかえっていた大阪を代表するB級珍スポットだったものだが、商店街もイメージチェンジを図っているのか、随分と明るくなったような気がする。



石切剣箭神社の本殿前は、以前よりもずっと賑わっているように思える。「でんぼ」の神様として昔から名高いところだが、お百度参りに勤しむ人が以前より随分と多いように感じられる。



石切剣箭神社付近でようやく石切ラリーの台紙をゲット。あらためて新石切駅付近まで戻って、全ポイントの制覇を目指す。本殿近くにある衛士詰所で最初のスタンプを押印。それにしても「衛士」って、伊勢神宮以外にもあるんだ。



本殿衛士詰め所ではスタンプをゲットしたが、計30あるポイントのうち24ヶ所はキーワードポイントになっているようだ。お店の名前のうえに2つの文字を書き込む空欄が用意されている。



本殿の前に鳥居があり、さらにその前に楼門のようなものがある。門ではなく、絵馬殿というらしい。屋根の上に剣箭(剣と矢)が見える。



新石切駅から、あらためてポイント1番からキーワードを集める。店頭に2文字のキーワードが掲示されているのはいいが、店を探すのが一苦労。台紙に記載されている、例えば「ソネット」という店が何屋さんなのか判らないのだ。意図的にラリーを難しくしているのかもしれない。



キーワードを集めながら、参道商店街にあるユニークなお店を楽しく見て回る。以前ほどの奇天烈さや不気味さは無くなったものの、依然、他所ではなかなかお目にかかることのできないユニークな店が並ぶ商店街だ。



煎餅屋さん、漢方薬屋さん、七味唐辛子屋さん、刀剣屋さん・・・。レトロな雰囲気が漂う専門店が軒を連ねている。



道幅が狭いうえに、双方の店の商品棚がせり出し、さらに垂れ幕やテント類が道を覆いかぶさっている。



ご老人向けのお店が多い。東の巣鴨、西の石切と、聞いたこともあるが、巣鴨はもっと垢抜けていたように思う。写真は左上から、玩具、洋服、杖、数珠を扱うお店だ。普通の商店街ではまず見かけることの無いほど、特定の品物だけを扱っている。



ずば抜けて多いのが、占いの店。大小の店がアチコチに店を開いている。驚いたことに、どの店も大繁盛している。



何人もの占い師が常駐して、いくつもの部屋がある大規模な占いの店も少なくない。占いなんて以前は馬鹿にしていたものだが、最近では「悩みを解き幸福を呼ぶ」という言葉に縋りたくなる気持ちも判るようになってきた。



東大阪市の物産観光まちづくりセンターが商店街のなかにある。市域の広さの割に観光名所の少ない東大阪が石切に力を入れているのかもしれない。近大卵にも驚かされたが、その横にいるイシキリンなる石切のマスコットキャラクターが気になる。キリンというより、昔テレビ漫画になっていた怪獣ブースカに激似なのだ。



石切大仏。「日本で三番目」との説明があるが、何が3番目なのだろうか。どうやら、奈良・鎌倉に次ぐ三大大仏のひとつだと言いたいようなのだが、大きさ的にも歴史的にも無理がある・・・。



この石切大仏を建立したのが、石切の珍妙さの大立役者、赤マムシドリンクで有名な阪本昌胤氏だ。記念館とか蝮塚とか大天狗とか、阪本氏が関わる珍スポットは石切に数多いのだが、何やら廃れているところが多い。赤マムシの阪本になにかあったのか?気になるぞ。



商店街を抜けると、一気に厳しくなる坂を登り、スタンプポイントになっている石切温泉ホテルセイリュウにやってきた。10年ほど前に研修で宿泊したことがあるが、露天風呂の真ん前を近鉄電車が走っていて驚かされたことを思い出す。



さらに坂を登り、スタンプポイントになっている石切剣箭神社の上之社を目指して坂を登っていくが、ドンドン山道になり終には行き止まりになってしまった。一本道を間違えてしまったようだ。



一旦坂を下りて、あらためて上之社への長い石段を登る。気楽な街歩きのつもりだったが、予想以上に歩かされる・・・。



近鉄奈良線の石切駅は、新生駒トンネルの坑口のすぐ手前にある。おそらく、写真左側に分岐し途切れてているレールは、旧生駒トンネルに向かう旧線の名残りではなかろうか。



石切ラリーとは関係ないが、旧生駒トンネルとその手前にあった旧孔舎衛坂駅まで足を延ばす。久しぶりに訪問した旧生駒トンネルだが、いつの間にか孔舎衛坂駅のホームも含めて、鉄条網で囲われていて近付くことができない。



この辺りまで来ると、東大阪市の向こう、大阪市内の高層ビル群も一望できる。



旧孔舎衛坂駅から再び石切剣箭神社に戻り、石切ラリーコンプリートのご褒美をいただく。ラグビーの町、東大阪のマスコット、トライくんのノートや、無料公開中の宝物殿で見せていただいた刀剣類の絵葉書などだ。



お気楽なウォーキングのつもりだったが、結局ちょっとした山歩きも含めて9kmほども歩くことになってしまった。今の体力・気力では、この程度でちょうどいい。


かつて石切神社参道の一番の見どころであった高木薬房は既に無く、お洒落なイタリアンレストランが建っている。壁土を食べる子供など種々の病状が描かれた壁画や、異様な人体模型など、あまりに怪奇な世界観に足が竦む思いをしたものだ。赤マムシの阪本関連の施設も近く姿を消してしまいそうに感じる。仕方ないとは思うが、昭和が消えていく寂寥感は禁じ得ない・・・。