2025年11月25日
東海道、甲州街道を踏破し、続いて中山道を信州和田峠の手前まで歩いたものの、多発する熊出没に怖れをなして長らく停滞中。熊騒動が容易に解決するとも思えないため、熊の問題は無さそうに思える日光街道を先に歩くこととする。
4度目の日本橋スタート。ここから、千住、草加、越谷、春日部、古河、小山、宇都宮といった21の宿場町を経て日光東照宮を目指す。総距離は150㎞程度。延べ7~8日で踏破できればヨシと考えてスタートする。初日は最低でも20㎞ほど先の草加まで進みたい。
日本橋から歩き始めると、大通りから逸れ、意外なほどに狭い道を進んでいく。まあこのような道の方が歩きやすいし、東京の風情を楽しみながら歩くことができる。道の向こうには東京スカイツリーが見える。
道端に蔦屋耕書堂跡の案内板がある。さほど古くはない案内板だけど、NHK大河が決まってから建てられたものかもしれない。蔦屋重三郎が活躍した当時は書店が立ち並ぶところだったというけれど、付近に出版社や書店は見当たらない。
浅草橋の両岸には多数の屋形船が見られる。隅田川などを楽しみながら、宴会や花見ができるのだろう。街道をゆく江戸の旅人もここで多数の屋形船を目にしていたことだろう。
浅草雷門。まだ朝も早いせいか人の数は少なく感じる。あるいは中国からの観光客が減ったせいだろうか。雷門の前には、欧米人もアジア人も整然とした列を作って、順々に大提灯とのツーショットを撮影している。
東武浅草駅。関西では当たり前なのに、東京には少ないターミナルデパート(松屋)だ。この先、日光街道は東武伊勢崎線に併行するように埼玉県を北上していく。
待乳山昇天。名前からして、母乳が出なくて困っている女性が祈願するお寺かと思ったけれど、身体健全、夫婦和合、商売繁昌にご利益があるらしい。東京で一番低い山「待乳山(9m)」のピークハントを兼ねて本殿を参拝する。
千住大橋。徳川家康は江戸防衛のため、隅田川にはここ以外の架橋を禁じていたそうで、そのためか単に「大橋」と呼ばれていたらしい。現在でも橋に掲げられた銘板にはただ二文字「大橋」と書かれている。
千住大橋の北の袂が、松尾芭蕉の奥の細道への旅立ちの地だ。芭蕉庵のある深川から船で千住まで来て、ここで大勢の人に見送られて曾良とともに旅立ったという。ここから5ヶ月で2000㎞の長旅が始まる。しばらくは芭蕉と同じ道を歩くことになることに興奮してしまう。
まじかぁ?3月27日に千住を出発して、翌日には間々田だとぉ? 一日40㎞のペースだ。まあ、壁画に描かれた芭蕉はかなりの高齢に見えるけど当時は46歳の壮年。こちらは68歳。一日20㎞が精一杯なのも当然だろう。
千住は江戸時代から青物市場(やっちゃ場)で賑わい、日光街道にも多数の青物問屋が軒を連ねていたそうだ。今も古い看板が多く掲げられているし、気のせいか青果店が多いような気がする。
かつての千住宿は北千住駅を中心とした賑やかな商店街となっている。銀行の正面玄関には芭蕉の木像が立っている。
日光街道、奥州街道、水戸街道など、千住宿を通過する大名家は64にも及び、商店街にはそれら大名家の家紋が並んでいるけれど、戦災のせいだろうか、当時の遺跡はほとんど見ることはできない。本陣跡も小さな石碑が立っているばかりだ。
楽しみにしていた「かどや」の「槍かけだんご」はあいにく休業日。水戸光圀公御一行が松に槍を立てかけて休憩したことに由来する甘辛い団子だという。お腹が減ったものの、団子をアテにして飲食店の多い北千住を素通りしてしまったのが悔やまれる。
荒川に架かる千住新橋までやってきたところで雨が降り始めた。予報では午後はずっと雨だというけれど、この辺りで止める訳には行かない、ちょうど千住新橋の下にあるバス停のベンチに避難して雨脚が弱まるのを待つ。
雨雲レーダーを確認すると、周辺は全て雨模様。空腹と寒さに耐えながら、多少なりとも雨脚が弱まるのを待つ。昨日の天気予報では降雨確率はかなり低かったし、イザとなれば傘でもカッパでも容易に購入できると考えて、何の雨具も用意していない。
雨脚が弱まったところを見計らって荒川を渡り、しばらく歩いて蕎麦屋さんを発見。関西ではまずメニューには載ることのない「きつねそば」を注文。暖かい蕎麦が身に染みる。
東京の中央区、台東区、荒川区、足立区を通過し、ようやく埼玉県に突入。草加市だ。雨は相変わらず降ったり止んだりを繰り返している。
瀬崎浅間神社。雨宿りよりも、疲れた足腰の休息が主目的で境内に長々と座り込む。本殿の奥にあるのが富士塚。富士信仰に基づいたミニチュア富士山だ。東京を中心に関東では多く見られるものだけど、関西ではお目にかかったことがない。
火あぶり地蔵。貧しい家の娘がこの地の商家に奉公に出され一生懸命働いていたものの、実家の母親が危篤だというのに帰省が許されず、ついには「この家が燃えれば帰れる」と放火するに至ったという。火あぶりの刑に処せられた娘を憐れんで地蔵堂が建立されたという。
ようやく草加宿の標柱が現われた。草加煎餅も食べたいし、旧宿場町も見て回りたいけれど、もうクタクタだ。
草加駅前。傘も差さずに歩いていることが恥ずかしいような雨脚になってきた。初日から辛いウォーキングになってしまったけど、この後、無事日光に辿りつくことができるのだろうか…。
本日の歩行距離21.3㎞。ガイドブックに寄れば18.5㎞なんだけど、街道歩きでは寄り道が多くなるせいか、歩行距離は1~2割増しになってしまう。休憩が多くて所要時間は9時間20分。芭蕉の半分のスピードにも満たない…。

