先山・太閤道(島本町・高槻市)

 2024年12月26日


今年2月に登山道が通行禁止だったため登頂を断念した京都・滋賀県境の音羽山にリベンジするつもりで出掛けたものの、電車内で所要時間を計算すると日没までに下山できない可能性が高いことが判明。慌てて行先を変更して島本で下車。先山に登ることにする。



島本町の一大名所が桜井駅跡。楠木正成が湊川の戦いへと赴く際に息子正行と決別したところで駅前には乃木希典が揮毫した碑が立っている。マンホールのキャラクターの装束にも菊水紋。なぜ正成が公家姿なのかと思ったけれど、なんと島本町章が「ほぼ」菊水紋なのだ。



さあ若山へと向かおう。島本町から高槻市にかけて横たわっているような300m級の山だ。10年ほど前に登った記憶では、結構登りは厳しいけれど、大した標高ではない。軽い山歩きのつもりだ。



島本駅からまずは若山神社へと向かう。創建が大宝元年、大宝律令が制定された年だ。長い階段が続いて、結構体力が削られる。



若山神社。階段で息が上がって、ベンチで休憩。戦時中に神社の銅板を供出させられたなど地元の方々の興味深い昔話に耳をそばだてる。



さあ、本殿の横から太閤道ハイキングコースに入っていく。秀吉が天王山の戦いのため進軍したと伝わるけれど、こんな狭い山道を秀吉の本隊が使ったとは信じられない。むしろ「悠久1300年超の森」というワードに惹かれる。



住宅地に近い里山でありながら、ほとんど手付かずのままの樹林のなかを進む。まあ、それだけ勾配が厳しいということなのだろうかなぁ…。確かにしんどい登りだけれど、六甲山など薪炭採取のため丸裸になったというのに、どうしてここは伐採されなかったのだろう。



まあ、森の中の急登が終わるとゴルフ場があるけれど…。何度かプレイしたところだけれど、全くコースを思い出せない。ゴルフボールが飛び込まないように張り巡らされた金網に覆われた道を進んで行く。



ゴルフ場を過ぎると、楽しみにしていた絶景ポイントが現れた。男山と天王山に挟まれた狭隘なエリアに右から木津川、宇治川、桂川の三川が集まり淀川となるところが見渡せる。おそらくここ以上に三川合流をキレイに見渡すことができるとこは無いと思う。



決してマイナーではないはずだけれど、大してメジャーでもないと思えるこのハイキング道には、随分と居心地の良いベンチが多数設置されている。有難く淀川の向こうに立ち並ぶ枚方や樟葉の街を見渡しながらのんびりする。



いつの間にやらあまりピーク感のない若山(315m)の山頂にやってきた。まあ後はダラダラと下っていくだけのはずだ。



道中ずっと「金竜寺跡⇔若山神社」の標識に従って歩いてきたけれど、「悠久の丘分岐」というところに差し掛かった。金竜寺が歴史ある古刹とはいえ、焼失して何も残っていないことを覚えているだけに、悠久の丘なるところから下山することにしよう。



名神高速から分岐した新名神が北へと向かうところがよく見渡せる。



なんだか良く判らない、飾りが道沿いに並んでいる。これが悠久の丘の正体なんだろうか。不思議なものが多い道だ。



が、悠久の丘とは、下山口近くにあるただの公園だった…。太閤道の案内板に悠久の森なんて書いてあったものだから、何が出てくるのか楽しみにしていたのに…。



地元の方に教えていただいて、悠久の丘から少し脇道に入って、大阪の高層ビル群までまっすぐに見通すことができるところにやってきた。でも逆光でちょっと眩しい。



先山から下山し、広大な公園墓地を通り、新名神の高架を潜り、高槻の市街地へとやってきた。行きがけの駄賃よろしく、2つの低山のピークハントを済ますことにしよう。まず目指すは蔵王山。マンションより低そうで、かなりチョロそうだぞ。



いや、ちっともチョロくなかった…。300段ほどは続く階段で、ヘトヘトにされてしまう。



息もキレギレになりながら蔵王山(80m)をやっとのことで登頂。まあ、予想通りだけれど、山頂には今では廃神社となった祠があるだけ。ああシンドイ。これから歩いていく先の高槻駅前の高層ビルが随分と遠くに感じる。



が、JR高槻駅に行く前にもうひとつ、山頂に上宮天満宮がある日神山も制覇してしまおう。駅の北からの参道が正面なのは判ってはいるけれど、北側からも登れるはず。入口っぽいところを探っていたけれど、地元の方から、そこからは入れないよ、と言われる。



やむなく大きく迂回して駅前の正面参道から登り始める。大した階段でもないけれど、シンドイなんてものじゃない。元気なつもりだったのに、蔵王山の階段で一気に困憊してしまった。



上宮天満宮。大宰府天満宮に次いで日本で二番目に古い天満宮との説明がある。もっと有名で大規模な天満宮がたくさんあるだけに俄かには信じられないけれど、本殿は珍しく竹を素材にした立派なものだ。



どうやら日神山の山頂(42m)はこのフェンスに阻まれた深い藪の中。おそらく北側から進入するなんて到底無理だったと納得させられる。



JR高槻駅前に最近移転してきた関西将棋会館。将棋盤をモチーフにしたと思われるデザインだ。高槻の町中に「将棋のまち」誕生を歓迎するポスターや幟で溢れかえっている。どれほどの誘致合戦があったのかは知らないけれど、とても良い施設を呼び込んだものだと思う。



歩行距離13.2㎞、獲得標高590m。所要時間は5時間半。軽い山歩きのつもりだったのに、ひどく疲れさせられた。





帝釈山・丹生山(神戸市北区)

 2024年12月12日


六甲茶屋巡りスタンプラリーも残るところ2つ。丹生山、帝釈山の麓にあるつくはらキャビンにやってきた。ハイカー用のシャワー室まで備えた施設で、この機会にアピールしたい神戸市の気持ちは判らなくもないけれど、自販機さえ無いこの施設は茶屋とは言えないぞ。



スタンプラリーは予想外の人気で、コンプリートの記念品どころか台紙まで払底している。それでも自称スタンプラリーストのプライドを賭けて、全スタンプゲットしたいものだ。



スタンプの押印を早々に済ませ、帝釈山に向けて登山開始。今回はじめて丹生神社裏参道で登ってみることにする。源義経が一の谷に向けて進軍したことから義経道とも呼ばれる表参道はかなりの急坂。裏街道ともなれば更なる難路も覚悟しなければならない。



と用心して登り始めたけれど、拍子抜けするほどに歩きやすい道が続く。作業車なども通れるように整備されている。落ち葉をサクサクと踏みしめながら気持ちよく歩いていく。でもこんな道がいつまでも続くはずがない。



参道だけあって、道の脇には丁石標や地蔵などが見られる。しかし50分ほど歩いてきたもの、相変わらず良い道が続く。こんな簡単に帝釈山に登れるはずはないのだ。



丹生山方面に続く裏参道から外れ、北に向かう谷道に入った途端に、道の様相は一変。岩はゴロゴロして歩きにくく、すぐ息切れしてしまいそうな急峻で薄暗い道となる。



大きな檻が設置されている。サイズから見て、クマを捕獲するための罠のようだ。今年は六甲山系でも目撃されているというから、丹生山系にクマが棲息していても何の不思議もない。大きな檻は空だけど、その隣にある小さな檻に何かいることに気付く。



アライグマのようだ。既に息絶えているようだけれど、捕獲後長い時間が経ってはいないようだ。アニメの影響で一時ペットにする人も多かったのに、今では生態系や農作物を荒らす外来害獣に指定されている。人間の気儘に翻弄されたアライグマに罪は無いのだけれど…。



アライグマの屍を見て気分も陰鬱、さらに道は暗く険しく、そして不明瞭だ。



いつまでも平坦な道が続くはずもなく、そのうちに厳しい道が現れるに違いないとは覚悟していたものの、荒れた路面と急坂には辟易とさせられる。一刻も早く尾根に出たい気分だけれど、ゆっくりとしか登っていけない。



ようやく丹生山~帝釈山の尾根に出てきて、一気に歩きやすい道なる。ここまで出て来れば勝手知ったところ。帝釈山の手前に急坂があることは知っているけれど、危なっかしいところはないはずだ。



丹生山系の案内標識は総じて黒地に白字。落ち着いた配色とも言えるけれど、字体も相まってちょっと危なっかしさも感じさせる。でも山の標識というのは、危なっかしさを感じさせるくらいで丁度いいのだろう。



帝釈山まであと少し。ほとんど葉を落としたコナラ?の樹林を抜けて山頂に向けて登っていく。



帝釈山(585m)。丹生山にあった明要寺の奥の院があったところだ。今では石の祠がいくつか並んでいるばかりだ。



古い歴史を持つ帝釈山だけれど、今ではそんなことより山頂からの眺望で有名な山になっている。樹林が切り倒されている南側。遠くに見えるのは箕谷~鈴蘭台あたりの住宅街ではなかろうか。



圧巻は明石海峡と淡路島。折しも海が太陽で光り、逆光の効果で幻想的な雰囲気になっている。



太陽と緑の道の真新しいテープがある。太陽と緑の道って、神戸市が50年以上も前に整備された自然道なんだけれど、荒れた道や通行止めやらも多く、標識類も老朽化したものが多かったのを、最近協力者を募集して再整備に掛かっているはずだ。



西帝釈山(537m)。ベンチはあるけれど山頂標識が見当たらない。最近、どうしたことかあるはずの山頂標識を見つけることができないことが多い。



丹生山(515m)。山頂には丹生神社がある。今では丹生山のシンボルのような存在だけれど、もともとはこの地にあった明要寺の鎮守社であったらしい。6世紀に百済の王子により創建されたという明要寺は、平清盛が再建したものの、秀吉に破壊されて今では跡形もない。



無住のように見える丹生神社で、不思議なものといえば、ミツバチの巣箱だ。本殿の周囲を含め、何ヶ所もの巣箱がある。1~2年に1度程度登ってはいるけれど、蜂にお目にかかったという記憶はなく、実際に今でも養蜂が行われているのかは不明だ。



境内に少々こんもりとしたところがある。相撲の土俵だったところだ。近隣の子供たちによる奉納相撲が毎年開催されていると聞いたけれど、最近では来る度に土俵が崩れ、草に覆われ、今では土俵だと気づかない人が殆どではなかろうか。奉納相撲はどうなったのだろう。



かつでの明要寺、丹生山城の跡。今では石垣が残るだけだ。三木城の別所長治に兵糧を送っていることを咎められ、秀吉によって焼き討ちにされ、その後再建することもなく今に至っているという。



こんなトコに進入するオートバイがあるらしい。これも最近太陽と緑の道が設置した警告板だ。もともと太陽と緑の道は、神戸市が歩いて楽しい自然道を厳選して整備したもの。宅地化が進み元通りとはならないまでも、市民が誇れる再整備を進めてもらいたいものだ。



義経も歩いたという表参道の急坂を下って、衝原へと下山する。



距離7.8㎞、獲得標高607m、所要時間は3時間59分。残るスタンプはカミカ茶屋のみ。最もアクセス容易な茶屋だけど、追加発注中と聞く記念品の準備が整うのを待って出掛けることにしよう。